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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』
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■ここにお便りを書いてね。

お名前(ペンネームでも)

『啖呵売り』5150

 寅さんたちテキ屋さんはこの3日で、何人死んだだろう。
 テキ屋殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の3日も降ればいい。ってね。
 どうしたもんじゃろのう、ずっと雨降りだ。
 寅さんにはこんな啖呵も出てくる。
 鶴は千年、亀は万年、隣のばあさんあと1年。ってね。
 その点、石巻のおばあちゃんは違うよ。
 何でも予後のケアも順調で、全開バリバリなんだとか。
 主治医には「100歳越え」は間違いないとまで言われたとか。
 腰を鍛えるためにジョギングを始めたとか(笑)。
 本当にこんなことなら、ボクの初ライブも見に来てほしかったな。
 まだまだこれから何回もチャンスはあるだろうけれどね。

 (2017.06.04) △このページのトップへ

『1959』5149

 1959。
 それはボクが生まれた年。
 春風亭昇太はボクの1日前の12月9日に、井出らっきょはボクの次の日の12月11日に生まれている。
 スイングジャズの異端児でモダンジャズの開祖、レスター・ヤングはこの年没した。
 アルトサックス奏者の「ポール・デズモンド」が作ったウェストコースト・ジャズの代表作『Take Five』はこの年に発表された。
 NHK教育テレビ・フジテレビジョンの放送が始まったり、昭和基地に置き去りにしたタロとジロの生存が確認されたり、「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」が同時創刊されたり、メートル法実施されたり、伊勢湾台風(死者5041人、被害家屋57万戸)とか、第1回日本レコード大賞(水原弘の「黒い花びら」)とか、児島明子がミス・ユニバースに選ばれたり、皇太子結婚、パレードをテレビ中継とか、西部劇ブームとか、緑のおばさん登場(日給は350円)とか、個人タクシーが登場とか、日本初のコンテナ専用列車「たから号」運転開始とかいろいろあったようだが、ボクはまだ0歳だったので、詳しいことは分からないでちゅ。

 (2017.06.04) △このページのトップへ

『只者じゃねえ』5148

 バスのネタが多くなった。
 サックスの練習で、最近とみにバスを利用するようになったからね。
 駅でバスを待っていると、只者じゃない人が辞書を読んでいた。
 もう一人の只者じゃない人はスマホでゲームをやっていた。
 向こうのバス待合所にも只者じゃない人がいて、やたらとこっちを覗いてきょろきょろしていた。
 そんな只者じゃない人たちに混じっていると、何となく自分まで只者じゃない気になってくる。
 そして「只者じゃないグループ」の一員になったような気がしてくる。
 今日は雨が降っていて肌寒かったが、「只者じゃないグループ」メンバーは皆元気だった。
 その中で、ボクだけが少しだけテンションが低かった。
 次回は負けないようにしなければ!

 (2017.06.04) △このページのトップへ

『生きものだから』5147

 サックスという楽器は、見るからに金管楽器だけれど、実は「木管楽器」だ。
 フルートは「エアリード」、オーボエは「ダブルリード」、そしてサックスとクラリネットは「リード」を使って音を出すことから楽器の素材にかかわらず、これらは皆「木管楽器」なのである。
 たわみ振動をする薄い板をリードと呼ぶが、これは言うまでもなく「葦(reed)」から来ている。
 リードは生きものなので、自分が吹いて「いいね!」のリードはなかなか見つからない。
 10枚セットで3000〜4000円もするリードを買っても、その中で「いいね!」は2〜3枚あればいいほうだ。
 ボクも、もうすでに4箱ほど買っているのだが、「これ!」というのは本当に少ない。
 で、「これ!」を見つけ、狂喜乱舞して、マジックで「Good!」とか書いて、そればっかりで吹いていると、今度は摩耗で先が割れたり裂けたりつぶれたりする。
 そうなるともう駄目。せっかく見つけたなけなしの命綱もそれでおしまい。
 また一から「リード探し」の旅が始まる。
 本番には「Good!」印のリードで吹きたいのでそれは温存し、それに代わる練習用のリードを見つけようと、それだけで今日の練習は四苦八苦だった。
 でも、なかなかないんだよねえ。
 つくづく「リードは生きものだなあ」と思う。
 同時にボクはボクで、やれ唇が痛いだの、やれ左親指のマメが痛いだの、疲れただの、息が切れるだの、眠いだのと、うまく吹けないのをおのれの体調のせいにしている。
 本当に「怠惰な生きもの」そのものである。
 生きもの×生きもの=へたくそ。
 そんな公式が、ザンネンながら成り立ってしまっている。
 かのナベサダさんは言った。
 楽なものは面白くない。そのとおり!
 かのケニーGは言った。
 努力は必ず報われる。そのとおり!
 かのソニー・ロギンズは80歳の時に言った。
 私に聴こえてくる音楽が言うんだよ。「ソニー、まだまだ良くなるよ」とね。
 ああ、ボクはまだまだヒヨコにさえなっていない。。。

 (2017.06.04) △このページのトップへ

『されど8小節』5146

 あと1週間後に迫ったライブ。
 演奏曲『Just the Way You Are』でのボクのソロはたった8小節である。
 時間にすれば1分もない。
 だが、この8小節(1分弱)のために、ボクが費やしている時間は気が遠くなるほどだ。なので数えない。
 やっとソラで(楽譜を見ないで)テンポも65でできるようになった。
 パーフェクトとはもちろん言えないが、10回に4回はちゃんと吹けるようになってきた。
 この曲は、ビリー・ジョエルが「そのままの君でいいんだよ。そんな君が好きだよ」というメッセージを込めて妻の誕生日に送ったものだが、ボクもそういう気持ちだけは共有できる。
 妻を愛している気持ちだけは、ビリーなんかには負けない自信がある。
 また、このサックスのソロは、「フィル・ウッズ」というアルトサックス奏者がアレンジしたもので、その奥行と包容力を感じさせる甘い音色が最大の売りになっている。なかなかかっこいい。
 しかし、果たしてこのビリーの気持ちを、フィル・ウッズのような優しい音色でもってボクは表現できるだろうか?
 ボクの音色は、ジャズ評論家のジョイさんが言うように、ピュア(純粋)でプリミティブ(原始的)ではあっても、都会的な優しさの域には到底達していないような気がする。いや、どちらかというとそーゆーものとは「真逆」な気がする。
 まあ、いいや。ヤスシ風の「ピュアでプリミティブな愛の表現」でやってみるしかない。
 ボクはボクなんだから。。。
 今日もこれから雨の中練習で〜す! そろそろ仕上げに入っていきますよ!

 (2017.06.04) △このページのトップへ

『鼻水たらたら』5145

 今日は寒い。
 今日も6時起きで仕事をしているが、2人とも鼻水たらたらだった。
 やっぱりな。6月っていってもまだストーブバンバン要るもんな。
 先日、灯油を追加発注しといてよかった。
 ところで、皆さん「セリク」というのを知ってますか?
 世界陸上のことです。あれって今もやってるんですか?
 今から十数年前は「織田裕司」とか「藤原紀香」とかが司会やってたんだけど。
 その時、ゲストに柔道の吉田選手が出ていて、紀香が吉田に向かって、
「がんばりましょう、吉田さん!」
 と言ったのを覚えている人はまず皆無だろう。
 織田裕司が本当はアナウンサーの豊田さんに向かって、
「豊田選手!」と、間違って呼び掛けたことを知っている人は、まずゼッタイいないだろう。
 実は、ボクたちはそーゆー、ある意味、どーでもいいことを、正確にしっかり覚えているのである。
 今日も、「寒いね、寒いね」と言いながら、「がんばりましょう、吉田さん!」と、つい言ってしまったボクのジョークに、妻はしっかり反応してくれたのだった。
 ほぼ100%同じものを食べ、同じものを見て暮らしているボクたちにしかできない、実にオバカな芸当なのだけれど。。。

 (2017.06.03) △このページのトップへ

『その記憶力、少し分けて!』5144

 バスを待っていたら、あるキャラクター集団がやってきた。
 中学生ぐらいの子どもたち6〜7名と、それを引率している先生が男女2名。
 キャラクター集団は、ボクの座っている椅子の周りにど〜っと座った。
 この手の集団を見ると、どこかホッとする自分である。同類の匂いを感じるからかもしれない。
 妻もこないだバスに乗ったら、やはりそういうキャラクターの人たちがいて、その初対面とは思えない会話が素晴らしく楽しかったと言っていた。
 とにかく、彼らの会話は唐突に始まって、いきなり本論に入っていく。
 ボクシングにおけるジャプ、話における前置き、フルコースにおける前菜というものがない。
 一気にアッパーカット、一気に本題、一気にメインディッシュに持っていく。
 で、後はいたって淡泊だ。デザートのような余韻めいたものもない。
 ボクは、こーゆーシンプルで単刀直入で、心の中の読みや探りのないコミュニケーションが一番ホッとする。
 こうなりたいものだなあ、と真剣に思う。
 さて、このキャラクター集団の中の一人の少年が、いきなりボクに言った。
「ゲンジボーさんはK'sデンキ鷹巣店の店長さんだよ」
 ボクはK'sデンキは知っているが鷹巣店には行ったことがなかった。ましてやゲンジボーさんを知る由もなかった。
 それで、不本意ではあったが、ちょっと「え?」という顔をしてしまった。
 会話に水を差してしまったのだ。
 しかし、その少年が話し掛けたのは、ボクではなくボクの左隣の「アキ子先生」であることが分かった。
 アキ子先生は、ボクにちょっと気を使いながら、小さい声で「鷹巣店に行ったことあるの?」と、その少年に聞いた。
 ボクの耳はダンボになっている。
「いえ」
 いとも簡単にその少年は言い、ではなぜそのゲンジボーなる店長を知っているのか、ボクは知りたくなったが、それを聞くのはちょっと勇気が要ることだった。
 こういうところがこのキャラの人たちに溶け込んでいけないボクの壁なのだ。
 まだまだ人間が小さいな、と思う。
 その少年のその後がすごかった。
 秋田にあるK'sデンキの全店舗を次から次へとよどみなく読み上げたのである。しかも、電話番号付きで。
 そして最後にこう言った。
「ボクは広面店が一番好き」
「どーして?」
 アキ子先生が僕が一番知りたかったことを代わりに聞いてくれた。
「近いから」
 それが彼の答えだった。
 いたってシンプルで全うな答えだったので、ボクは安心もしたが、少しガッカリもした。

 (2017.06.03) △このページのトップへ

『虫殺傷ジンマシン』5143

 妻は大の虫嫌い。
 特にクモとカメムシが駄目だ。
 なので、ボクはその都度バスターズとして駆り出される。
 基本的に、その行為は嫌いではない。
 お姫様を守るヒーロー気取りになれるから。
 妻に「たっのもし〜視線」を浴びせられるのは悪い気はしない。
 ただ一方で、ボクは虫であれ何であれ「殺傷」する行為は大嫌いだ。
 なので、クモであれカメムシであれできるだけ「静かにお外へ行ってもらう」ことにしている。
 そういう優しい駆除方法を採用している。
 しかし、たまたま今日のように、ついティッシュに力が入り過ぎてしまって、結果的に殺傷してしまうケースも出てくる。
 そーゆーバアイ、ボクは何となく心苦しくなってくる。
 思わず手を合わせて「クモのたえまの姫」に拝んでしまう。
 クモアミダブツ、クモアミダブツ・・・。
 最近は、なぜか体がかゆくなる。
 表題の病気かもしれない。

 (2017.06.02) △このページのトップへ

『妹背山婦女庭訓(いのせやまおんなていきん)』5142

 7月の松竹大歌舞伎は、表題の芝居である。
 時代は江戸なのに、大化の改新の頃の蘇我氏と中臣氏の辺りの争いが面白おかしく題材化している。
 これはみんな葛西さんからの受け売り。
 一般ピープルの酒屋の娘(お三輪)と蘇我入鹿の妹の(橘姫)が、求女(もとめ)という男を好きになる三角関係物語でもある。女を求めると書く「求女」という名前もすごいが、その実この人は藤原の淡海である。
 疑着(ぎちゃく)の相ある女の生血とか何とか、とにかく凄まじい話に展開していく。
 お三輪をいじめる宮廷の有閑女たちのすさまじさもおかしそう。
 最後のお三輪の豹変ぶりも見もの。
「あれを聞いては帰られぬ。男は取られその上に、またこのように恥かかされ、何と耐えていらりょうぞ・・・」
 ああ、早く観たい! 観たい!

 (2017.06.02) △このページのトップへ

『ベルト捨ててもいい?』5141

 昔のベルト。
 物をヒジョーに大事にする妻である。
 たまたまたんすの中から出てきたらしい。
 ベルトを見ると締めたくなるのが人の常。
 お菓子を見ると食べたくなる心理と同じ。
 で、締めたようだ。
「ベルト捨ててもいいかなあ。。。」
 そのベルト(締まらなかったベルト)をヘビみたいにぶら提げてボクの所に来て言う妻であった。
「いいんじゃない? だってもう昔のでしょ?」
 当然のようにボクが言うと、悔しそうに部屋に戻った妻だったが、しばらくしてまたやって来る。今度は満面の笑みを湛えて。
「ちゃ〜んとやったら回ったみたい!」
 確かに穴の一番端っこだが、何とか入っている。穴が横にビロ〜ンと引き伸ばされて痛々しい。
 妻の顔をよく見ると、満面の笑みに隠れてはいるが、こめかみに確かに青筋が浮き立っている。
「それ、体によくないんじゃない?」
「やっぱり?」
 ボクとて、こんなふうにして捨てたベルトは数知れず。

 (2017.06.02) △このページのトップへ

『白い手袋とバスの運転手さん』5140

 子どもの頃、ひそかにバスの運転手さんにあこがれていた。
 あの白い手袋と帽子がカッコ良かった。
 そして、あの運転台に座る時の仕草がちょっと特別な感じで神々しかった。
 地上のコックピットって感じで。。。
 乗客のボクらとは一線を画していた。
 昔は車掌さんもいたから、彼らは運転に集中すればそれで良かった。
 今は、回数券を売ったり、いろんな乗客に向けた指示も忙しくなった。
 ワンマンになってから彼らは饒舌になった。とゆーか、ならざるを得なくなった。
 そんなわけで、昔ほどの威厳はなくなったバスの運転手さんではあるが、ボクは今でも好きな職業だ。
 生まれ変わったらバスの運転手さんになりたいなあ。
 一番かっこいいと思うのは、バスとバスがすれ違った時のあいさつだ。
 白い手袋をはめた右手を、ゆっくりと挙げる。向こうもゆっくりと返す。
 中にはボワンとクラクションを鳴らす人もいる。いいなあ、あれ。やってみたいなあ、いつか。
 あの時のバスの運転手さんはとても誇らしげに輝いて見える。

 (2017.06.01) △このページのトップへ

『久しぶりのデート』5139

 秋田は中華料理不毛地帯と言われているらしい。
 確かにそう思っていた。
 しかし、ある意味オーソドックスな全国チェーンではあるが、おいしいところを新発見!
 歌舞伎プレセミナーの前に食べた。
 妻は五目やきそば、ボクは五目スープそば。
 また来よう!
 26度も気温が上がって大晴天であった。
 県民会館が来年取り壊されるので、葛西さんのセミナーもしばらく見納め。
 松竹大歌舞伎も少なくとも4年は秋田で見られない。
 また中村吉右衛門もこれが地方で公演する最後とのこと。
 いろんな意味でお名残惜しいの一言だ。
 ベネチアのワインショップはもちろん開店しているようだった。
 遠くから手を振ったが、ジョイ&ジーナさんは手を振ってくれなかった。
 きっと見えなかったんだろうけど、皆さんお元気に違いない。









 楽しいひとときはあっという間に過ぎ、デパ地下でお刺身を買ってバスで家路に着いたのだった。

 初夏の短いデートは終わった。

 (2017.06.01) △このページのトップへ

『I am "Alt SAX MAN"』5138

 ライブは近い。
 月も変わった。
 今月のブログの看板はこんなかっこいいものにしてみました。(自画自賛)
 いろんなあちらの国の偉人たちの名言に混じって、ボクの名言が隠れていますが、どれでしょう?
 名言の意味を忘れないように、だ〜っと書いておきます。
 しかし、どれもこれも流石だね。
 When it is dark enough, you can see the stars.
 どんなに暗くても、星は輝いている。エマーソン(米国の思想家、哲学者、作家、詩人 / 1803〜1882)

 Never let your memories be greater than your dreams.
 過去よりも大きな夢を持とう。ダグラス・アイベスター(米国の経営者 / 1947〜)

 A problem is your chance to do your best.
 困難とは、ベストを尽くせるチャンスなのだ。デューク・エリントン(米国のジャズオーケストラリーダー / 1899〜1974)

 Victory is sweetest when you've known defeat.
 敗北を味を知ってこそ、最も甘美な勝利が味わえる。マルコム・フォーブス(米国のフォーブス誌の元発行人 / 1919〜1990)

 One of these days is none of these days.
 「いつの日か」は、決してやってこない。ヘンリー・ジョージ・ボーン(英国の出版業経営者 / 1796〜1884)

 Believe and act as if it were impossible to fail.
 失敗なんてありえないと信じて、やってみるんだ。チャールズ・ケタリング(米国の農民、教員、科学者、発明家 / 1876〜1958)

 If you obey all the rules, you miss all the fun.
 すべてのルールに従えば、すべての楽しみを取り逃がしてしまうわ。キャサリン・ヘプバーン(米国の女優 / 1907〜2003)

 I am "Alt SAX MAN".
 ボクはアルトサックスマン。伊藤靖(日本のおばか / 1959〜)

 おっといけねえ。そろそろ練習に行かなきゃ!

 (2017.06.01) △このページのトップへ

『こなれていくというステップ』5137

 普段使ってないところを使うということで、そこが鍛えられていく。
 ボクが剣道を習っていた頃は竹刀を振るので手に豆ができたし、裸足なので足の裏や指にもタコができたものだ。
 野球部の頃もバットの素振りで手のひらに豆が痛々しいほどできた。それがつぶれて水が出て、また少しずつそこの皮が丈夫になっていく。
 これはスポーツに限らない。ギターを練習すれば弦を抑える指に豆ができ、小説家などは「ペンだこ」ができる。
 妻に聞いたら、踊りのバアイはすねが子持ちシシャモになるらしい。
 お習字だって筆だことやらができると聞いた。
 なんでも上達するためには、タコや豆ができるステップがあるのだなあ。。。
 そして、それは「痛い」というステップでもある。
 血のにじむような、という言葉があるが、まさに本当に「血がにじむ」のだ。痛々しいのだ。いやジッサイ痛いのだ。
 実は、ボクの唇と指は今そーゆー状態にある。
 よもやサックスを吹いてこんなふうになるとは思わなかったのだが、マジにいろいろ痛いのだ。
 ボクは基本Mではないので、こういう状況はあまり好きではない。
 しかし、こうやってだんだん今まで使っていなかった部位がこなれていくのだから仕方がない。
 それが上達への道なのだから、痛みに耐えて頑張ろう。涙を流して頑張ろう。
 あの青春ソングにもあるではないか!「涙は心の汗」なのだから♪

 (2017.05.31) △このページのトップへ

『顔が縄文式土器』5136

 暴走族の夢やら何やら、いろんな夢を見たと言う。
 歯磨きをしているボクに、まだ布団の上にいる妻がそう言う。
 あれ?
 顔が古風だぞ。どうした、どうした??
 歯ブラシを口に突っ込んだまま、近づいてよ〜く見ると、顔が縄文式土器になっている。
 ちょっと、そーゆー顔で暴走族の夢の話とかしないでくんない。
 白くて辛くて泡立ったもん飲み込んじゃったじゃない!

 (2017.05.31) △このページのトップへ

『5月31日朝6時の風景』5135

 5月も終わる。
 そんな今日は、待望の歌舞伎プレセミナーがある。
 また1年ぶりに葛西さんのレクチャーが聞けるのだ。



  毎年この時期に葛西さんのプレセミナーを聞いて予習をしてから、夏の本チャン歌舞伎公演を観るのが習慣になった。もうかれこれ7年ぐらい続いている。ただし、来年ぐらいから県民会館の大規模な改修工事が行われるので、しばらくの間はこういう行事は開催されないかもしれない。だから今日は満を持して、休みを取って出掛けるのである。



 たまった仕事は朝早く起きてやる。今日は5時台に起きた。



 一番頑強なものを買っているのに、ハードワークのためにあっという間に壊れるキーボードも、昨日新しいのが届いた。



 今日はいい天気だが、日中は26度にも気温が上がるらしい。
 着物を着てお出掛けの時間まで、さあて、もうひと頑張り!

 (2017.05.31) △このページのトップへ

『イングリッシュガーデン初夏2017』5134

 この時期のわが家の庭はステキだ。
 前に住んでいたというおばあさんのおかげである。
 いろんな草花が咲き始めるのだ。



 マーガレットの白いのを中心に、あやめの紫やコスゲの黄色やツツジのピンク。
 とりたてて何というわけでもない、どこにでもある、ある意味地味な花たちだけど、全体になるとなかなかイングリッシュガーデンチックな雰囲気なのだ。



 もちろん、この時期はスギナなどの雑草もはびこる。



 こんな猫の額ほどの庭でも、雑草取りはそれなりに労力が要る。



  ボクがサックスを吹きに遠征している間、妻がその過酷な仕事の名乗りを上げた。



 3時間ばかりして帰ってみると、こんなに〜!! だった。
 あんたは偉い!! 実に偉い!!!

 (2017.05.31) △このページのトップへ

『妻の料理はサイコー!』5133

 妻の料理の腕が上がっている。
 あくなき探究心の源は、自らの食欲だ。
 ネットで知り得た「ただすけさん」という師匠のチカラも借りて、最近は創作的なものにまで乗り出している。



 これは「アスパラとクリームチーズのゴマ和え」なのだが、いやあ、さいこー(その1)!
 そして、前日の焼肉時に出し忘れた「クレソン」を利用し、マッシュルームをフィーチャーし、自家製「レモンとにんにくと黒こしょうのドレッシング」をかけた創作サラダ。これもさいこー(その2)!!



 最後は、お姉ちゃんのレシピと師匠のレシピを参考につくった「里芋とするめいかの煮物」。



 いやあ、もう、たまりまへん! さいこー(その3)!!!
 それぞれを持った器がまたいいではありませんか!
 ボクはもう、ほんとにシアワセでございます。 



 ごちそうさま!!

 (2017.05.30) △このページのトップへ

『目の前にフランケン!』5132

 寅さんの後の映画タイムはなぜか古くて怖いものになっている。
 数日前になんでだったか『カリガリ博士』を観て、そのつながりで『フランケンシュタイン』を昨日観た。
 さすがにホラー映画の元祖だけあって、妻の夢に出てくるほど怖かった。
 朝、目を覚ました妻は、「目の前にフランケン!」と、ボクの顔を見て言った。
 最近のSFXや3D技術などない映画のほうが実は怖かったりする。
 それは、さながら、IT技術に頼らないコミュニケーションのほうが温かかったりするのと同じようなものだ。
 それはそーと、今日も練習だ!
 もちろん人畜無害な場所(スタジオ)でだ。
 これなら老若男女、だ〜れも文句はあるまい。

 (2017.05.30) △このページのトップへ

『死ぬほど吹いてきた』5131

 抑圧や制約があると、人間は強くなる。
 そして貪欲になる。集中する。燃える。ボウボウ。メラメラ。
 今日は練習に行ってスタジオで死ぬほど吹いてきてやった。
 これは冗談ではなくボクの下唇は痛々しく腫れている。
 オクターブキーを押したり放したりする、左手の親指はずる剥け。
 肺活量の限界をはるかに超えて吹き続けるので、あばら骨までが痛い。
 本当にこんなに練習したことは生まれて初めてだ。
 テンポを最終的には70まで上げなければならないが、今は60でもやっと付いていけるかどうか。
 おいどん、頑張る。

 (2017.05.29) △このページのトップへ

『魂が震える音の受難』5130

 世の中いろんな楽器があるが、みんな大人しくなったものだ。
 電子楽器というものは昔はうるさいものだった。
 エレキギターなどは最たるものだった。
 それでロックを演奏するにはアンプという音の増幅器が必要であった。今もそうだが、当然うるさいのだ。
 そのノイジーな趣きが良くて、みんなエレキにあこがれたものだ。あれは思いっきり音を出してこそ自己陶酔できる楽器といえよう。
 ドラムだってそうだ。あれも思いっきり音を出してこそたたいた甲斐があるというもの。
 音が出ないのなら、単なる筋力トレーニングにすぎない。
 学生時代ロックバンドを組んでいたボクは、下宿にドラムセットがあった。
 ドラムの子(山口くん)の下宿が4畳半と狭かったので、ボクの10畳の部屋に置いてあげていたのである。
 練習日はそれを、ボクの下宿のおばあさん(タキばあさん)から借りたリヤカーに載せて学校まで運んだ。
 時々、ボクの部屋で練習することもあって、激しくうるさかったはずだが、下の住人(あずま先輩や山本くん)からは苦情がこなかった。いいひとたちだった。
 だけども、さすがに向かいの一般の家庭のおやじさんからは「うるせ〜っぞ!」大声で怒鳴られたもんだが、周りは今よりはもう少し許容があった気がしてならない。
 そんな、今からもう30年以上も昔のことを思い出す。あの頃は世の中にも世間の人たちにももっと『余裕』が感じられたなあ、と懐かしく思う。高崎という片田舎だからだっただけかもしれないが。。。
 あれ? 何言いたかったんだっけ?

 そうそう、古今東西楽器というものはうるさいものだったが、最近ドラムも「電子ドラム」という全然音が出ないものができた。自分はヘッドホンで聴いている。だから練習場所にも事欠かない。
 ギターだってエレキだけでなく「エアー」とか何とかいうものまでできて、音を出さないばかりか弦まで要らないものもある。
 そんな中、どーしてもこのラッパだけは駄目だ。ラッパはどーしても「生」なのだ。
 耳にヘッドホーンを当てて音を出す芸当ができない。
 出すとなったら、そこら中に「バ〜ン!」と大音響をとどろかせるしかないのだ。
 いっぱい空いている穴のどこか1カ所でも、ヘッドホンのジャックになっていてくれたらいいのだが。
 でも、そんな「潔さ」がボクは好きなんだ。そこがサックスのいいところだも思う。
 しかも、同じ管楽器でもフルートのような「小鳥のさえずりのようなやわで心地よい音」なんかじゃない。
 魂のキモを揺さぶるような、雷さまの太鼓のような、その重低音こそが身上なのだ。
 しかし、まさにこの重低音こそが老人の耳や体に障るようだ。
 耳の劣化は高音から始まるということが今回の人間ドッグで分かったが、やっかいなことに年をとっても重低音だけはしっかり聞こえてしまうようなのだ。超高齢化社会は、実はサックスなどの重低音楽器にとって受難の時代といえよう。
 
 重低音の楽器といえば「チェロ」などもそうだ。
 以前、近隣の新興住宅地を妻と散歩していた時、まだ初心者と思われる人のたどたどしいチェロの音色が聞こえてきたことがある。
 サックス同様、チェロも魂が震える音を出す楽器だ。これはこれでたまらなく「いい音」だとボクは思う。
 あの方はまだ家で練習をしているだろうか?
 重低音楽器が受難の時代。音に許容や余裕がなくなってきた社会。
 犬の鳴き声や赤ちゃんの泣き声にさえ耳をそばだて警戒する人々。
 同じようにサックスにとってもチェロにとっても誠に受難の時代になったものだ。
 あの時の人は、今でも窓を全開にしてチェロを弾いているだろうか。
 ギコギコ鷹揚に弾いていてくれることを、ボクは心から祈っている。

 (2017.05.28) △このページのトップへ

『突然の出来事』5129

 昨日は髪を切ってもらいに、妻と歩いて街まで出た。1日の歩行数は1万歩弱だった。
 妻が先に切ってもらっている間、ボクは駅のデパート(トピコ)で、若い女の子の洋服を売っているお店の前の椅子に腰掛けていた。
 カラフルな洋服が並んでいて、ひっきりなしに若い子たちが来てにぎわっていた。
 ふと見ると、帽子をかぶった色の白いお嬢さんが、飾り台の上にさりげなく腰掛けている。
 ボクはボーっとしてそのお嬢さんを眺めていたのだが、この後すぐに、あまりにも突然の出来事がボクの視線を奪った。いや釘付けした。
 なんと! あろうことか、いきなりその子はボクの目の前で・・・服を脱いだのだ!!!
 しかも薄いブラウスの下には下着を着ていなかった。ブラウジアウすらしていなかった。
 それからなんと! あろうことかスカートまで脱いじまった!
 しかもスカートの下にも何も身に付けていなかった!
 それだけでもオジサンハナジブーなのに、なんと! その脱ぎ方がまた一風変わっていた。
 ブラウスを脱ぐのに彼女は腕を上げなかったのだ。
 じゃあどうやって脱いだかというと、彼女は腕を外したのだ!
 ガバッと、右腕を外し、次は左腕を外して脱いじまった。
 これには驚いた! 
 もちろん脱いだのだから白いパイオツが露わになったが、乳輪も乳頭もなかった。
 なので、案外味気ないものだった。
 やがて、お嬢さんは別の服と帽子を被せられて、また何もなかったようにそこに座った。
 不思議なものを見た。

 (2017.05.28) △このページのトップへ

『めげるなあ』5128

 いろいろ生きていればめげるなあ。
 あんまりお金が欲しいと思わないで、ここ十数年生きてきた。
 事実そんなに欲しいものもなかった。妻がいればそれで良かった。
 何とか晩酌できて、今は借家の家賃などを払って、少しデパ地下で買い物ができる程度に暮らしていける。
 それだけでよかった。
 しかし、今、ボクは欲しいものがある。欲しいものが明確になったのだ。
 それは「壁」だ。
 もうちょっと噛み砕いて言えば「壁1枚じゃない少しは近代建築の築20年くらいの家」だ。
 ラッパの音が聞こえない防音壁が欲しいとは言わないものの(あったらサイコーだけど)、少しは大きな声で鼻歌の一つも歌える「壁が壁としてしっかり機能した家」だ。
 築40年の家を渡り歩いて早14年。
 思えば雨漏り、床抜け、冷え冷え、暑い暑い、ムシムシ、蒸し蒸し、虫虫、クモクモ、雪雪、露つゆ、カビカビ、雉キジ、あなぐま、アオダイジョー、シマヘビ、トノサマガエルなどとの戦いの歴史だった。
 衣食住の「住」だけが実にウイークポイントだった。大不況、大不作、大暴落のブラックマンデーだった。
 いや、今の所は場所的にはサイコーだし、家賃から見たら大見っけもんだし、正直何ら不自由はないのだ。
 雨漏りもしないし、床抜けもない。
 ただ、音だけが駄目なんだ。
 音だけが漏れるのだ。
 かつこの辺には体の不自由な病人の老人や参勤交代、いや三交代の看護師さんや、マイホームで老後を静かに送りたい人たちがたくさん住んでいらっしゃるのだ。
 ボクの声だけが、そんな中で浮いている。
 もう喉を掻っ切りたい気持ちになる。
 あ〜あ。こまったよ、まったく。
 もうちょっとめげるよね、いろいろと。
 そんなわけで、ボクは今朝決意した。
 ボクは早く世界にはばたくプロのサックス奏者になる!!!
 そして、そのあかつきには、今よりは壁がちょっとは厚い近代建築の借家に引っ越す!!!

 それで家賃が3千円くらい上がったって構うもんか!
 なんたってボクは「世界のジャズサックス奏者」なのだから! ハッハッハッ!
 ボクは部屋の薄〜い壁に向かって小声で叫ぶ。
 君との別れも近いぜ!

 (2017.05.27) △このページのトップへ

『歌舞音曲禁止令から一夜明けて』5127

 いや、歌舞音曲全般が禁止になったわけではない。
 問題はボクの「ラッパ」だ。
 妻の踊りのお稽古で流れる清元にまで監視の目が、いや耳が光っているわけではない。
 ボクたちはどーしても一旦そのことが気になると、被害妄想的に、そのことを拡大解釈して、必要以上に委縮する傾向がある。シュリンピー夫婦とでもいいましょうか。
 そして、自ずと「蚊の鳴く夫婦」になってしまう。自分のおならの音にさえおののいてしまう。
 でも、よく考えてみたら、このバアイの非難の矛先は「ラッパ」なのだ。
 やり玉は、風呂の鼻歌でもなく、単純に「ラッパ」なのだ。
 それ以外の音の出るものは何も言われていないのだ。
 そーゆーことに思い至り、妻は昨日控え目にだが踊りを踊ることにしたようだった。
 ボクのほうは今日レッスンがあるので思いっきり吹いてくることができる。
 ずっと(といってもたった1日)吹いていない間に、すっかり手に纏足をはめられたようになってしまっている。
 気付くと「げんこつ山の狸さん」の振りを自然としている自分がいる。(「おっぱい飲んでねんねして」のところです)
 そんなわけで、今日はのびのびと吹いてきたいと思っとりますたい!

 (2017.05.26) △このページのトップへ

『蚊の鳴く夫婦』5126

 なぜ「蚊の鳴く夫婦」になってしまったかは、このず〜っと下の『地上に暮らしているのだなあ』5122のところに書いたので、そちらを見てほしい。
 ボクらは今、自粛ムードなのである。
 ほとぼりが覚めるまで、静か〜にしているのである。
 ちなみには「ほとぼり」とは「熱」のことだそうだ。賢い妻がそう教えてくれた。
 さっき、ゴミ袋に何か入れようとした妻。
 ゴドッ!
 2人とも固まって一瞬沈黙。それから「し〜〜〜〜」「し〜〜〜〜〜」。
 間の悪いことに、ここでいきなり洗濯機の終了音。
 ピ〜ピ〜ピ〜!
 2人とも凍り付いて一瞬沈黙。それから洗濯機に向かって「し〜〜〜〜」「し〜〜〜」。
 台所でボク。手元が狂って洗っていたザルを落とす。
 ガダン、ゴロゴロ!
 2人とも青ざめて一瞬沈黙。それからザルに向かって「し〜〜〜」「し〜〜〜〜」。
 歩く姿は「抜き足差し足忍び足」。「し〜〜〜」「し〜〜〜〜」。ワシらドロボーかい?
 ふと、あの歌の歌詞が脳裏をよぎる。北島三郎『風雪流れ足袋』。よっ、待ってました!
 音の出るものなんでも好きで〜、かもめ啼く声聞きな〜が〜ら〜〜〜〜あ〜〜、アイヤ〜〜♪
 思わず、県民会館で流れる歌舞伎開演前のあのアナウンスを思い出す。
 音の出るものは電源をお切りください。
 そこで、いつもならお尻を押さえるジョークを放つボクだが、チョー自粛ムードの今はそんな余裕はない。
 人が見たら「過剰反応」「薬の効き過ぎ」と言うかもしれないが、今ボクらはそんな大人し〜〜い状況なんです。

 (2017.05.25) △このページのトップへ

『ボクの性分』5125

 ボクは会社の中でも、コームの中でも出世できなかった。
 秩序とか序列とか上下関係のある職場は性分に合わないのだ。
 一時期、自分で会社を持って社長になり、そこで出世したように思えたのもつかの間、十数年で倒産した。
 いろいろ原因はあるが、従業員を統率したり引っ張っていくのも性に合わなかった。
 とすると、ボクはどこで出世すればいいのか?
 昨日送られてきた高校の会報に、秋田大学を出てから独学で頑張り、狭き門である「東京フィルのチューバ奏者」になった後輩や、JALのVIP用客室乗務員を経て、服部セイコーの社長の奥さんになり、JAL退職後には法政かどこかの大学院に進んだ同期の女性が載っていた。
 みんな立派だなあ。
 ボクはどこで出世すればいいのか?
 ボクの性分からいって、やっぱり「家」でしょう。
 家で出世します。
 つまり妻にとっていい男を目指します。

 (2017.05.25) △このページのトップへ

『ニンゲンドックの結果』5124

 昨日送られてきたニンゲンドックの結果。
 懸念していた胃腸関係は問題なく、全然油断していた心電図とかエコーが再検査だった。
 消化器系ではなく、呼吸器系、循環器系に課題を残した。
 もちろん肺活量は気合十分の驚異的数字で甲種合格だった。
 再検査はマッツ先生に行こうと思っている。
 この5月は自分の体と向き合うマンスリーと位置付けて、お金も時間もかけて徹底的に歯のクリニックからアレルギー検査まで全身をくまなくオーバーホールしたわけだ。
 妻は来月からいろいろ婦人科系の検診が始まるようだ。
 ボクらにとって「健康維持」は仕事上の責任である。
 自己コントロールの要件の中の最たるものだ。
 そしてシアワセの絶対条件でもある。
 健康ばんざい!

 (2017.05.25) △このページのトップへ

『星になる前に★になりたい!』5123

 最近、亡くなった人の年齢が気になる。
 ボクとの間の年齢差が気になる。
 その差はだいたい20〜30年である。
 つまり77〜87歳。
 今日亡くなった与謝野薫さんも78歳だ。
 その辺りでみんな星になるのだなあ、と思うにつけ、ほんとに残り少ない人生なんだなあ、と思う。
 せいぜいそのくらいも生きれば死んじゃうんだね。
 それにここんとこの1年は本当にあっという間だ。
 あっと驚くため五郎だ。
 あっと驚くほど短い1年をせいぜい「ちょっと驚くくらい」生きれば、それでもう泣いても笑っても「ハイ、さよな〜ら〜よ♪」
 なのだなあ。
 星になる前にもう一花咲かせたいなあ。
 あまりに熱すぎて青く見える恒星「ブルージャイアント」とはいわないが、サックスの道で★を一つ輝かせたいなあ。死ぬまでに。
 五つ星とはいわない。せめて★一つでもいいからさ。

 (2017.05.25) △このページのトップへ

『地上に暮らしているのだなあ』5122

 人は地上に暮らしている限り一人ではない。
 そして健康で若い人ばかりではない。
 病気を患っているお年寄りが近隣に暮らしていることだってあるだろう。
 また、人は日中だからといって、必ずしも起きているものとも限らない。
 夜勤明けの仕事の人が寝ていることだってあるだろう。特にこの辺は看護師さんも多いらしい。
 さらに、赤ちゃんだって昼寝をしていることもあるだろう。
 余生を閑静なところで過ごそうと思ってマイホームを建てた年配のご夫婦だっているだろう。
 いろんな障害を持って暮らしている人もいるし、そういう人を介護している家族もいるだろう。
 そんなわけで、人は一人ではないのだ。地上にいる限りにおいて。
 ボクはそういうことを失念して、練習の遅れを取り戻すために、サックスを家で吹いてしまった。
 で、まあ、ご親切なお隣さんに、上記のような情報を頂いたのだった。
 なかなか勇気が要ることを、ありがたくもお隣さんは妻に言ってくれ、ボクは自分のあやまちを恥じたわけだ。
 で、もちろん家の中では一切吹かないと誓った。こう見えても意外に素直なのだ。
 近隣に住む上記のいろんな利害関係者の方々に悪いと、本当にボクは思ったのだ。
 多少は上達したボクのサックスの音色が、そのような方たちの多少は癒しや子守歌代わりぐらいにはなるのではないでしょうか? などとゆーとぼけたセリフは、決して口が裂けても言えない、言えない、もう言えない。
 音楽っていいもんですよねえ、何というか「心のオアシス」っていうのかなあ。特にサックスの音色はステキですよね。
 などとゆーよーな不謹慎なセリフは、口をへの字に結んで一切封印せねばならない。
 なぜなら、どんなに音楽が心のオアシスでも、ボクのサックスの音色がステキでも、ボクは地上に暮らしているのだから。
 例の太平山を臨んだ田んぼのスポットも、よく考えてみると看護師寮が近い。
 おそらくあの寮には参勤交代、いや三交代で夜勤の人が寝ていることも多かろう、と思った。
 やっぱりあそこも駄目だなあ。
 それから、ボクがいつも風呂で歌っている五木ひろしの歌はどうだろうか?
 これも相当響くだろうなあ。調子に乗って気持ち良く歌ってたもんなあ。
 これもおそらく近隣のお年寄りや病人や赤ちゃんたちにとって悪い影響があるかもしれないなあ。
 ムシを起こして救急車で運ばれる人もいるかもしれないなあ。
 これもやめよう。歌いたければカラオケに行けばいいんだもの。
 あと、おならとか咳とかくしゃみはどうだろう?
 ボクは特にそーゆー音も大きいからなあ。
 でもこればっかりはどうだろう。出物腫物所嫌わずってゆーよなあ。
 まあ、とにかく、これからは蚊になろう。蚊の鳴くように2人で暮らそう。
 静か〜に、静か〜に。ぷ〜ん、ぷ〜んとね。

 (2017.05.25) △このページのトップへ

『源氏批判』5121

 光の君、源氏はなんて男なの!
 もうサイテー!
 この、チャラチャラエロ男めが!
 まったくどこまで懲りないのかしら!
 ほんとにどっしょもない恥知らずボンボンだわ!
 そんな源氏批判が、夜の「読み聞かせタイム」を中心にボクらの間で盛んに湧き起っている。
 初めは『源氏物語』養護派だった妻までが、いや今はむしろ妻のほうがその傾向が強い。
 そんな燃え盛るシュプレヒコールの中で、実は夕べお聖さん節の『新源氏物語』(上)は終わった。
「どうする? 中も読む? このままだと憤死するんじゃない?」とボクが聞くと妻はきっぱり言った。
もちっ!
 中巻はアマゾンから今日届く。

 (2017.05.24) △このページのトップへ

『いやいやいやいや』5120

 ここんとこ、5時半に起きる日々が続いている。
 本当に「これでもか、これでもか!」とお仕事が入ってくるのだ。
 いやいやいやいや、うれしい悲鳴である。
 そんな中、ボクの壊れていた鼻の原因が分かった。 いや、分からなかったというべきか。
 ホームズ先生(A内科のアレルギー専門医)は、39種類に及ぶボクのアレルギー検査のチェックデータを見てこうおっしゃった。
「花粉もハウスダストも食品もあらゆるものを調べましたが、まったくアレルギー反応は出ませんでした」
 そして『運動性なんたら鼻炎』ではないかという結論を導き出した。
 運動性なんたら鼻炎というのは、体温の変化(寒くなった時)に反応して鼻が異常に反応するものらしく、確かにかつてボクもそれを疑ったことがあった。
 夏は改善されるとか、夜目が覚めた時寒いと感じたりすると、とみに鼻が壊れることが多かったからだ。
 また、6年前にたばこをやめてから急にこの症状が出たことにボクはこんな持論を持っていた。
 寒い冬の日などたばこを吸って鼻から吐くと、それなりに温まってそれが鼻には良かったのではないか?
 たばこをやめたことで、ボクの鼻が悪くなったのではないか?
 そんな見解を、ホームズ先生は身を乗り出して、大変興味深く聞いていたが、なるほど! とひざを打ってこう言った。
「それは貴重な医学的知見になるかもしれない。今まで喫煙と鼻づまりの関係に言及した論文はなかった!」
 彼の目がキラッと光るのをボクは見逃さなかった。
 そんなわけで、大枚な検査料を払った割にはあっけない結論で、結局「マスク」で鼻を寒さから守ることぐらいしか、直接的に鼻の壊れを防ぐ方法はないのだった。な〜んだ!
 それはそーと、今日の朝は初めて冷房も暖房も何も要らなかった。1年で数週間あるかないかの「秋田におけるハワイアン気候」である。こんな時は鼻の調子も悪くない。そんなに詰まっていない。
 これで仕事が少し落ち着いたらサイコーなんだけどなあ。
 迫ってきたサックスの練習もできるのだけどなあ。

 (2017.05.24) △このページのトップへ

『赤にする? 白にする?』5119

 さっき掃除機をかけている妻に、ボクが流しから聞いた言葉。
「赤にする? 白にする?」
 ワインのことではないよ。
 朝っぱらから飲まないよ、なんぼなんでも。
 それはお味噌汁の「味噌」の話でした。
 昆布で取った出汁でカブの味噌汁をつくるバアイ、どっちがいいかなあ、と思って聞いたわけ。
 結局「赤みそ(名古屋の八丁味噌)」になったのだが、それを飲みながら妻がこんなことを言った。
「さっきのあの会話、もしよその人が聞いてたら、どう思うかな? 私がその間、掃除や洗濯をやってるって知らなかったら、きっとさぞかし悪妻と思われてるよね」
 今は分業で夫婦が家事や子育てをする時代だけど、確かに少し前までは「男子厨房に入らず」みたいな格言があったりしたものだ。
 もちろん今でも、朝ごはんを毎日せっせと作ってる男性は少数派かもしれない。ましてや米研ぎからガス炊飯までやっているのは。
 思い浮かべてみても、ボクらが料理で活用している「白ごはんドットコム」のタダスケさんと、かつて仙台時代に活用していた「こうちゃんレシピ」のこうちゃんくらいしかいなかった。
「赤にする? 白にする?」
 でも、これってすごくシアワセな朝の風景だよね。
 1日がそうやって始まり、一生懸命仕事をして、待望の晩酌タイムもまた「赤にする? 白にする?」と、今度はワインの色を確認する。
 ああ、なんてシアワセなんだろう。

 (2017.05.24) △このページのトップへ

『1週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です』5118

 いやあ、本当に17日から1週間もたっちゃった。
 17日は本当に楽しくて、天気もすっごく良くて、ワインもすっごく美味しくて、写真もたっくさん撮ったんだけど、それをご報告できずにおりました。
 土日も死ぬほど頑張って、やっと一息つけましたので、1週間前にタイムスリップしてみましょう。
 その前に、今日は妻の叔母さまであるFちゃんのお葬式です。
 駆けつけられなかったけど、本当に優しくてチャーミングな叔母でした。
 そして何よりも旦那さんのYさんとのラブラブブリは、ボクらの師匠ともいえる「先輩ラブラブカップル」でした。ちなみに「元祖ラブラブカップル」は「石巻のおじいおばあ」です。
 そんなわけで、お葬式に顔を出すことはかないませんでしたが、「秋田のラブ後(ラブラブの後輩)」はここでご冥福をお祈りしております。本当にありがとうございました! そしてお疲れさまでした!
 それにしても、ラブラブカップルの場合、片方が残された場合、(それが事故死や入水心中でもない限り必ずそうなるのだが)残った片割れのほうは本当にかわいそうだと思う。石巻おばあちゃんしかり、I家の奥さましかり、この度のYさんしかり。特にYさんのような男の人の場合、かつご高齢の場合はかなり悲劇だ。何というか「枯葉よ〜」というか「風前のともしび」「マッチの燃えカス」というか。
 妻はボクよりもゼッタイに長く生きたくない、といつも言っている。「私より1日でいいから長く生きて!」「それだけは誓って!」と、固く約束させられているのだが、そうなったバアイ、ボクはかなりやばいだろうなあ。あまりにも悲しいなあ、それは。多分死ぬだろうなあ。3分後に孤独死だなあ。。。あ〜〜あ。
 ・・・おっと、湿っぽくなった。話を1週間前に戻しましょう。
 まずこの1枚から。五月晴れの中、妻は久しぶりに着物でお出掛けでした。



 千秋公園はツツジがちょうど見ごろ。



 一路、この日の目玉であるベネチアの水辺にあるワインショップへ。
 スペインの北部カスティーリャ・イ・レオン地方からいらっしゃったハヴィエル・ロドリゲス博士に会うために。
 彼は、家業のワイン農家を継いでいるだけでなく、専門分野の工学分野以外にも考古学や生物学などあらゆるジャンルの学識を身に付けたスーパーヘビー級ワインプロフェッサーだった。本人は「ワインデザイナー」と言っていた。アメリカンオーク樽の内側に縦の溝を何百本も入れ、木の表面積を多くすることで、果実と木樽のバランスを保ち5カ月熟成させたという「5」というワインは当日売り切れ続出の人気だった。
 また、工学的知見だけでなく、考古学知見からも彼の実地検証は続く。恐竜が生きていたという古代地層の土地を買い、そこに現物サイズの大きな恐竜の模型を置き(なんでやねん?)、なんとその場所に葡萄の苗を植えたのだった。それはつまりどういうことかというと、葡萄の根が、恐骨の化石に伸びていき、そこからカルシウムを吸収しておいしいワインになるのだ! という頑なな信念に基ずくものだった(ほんまかいな?)。その証拠にその葡萄で作ったワインは確かに何となくだが、そんな感じがした。気がする。。。
 とにかく本当にユニークな人だったし、陽気な人だったなあ。砂と砂利の土壌で収穫された「テンプラニーリュ」という品種の葡萄の話から、「テンプラニーリュ!」「コンピラフネフネ!」と盛り上がった。ジョイ&ジーナさんはその夜、彼を市内の「天麩羅料理のお店」に招待し、そこでも「テンプラニーリュ!」「テンプラウメーヨ!」と、スペインと日本の友好ムードが盛り上がったそうで。。。いやいや、何とも楽しい人たちだね!









 水辺の薔薇はまだつぼみ。「薔薇のつぼみ」といえば『市民ケーン』?『攻撃命令』?(分かる人には分かる、分からん人はゼッタイ分からん)
 そんな、ほんとに素晴らしく楽しい1日だった。
 おっと、また仕事が入ったので・・・。(タイムスリップ特集はまだまだ続きます)

 (2017.05.22) △このページのトップへ

『ボクだけバーチャル五月晴れの日曜日』5117

 1年で一番いい季節かもしれない。
 何をやるにも爽やかで気持ちがいい。
 そんな中、ボクはかわいそうにもまた「鼻」が壊れている。
 なぜだろう?
 3年ほど前に「ハナタケ」という副鼻腔に生えるタケノコを取った時、先生に「また3年もしたら生えてきますよ」と不吉なことを言われたのを思い出す。あれから確かに3年。ああ、、、。
 煮ても焼いても食えないタケノコなど要らない。
 そうそう、今朝は町内の共同作業だったので早朝作業に行ってきた。それぞれ班の近隣の公園に行き、既に刈ってある雑草を集めて袋に入れる単純な軽作業で、ものの30分で終わる。そのご褒美にゴミ袋を5枚頂ける。
 かつて住んでいたところの共同作業は実に重労働だった。山に分け入っての除草で死ぬほど汗をかかねばならなかった。しかも山ヒル対策も厳重にしなければならなかった。熊やヘビ対策もだった。怖かった。
 さらに行かない人は金6、000円の罰金を払わせられた。
 ああ、やだやだ、だった。
 ほんとに今は、ああ、良かった、良かっただ。
 今日も五月晴れ。あの日、ベネチアのワインショップに赴いてからここ数日、毎日こんないい天気だ。
 しかし、そんな中、残念なことにずっとブログも書けないくらいにここんとこ仕事が忙しい。
 ベネチアに行ってアイツ死んだんじゃない? と思われないようにこうして書いてみたが、今日もこれから仕事場に缶詰である。窓外の五月晴れのブルーな空を視界に切り取り、網戸から入ってくる爽やかな風を半袖の腕に感じながら、今から始まるであろうテニスコートの若人たちの黄色い声をBGMにして、今日もひと仕事頑張るとするか。
 そんな、ボクだけバーチャル五月晴れの日曜日。

 (2017.05.21) △このページのトップへ

『ワインのロジカルデザイナー』5116

 今日はベネチアのワインショップにスペインから「ワインのロジカルデザイナー」が来秋するというので、朝から2人で張り切っている。
 ちょうど2カ月前の3月17日、フランスのスピリチュアルワイン農夫「ムッシュ・ロッシュ」がいらっしゃった時は、妻は実家に行っていて参加できなかった。
 その時は畳をかきむしって悔しがっていた。
 今回は満を持して、着物をお召しになって行くことになっている。
 前回はヒョウの降る寒い天候だったが、今回は大快晴に恵まれた。
 ああ、楽しみ〜〜!!!
 仕事が詰まっているので4時過ぎになりそうだが、それを励みに頑張るぞ!!!
 ジョイさん、ジーナさん、待っててくださいね!

 (2017.05.17) △このページのトップへ

『大人バンドの合同練習』5115

 かなり緊張しておもむいていった割には、たった30分の設定時間の中で、あまりにもあっけなくあっという間に終わった。
 自己紹介もほとんどないままに(ボクは誰一人名前を覚えていない)、いきなり曲が始まり、譜面も出さないうちに、「はい、いきます!」になった。
 そしていきなりピアノ教室のおばちゃんがイントロを弾き、ボーカル(ゴスペル)教室のおばさんが歌い出す。
 ドラム教室の若い子と、ベース教室のおっさんが静かに入る。ややあってギター教室の人が加わって、1番の終わりのところでサックス教室のボクが2小節入る。
 いや、入れない。
 ボクは「今どこ? ここはどこ? 私は誰?」状態になって、目を白黒させて放心している。
 2番が終わってまたボクの出番2小節。
 駄目、出張れない。
 そして最高の見せ場、間奏8小節。
 見せる、魅せないの話ではない。指は動かすまねをしているがボクは吹いてさえいない。何が何だかもう分からない。助けてくれ。
 楽譜にはなかったエンディング2小節を先生が吹き、あっという間に5分間が終わる。
 ボクのパーツはみんな先生がやった。ボクはサックスを持って突っ立っていただけ。
 そんなことを5回ほど、ほとんど続けざまにやって合同練習は終わっちまった。むなしくサックスをしまいスタジオを出る。
 その後、なんらミーティングらしいものもなく、「お疲れさま」「またよろしく」「頑張りましょう」など、本来なら語尾に「!」が付くようなあいさつひとつなく、いたってクール・ストラッティンに、メンバーは流れ解散したのだった。
 合同練習というものがこんなんだとは、ボクは想像だにしてなかった。
 帰りの道々、ボーカルのおばさんにだけは、「この曲はサックスが魅せる曲だから頑張ってください」と嫌味とも社交辞令とも取れるようなことをに言われたが、多分に(大丈夫かしら、この方?)という印象を持たれたに違いない。
 それにしても、どのパーツの方もみんなもう何カ月も前から満を持して練習に明け暮れてきたようなムードがあった。ボクのように「楽譜を2日前に渡された」不遇な人たちではなかった。
 その中にあって、ボクは自分の身の不幸を感じた。ボクはまるで「みなしごハッチ」だった。
 稽古不足を幕は待たない。そんな歌詞が浮かんだ。『夢芝居』の富沢さん心境だった。
 しかも本番までこのメンバーで合うようなことはないのだそうだ。次に会うのは「本番」の時なんだってさ。
 しかし、ここで弱音を吐いているわけにはいかん。ボクは逆境に強いバツベンではないか!
 よ〜し! やったるぞ〜!!!
 今、フツフツとそんな気持ちになっている。そうでも思わなきゃなあ、お前!!!

 (2017.05.15) △このページのトップへ

『どっちがどっち?』5114

 てんや・わんや、どっちがどっち?
 のりお・よしお、どっちがどっち?
 いとし・こいし、どっちがどっち?
 青空球児・好児、どっちがどっち?
 さっき朝ごはんを食べながら、「いくよとくるよ、どっちが亡くなったんだっけ?」という話になったが、そもそもボクはどっちがどっちか分からなかった。

 (2017.05.15) △このページのトップへ

『母の日、ハハハッ!』5113

 おばあちゃん兼「母」はとても元気だったそうだ。
 昨日、ボクがサックスの練習中に妻が電話で確認したところ、そーゆーことが判明した。
 電話した理由は、昨日「お菓子」(米の粉でつくった地元では「カマブク」と呼ばれるもの)をチルドで送ったからだ。
 以前、町村のケーコさんに頂いたものを冷凍して取ってあったのだ。
 それがボクたちからの母の日のプレゼントなのだが、彼女の大好物なので大いに喜んでいたらしい。
 電話口から母の「ハハハッ!」の声が聞こえるようだ。
 このブログでも「母の日の感謝」を伝えたいところだが、どうもおばあのパソコンの配線に不具合があるようで、見られないということも言っていたそうだ。
 早く「サトシくん」に行って直してもらいたい。
 ちなみにサトシくんとゆーのは、甥っ子の歯科技工士のことである。
 今日は午後から2人で町に出掛ける。
 ボクはサックスの合同練習。妻はアトリオンにある何とか交易というお店で高級な半紙を買うためだ。
 やっと冷蔵庫、冷凍庫の中のものが片付いてきて、買い物禁止令が半分解除になったので、さらっとお刺身かお肉でも買って来よう、ということになっている。
 デパ地下は母の日の買い物客でごった返していることだろう。
 おばあちゃん兼「母」のケコボンは遠いけど、ボクらは感謝を込めておいしいものをいただきますよ〜!

 (2017.05.14) △このページのトップへ

『ブーメランミサイル』5112

 北朝鮮がまたミサイルを発射したそうで。
 その話になると決まってボクたちはこういう会話をする。
「ねえ、どうしてミサイルを発射するの?」
「分かんねけど、威嚇じゃね?」
「誰に?」
「さあ?」
「自分のとこに戻っていけばいいのにね」
「ブ〜ンって」
「そう」
「ブ〜メランみたいに」
「ブ〜ンってね」
「ブーメランミサイル」
 何やってんだか・・・。
 いや、ボクらもだけど、あの国もさ。

 (2017.05.14) △このページのトップへ

『トーエーちゃんありがとう!』5111

 どんも、どんも、どんも!!!
 まいどありがとうございます〜!!
 日本中のあちこちの工場で作られた「一番搾り」をありがとうね〜!!
 だんだんプレゼントも高度化、高額化、高級化してきたねえ。
 取手方面に合掌してから、2人でいただきますね〜!!!





 (2017.05.13) △このページのトップへ

『すずらん』5110

 今にも雨が降り出しそうな庭に、可憐な花が咲いている。
 男はそこにしゃがみ、その花に顔を近づけて匂いをかいでいる。くんくん。
 そーゆー男がいたのだが、もしかしてそれはボクだったかもしれない。
 おや? 志賀直哉の文体みたい。
 白さと香りのニュービーズ♪
 金銀パールプレゼント♪
 妻がボクの目の前に生けてくれました。



 (2017.05.13) △このページのトップへ

『ちゃんと「ありがとう」が言える立派な人たち』5109

 ボクはいつもバスを愛用している。
 かれこれ2年になる。回数券もかれこれ50枚は軽く買っただろう。
 バスに乗ってみるといろんな発見がある。
 まず圧倒的にご老人が多いこと。
 さらに身体的に不自由な人たちも多い。杖を突いて辛そうに乗降している。
 精神系の障害を持つ人たちも多い。
 これらの人たちは、ボクと違って特殊なパスを持っていて割安に利用しているようだ。
 ボクはいつもこういう方たちと一緒なわけだが、彼らからつくずく学ばせてもらっていることがある。
 それはバスを降りる時に分かる。
「ありがとうございました!」
 運転手さんに彼らは必ず大きな声でそう言うのだ。
 運転手さんもそれに応えて「ありがとうございました!」と言う。
 実に爽やかな会話が繰り返されている。
 川端康成の短編に『有難う』というのがあるが、こちらには紫の襟の黄色い服を着た、赤い定期乗合自動車の運転手が出てくる。
 彼はすれ違う馬車に澄んだ声ではっきりと言う。
「ありがたう!」
 そして、キツツキのように頭を下げていさぎよく敬礼する。
 次々にすれ違う大八車にも「ありがたう!」、人力車にも「ありがたう!」、馬にも「ありがたう!」である。そして深々と敬礼。
 爽やかな光景ではないか。
 ボクは最近とみに見られなくなった光景をバスに乗るたびに目にしている。そのたびに心が洗われる。
 初めは少し照れ臭かったが、ボクも最近は運転手さんに「ありがとうございました」と言えるようになった。
 まだまだ彼らの元気さと陽気さには負けるけど。。。

 (2017.05.12) △このページのトップへ

『カムサハムニダ』5108

 今日、サックスの練習に行くのでAバスに乗った。
 すると、途中の停留所から天童よしみが乗ってきたので驚いた。
 彼女はボクの2つ前のシートに座ったのだが、ダンゴのような髪も、もっこり丸いなで肩も、ゼッタイ天童よしみだった。
 ただ、全体として何となく地味な印象だけが気になった。
 ボクは「カムサハムニダ!」と声を掛けようかと思った。
 が、「カムサハムニダ」が「こんにちは!」だったかどうか怪しかったので、やめることにした。
 今分かったことだが、「カムサハムニダ」は「ありがとう!」の意味だったので、ボクはやっぱり言わなくてよかった。
 いきなりバスの後部座席の人から「ありがとう!」と声を掛けられたほうはきっと驚くだろうから。
 さて、ここで、ボクはもう一つ気付いたことがある。
 それは天童よしみは韓国人だっけ? という大原則、大前提の問題だ。
 彼女は『珍島物語』で「カムサハムニダ」とは歌っているが、韓国人ではないような気がしてきた。ああ、紛らわしい。
 ♪海が荒れるのよ〜♪とは歌っているが、決して天気予報士でもないのだ。
 そんわけで、ボクはいろんな意味で彼女に声を掛けなくてよかったと、胸をなで下ろしている。

 (2017.05.12) △このページのトップへ

『合同練習』5107

 大変なことになってきた!
 ライブハウスでの初ライブまで1カ月を切ったのだ!
 そしてあさっては初対面のバンドの人たちとの合同練習の日。
 前回4月23日の『枯葉』コンサートが終わったとき、前もって男のボクは当然、次のステージでやる『素顔のままで』を練習する意欲に燃えていた。
 今度はボクだけでなくボーカルやピアノやドラムやギターといったバンド形態でやるだけに、ミスはボクだけの責任では済まない!
 そーゆー責任感から、1日も早く練習したかったのである。
 しかし、バンド形態でやるということは「キー」は何かが重要だ。「D」なのか「G」なのか「F」なのか「F#」・・・なのか?
 ギターならある程度カポタストで調整もできるが、サックスのような単音楽器は1つキーか違うだけでも大変なトラブルになる。
 しかも、ボクのような初心者にとっては、もう一回一から練習し直さなければならないほど致命的なことなのだ。
 それを知りたかった。
 さらにこの曲の楽譜がない。音源もユーチューブでビリージョエルがやっているものくらいしかない。
 そんなわけで、ボクは焦った。
 で、それを先生に早い時期に確認したわけだが、先生は受付の人を通じて「楽譜はこの次のレッスンの時に渡します。それまでは練習しなくてもいいです」と言ったのだった。
 で、その「この次のレッスン」とゆーのが今日であった。
 つまり、4月23日から5月12日まで、ボクは何にも練習をしてなかった。やることないから『枯葉』の復習ばかりしていた。しようにもできなかったというべきか?
 そして今日、楽譜(先生が作ってきたというもの)を渡され、ちょっとだけ吹いてみたが、なんと! メチャメチャ難しいではないか!
 しかも、高いキーはボクが知っている最高のキーC#よりも5つも6つも上ではないか!
 さらにさらに、あさっての合同練習はきっと顔合わせ程度に違いない。なぜならボクは練習してないんだから。しなくていいって言われたんだから。そう思っていたのだが。。。
「先生、あさっての合同練習にはサックス持ってこなくていいんですよね」
「いえ、一緒に合わせますから持ってきてください」
「えっ????」ちょっと、ちょっと、ちょっと。。。。
 吹けるわけないじゃん! それ無理ジャン! と思ってムッとしたが、ボク何か間違ってますか?
 そんなわけで、なんもかんも大変なことになっている。
 顔が引きつって、とても『素顔のままで』はいられない。







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『誰かがどこかで笑ってくれるのかな?』5106

 ブログが5000回を超えている。
 思えば、「誰かがどこかで笑ってくれるのかな?」の旅だった。
 いや、ほとんどはそんなことさえ考えないで自分のストレス発散、感情の発露として書いてきた気がする。
 後付け的に言えば、それが多少は「仕事上で文章を書く」という実質的な作業にいい影響を及ぼしていたかもしれないが、でも圧倒的に前者(ボクの身勝手なほう)が動機だった。
 誰かがどこかで笑ってくれるかな? の領域は大変センシティブでバライエティーがある。
 その感覚は十人いれば十人皆違う。ある人には面白いこともある人にはくだらない。
 ある方には興味をそそられることも、ある方には下品で野蛮だったりする。
 でも、いつもボクが念頭に置いている読者はいる。すぐに顔が浮かぶのは数人だが。。。
 たまにでいいから、それでもたぶんきっと読んでくれているだろう人がいる。そう信じて書いている。
 そういう想定できる読者に向かって書いている。そういう人がいることを確認するためにボクは書いているのかもしれない。
 もちろん妻もその一人だ。彼女は忙しいのでボクが1週間ほど前に書いたものを読んで、突然笑い出したりする。
「これおかしい。これってワタシ?」
 ボクはとうに忘れている話なので、タイムスリップしたような気分になる。でもうれしい。
 そんな妻を代表に、自分と同じような感覚を持っている人とだけでいいから、ボクはつながっていたい人間のようだ。
 そーゆー人には、ボクのブログがなくなったら、できれば自分の親不知が抜かれた時程度の喪失感はあってほしいなあ。
 等身大という言葉が好きだ。きどらない。飾らない生き方が好きだ。
 などと書くこと自体が「きどってらあ〜」だけど。
 そんなわけで親愛なる読者の皆さん、どうかこれからも時々でいいから読んでくださいね。
 そしてたまには「ば〜か!」と言って笑ってやってくださいまし。

 (2017.05.12) △このページのトップへ

『ゲージツ家さん』5105

 なにやら怪しい車がいる。
 エンジンをかけたまんま、家の真ん前に停まっている。案外ボロい。



 お、お前は何だ?
 シュレッダー搭載車と書いてある。



 そうかシュレッダーが積まれてるのね。ひとまずミサイルとかじゃなくて良かった。
 人が降りてきてお向かいのうちに入って行った。
 お向かいは確か著名な書道家だったはず。
 なんだなんだなんだ!?
 書道家の家にシュレッダー搭載車とは???
 それにしてもうるさい。
 シュレッダーをかけているのだろうか?
 なんだなんだなんだ!?
 そんなはてな星人のボクに、書道家のはしくれである妻が一定の答えを出してくれた。
 妻によるとこうだ。
 彼は普段は、股引なんか履いたりしてフツーの俗なオッサンに見えるけど、ああ見えても本当は芸術家なのよ。
 彼の書き損じた書が、もし世の中に出回るようなことになったらきっと困るのよ。
 だからこうしてクルマごと呼んで、書き損じの書をシュレッダーにかけているんだわ。
 なるほど。どーりで念の入れようがハンパない。
 ボクは、小さいころ、お祭りの翌朝、無造作にゴミ箱に捨ててあった「綿菓子(ボクらは「わたあめ」と言った)」を拾おうとしてテキヤのオッサンにいたく怒られたことを思い出した。
 なるほど、これもそういうことなんだな。ボクみたいなのがいるから警戒しているんだな、きっと。
 それにしても、そもそもこーゆークルマがあることにも驚いたし、こーゆー商売があることも知らなかった。
 数日前は車がたくさん停まって中でわいわいやっていたようだったし、今朝、この書道家さんの家には赤帽さんが来て、いっぱい書を運んで行ったばかり。
 隣人的には実に騒々しい。
「まったく人の迷惑顧みずだな! ぷんぷん」
 ボクがそんな不満を申し述べると、妻はいたってクールにこう言った。
「そこがゲージツ家さんなんでしょ」
 この際、ボクも何かシュレッダーにかけるものはないかと部屋中探してみたが、丸めたメモ紙とティッシュくらいのものだった。

 (2017.05.11) △このページのトップへ

『お聖さんの光源氏』5104

 昨日、ようやく届いた。『新・原人の語り』ちゃうちゃう『新・源氏物語』(上)。
 人間ドック明けで疲れていたので、67ページまでしか読み聞かせられなかったが、何となく「つかみ」は入った。
 正妻の葵の上はもとより、空蝉(うつせみ)とか藤壺とか六条御息所など有名どころが続々登場してきた。
 NAVERまとめに「天皇の皇子として生まれた主人公、言い方を変えれば王子様である光源氏は超絶イケメンであった。同時に光源氏はマザコンでもあるヘタレ男」と書いてあったが、まさにそんな様相を呈してきている。  
 「亡き母の面影を追いながら、義理の母・人妻・果ては幼女まで、宮中の女という女と関係をつくっていく日本最古のハーレムラブコメディ」(同)がいよいよ始まるわけだが、これを訳している田辺聖子さんの光源氏を見つめる視線もなんだか異様に熱い。
 ジェームス・ディーンを愛していた「おばちゃま」が、彼を語る時のような熱視線を感じてしまうのだ。
 そういえばこの2人、顔までよく似ているなあ。
 う〜〜ん。どーしたもんじゃろのう。。。

 (2017.05.11) △このページのトップへ

『おびんづるさん』5103

 マドロスさん(義父)からよく聞いていた妻は、単なるハゲ頭の人のことをいうものと思っていたようだ。
 ボクは聞いたことはあったが意味不明の言葉だった。
 おびんづるさん
 あんたはだ〜れ?
 読み聞かせの中に出てきた「おびんづるさん」を調べてみた。
 どーも善光寺にいる方のようだ。海の向こうから来た方のようだ。
 この方、お釈迦様の弟子だったが、神通力をむやみに使って師匠に怒られて、結局仏になれなかったようだ。
 仏になれなかったので人間のまま、衆生のいろんな救済に当たった。
 この方の木像に触ると、そこの病気が治るというので、いろんな人に触られているうちに、顔は赤黒く頭ははげてツヤツヤになった。(もともとそうだったかもしれない)
 なんでも「おびんづるさん」という栗まんじゅうが10個入りで1、674円で売られているらしい。(妻はヒジョーに食いたがっていた)
 お分かりいただけましたか?
 おびんづるさんってそんな人ですよ。

 (2017.05.11) △このページのトップへ

『チョーにヒュ〜ヒュ〜!』5102

 今、コーヒーを一口飲んでトイレに立とうとしたら妻にそう言われて拍手された。
「チョーにヒュ〜ヒュ〜!」
 何のことかとゆーと、「チョー」は「腸」のことである。
 つまりボクの腸が絶賛されたわけ。
 昨日ボクはブルドッグじゃなくて「人間ドック」で、大量のバリュームを飲まされた。
 その結果、ドロドロの白いものがボクの胃を経由して腸に流れていった。
 さらにそれを飲む前には、何やらホットケーキを作るときの膨らし粉のようなものまで飲まされた。
 そーゆー苦行難行を強いられた上に、やれ「ゲップするな!」とか、やれ「半分右を向け!」とか、やれ「腰を少し浮かせ!」とか、やれ「逆立ちしろ!」「オットセイの真似をしろ!」「3べん回ってワンッと言え!」とか、まあ、それはないにしても、大変疲れるポーズをお金を払ってまで強制されてきたわけだ。あ〜ほんとに疲れたよ。
 それで済むかとゆーと、実はその後が大変で、もらった下剤を飲んでもなかなか取り込んだ異物を排出できない人が多いのも事実。
 どころか、そのために重篤な腸の病気になったりすることもあるらしい。金払って苦しんでしまいに病気じゃ、わり合わんべ。
 ところがボクは違う。
 昨日取り込んだものを、その日のうちに全部出してしまった。
 ちなみに、寝ている妻には迷惑だっただろうが、夜中に35回ほどトイレに立ち、膨らし粉のガスごと全部きれいさっぱり出してしまったのだ。見事最終便に間に合った形。
 これが、妻に「チョーにヒュ〜ヒュ〜!」と言われるゆえんだ。
 そして、これは「明日に課題を先送りしない」というボクの性格を如実に表してもいる。
 さらに「いいものはいい、悪いものは悪い!」という、極端に「白黒はっきり」の性格もよく表している。
 今回の悪者の色は「黒」ではなく「白」だったわけだけど。
 そしてさっき――。
 妻の絶賛コールを受けての本日の始発便は、もう白くはなかった。
 しっかりいつもの黄金色に輝いていた。(食事中の方、ごめんなさい)

 (2017.05.11) △このページのトップへ

『肺活量に自信あり』5101

 今日、人間ドックで肺活量検査というものがあった。
 もうはるか昔にやったっきりだったので懐かしかった。
 ティッシュペーパーの芯を少し細くしたような筒を口に含む。
「息が漏れないように口の両端をすぼめてください」と検査官。
 自然、サックスを吹くときの口の形(アンブシュア)になっている自分がいる。
「はい、ゆっくり吐いていってください」
 どんどん吐ける。
「もっと頑張れますか?」
 ぜんぜん大丈夫。
「はい、もう少し我慢して吐いて〜」
 まだまだいくよ、ロングトーン。
「はい、ではそろそろ吸っていいですよ〜」
 いえ、まだまだ吐けます、ボク。余裕です。
「・・・」
 これが1回目の検査官ビックリシーンであった。
 2回目は吸う段になって同じようなことが起こった。
「はい、どんどん、吸ってくださ〜い。もっともっともっと!」
 ボクは掃除機のように吸いまくった。
「もう少しいけますか〜?」
 ええ、あと3分は楽に吸えますけど。
 最後のとどめはこれだった。
「今度は息をいっぱいに吸って〜、はい、そこで一気に吐きます。ハイッ!」
 ぶうううううううううっ〜〜〜〜!!!
 病院中に響き渡るものすごい爆音がした。そして次の瞬間だった。
 メーターの針が思いっきり振り切れてしまったのだ!
 検査官は言葉をなくし、真っ青になって機械をたたいている。
 ボクは、こめかみに「タリラ〜ンマーク」の浮き出ている検査官に向かって、勝ち誇ったようにこう言ってやった。
「あ、ボク、サックスやってるもんで・・・」

 (2017.05.10) △このページのトップへ



■エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』バックナンバー(5050〜5100話はこちら)

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