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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』
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『盛り上がらないGW』3100

 始まっていないうちからこんなことを書くのもどうかと思うが、どうも例年のGWより盛り上がっていない気がする。
 そう思うのは、ボクらがテレビや新聞のニュースを見ていないせいだろうか?
 満開の桜や、それを見に訪れた観光地の人波、高速道路の渋滞や、海外旅行に向かう空港のにぎやかな映像を見ていたら、そんなこと思わないのかもしれない。
 たぶんそうだ。きっとそうに違いない。
 でも、少なくともここ秋田は、今日も花冷えのする雨模様。
 せっかく咲きそうになっていた花芽も、また縮こまってしまったみたいだ。
 盛り上がらないねえ。
 でもそんな中、今日の夜は秋田市へ出掛けて、ボクの旧友であるミュージシャン「あるまんど山平」のライブを聴きにいく。
 25年もの長きに渡って、ふるさと秋田にゆかりのある素晴らしい楽曲を作り、演奏し、歌い続けている男だ。
 
『ティエラライブ!』

  日時:4月27日 (土曜日)PM7時30分 スタート
  場所:ティエラ 秋田市中通り4−15ー1 2F(018−836−5088)
     中央通り(一方通行) 秋田駅前交差点手前 50m右側(1F「末廣らーめん」)
  チャージ:1ドリンク付 ¥2,000


 皆さん、一緒に盛り上がりましょう!



 (2013.04.27)   このページのトップへ

『臭い会話』3099

 生まれて初めて「汲み取り屋さん」と会話らしい会話をした。
 代金を受け取りながら彼がボクに言った。「寒いッスなあ」
 ボクは答えた。「・・ねえ」
 この・・は一瞬の間である。急に話し掛けられたもんで驚いたのだ。
「ゴールデンウィークになるんダスもんなあ」
 セカンドポーチからおつりを取り出しながら、彼は会話を続けた。
 ボクは答えた。「・・ねえ」
 今度の・・は息が苦しくなったからだ。あんまり臭くて息を止めていたのだ。
 ボクがあまりにぶっきらぼうだったので会話はそこで終わった。
「またよろしくお願いします」
 彼は帰っていった。
 仕事部屋に戻ると妻が言った。
「仲いいんだ」
 ・・・。

 (2013.04.27)   このページのトップへ

『石川を手なずけた女』3098

 このタイトルすごくいい。
 なんかすごく想像力を刺激する。
 本文を書くのが惜しい。
 なのでこれで終わりにする。
 ・・・。
 って、そういうわけにもいかないか。
 あのね。
 「石川」ってのは、ボクたちが気に入っている焙煎珈琲のお店です。
 石巻の駅前のエスタに入っています。ちなみにエスタには市役所も入っています。
 で、その「石川」を手なずけた女ですが、これはご存じ「I家の奥様」です。
 彼女は、エスタの中に入っているパン屋さんで働いています。
 つまり、I家の奥様が同じフロアに入っている焙煎珈琲の店「石川」を手なずけたというわけです。昨日電話で妻にそう語ったそうです。
 どうやって手なずけたのか? 詳しいことは分かりません。
 ボクの想像ですが、まずは「物」でしょう。パンとかチーズケーキ(I家の奥様の十八番)とかのプレゼント攻撃。
 それから「口」でしょう。得意の「リップサービス」で五右衛門を(いや石川を)ほめ殺したのでしょう。
 そんなわけで、彼女が上手に石川を手なずけてくれたお陰で、ボクたちは近々「とびきり美味しい」焙煎珈琲をいただくことができそうです。
 楽しみだねえ。5月2日待ってますよ〜!

 (2013.04.27)   このページのトップへ

『ある日のワインバーの風景』3097

 ピノを開けて。
 それを飲みながら『豆苗豆腐サラダ』。



「最近は市販のドレッシングもおいしくなったよね」
 小振りな新ジャガを茹で始める。



 隣のコンロでは、オリーブオイルでにんにくと鶏のもも肉と茄子を焼く。こげ色がついたら、昨日煮ておいた「トマト」のソースを投入。足りないのでトマト缶も。
 これをくつくつ煮込む。



「トマトソースは久しぶりねえ」
「いい香り〜!」とか言いながら、ワインをまたゴクン! 途中でインゲンさんが仲間入り。「彩りにおじゃましま〜す!」みたいな。
 いいあんばいに汁気が飛んだところで、塩こしょうで味を整えてから器に盛る。
 そこにパルメザンチーズ(固形)を擦って振りかける。



「おっと、イモもいい感じよ!」



「ホックホクうまそうやなあ」
「ちょっと待って、さっきの皿にクレソンとパセリ付け合わせるわ」



「おう、俄然写真映えよくなったね!」
「ところで食っていいの?」
「おう! 食うべ、食うべ」
「うめえ、うめえ、うめ〜え!」



「なんもかんもうんめ〜〜〜え!」



「すまん、すまん、すまん」



「うい〜っす!」
 こうして夜は更けていくのであった。 

 (2013.04.27)   このページのトップへ

『まあいっかあ』3096

 最近、フェイスブックで友だちとやり取りする機会が増えた。
 コメントを書いてくれるはありがたいので、必ずお返事を書くようにしている。
 だが、その時にどのくらいの親近感で接したらいいのか戸惑うことがある。
 親し過ぎるのも失礼だろうし、かといって「よそよそしい」のも友だち甲斐がないというもの。
 その辺の、相手との「間合い」の取り方がヒジョーに難しいと思う。
 ただでさえそうなのに、ボクの友だちは実に多種多様である。
 ホルモン屋で酔っぱらって、カラオケ行って、ぐでんぐでんになって肩組んで『同期の桜』を歌うバカな輩もいる。
 反対に、こぎれいな喫茶店で、ショパンを聴きながら、プリンアラモードを召し上がるような淑女もいる。
 そういう「真逆な人たち」がごちゃ混ぜになっているのだ。
 まるで「ホルモンとプリンアラモードを一緒に食いつつ、同期の桜を歌ってショパンを聴いている」ようなものだ。
 ああ難しい。どうしよう。
 間合い、間合い、間合い、まあいっかあ。

 (2013.04.27)   このページのトップへ

『転じて破顔一笑』3095

 「笑う」のもセンスだし、「笑われる」のもセンスだ。
 「笑われる」ほうのスペシャリストが漫才師、落語家など「お笑い系の人たち」である。
 「笑う」よりもこっちの「笑われる」ほうが、はるかに高度なセンスが必要であることは間違いない。
 周りを見ると、人を「笑う」センスはあるのに、自分が「笑われる」センスがない人が多いことに気付く。
 まあ、当たり前っちゃあ当たり前なんだけどね。
 人のドジとかには敏感に反応して「笑う」んだけど、自分がドジして「笑われる」のって勇気が要りますからね。
 「笑われる」ことが上手い人っていうのは、言い換えれば「人を笑わせる」のが上手い人のことですね。
 そういう人は、相手の笑顔を引き出すために命を賭けているわけです。つまりサービス精神が旺盛なわけです。
 そういう人って立派だなあ。ステキだなあ。
 一番困っちゃうのが、「笑われる」のはもちろん、「笑う」のさえも下手な人です。
 笑いのセンスだとか勘所がどうだとかいう以前に、もともとそんなセンサー「持ってません」の人。
 困っちゃうんだけど、でも、そういう人をもしも笑わせることができたら・・・。
 むっつり転じて破顔一笑! それがボクの夢なんだよな。

 (2013.04.26)   このページのトップへ

『おらが秋田の春』3094

 18歳まで秋田にいて、ず〜っといなくって、また戻ってきて10年目。
 18年プラス10年、合計28年目の「おらが秋田の春」を迎えているわけである。
 35年前、立身出世を志して故郷を旅立っていった紅顔の美少年が、よもやこうして、故郷に錦を飾るどころか無一文で、ひげ面になって、スゴロクでもあるまいに「振り出し」に戻ってくるなどとは、オラ夢にも思っていなかっただよ。
 不思議だ。
 人生はホントに不思議だ。
 さて、今朝のこと、いつもの「社会の窓(トイレの窓)」から隣家の庭を見ていると、極端に派手な人(右)と極端に地味な人(左)が、夫婦で「朝食を兼ねたお散歩」をしていた。



 思えば、こいつらも随分長いこと、この辺に営巣し暮らしている。おまけに子どももたくさんもうけ、子々孫々繁栄を続けている。あっぱれなこった。
 おいキジ! あんたら何年目の「おらが秋田の春」を迎えているんだい?

 (2013.04.26)   このページのトップへ

『いただかせていっただっきま〜す!』3093

 最近いろんなものをいただきやすい。
 ここ数日、近所の人にいただいたものを、ビックリした順に並べてみたい。

(1)ミスホーメンさん(85歳くらいのおばあちゃん)からいただいた『ガッコ(たくあん)』
 なぜビックリしたかというと、今まで一度ももらったことがなかったことと、玄関のところに「にゅ〜」っと音もなく幽霊のように立っていたからだ。
(2)隣のケーコさんからいただいた『ブルーペリーのババロア』
 おいしかったが、ババロアだとばかり思って食べてみると、それは「寒天」だったことだ。ビックリというよりちょっとガッカリ。
(3)ゴッドさん(定年になったばかりのかつて看護事務をやっていたご婦人)からいただいた『こごみ』(山菜)
 なぜ驚いたかというと、「イタリヤンで食べでみれ!」と言われたからだ。「イタリヤン」にビックリだった。
 で、言いつけ通りこんなのを作ってみた。『ババメーゼ コゴミナーラ』である。(勝手につけた)ババメーゼは「馬場目産」という意味。(これも勝手に)



 そんなわけで、皆さんいつもありがとうございます!
 大切にいただかせていっただっきま〜す!

 (2013.04.26)   このページのトップへ

『アジフライという名のイワシフライ』3092

 どうしても「イワシフライ」と言えない。
 必ず「アジフライ」と言ってしまう。
「今日の夕飯はアジフライだったよね」
「うん・・・あっ! ちゃうちゃうイワシだ。イワシフライだ!」
 みたいな。
 そーゆー言葉ってありますよね。
 頭の中では「イワシフライ」なのに、口に出るのは「アジフライ」みたいな。
 で、食ってみたれば「イワシフライ」だったみたいな。
 その感想が「このアジフライ美味いね!」みたいな。
「もう何言ってんの! これはイワシフライだってば!」みたいな。
 もうばかばかばか!・・・みたいな。



(写真注)手前が太めの魚肉ソーセージ、右奥が新たまねぎ、左がその問題の「アジフライ」・・・だからだからだから! もとい「イワシフライ」ですって(怒)!

 (2013.04.26)   このページのトップへ

『バタヤン』3091

 バタヤンこと田端義夫さんが亡くなった。
 正直、こんなに長命だったとは知らなかった。
 ボクはこの人がなぜか好きだった。
 独特のギターの弾き方(というか構え方)がカッコよかった。
 傷だらけのギターもシブかった。
 そして、名曲『かえり船』を聴くと、ある人のことが思い出される。
 その人は、ボクが大学時代、アルバイトをしていたパブ『エンジョイ王子』のマスターだ。
 彼は機嫌のいい時はよくこの歌をカラオケで歌っていた。
 ボクが大学を卒業する時は記念にスーツを作ってくれた。いい人だった。
 就職してすぐに、マスターの訃報。
 『かえり船』を歌ってくれたマスターは、永久に「かえらぬ人」となったのだった。
 あらためてお二人のご冥福をお祈りします。



 (2013.04.25)   このページのトップへ

『さりげないお願い』3090

 「白松が羊羹」食べたいです。
 大納言と栗が食べたいです。
 さりげなく「おねえちゃんたち」にお願いします。
 実はハマってるんです。
 どんなスイーツよりも「白松が羊羹」ということが分かってきました。
 世界一おいしい「白松が羊羹」。
 さりげなく、さりげなく・・・。
 その代わりおいしい「サイフォン珈琲」をご馳走しますから。

 (2013.04.25)   このページのトップへ

『しっとっと』3089

 嫉妬とは愛の保証への欲求である。
 トルストイはそう言った。
「オレをずっと愛し続けると言え!」
 そういう欲求が「嫉妬」である。
 ずいぶん勝手な欲求があったもんだ。
 でも、それが人間だ。
 しっとっと。
 なんじゃそれ。

 (2013.04.25)   このページのトップへ

『はさつまつねの原理』3088

 人間なら一度や二度は、不意に誰かにドアを閉められ、そこに体が挟ってしまった経験があると思う。
 そんな時は、こんな余裕のある会話で事が済んだはずだ。
「あっ、すいません!」
「いえいえ、どうぞおかまいなく」
 だが、これが、挟まれた部位が体全体じゃなくて、「指の皮一枚」だったらどうだろう?
 こんな悠長に構えていられないはずだ。
 ギーーーー、バチンッ!
「あっ、すいません!」
「うっ!・・・・・・。うぐぐぐぐ・・・き、き、きっさまー!」
 経験ありますよね? ボクはこれ、なぜか何度もあるのだ。間が悪いのだ。早い話「ドジ」なのだ。
 
 さて、このことから分かるように、挟まれた部位が局部にいけばいくほど、人は強烈に痛がるという原理原則がある。「はさむ」→「つまむ」→「つねる」の順に痛度が増すわけだ。『はさつまつねの原理』とでも命名しようか。
 頭痛よりも歯痛がより痛く感じるのはこの『はさつまつねの原理』によるものである。
 
 この原理を体現したものに、男だけが知る「究極の皮一枚の恐怖」ってのがあるが、分かりますよね。
 これも何度も経験がある。血まみれになったこともある。はさまった時も痛いけど、外す時はなお痛い。
 そんなわけで、どうしてこんなしょーもない話を書いたかというと、さっきゆで卵を食べた後「アジシオ」のキャップを閉めようとして、指の皮をうす〜く挟んでしまって思いっきり痛かったからだが・・・書かなきゃよかったな。

 (2013.04.25)   このページのトップへ

『春のクッキング』3087

 ボクが歯医者で「恐怖のまな板の鯉」になっている時に、妻は待合室で「オレンジページ」をめくりながら「今日のまな板のこと」を真剣に考えていたらしい。
 ボクが診察から戻ると、「土崎みなと歯科医院」のピンク色の受診案内の空白のところに、その研究成果が細かい文字でビッシリと書き込まれていた。
 今までも、ここで仕入れた(パクった)レシピは20を下らない。抜け目ない人だ。
 で、それを忠実に再現したものがコレである。ジャン!



 料理の名称を書き忘れたみたいで、正式な料理名は分からない。仮の名を『ホタテの貝柱と春カブと春アスパラと春きぬさやの白ワインバターソース煮』とでもしとこうか。(って、そのまま材料書いただけやんけ!)
 だけど、ホントに、マジ、スペシャル美味かった! ホタテはホタテ、カブはカブと、それぞれの具材の食感が余すことなく楽しめる一品だ。まさに「春をかみしめた」って感じ。
 このメニューは今度、みんなに披露したいと思っている。
 みんなというのは、石巻のおばあちゃんをピラミットの頂点とする、その上から2階部分を構成する人たちである。早い話が「おばあと3人娘とその旦那たち6人衆」のことだ。いよいよその恒例の「春の秋田ツアー」が5月2日〜3日と決定したのだ! (NAOちゃんが来られないのはザンネン!)
 ちなみに「おばあちゃんピラミット」の上から3階部分(孫たち)は初め6人だったのだが、この数年で一気に増殖しもうすぐ11人にもなる。(この4月にサトシが結婚、5月にヒロシが入籍)
 さらにさらに、おばあにとって「ひ孫」に当たる上から4階部分も着々と増床中なのである。(ネオンくんを筆頭に)
 いやあ、ホントに、寿、コトブキですなあ。

 (2013.04.25)   このページのトップへ

『きれ院、いた院』3086

 秋田へ行って帰ってきた。
 妻はきれ院になる美容院へ。
 ボクはいた院を治す歯科医院へ。
 同じ「院」でもずいぶん違うもんだ。
 妻はまたまたショートカットに磨きをかけた模様。「ふせえり」に似ている。
 ボクは実際には「痛い」治療ではなく、義歯の欠けたところの修理であった。全然痛くなかった。
 そんなわけで、「おなごぶりのよくなった婦人」と「歯並びの良くなった紳士」は揃ってワインバーに入店するところである。
 すまんすまん。

 (2013.04.24)   このページのトップへ

『ところてんの春』3085

 我が家の「住環境」における唯一の自慢は、庭に桜と梅と桃の樹があることだ。
 これに「李(すもも)」があれば「桜梅桃李」ということになる。古今著聞集に書かれている「春を代表する花々」である。
 また、日蓮さんに言わせれば、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」つまり、いずれも独自の美しい花を咲かせることから、桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく生かしていくという教育訓になる。
 さて、そんな春の花がまだ咲かない。ひとつも咲いていない。
 大体は「梅」→「桃」→「桜」と咲いていくはずなのに、どれもこれも「お預け!」「待て!」状態である。なかなか「よし!」にならない。
 それにしてもシブトイ。ゴールデンウィークになっちゃうぜ!
 実に「引っ張る春」である。
 さてさて、あまのじゃくのボクは、「引っ張る」と書いて急に「押し出す」ものを思い出してしまった。
 それは、子どもの頃にはよく見たもので、近所のお店に「こんにゃく」を買いに行くと、「板こんにゃく」を押し出して「ところてん」のように細くしてくれる木製の道具である。
 調べてみると、あれは「こんにゃく突き」とか「天突き」とかいうものらしい。最近ではとんと見かけなくなったけどね。
 今年の春は、あの箱の中に「板こんにゃく」みたく居座っていて、そのうち一気にドドドッと押し出されてくるんじゃないだろうか。「ところてん」みたくなって。
 そう願いたい。

 (2013.04.24)   このページのトップへ

『夕日』3084

 日本海に出て夕日を見た。
 海に沈みゆく夕日を。



 お前はあの極寒の日にもそこにいて、こうして海に沈んでいたのだな。



 知らなかったよ。忘れていたよ。目に見えなかったから何も映じなかったよ。



 自分のことで精一杯だったから、お前のことを忘れていたんだよ。



 お前が、あの極寒の日もずっと、どっぷりとこうして海に沈んでいたことなど・・・。
 すまん。オレを許してくれ。

 (2013.04.23)   このページのトップへ

『ロシアからの来客』3083

 ロシアからこんなひげ面のお客さんが、戦争と平和を語りにやってきた。



 トルストイさんだ。
 第1巻でも相当の読み応えがありそうだ。全4巻である。ムフフフ、うずくぜ!
 この偉大な来客はこんな偉大な言葉を残しているので、予習かたがた紹介します。やっぱ違うな。

・芸術は人類進歩の機関のひとつである。人間は言葉を通じて思想で交わり、芸術の形象を通じて現在のみならず過去と未来のあらゆる人間と心で交わっている。
・愚かな人間は沈黙しているのが最もよい。だが、もしそのことを知ったならば、その人はもう愚かな人間ではない。
・最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりもより良くなったと感ずることである。
・死の恐怖は解決されない生の矛盾の意識に過ぎない。
・言うべきときのほかは言うな。書かざるをえないときのほかは書くな。君は作家である。書かざるをえないときのほかは決して書いてはいけない。
・愛とは、ひとりの男なり女なりを大勢のなかから選択して、そのほかの者を絶対に顧みないことです。
・すべての幸福な家庭は互いに似かよっているが、不幸な家庭はどれもがそれぞれの流儀で不幸である。


 (2013.04.23)   このページのトップへ

『三種町の英雄』3082

 全然知らなかった。
 新聞を読まないからなあ。特に地元の新聞は・・・。いかんなあ。
 昨日、告井さんのライブ会場「農園りすとらんてHerverry」さんに早く着いたので、時間つぶしに「ゆめろん」に行ってみた。
 ここはかつて妻と「ぐらんどごるふ」をいそしんだ(?)ところである。いわばホームグラウンド。
 そこは閉まっていたので、本館というか「湯っこ」と「食堂」のあるほうへ行ってみると、こんな大々的な看板があった。 



 なんだ、なんだ、なんだ! とゆーことで寄ってみた。野次馬ワイド。



 三浦隆司って誰? でもまあ、「おめでたいらしいからとにかく喜んじゃえ!」の図。
 家に帰って調べてみると、どうもこの方は、三種町出身のプロボクサーで、つい先日の世界選手権でWBC世界スーパーフェザー級のチャンピオンになった英雄のようだった。
 で、その英雄がいた! フロントで仕事をしていたのだ。この写真ではよく分からないが、右上にちょこっと頭だけ写っている人を妻が見つけてボクを手招きした。確かに顔はそっくりだ。



 でも、やがてこれは全くの偽物であることがやがて判明した。
 ボクらがクルマに戻っていると、彼がノソノソ外に出てきたのだ。その姿は、妻の言葉を借りれば「スーパーメタボ級チャンピオン」だった。ボクサーに必要な機敏性、敏捷性はもちろんのこと、何よりハングリー精神がゼロだった。
 あぶねえ、危うくサインをもらうとこした!
 さて、この話をついでにしてしまうのはもったいないくらいなのだが、言っちゃいましょう。
 告井さんのライブの後の談笑会で、ソフトバンクの今をときめく攝津正投手のご両親に会ったのだ。驚いた! これにはさすがの告井さんも驚いていた。
 告井さんが、「ギターの技術は年をとっても衰えない」みたいな話の時に、攝津のおとうさんがこんなふうにして会話に入っていったのだ。
「野球も同じですよ。うちの息子も初めは・・・」みたいな。てっきり野球少年の子どもがいるんだなくらいにしか思わなかった。
 でも、この時は全然そんな人だと知らなかったから、後で聞いたときは驚いた。お父さんは首のない人だったけど、確かに顔は似てるわ。おかあさんは秋田美人っぽかった。
 そんなわけで、郷土にもいろんな英雄がいるもんだ。

 

PS 今トーエーからこんなメールが届いちゃったよ。
 告井さん、いいね〜。聴きたくなりましたよ。お前の感想もいい。
 ちなみに壇密(?)というセクシータレントも秋田出身だって。コメントをたのんだぜ。

 どうしても載せるの? はい。



 ところでトーエー、告井さん聴いても変な気起こすなよ。1人のパートもおぼつかないのに4人全部やるなんて無茶過ぎるからな。
 もしどうしてもやりたくなったら、『積善くらげのリーダー、告井延隆に挑戦!』みたいな5年越しの特集を組んでもいいよ。
 それはそうと、壇蜜(?)とかしてるところをみると、もしかして知らなかったの? おっくれてる〜! オラ、『連想ゲーム』の時から知ってるぜ!
 えっ? 違う? それ「壇ふみ」? そうなの?

PS2 長々とすいません。そんなバカなこと書いてたら、本物の(?)壇蜜がストーカー被害に遭ったってニュースが飛び込んできた。トーエー、お前じゃないよね。犯人。

 (2013.04.23)   このページのトップへ

『ビートルズを堪能した夜』3081

 まさに「職人」であった。熟練された技術に裏打ちされた安定かつ卓越した演奏。
 まさに「少年」であった。ビートルズという稀代のスーパーバンドに、あくまでもバンドとしてのビートルズに憧れ、60を過ぎてなお、キラキラした目で、純粋な心で、彼らを慕い続けている永遠の少年。
 そして「おっさん」であった。ルックスや見てくれなどまったくおかまいなしの、フツーの中年おっさんの、その「文句あっか!」の潔さに拍手を送りたい。
 隣に座らせてもらってこんな言葉を聞いた。
 年とともに、若い時にはできた演奏(早弾きとか)はできなくなりますが、身につけた技術だけは残ります。それだけはゼッタイ変わりません。
 ビートルズについてはこんなことを言っていた。
 彼らは常に古いものを捨てていったバンドだ。全部きれいさっぱり捨てて新しい音楽を作っていった。そこがスゴいところなんだ。
 それを聞いてボクは、ジョンの残したこんな言葉を思い出した。
 僕はBeatlesを信じない。
 シャイな妻も、気さくな告井さんには話しやすかったようで、こんな感想を漏らした。
「最近、ジョンとポールのボーカルが耳障りに聞こえることが多くなったんで、かえって告井さんのアコースティックだけの曲が好きです。いつもBGMに聴いてます」
 これには告井さんも、我が意を得たりとばかりにあの「破顔的かわいい笑顔」を見せていた。
 そんなわけで、偶然この機会をいただいたA.Tさん、「農園りすとらんて」の皆さん、ゲストでいらっしたのにボクらにホストまでしてくれた三種町のステキな皆さん、ありがとうございました!

 「ビートルズフタオタク」のボクらにとって、それはそれは最高にステキな夜でした。



 (2013.04.23)   このページのトップへ

『告井延隆という男』3080

 62歳。元ロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」のリーダー。趣味は将棋。
 ビートルズの完全コピーを目指して新境地を開拓。2008年にソロ活動を開始。「ビートルズ弾き語らず」スタイルを確立。
 アコースティックギター1本、たったひとりで弾く完全コピー版ビートルズナンバーの数々。
 ちょっと信じられないと思いますが、「1人4役の1人バンド」です。ジョンもポールもジョージもリンゴも同時にみんなやります! 

 

 *画像は『SGT.TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND』Nobutaka Tsugei official web siteより借用しました。
 ボクは「ほぼ日」で知ったんですが、U-Streamで聴く音がすごく良くて、もともと2人ともビートルズファンでもあったし、飲みながら聴くには最高のBGMだと思っていました。
 それが、なんと、まさか! こんなに早く、それもこんなに近場で「生演奏」が聴けるとは!!! 
 音楽も素晴らしいですが、何よりもこの顔、このキャラがいいですね。「ビートルズをこよなく愛してやまないおっさん気質」を余すことなく表現しているではありませんか。「ビートルズがもう好きで好きで好きでたまんない!!!」というオーラを、ぶっちゃけ気取らずに体中から出しまくっているではありませんか! 
 告井さんの4月のスケジュールを見ると、京都、大阪、岡山、鳥取、島根、広島、兵庫、気仙沼、盛岡、三種町(ここに行きます)、秋田、鶴岡、村上、新潟・・・と、毎日毎日移動しながら全国を飛び回っています。
 ここからクルマで30〜40分ほどの三種町『農園りすとらんてherberry』さんでの『〜アコギいっぽんdeビートルズ〜』は、18:00開場、18:30開演、1ドリンク、軽食付き3,000円。さらに終わってからも、告井さんを囲んで適当につまみながら談笑する場もあるそうです。
 ちょっと嘘みたいな話です。うっとり楽しんできたいと思います。

 (2013.04.22)   このページのトップへ

『耳悪くなったかなあ』3079

 ボクが「食べようぜ!」と言ったら、「レオタード?」って聞き返された。
 妻が「貧乏性」って言ったのを、「健忘症?」って聞きちがえた。
 やばい!
 マジやばい!!!

 (2013.04.22)   このページのトップへ

『大好きなめし』3078

 おとといはカルビの焼肉300gを2人で半分(せこっ!)食べ、半分は昨日のお昼に『チョンチョンご飯』(お肉のたれをご飯にチョンチョン)してまた食べた。
 これはタマラナイ!





 そういう微々たる「肉のぜいたく」の後、ミョウに「和食」が食べたくなって、昨日はこんなものを作った。いや、この手の調理人は妻である。おばあちゃんゆずりの『煮物王』なのである。





 『切り干し大根』も『煮つけ』も、お上品に大変美味しくできました。
 その味に触発されて、もうすぐお出ましになる『大御所さま』(おばあ)秘伝の『おくずがけ』と『お煮しめ』を食べたくなった。
 I家の奥様によれば、おばあちゃんは大層元気そうであるからして、また台所に仁王立ちになって、張り切って作ってくれることだろう。
 楽しっみ〜! 待ってるよ!

 (2013.04.22)   このページのトップへ

『フタオタク』3077

 そーゆー言葉、知ってますか?
 知らない? そう、じゃあ説明します。
 簡単に言うと「2人のオタク」のことです。オタクが2人いると。
 具体的に言うと「ボクら」のことです。
 誰が名付けたかと言うと「ボク」です。
 オタクというのは、ご存じのように、自分の好きな世界には深い関心を持っている反面、社交性には欠けるところがあります。なので友だち少ないです。
 フェイスブックを見ていても、友だちが多い人はみんな「社交的」ですね。名刺入れもアドレス帳もパンパンになっているようです。靴の底もすり切れていそうだし睡眠時間も少なそう。
 ちなみにボクらはその逆です。白状しますと、ボクは6年前ぐらいに20枚ほど刷った名刺がまだ残ってるほどです。靴底新品睡眠充足。
 ところが今朝、尊敬するおじいちゃん「日野原重明さん」が、今日のFBの投稿にこんなことを書いていました。
「家の外へ出てごらんなさい。友が見かります」
 そーいえば、かつてある中学時代の友人から、ボクが携帯持ってないことを伝えた時、はっきりこう言われたことがありました。
「おめえ、友だぢいねべ!」
 確かにその通り。社交性もなく、おまけに携帯さえ持っていない「フタオタク」のボクたちは、実際友だち少ないです。
 
 さて、今日は外に出ます。
 間接的ではあったけど、数少ないお友だちの「A.Tさん」の情報から、思いがけず知ることになった『告井延隆さんのライブ』を夫婦で聞きにいくのです。
 楽しみだなあ。何着ていこうかなあ。やっぱ友だちって大事だなあ。A.Tさん、ありがとう! 新しい友だちできるかなあ。

 (2013.04.22)   このページのトップへ

『てんこ豆』3076

 そーゆー豆、知ってますか?
 先日、妻が「観音さま」という村の行事に参加した時、赤飯を炊いたって話はしましたよね。
 「だんなさんにも食わせろ」と言われて、妻が持ってきてくれたその赤飯は、ボクにとっては見慣れたものでしたが、妻に言わせると、昔から食ていた赤飯より色が黒いという感じを持ったようです。



 確かに秋田以外で買ったり食べたりした赤飯はもっと「薄い色」だったような気がします。
 で、妻はその色の正体が『てんこ豆』であることをつかんできました。
 みんなが「てんこ豆。てんこ豆」と言っていたそうなんです。「てんこ豆どんくらい入れる?」とか。
 これがその豆。



 赤飯だけじゃなく、赤飯の色を出すために、うるかして、煮て、出汁をとったあとの「てんこ豆」も、妻は大量にもらってきました。
 そーゆーわけで、「てんこ豆」とはなんぞや? という疑問を持っていたわけですが、さっきネットで調べてみて次のようなことが判明しました。
 あの黒っぽい赤飯は、どうも秋田県だけの風習であるらしいこと。
 「てんこ」とは「天甲」と書いて、さやが天に向かって生えるから。「ささげ」(いんげん豆)というのも同じように「天に捧げる」ように生えることから名付けられたようだということ。
 てんこ豆の別称は「黒ささげ」であること。
 砂糖を加えて甘納豆などにして食べるのが一般的なこと。
 ちなみにボクらは、大量にいただいた黒い豆を、昨日「オニオンスープ」の中に投入してみました。
 ものすごい色のスープになったことは想像に難くないでしょ?

PS これがそのスープ。黒いでしょ。でも味はすごくいいですよ。あと栄養も満点!

 

 (2013.04.21)   このページのトップへ

『本屋大賞VS権威ある賞』3075

 ここ最近、本屋大賞っていう「本屋さんが審査員になって決める賞」の入賞本がブレークすることが多い。
 確か、ボクの記憶では『博士の愛した数式』とか『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』とか『謎解きはディナーのあとで』とか『神様のカルテ』とか『舟を編む』とか、入賞作はものすごく売れる(販売ルートを押さえてるから)のはもちろん、必ず映画化もされるようだ。作者にとってはダブルの「うはうは」だ。
 ちなみに今年(10回目)は、百田 尚樹の『海賊とよばれた男』が大賞をとったみたいだ。
 単純に「売れるかどうか」という観点でいえば、権威ある「芥川賞」とか「直木賞」を受賞した小説よりも、こっちを受賞したほうが手っ取り早く「売れる」ことは間違いないようだ。
 これは、村上春樹があんなに「売れ過ぎるくらい」1人で売れまくっているのに、あの人はその権威ある賞は受賞していないのと似ている現象である。
 売れたいなら「本屋大賞」、権威がほしけりゃ「芥川賞たち」という感じである。
 ボクは、ず〜っと「芥川賞たち」の審査方法、なかんずく審査員たちには、少なからず疑問を持っていた。
 候補作を絞り込む段階にはいなくて、何作かの候補作が選ばれてから彼らはそれを読むのだというが、多忙で権威ある彼らが果して本当に「人の作品(しかも自分よりあまちゃんの作品)」を読んでいるのだろうか? という疑問である。彼らの実力なら、最初の3枚くらいペラペラやれば、書評なんかサラサラでっち上げられそうな気がするのだ。
 その点、本屋大賞は信頼ができる、ちゃんと読者目線で読んでいる気がするのだ。
 もちろん、書店員さんになる人は、それなりに本好きな人だという前提だが。
 そんなわけで、長々と書いたが、お前はどっちだ? どっちの賞がほしい? と問われると困る。
 ほら、喉からニョッキリ伸びてるでしょ? あさましい手が2本。

 (2013.04.21)   このページのトップへ

『花咲かない春』3074

 さっき買物に行くクルマの中で妻と話してたんだけど、今年は花が咲かないね。
 4月20日だってのに、桜はもちろん、梅も、コブシも、さんしゅゆも、スイセンだってこの辺じゃまだだ。
 この時期に、こんなに何も咲かない年は今までなかったんじゃないだろうか。
 そう思って、2010年の『写真コーナー』『春を見つけた』を見てみた。
 4月11日なのに、こんなにいろんな花が咲いているではないか!
 豪雪の影響なのかな?
 花咲かない春。いつまで続くのかな。

 (2013.04.20)   このページのトップへ

『新たまねぎステーキ』3073

 新たまねぎが美味しい季節。
 今までボクらは、どうしてもこのたまねぎが好きになれなかった。
 何だか「やわ」な感じがしたものだ。水っぽくって白くて。
 ところが、最近妻は、持ち前の「食べることへの飽くなき探究心」を燃やして、インターネットを使ってそのおいしい食べ方を猛然と調べに調べ上げたのである。
 これもその一例である。
 『新たまねぎステーキ』!



 何のことはない。新たまねぎを輪切りにしてバターで焼くだけなのだが、単純(シンプル)であればあるほど料理は美味いの原則で、実に素材を生かしたおいしいものになった。
 バターで両面軽く焼いたら、醤油とみりんと酒をそれぞれ大さじ1ずつ加えたソースをかけて、さらに両面こんがりするまで焼くだけ。



 たったそれだけなので是非お試しください!
 ほっぺ落ちまっせ!

 (2013.04.20)   このページのトップへ

『大作のタイトル』3072

 『戦争と平和』(トルストイ)
 今度読みます。これ2人の夢でした。
 『積みと×』もとい『罪と罰』(ドストエフスキイ)
 中学の頃読んだけど、さっぱり覚えてない。
 『赤と黒』(スタンダール)
 これも是非読みたい!
 このように、世界の大作のタイトルは『○と×』形式が多いことが分かってきた。
 なるほど。
 そういえば『美女と野獣』っていうミュージカルがあったなあ。
 そういえば『愛と誠』っていう漫画があったなあ。
 そういえば『純と愛』っていう朝ドラがあったなあ。
 そういえば『ジュンとネネ』っていう歌手がいたなあ。確かレズだったはずだ。この手合いなら愛の奇跡の『ヒデとロザンナ』、昭和枯れすすきの『さくらと一郎』など死ぬほどたくさんいる。
 そういえば『花と蝶』って森進一の歌があったなあ。
 そういえば『ヒゲとボイン』っていうユニコーンの歌があったなあ。
 そういえば『ことなとひまめ』っていうおバカちゃんたちがいるなあ。
 大作からどんどん離れてきたので、今日はこの辺で。 

PS 後から思い出した。
 『天国と地獄』。これは黒澤明の映画にもあるけど、何といっても運動会のドタバタ系BGMが有名ですね。

 (2013.04.20)   このページのトップへ

『トルストイは女だった!?』3071

「トルストイって女だったんだね」
 そーゆーとんでもないことを妻が言う。
 あのロシアの文豪「トルストイ」が? まさか・・・。これが?



 そんなバナナ・・・。



「まさか、嘘だろ!」(「この形状からして」とは言わなかった)
 妻はこう言った。
「うん・・・」 
 うん?
「うそぴょ〜ん!」
 ・・・・・・。

PS 今読んでる『楡家の人びと』がそろそろ終わるので、せっかくだから(何が?)、この次は『戦争と平和』を読んでみることにした。

 (2013.04.19)   このページのトップへ

『ダンシャリアドバイザー』3070

 妻が今、若い頃に着ていたという大量の服を持ってきた。
 ずっと「タンスの肥やし」になっていたのだという。いたましがって大事にとっておいたんだって。
 それらの服を捨てるべきか、取っておくべきか、ボクにアドバイスしてほしいと言う。
 ボクは性格的に「思ったことをバシバシ言ってしまうタイプ」なので、こういう場合は、優柔不断の妻には必要な存在らしい。
 妻が着てみた先から、けんもほろろにボクが言う。
「だめだめ! うわ〜、それ、いやだ!」
「わ〜、それ場末のマダムじゃん!」
「何その光沢! やらしい!」
 そんなふうに、ボクは無責任にさんざコテンパンに言ってやった。
 妻は苦笑いしながら、ちょっともったいない顔で「え〜?!」とか言いながらも、最後は「あ〜、でも踏ん切りが付いてよかった」と言っている。
 かつては、若いから着られたような生地とか柄とかが、もう似合わない年齢になってきたのはしょうがないことだ。
 だから、そーゆーものは思い切ってバッサリ捨ててしまうのがいいのだ。
 もったいない! という人もいるだろう。こいつら少し小銭が貯まったんだな! という人もいるだろう。
 でも、そういうことじゃないんだ。
 ホントにもったいないのは服じゃなくて時間なんだ。
 安いからといって「不本意な酒」を飲んで、不本意な時間を過ごすのと一緒で、こういうものも、もったいないからといって「不本意な服」を着て不本意な時間を過ごすのこそがもったいないと思うのだ。特にボクらのような年になるとね。
 別に贅沢品を買うって意味じゃありませんよ。誤解のないように。
 すっきり片付いて、すっきりした顔の妻を横目に、ボクはそんなことを考えているわけです。
 そうそう、なかなか踏ん切りの付かないあなたへ。 
 よかったらボクが、「ダンシャリアドバイザー」になって差し上げましょうか? 断っておくけどシンラツよ!

 (2013.04.19)   このページのトップへ

『ワインバー至福』3069

 仕事が終わって、こうしてお酒が飲めるシフク。あ〜極楽!



 そういう時間が作れたシフク。最近ヒマだなあ。



 そういう相手がいるシフク。かあちゃんありがとう!



 そういう健康があるシフク。歯も治ったしね。



 このおつまみは、チーズ&ワインABEさんから教わった「ブルーチーズには甘いものが合う」というのを参考に、サービスでいただいた「イタリアのクラッカー」の上に「乾燥イチジクのスライス」と「ゴルゴンゾーラ」を載せ、シトラス系(オレンジとレモンの花蜜だけの)ハチミツを垂らしたものです。
 このオーストラリアの『DEENさんの赤ワイン』ともよく合って、何ともシフクでございましたよ。

 (2013.04.19)   このページのトップへ

『印象付け』3068

 人の印象というのは不思議なものだ。
 カーク・ダグラスという俳優をご存じだろうか?
 名前は聞いたことありますよね。結構有名ですよね、この人。アメリカ映画界の大御所といった感ありますよね。



 でも、実際に何に出ていたのかと尋ねられると、「はい、あれとあれです!」と答えられる人は少ないと思う。
 映画通で知られる真理さんに聞いてみてもそうだった。分からなかった。
「私、アゴが割れてる人は嫌いだから」と、わけの分からない言い訳をした。
 で、ウィキで調べてみたのだが、彼の出演している映画は死ぬほどたくさんあったにもかかわらず、ボクらが知っている映画はほとんどなかった。やはりな。『三人の妻への手紙』くらいかな? 知ってたの。
 つまり、映画では全然有名な人ではなかったのだ。
 じゃあなんでこの名前を知っているのか? という新たな疑問が浮かんだ。
 ウィキを、目を皿のようにして読み進んだ。
 あった!
●味の素AGFの珈琲『マキシム』のコマーシャルに出演。
 そうか、そうであったか!!!
 そーゆー記憶が、ボクらの幼心にシッカリチャッカリ刻み付けられていたのだ。知らず知らずに印象付けされていたのだ。あの顔が、あのアゴが。
 そんなわけで(どんな?)昨日は、彼の渾身の作といわれる『炎の人ゴッホ』を鑑賞した。わざわざアマゾンで購入して。
 彼の演技もよかったし、ゴーガン役のアンソニー・クイーンもよかった。何よりゴッホを敬愛するボクたちにとっては、絵画的に作られた画像が美しかった。
 観ながらマキシムが飲みたくなった・・・かというと・・・そんなことはなかったが。
「カーク・ダグラスって日本で言えば加山雄三だね」という、ちょっと陳腐な結論になった。 

 (2013.04.19)   このページのトップへ

『JJJかBABABAか』3067

 JJJ!



 この「ワカちゃん」とかいうゴマアザラシのポーズをご覧頂きたい。
 顔は別にして、身体、なかんずく「脚の線」が体操の選手みたくないですか?
 これを見てボクは思わず「JJJ!(じぇじぇじぇ!)」と驚きの声を上げたわけである。
 今度これを、是非「夜のエクササイズ」に取り入れたいと思っているのである。上体だけではなく下肢も反らすってえのを。
 さて、朝ドラ『あまちゃん』が面白い。結構笑える。
 その中で「JJJ!」という驚きの方言が多出するのだが(ちょっと驚きは「J」、もっと驚くと「JJ」、すごく驚くと「JJJ!」みたいな)、これはあの辺(久慈の辺り)で実際使われているのだろうか? 
 妻の話(気仙沼の友だちに聞いた)では、気仙沼では「JJJ」ではなく「BABABA」なのだそうだ。なんでも腰を抜かすぐらいものすごく驚いた時は、「ババババババババババ・・・!!!」と機関銃のように驚くのだそうだ。
 そんなわけで、もし久慈の言葉に詳しい方がいたら教えてほしい。
 本当に「JJJ」と使うのかどうか。
 ちなみに、この辺ではこういう場合「J」ではなく「I」を使う。
 ちょっと驚いた時は「アイ」、さらに驚いた時は「アイ、アイ」、もっと驚くと「アイ、アイ、アイ!」であり、腰を抜かすくらいの驚きはもちろん「あいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあい・・・!!!」である。

PS 『あまちゃん』も、この「JJJ」も好評だそうで、視聴率もすごくいいみたいね。

 (2013.04.18)   このページのトップへ

『シャケハラスVSツボダイ』3066

 ちなみにこれは夕べ食べた『肉団子』である。



 甘酢がゼツミョーに美味しかったね。おばあちゃん、今度これも作ってあげるよ!
 さて、それは余談。
 実は今日のお昼のおかずのこと。
 タイトルの2つのフィッシュがしのぎを削ってるのです。
 どっちの焼き魚にするか?
 で、いろいろ夕べからさっきまで悩んだ結果、結局「ツボダイ」になりました。 
 その理由は、今日は白いご飯ではなく『お赤飯』だからであります。
 昨日「観音さま」でいただいてきたやつ。
 お赤飯との相性というわけではなく、白いご飯との相性を考えて、消去法で決めました。
「シャケハラスにはやっぱ白いご飯でしょう!」
 そういう確信を込めた「妻のひと言」で決まったわけです。

 (2013.04.18)   このページのトップへ

『ファッション不適合地』3065

「着る時がないのよね」
 さっきから妻は、ヒマに任せ(今日は仕事がないのだ!)ネットでファッションページをめくっているのだ。
 いつも気に入った洋服を「お気に入りに追加」しておくのだが、そのページが膨大になったようだ。
「それに着ていく場所もないのよね」
 そのうちの相当数が「売り切れ」になって消えていってしまうのだと嘆いている。
 確かにそうだ。
 ここは「春」と「秋」という季節(つまりファッションに最も適したシーズン)が誠に短い。短過ぎる。 
 そうね、春は5月中旬から6月初旬までかな? 秋は9月中旬から10月中旬まで。
 それ以外は「極寒」か「酷暑」なのだ。なんだこりゃ! なんてこった!
 ちなみに、昨日「観音さま」という行事に参加してきた妻が言うには、妻以外は、ある程度若いご婦人にいたるまで、まだみんなズボンの下に「ももひき」のようなものを履いていたそうだ。なんとおばあちゃんたちは2枚もだそうである。もう4月も後半だぜ!
 ここはそういうところなのだ。「ファッション不適合地」
 人のブログやツイッターやフェイスブックを見ていると、サクラ満開のようなのだが、こちとら今日は肌寒い雨。明日の朝はなんと「みぞれマーク」まである。どうなってんの?
 こうして妻の「お気に入りファッションページ」は虚しく消去される。何枚も何枚も・・・。
「え〜い、どうせ着れないし!」
 そんな「やけっぱちな掛け声」とともにである。

 (2013.04.18)   このページのトップへ

『悩み癖』3064

 若かりし頃は、悩むことを全肯定して生きていたような気がする。
 悩んで、悩んで、悩んだ分だけ成長できるんだ、というようなことを硬く信じていたようなところがある。
 勉強のこと、家庭のこと、友だちのこと、恋のこと・・・何でも。
 だからい〜っぱい悩んだ。割と楽天的なB型のボクでさえ結構悩んだ。
 で、それはそれで正解だったと思っている。
 そのお陰でこんなに立派な人間になりましたなどとは、恥ずかしくて口が裂けても言えないが、少なくとも悩みを知らないで平々凡々と生きてきた人間よりは、少しはマシな人間になったように思うがそうでもないかな? とにかく自分的には結構悩んできたつもりだ。「悩み癖」が身に付いたというか。

 でも、さっき、夕べ飲んだ珈琲カップを洗いながら、フト思ったことがある。
 本当に悩んだほうがいいのだろうか? 
 悩んだほうがいいことももちろんあるけど、全然悩むに値しないこともあるんじゃないだろうか?
 そう思った。
 つまり「悩みの質」みたいなものがあるかもしれないなと。
 悩むという行為は「時間」がかかるし、何より「体力」もいる。ヒジョーに疲れる。苦しい。
 だから、生い先のことを考えたって、もうそろそろそんなに何でもかんでも悩まなくたっていいような気がしてきた。
 じゃあ、何がつまらないこと(悩まなくてもいいこと)で、何が重要か(悩むべきこと)かが問題になるのだが、そのことでまた悩んでしまう自分がいる。
 悩み癖はなかなか抜けない。犯しがたい性格の一部になっちゃたのかもしれない。
 でも、少なくとも「人の噂話」とか、「根拠のない罵詈雑言」みたいなものにかかずらわって、胸を痛めたりしているヒマがないことだけは確かだし、「悩みの重要性とか優先順位」をちょっと認識するだけでも、悩みが減ってココロ穏やかに暮らせるのかもしれないね。

 (2013.04.18)   このページのトップへ

『アドカボ』3063

 妻が帰ってきた。
 得体の知れない「クリエイティブ系スイーツ」と、いろんな村のゴシップ話などをたくさん携えて。
 その中で一番オモロかったのは「アボカド」の話だ。
 ケーコさんちを中心にどうも「アボカド」がブームになってるらしく(彼女の作った「太巻きごはんケーキ(仮称)」にもそれが入っていた)、各家庭のいろんなアボカドの食べ方が披露されたらしいのだが、なぜか1人残らず全員が「アボカド」のことを「アボカド」ではなく『アドカボ』と呼んでいたらしいのだ。
 それで思い出したのだが、かつて「秋葉原」を「アキバハラ」と呼んでいる人がいた。うちのオヤジ(トシゾーさん)である。でも、これはまあ、必ずしも間違いともいえないのかもしれない。そうも読むし。
 それから「ほとんど」を「ほどんと」と言う人も多い。これは以前も書いたような気がする。かつての上司に「ほどんとさん」という人もいた。
 それから「ビスケット」を「スケペット」と呼んでいたのはうちのばあちゃん(トミさん)だが、これはちょっといくらなんでも間違い過ぎだろう。
 あと、「オロナミンC」を模倣した「オロゴロンC」という名前の清涼飲料を、会社の前の自販機で間違って買ってしまったのは、亡き義兄のエンちゃんだったが、この話はかなり笑えたものだった。
 それにしても「アボカド」、いや「アドカボ」には笑った。
 こうやって書いてると、だんだんどっちがホントか分からなくなるから気をつけなきゃね。




 (2013.04.17)   このページのトップへ

『なんだこのヒマさは!』3062

 代表を失った執事は、実に、急に、驚くほど、「ヒマ」になってしまった。
 お支えする相手がいないのだ。
 お仕えする相手がいないのだ。
 お話しする相手がいないのだ。
 ボクは「小人」だから、閑居して不善をなしそうでコワい。
 う〜ん、ヒマだ。
 誰かメールとかお電話いただけませんか?

 (2013.04.17)   このページのトップへ

『ひとりきり』3061

 実に珍しいことだが、今日ボクは「ひとりきり」になります。
 間もなく近所のおばあちゃんたちが迎えにきて、『観音さま』なる村の行事のために妻を連れて行ってしまうからです。
 この行事は、2週間ほど前にその「打ち合わせ」に行った妻の話によれば、戦死した村の戦没者の霊を慰めるために、年に1回「村の女性(年齢は関係なく)」が執り行うものなのです。
 7班ある組ごとの当番制で、今年はうちの組がその当番に当たっているのです。
 具体的には、お赤飯を炊いてそれを観音さまの石碑に捧げお祈りをするわけですが、それだけならばそんなに時間はかからないはずです。
 それなのに丸1日も空けなければいけないのは、お赤飯を炊いている間やお祈りが終わってからの「お茶飲み」が延々と続くからなのです。それぞれ自家製の「ガッコ(漬物)」を持ち寄って、その品評会をし合うのです。もちろんうちには「自家製ガッコ」などありませんので、通販で買って昨日届いた「ささかま風の練り製品」を少しばかり持っていくことにしました。「たまたま実家から届いたんだけど、食い切れないので手伝って!」みたいな感じで差し出すのです。こういう時、立派なものを持っていくとかえってみんなに気を遣わせ萎縮させるので、その頃合いが難しいことをボクらはもう十分に学んでいるのです。
 昔はこういう行事でもないと、女の人は公然と「お茶飲み」ができなかったそうで、年寄り(ばあちゃんたち)はみんなこれを「異常に」楽しみにしているようなのです。
 おっと、そうこうしてる間に、隣のケーコさんが迎えにきました。
 妻は、「初めてのおつかい」みたくドキドキしながら、かまぼこの入った紙袋を持って出掛けていきました。
「別にやるごどもねえんだ」 
 ケーコさんは笑ってそう言いました。
 たぶんそうだろうな。ボクは思いました。
「仕事あったら途中で帰ってもいいがらな」とも言ってくれました。
 そうして、雨の中、お赤飯を炊くための大鍋を乗せた、ケーコさんの運転する軽自動車に乗って、妻は行ってしまいました。
 やれやれ。
 まあ、こんな行事は他所ではゼッタイないだろうからね。1回ぐらいいいんでないかい?
 それにしても、ホントにひとりきりになっちゃったよ。
 なんか変な感じだね。

 (2013.04.17)   このページのトップへ

『銀座あけぼののお菓子』3060

 少し前に、義姉のリエさんから大量に届いたスイーツの中に、ボクらにとって初めてと思われる『銀座あけぼの』のファスナー付きの袋に入った各種せんべいがごさいました。
 どれもこれも美味しくて、ボクらは「米菓ジャンル」においても、「生きててよかった感」、「世の中奥が深いね感」を味わうことができました。
 でまあ、これはおねえに「おねだり」じゃあないんですが、どうしても「また食べたい!!!」「今度また送って!」という気持ちを暗に含んだ文章であることを告白しときます。すまんすまん。
 この『銀座あけぼの』のホームページにこんな記載を見つけました。

 「銀座あけぼの」は銀座で育った菓子屋です。
 まだ焼け跡の焦げ臭かった終戦直後、
 銀座四丁目の交差点近くに、
 冬はおしるこ、夏はカキ氷の店として誕生しました。
 当時は甘いものは大変貴重であり、
 敗戦で疲れ果てた人々に、
 その一膳のおしるこは心を和ませ、
 明日への活力の素となったそうです。
 当時の人々の「新しい日本の夜明け」を願う気持ちが、
 「あけぼの」という名前に込められております。



 なるほどねえ。さらに・・・。

 創業以来 時代やお客様の好みの変化とともに、
 つねに新しいことに挑戦し、
 喜んでいただくことで今日までやって参りました。

 そして「締め」はこうなります。

 お菓子が満たすのはお腹ではなく心。
 今を生きるお客様の心を満たしつづけること。
 それが 私ども「銀座あけぼの」の仕事です。

 すばらしい!
 お菓子が満たすのはお腹ではなく心!
 で、このコピーにグラッときたボクたちではありましたが、でもよく考えると、これは「米」が原料であるからには、まぎれもなく立派な「炭水化物」なのでした。
 満たしてしまうのは心ばかりではなさそうです。
 あ〜、でもやっぱ食べたい! ホント美味しいんだもん。

 (2013.04.17)   このページのトップへ

『開けさせたいのか、開けさせたくないのか、過保護包装の謎のナゾ』3059

 最近の包装を見ていると、あんまり過保護で「どうしたものか?」と思うものが少なくない。
 いろんな「切り込み」があって、どれも開けやすさを強調しているのだが、例えばよくお寿司弁当とかにくっ付いてくる「袋入り醤油」などは、ビッとやると思いっきり開いてしまって、少しだけ出してお寿司の上からチョンチョンしたいときなどは大変厄介なものである。
 そうかといって、開け口を小さくしようと角度を外側に向けて引っ張ると、全く開かない状態で引きちぎれてしまったりする。そうなってしまっては、もうハサミ以外ではゼッタイ開かないのがこの手の袋のまたまた厄介なところだ。アレはもうはっきり言って「ギブ」ですよね。
 口惜しくて、歯で開けようなどというバカなことを考え、それを実行したことがある人がどうなったか? そりゃあもう聞くも涙、語るも涙だ。
 納豆などでも、ボクはどうしたもんか「袋入りからし」を上手く開けられない。細〜く0.1ミリほどの大きさに開いてしまって、なかなか出ないから「ギュッ」と握ったらいきなり「水鉄砲」のようになって飛んでいって、思いっきり顔にかかったことがある。それも他人の。
 そんなわけで、こいつらは「開けさせたいのか、開けさせたくないのか」全く分からない。
 さて、さっき届いた『支倉焼き』の包装を見て思った。(どうしても食べたくて買ったんです)
 これは、これまでのものと違い、油紙のようなもので、ヒジョーにシンプルに包装されていた。しかも、たった1枚それだけであった。
 かつ、四角い油紙の4辺にほんのちょっとだけ「のり」を付けて、それを合わせて軽〜く止めただけのものである。
 だから、全然ストレスなく簡単に開けられて、その紙ごとつまんで簡単に食べられる。
 その点、昨日食べた『六花亭のマルセイバターサンド』はこうはいかない。ゼッタイすんなり食べられないようにできている。
 どういうことかというと、たった1箇所しかない「切り込み」を引っ張って横に開けなければならないのだが、これが今まで一度も上手くいったことがない。
 大体は途中でプツッと切れる。そうするともうどうしようもない。サンドの顔は見えてるのに、それを救出できない。口に運べない。口惜しい、焦る、しまいにゃ怒る。
 仮に何とか頑張って開けてみても、銀色のセロファンはミョウに貧弱で、最後まできれいには開かないので、リンゴの皮を切らないように剥こうとして途中でちょん切れてしまった時のようなザンネン感が残ったまま、底知れぬ敗北感を味わいながら食べることになる。
 どうしてこんなことになってしまったのか!!?
 お菓子屋さんの意地悪!

 (2013.04.16)   このページのトップへ

『あらためてMr.Children』3058

 ライブチケットが取りにくいアーティストといえば?
 WEBを見ていると、その質問に答えて最初に挙ったアーティストが「Mr.Children」だった。
 あと「B's」 とか「嵐」とか・・・。
 「Mr.Children」は、今回のツアーもかなりの激戦らしく、本当に取れないということである。
 なので、やっぱミスチルはスゴいんだなあ、とあらためて思いつつ、そのチケットを入手できたわれわれは、なんて幸運なんだろうと驚いているわけです。
 シアワセなことでございます。秋田10年目の今年はつくずくツイテいます。



 思えば、妻からもらった最初のプレゼントが「Mr.Children」のこの『HERO』のCDでした。とてもいい曲です。
 これもやってくれるといいな。
 欲を言ったらこの曲たちも。『HANABI』と『GIFT』も大好きだ。

 (2013.04.16)   このページのトップへ

『尖ったほうがいいのか、丸くなったほうがいいのか』3057

 昔は「なりたい自分」というのが強くて、その師匠みたいな人がいたものだ。目指す目標の人。
 逆に「こうはなりたくない」というような、よくいうところの「反面教師」というものも多数存在した。
 そういう二律背反の人たちを「鏡」にして、自分自身を見、変更、改造を加えてきた。それが成長だと信じて。
 協調や調和よりも、個性や独自性を重視した。
 そういう意味で「尖って」生きてきた。
 でも、いつの頃からか、たぶん「不惑」のころ挫折してからだと思うが、あることに気付いた。
 それは「なりたかった人間」が、よくよく見ると実はあんまりカッコ良くなかったってこと。
 もうひとつ、「なりたくなかった人間」の生き方も、それはそれでそんなに捨てたもんじゃないなってこと。
 そうやって、前者はやや光彩をなくし、後者にもある種の魅力を感じるようになった。
 これは、いろんな価値観を許容できるようになったという意味で、ボク自身、人間の幅が広がったということだろう。
 別の言い方をすれば、そう、角が取れて「丸く」なったのだ。
 で、尖ったほうがいいのか、丸くなったほうがいいのか。
 ボクはどっちもいいと思う。
 しかるべき時期はやはり尖って、しかるべき時期からは丸くなるのがいいのだと思うようになった。
 最初から丸いのもカッコわるいし、いい年こいていつまでも尖っているのもカッコわるい。
 ただ、尖ってても丸くなってもいいから、いつも何かに向かってキラキラ輝いている人間であり続けたいと思う今日このごろなのです。

 (2013.04.16)   このページのトップへ

『鼻は壊れ目はかゆく、おまけにボクは眠いのだ』3056

 5時起床で頑張っている。
 だが、どうしたことだ。
 もう1回タイトルを読んでください。
 『鼻は壊れ目はかゆく、おまけにボクは眠いのだ』
 そう、大変なのだ。ぐるじい。眠い。
 ティッシュもう100枚も使ってるのに、何も浮かばない。
 アイディアはみんな「鼻水」になって流れてしまった。(関連ないか)



 (2013.04.16)   このページのトップへ

『お日柄もよくご愁傷さま』3055

 先日、そういうタイトルの映画を観た。
 結婚式とお葬式が一緒にきてしまったドタバタぶりを、橋爪功と吉行和子がいい味で熱演していて、なかなかおもしろい映画だった。タイトルもシャレている。
 今読んでいる『楡家の人びと』の昨日読んだところにも、楡四郎(楡基一郎の末娘、桃子の旦那)が病気で亡くなった翌日に、同じく基一郎の息子の欧州(おうしゅう)が結婚したりしている場面があった。
 映画や小説ばかりではなく、今日はそれと似たようなことが現実に起こってしまった。
 おめでたいほうは布施明と森川由加里の結婚である。「2人寄り添い歩いて参ります」という大人っぽいコメントを出したかと思うと、俳優の三國連太郎が亡くなった。享年90歳だった。映画『釣りバカ日誌』シリーズで20年以上共演した西田敏行は、「私のスーさんが逝きました」という切ないコメントを寄せた。
 実は、こうやって誰の周りでも「おめでたごと」「ご不幸ごと」が常に隣り合って繰り返されているのだなあ、と思った。
 蓮如さんが『御文章』の中でこう言っている。
 『朝(あした)には紅顔ありて夕べには白骨となる』
 予期できない無常の人生、いつかは白骨となる前に、「ご不幸ごと」よりも、小さくても「おめでたごと」をひとつでも多く見つけて生きていこう。
 さあて、そろそろワインでも飲むべーか!

 (2013.04.15)   このページのトップへ

『これがあれば何も要らない』3054

 ワインが枯渇してきたので、また電話で注文して送ってもらいました。
 チーズ&ワインabeさんです。
 この光景を見ているだけで何だか安心です。



 この棚が空っぽになった時はヒジョーに寂しいものです。
 そんなわけで、いつもこの棚に少なくとも何本かのワインがある暮らしを続けていきたいと、それだけを人生の目標に(といったらオーバーだけど)頑張って働いているわけです。
 あべさんは(ボクたちは「リジョイさん」と呼ばせていただいてるんだけど。なぜかって? ヒミツです)とってもワイン詳しいので(当たり前か)、いろんなワインの特徴とか注意とかをちゃんと書いて送ってくれるので、ワインは大好きだけど詳しくないボクらにとってとてもありがたいことです。
 ・・・とてもこの価格とは思えない味わいです。
 ・・・このワインも素晴らしいです。ご期待ください。

 とか言われると、もうそれだけでワインの味が何倍にもなるような気がします。
 そういう話をしながら2人で飲むひとときがいいのです。
 これからもいろいろ教えてください!
 それにしても、何事もそうですが、本当に「その道のプロ」ってスゴいなあと思います。
 そういう「任せて安心な人たち」を持つボクたちは実にシアワセだと思います。
 あべさん、これからもよろしくお願いします!
 今回もこんなおまけが!



 (2013.04.15)   このページのトップへ

『ココロに残る光景』3053

 靴下の先に穴が開きそうになって、ガーゼみたいになってしまった。
 まあいっか。このくらいなら、まあいっか。もう一回だけ履いてから・・・。
 そーゆー考えがフト頭をよぎることがある。それがくせ者だ。
 そういう時に限って、想像もしなかった場面に遭遇し、フダンならゼッタイ脱がない靴を脱ぐはめになり、ほんでもって膝を折って座ることを余儀なくされ、あろうことかゼッタイ「見られたくなかった人」に、そのガーゼ状になった部位を、しっかり指差し確認(ゼッタイ口には出さず心の中で)されてしまうものなのである。そして、その人に対する印象は「ブラックマンデー」のごとく大暴落する。今までどんなに格好よく振る舞っていても、その一瞬で、すべての印象が「好」から「悪」に塗り変わる。紳士は「コツケダオヤズ」に成り下がる。
 そして、その印象は消えない。「靴下に穴の開きそうな光景」は長く人のココロを捉えて離さないものなのだ。
 同じように「靴下が片チンバ」だった場面もまた、人は長くココロに留めておくものだ。(義兄のカッツがリエさんをもらいに行った時(お嫁さんにくださいと実家に)、そーゆーことが実際にあったようで、ボクは長いことその話を、妻やおばあちゃんから聞いたものである。「カッツらしいお笑い系ゴシップどじ話」として、その話はいつも爆笑のネタとして語られていた)
 このように、靴下に関わるエトセトラが、長く記憶に刻まれることは多いので、皆さんにはくれぐれも「足元」、なかんずく「靴下」には十分に注意を払っていただきたいものだ。
 で、この話のきっかけとなった「ガーゼみたいになった靴下」(本文1行目)に戻ってお話しすれば、実はこれは「マイラブリーワイフ」の足元に起こったことであった。
 その有様を見てボクはこう言ったものだ。「そんなのは当然のことである!」という、毅然とした威厳と格式とをもって。
「今すぐ脱いでウエスにしなさい!」
 彼女はちょっと「惜しいな」といった表情を浮かべた。「もう一回いけんじゃない?」といった未練がましい顔で足元を垣間見た。
 でも、ややあって、それを素直に脱いだ妻は、自分を納得させるようにこう言ったものだ。
「そうね、今日は施設で靴を脱ぐもんね」
 そうだ。シマムラでパンツとシャツを買って、今日はトシゾーさんに面会に行く日だ。

 (2013.04.15)   このページのトップへ

『正しく美味しい日本の食卓』3052

 ものすごくいいブリのカマが手に入ったので、例によって『ブリ大根』を作った。
 このメニューは、プロの料亭のレシピを忠実に再現しているのでとにかく美味い!
 美味すぎるぐらい美味い!
 たぶん立派に売れる味だと自負している。(塩加減は健康を考えて7割にしている)
 昨日のうちに作って今日のお昼に食べた。
 寝る時も起きた時も、家中「甘〜いシアワセな香り」に包まれていた。
 見てよ、これ!



 あ〜、何というお味。



 これぞ「正しく美味しい日本の食卓」だ。
 お昼に食べるにはチト贅沢であるが・・・。

 (2013.04.14)   このページのトップへ

『眠い、眠い、眠い』3051

 皆さん、眠くないですか?
 何だか無性に眠くって、いくらでも、いつまでも寝てられそうです。
 もしも、ボクに膀胱というものがなくって、仕事というものがなければ・・・。
 それと、物干竿売りのマイクの声が妨害しなければの話ですが。
 そんなわけで、少し寝坊したものの8時過ぎには起きました。
 風のものすごく強く吹く日曜の朝。
 向こうの「ゴッドさん」ちの物干し台には、洗濯物が大量に吊るされてます。
 そのうちあれはきっと、全部竿ごと吹っ飛ぶことでしょう。
 そういう光景を、ボクらは今まで何度も目撃しているのです。
 かつて、確かおばあちゃんも見たはずです。あ〜あ、懲りないこと。
 それはそうと、『楡家の人々』(北杜夫)はやはり最高に面白く、晩酌を7時までには終わらせて、毎日3〜4時間読んでます。
 それでもまだ3分の1といったところですが・・・。
 そっか、それで眠いのかな?

 (2013.04.14)   このページのトップへ



■エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』バックナンバー(〜3050話はこちら)

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