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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』
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★お便りはこちらまで。info@officematroos.com

■ここにお便りを書いてね。

お名前(ペンネームでも)

『ああああ味気ない』5194

 いつも独りでご飯を食べている人の気持ちが分かった。
 ああ、つくづく独りは味気ない。



 どんなに濱乃家のお弁当があっても駄目だ。



 どんなにスコットランドの黒ビールがあっても、ヤリイカのお刺身があっても駄目だ。



 この人がいないと駄目だ、駄目だ、駄目だ!
 ああああ味気ない。口がかゆい。

 (2017.06.23) △このページのトップへ

『何かが違う』5193

 いつものように今、仕事が終わったのだが、何かが違う。
 いつもなら、「さあ、飲むぞ〜!」のゴングが鳴るのに今日はそれがない。
「私始めるけど!」
「おう!」の前者が不在なのだ。
 自分一人で、「おう!」というわけにもいかず、なんとなくけじめがつかないでいる。
 しっかり「濱乃家のお弁当」や「やりイカのお刺身」まで買ってきたのに、「早く始めよう!」という気にならない。
 何かが違う。
 合の手の入らない「秋田おばこ」のようだ。
 あ〜、それそれ! 
 がない。
 きたかさっさ〜!
 もない。
 ほいな〜!
 もない。
 仕方ない。
 こうなりゃ、一人しゃべりだ。
「おう、ヤスシ、飲むど〜!」
「おう、ヤスシ、飲むべ〜!」

 (2017.06.23) △このページのトップへ

『妻が行ってしまう』5192

 今日、妻は新幹線で石巻に行ってしまう。
 ボクは一足遅れて明日、同じ時刻の新幹線で行くことになっている。
 もろもろの事情がありまして。。。
 22歳の別れ、という歌があったけど、24時間の別れがつらい。
 そして、ひまだ。
 夜、何食って、何しよっかなあ。
 あ〜あ。

 (2017.06.23) △このページのトップへ

『六角形』5191

 六角形というと何を思い浮かべますか?
 わっ、すごい、そうですか?
 あなたも「鉛筆」ですか?
 さすがです。
 昔はねえ、よく使ったものですが、今はほとんど使いませんね。
 でも、うちではよく使ってますよ、妻が。そう、あの頭に消しゴムの付いた黄色いやつ。
 三菱のMONOだったかな、いやトンボだったかな?
 あの六角形は実に手にしっくりなじんで、握りやすく書きやすいんですってね。
 六角形というのはどーもそういう力学的根拠があるらしいですよ。
 これは博学の妻に聞いた受け売りなんですがね。
 そういえば昨日観た映画の中で「寅さん」もそう言ってたなあ。
 うちにはもう1つ「六角形」のものがあります。
 それは「箸」です。
 これは妻が見つけて買ったんですけど、すごくいいですよ。ちょっと高かったんですが一生もんです。
 とにかく握りやすい。ちょうどいい重さ。でもって美しい。漆を何べんも重ね塗りしてます。
 箸なんてもんは使い捨てのもんでもいいように思う人もいますが、これが違うんですよ。
 いつも使うものだから逆に、ちょっと高くてももいい物はいいんです。
 1個の梅干しも高級料亭のそれになります。
 器でもなんでもそうだけど、毎日使うものほど、いい物を使うことにしています。

 (2017.06.22) △このページのトップへ

『体重計の気持ち』5190

 体重計との付き合いが長くなった。
 おそらく10年は載らせてもらっている。
 ご苦労なこったね。
 毎朝毎朝、さぞ重たいだろうに。
 しかも、「うそだろ!」だの「あ〜あ」だの「ちぇっ!」だの「許せねえ!」だのと、君にはまったく筋違いの文句を言われ続けている君は、ほんとにかわいそうだね。
「あのう、それって濡れ衣なんですけど。。。」と言いたくもなるよね。 
 しかも、君のご主人たちは最近こんなことも言ってるよね。
「なんだか、この人、怪しくない?」
「置く場所によって200〜300グラムは違うもの」
「体脂肪なんか測るたんびにものすごく変動するしね」
「もうそろそろ限界なんじゃない、この人」  
 あんまりだよね。

 (2017.06.22) △このページのトップへ

『おっといけねえ言葉』5189

 秋田弁にはいろいろあるが、「おっといけねえ!」というときに出る言葉が面白い。
 かつてババメ時代には「あいっ!」だった。
 これは老若男女ほとんどの人が使っていた。
「あいっ!」に「すかだね!」が付く強調形もある。訳すと「お〜〜〜〜っといっけねえ!」である。
 あと「さいっ!」というのもある。
 あと「おっちゅ!」というのもあったような気がする。
 あと「さっさ!」というのもあったような気がする。
 ほとんどボクは使ったことがないのだが。。。
 え? じゃあなんで知ってんのって?
 さいっ! おっちゅ! さっさ!

 (2017.06.22) △このページのトップへ

『豆球の不思議』5188

 床の間の蛍光灯はとても古いタイプだ。
 おそらく37年前の新築した時のものだろう。
 ボクらはそれをきれいに掃除して使っている。
 最近は蛍光灯のある部屋にボクらは寝ている。
 夕べ寝る時に天井のほうで何やら「パチッ!」という音がしたが、いつものことだと思って気にも留めていなかった。
 古い家なので、柱が歪んでいて、時々凍裂のような音がすることがよくあるのだ。
 凍裂というのは、北海道などで冬、あまりの寒さで立木が裂ける現象である。
 あるいは天敵のカメムシが不意に何かに当たる音がすることもよくある。
 なので別に気にも留めないでいたのだ。
 そして毎夜恒例の「修学旅行的寝しゃべり」を暗がりで延々としていた。
 で、今朝になった。
 布団を畳もうとした妻が驚きボクを呼ぶ。
 妻の指差す方向は2人の布団の隙間。
 そこのあったのだ! 蛍光灯の豆球が。
 ちょっと布団を敷く位置を間違うと大変なことになるところだった。
 例えば、ペチャクチャしゃべってる妻の口にカパッ!
 例えば、いびきをかいているボクの鼻の穴にポコッ!
 例えば、大口空いて寝ているボクの口の中にゴクッ!
 いずれにしても危ないところだった。
 それにしてもどうして落ちたんだろ?
 いや、37年付いてたのが不思議か?

 (2017.06.22) △このページのトップへ

『ゴクミという生き方』5187

 寅さんの観残しといったら怒られるけど、終盤のシリーズを最近観ている。
 そうすると、満男こと「ジュン君」や泉ちゃんこと「ゴクミ」が出てくる。
 で、今ボクらは「観残し」などと言って失礼したと思っている。
 実は終盤のシリーズは、これはこれでサイコーに面白いことが分かってきた。
 枯れていく寅さんもいい。実はもうがんが宣告されていたであろう寅さんの哀愁がいい。
 マドンナ役の吉田日出子や雪吹ジュンも、苦労して生きてきた一人の大人の人生の切なさがにじみ出ていていい。
 すごくいい。
 おいちゃんも、おばちゃんも、ごぜんさまも、さくらも、ひろしも、脇役みんないい。
 で、思わぬところでゴクミ(後藤久美子)を見てしまったのだが、これがいい。
 すっごく美少女でいい。さすが「元祖美少女」だけのことはある。
 美しいということは、それだけで、ただそれだけで人をシアワセにするのだなあ。
 美味しいワインのように、面白い小説のように、心地よいジャズのように。
 皆さんご存じのその後の「ゴクミという生き方」もいい。
 すごいね、ほんとに、この人は。
 それに引き替え、ボクらは毎日「トトトという生き方」です。
 今朝もはよから頑張ってます!

 (2017.06.21) △このページのトップへ

『母の日の厚さ』5186

 まあ成り立ちからいっても、そうなっておかしくないのだが。
 母の日のついで、母の日のおこぼれ、母の日のおすそわけ。
 そんな感じで「乳の日」いや「父の日」ができたのだから仕方がないのだ。
 ほら、今ワードの漢字変換でも「乳」が「父」よりも先に出てきたではないか。
 そんな「父」なのだ。まあ「遅々」より早く出るだけマシとしよう。
 父は忘れられ母は思い出される。
 父は弱く母は強い。
 父は薄く母は厚い。
 母は乳があるからだろうか?

 (2017.06.21) △このページのトップへ

『触れ合いたい人』5185

 大盛り山動物園、ちがった、「大森山動物園」というところが秋田市にはある。
 ボクも小さい頃に数回行ったことがあるが、大人になってからは皆無。
 意外なことに妻は動物園好きで、ゾウ以外は「触れ合いたい!」のだという。
 ボクは動物園の動物とはあまり触れ合いたくない。
 かっちゃかれたり、かみつかれるのが怖いし、第一なんか衛生上もどう? って感じ。
 小岩井農場で放し飼いのうさぎに指をかまれたトラウマなのだろう。
 しかし妻は、虫1匹でも「ぎゃ〜〜!」の妻は、その点勇敢なのだ。
 うちの借庭の松の木の根本に営巣しているカナヘビ(愛称「かなちゃん」)は、サイズを大きくしたら「イグアナ」とクリソツなのだが、彼女はこれも平気だ。
 人は意外なものに強く、意外なものに弱い。
 そんなわけで、妻の目下の夢は「大森山動物園」に行くこと!
 動物園愛好家のベネチアのジョイさんに言わせると、「年間パス」(1200円)を買いたくなるほどサイコーに面白いらしい。
 7月のZIPツアーで実現しそうだ。

 (2017.06.20) △このページのトップへ

『銀歯取れたかと』5184

 枕元にスマホを充電する白いコードがある。
 寝る時に充電しながら寝る。
 目覚めてそのコードをスマホから外した。
 それから起き上がって驚いた。
 ボクの枕に銀色のものが落ちているのだ!
 寝ている間に銀歯が取れたのだ!
 そう思って妻に言うと、妻もそれを見て驚いたようだった。
 しかし、よく見るとそれはスマホを充電するコードの先っちょの金具なのだった。
 2人ともなに寝ぼけてんだか!

 (2017.06.19) △このページのトップへ

『残す人は偉い人』5183

 残す人は「楽しみを知る」人だ。
 妻を見ているとそれがよく分かる。
 例えばチーズ。
 ほんのちょっとだけでも残して取っておく。
 ボクはどちらかとゆーと、「そんぺっこ、食っちゃったらいいべ派」である。
 妻のごとき傾向は、戦争体験などをした人や貧しく育った人に多いものだが、妻はそのどちらにも当てはまらない。
 単に「美味しい食べ方を知っている」からなのである。
 確かに、その「今ちょっとだけ残したチーズ」が、次の一杯の時、ものすごく美味しかったりする。
 ある程度出来上がって、腹もいっぱいの時はマヒして感じなかった味覚が、空腹時には覚醒されているのだ。
 さらに、「ほんのちょっとだけある」という環境設定も、その食べ物を美味しくする。
 そーゆー原理原則を妻は知悉しているのである。すごい!
 秋田では、そーゆー「少しだけ残すこと」人は「最後の一つ残し」と言われ、忌み嫌われる。
 遠慮するもんでねえ、残すほうがかえってカッコ悪いとされる。
 石巻のほうでも「猿こじんぎ」とか言われ、あんまり体裁のいいことではないみたいだ。
 なのに、妻は堂々とこの作戦を敢行している。あんたはすごい!
 今朝、白菜漬けの皿に白菜の細切れがちょこっと残っていた。
 で、そのまま「ごちそうさま」ということになったので、ボクは聞いた。
「これ取っとかなくていいの?」 
 妻は、しげしげとお皿を覗いて言った。
「あっ! それ死角で見えなかったわ。食べる、食べる」ポリポリ。。。

 (2017.06.19) △このページのトップへ

『おまちどうさまでしたといただきますのアンサンブルディナー』5182

 ずっと「早起き缶詰」だった2人である。
 外での外食(おっと、これでは馬から落馬だ)などもできない2人であった。
 そんなとき、調理のノウハウがモノを言う。
 それがないと、毎日カップ麺や冷食ということになる。
 早朝に起きたおかげで、昨日はお互い予定より早く土日のノルマを達成することができた。
 で、こんなものを「ごほうびディナー」にしてみた。
 外で食ったらウン千円はするであろう「フィレステーキ特性ソースがけ」と、ベネチアのジョイさんにお勧めされたモッツァレラチーズで作った「モッチリラ松島トマト白ワインビネガーオニオンソースかけ」である。
 こーゆー高級メニューを、厨房とカウンターを行き来しながら、つまりシェフとゲスト(VIPな)になりながら2人の共同作業で作って、食べる。
 つまり「おまちどうさまでした」と「いただきます」のアンサンブルディナーである。
 2人4役、4人羽織の離れ業。











 ああ、もうサイコー!
 あとは「ごちそうさま!」と「ありがとうございました!」でお開き・・・と思いきや、最後はもう一役「皿洗い」の役が待っているのであった。とほほ。

 (2017.06.19) △このページのトップへ

『色好み』5181

 休みの日は大学のテニスコートから黄色い声が響く。
 ファイト系、がんば系の声である。
 それが風に乗って仕事部屋まで流れてくる。
 部屋の空気まで黄色く染まる。
 ボクらはまったく意に介していないが、Q番街の老人や病人や赤ちゃんや参勤交代、いや三交代で寝ている人たちはどうだろう。怒ってないだろうか? 苦しんでないだろうか?
 気になる。
 でも、きっとこっちの声は大丈夫なんだろうな。
 音には色があって、こういう黄色いのは許容できるのだろう。
 人は「色好み」だからね!

 (2017.06.18) △このページのトップへ

『世間並みの日曜日を送りたい!』5180

 土日の缶詰である。
 2人ともそうである。缶詰2缶。
 缶詰たちは今朝4時半に起き仕事を始めた。
 眠気覚ましの「フレンチーノイタリアーノ」珈琲を濃いめに入れて。
 さあ、頑張るぞ〜!
 珍しく今朝は晴れている。
 それにしてもボクらは最近『世間並みのお休み』を送っていないなあ。
 毎週決まって休める日がある人がフトうらやましくなった。
 寅さんじゃあないが、「それが渡世人、いや自由業のつらいところよ」と、愚痴りたくもなる。
 ああ、ゆ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くりしたいねえ、まったくさあ。
 ゴロ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッとしてたいねえ、何にも考えないで。
 思い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っきり楽しみたいねえ、世間並みの日曜日を。
 せめて早めに仕事を終えて、夜はうまいもん食うぞ!
 で、なんだっけ? 今日。

 (2017.06.18) △このページのトップへ

『杏里なに人?』5179

 オリビア・ハッセーが、クリスタルキングのまあぼう(カーリーヘアの超高音の人)と結婚したそうですね。
 オリビアは顔のしわを伸ばす手術を痛々しいほどやっていたそうですね。
 これらは、夕べの妻の夢の話なので、気にしないでください。
 さて、オリビア・ハッセーはなに人でしょうか?
 フランス人ではないし、『ロミオとジュリエット』に出てたんだからイギリス人かもね。
 そーゆー話になって、じゃあ、同じ「オリビア」のオリビア・ニュートン・ジョンはなに人? って話題になりました。
 あの方は確かオーストラリア人だったけど、オーストラリアはかつて英国領だったわけだから、親とかはきっと英国人ではないの? という話になりました。
「じゃあ、杏里は?」
 彼女もイギリス人じゃないの? 当然の成り行きで、次はそーゆー話になったんだけど、彼女はそういう歌を歌っていただけで、どー見てもあれは日本人でしょ? チャンチャン!
 となりそうだったんですが、どうやら妻は杏里のことを最初タイ人じゃないかと疑っていたそうな。
 名前の不思議さと、目の離れている顔からそう思ったそうで。。。
 そう考えてみると、泰葉とかミーシャというのは一体なに人?
 などと、どーでもいいことを考えているヒマがあったら、そろそろ仕事しろ!
 なにせ、この土日の2日間はいつもの何倍も仕事が詰まっているんだからね。
 昔「おもちゃの缶詰」なるものがあったけど、今ボクは「土日の缶詰」です。

 (2017.06.17) △このページのトップへ

『みやあきらか、いなばしろうか』5178

 昨日駅の通路に張ってあったポスターの顔に驚いた。
 その額(ひたい)だけ見れば「紫式部」なのである。十二単が似合いそう。
 しかし視線を顔に移すと怖い。まずグラサン。
 そしてちょび髭。ここだけ見ると『なみだの操』の人である。
 いや『なみだの操』や『夫婦鏡』は「殿さまキングス」(殿キン)の宮路オサムだった。
 でなくて『女の道』を歌っていた「ぴんから兄弟」の宮史郎にクリソツだったなのだ。
「あ! みやあきらだ!」
「あ! いなばしろうだ!」
 思わず2人は叫んだ。
 この方、かつて『わかってください』という歌を歌っていた。
 涙で文字がにじんでいた〜ならわかって〜ください♪
 そんな歌詞をいい声で切々と歌っていたものだ。
 秋田大館出身のそのポスターの方のコンサートがあるのだという。おお、生きていたんだ。
 が、「わかってください」と言われても「わかってやれない」顔だった。
 言っちゃあなんだが、「お年で顔がにじんでいた〜のでわかって〜やれない♪」のだった。

 (2017.06.17) △このページのトップへ

『ニューモード』5177

 シェアカーで走っていたら、『ニューモード○○」というお店があった。
 ニューモード。。。
 この言葉、なんだかちょっと古い気がする。
 この間書いた「カルチャースクール」的に。
 ニューモードこそオールドモードみたいな。
 ところで、妻は今、その「カルチャースクール」に行っている。
 さっきまで一緒だったのだが、14時からのお稽古だというので、ボクは一足先にバスで帰ってきたのだ。
 あと1時間もすれば帰ってくるだろう。
 それまでボクは昼寝でもしようと思っていたのだけど、あと1時間ではかえって中途半端かな?
 う〜ん、難しい選択だなあ。

 (2017.06.16) △このページのトップへ

『サイボーグ009のような頭』5176

 タイトルのような頭で起きてきた人。
 とっても眠そうに。
 今日は久方ぶりの2人でのお出掛け。
 月例の定期健康診断のマッツ先生に行き、それからベネチアのワインショップへ。
 昨夜のものすごい雷豪雨も収まり、なんとか歩いて駅のシェアカーまで行けそうだ。
 途中で便意を催さないかだけが心配・・・あっ!
 ここでペンを置きます。

 (2017.06.16) △このページのトップへ

『うれしいジョセキ』5175

 3番目の子どもからメールで、結婚することになったので戸籍謄本を送ってほしいと言われた。
 とうとうこれで全員、親の籍を出て独立するわけだ。
 子どもたちが社会に出たのはもうずいぶん前のこと。
 その時もうれしかったが、こうやって本人たちからスタートする新しい籍ができるのは、それとはまた違った感慨である。
 名実ともに、本当の意味で「巣立った」という気がする。親の責任が果たせたという気がする。
 ボクのバアイは、完全無欠の家族関係のまま、絵に描いたようにこの日を迎えたわけではない。
 倒産と離婚で、3人の子どもたちには金銭的にも精神的にも多大な負担をかけたと思っている。
 だから、それだけに、子どもがたち全員それぞれの伴侶を迎えて独立する日を待ち望んでいた。
 亡くなったり離婚したりの除籍と違い、これはボクにとってサイコーにうれしいジョセキです。

 (2017.06.15) △このページのトップへ

『カルチャースクール』5174

 今どき「カルチャースクール」という呼び名は古くないか?
 そーゆー話になった。
 妻がお習字の稽古に通うその「カルチャースクール」は、秋田駅前のロフトの中にある。
 先生はかなりお年を召した方だが、生徒さんはそれよりももっとお年を召しているらしい。
 新米の妻などはその方たちの娘さんぐらいの年齢の開きがある。
 ダントツ最年少。
 今どき「カルチャースクール」に通う人たちは、どうやらこーゆー年齢構成になっているようだ。
 しかも圧倒的に女性が多いのも特徴だ。
 ここにも、蚊の鳴くように老後を生きる「内向オジサン」より、大空を飛びまわる「人生謳歌オバサン」のパワーがさく裂しているのだ。
 ただ、どーしても「カルチャースクール」という呼び名は古臭い気が、ボクにはするのだ。
 もう一つ、ボクが気になっていることがある。
 妻が持っている会員証入れだ。
 大昔の免許証入れを思わせる、その深緑色のビニールケースがまた、何ともレトロなのだ。

 (2017.06.15) △このページのトップへ

『ライブも終わりキムチ解禁』5173

 妻が、料理の師匠であるタダスケさんに聞いたキムチレシピ。



 ずっと食べたかったのだが、ライブ前だったのでずっとお預けだった。
 キムチ臭い息もまずいけど、そのキムチ臭い息がサックスの本体を通過する図もいただけない。
 どんな名演奏も臭いものになってしまう。
 やっと食べた大満足な顔。



 (2017.06.14) △このページのトップへ

『たけのこ天使さんがお見えになった』5172

 昨日はなんと!
 たけのこ天使さんがお見えになった。
 50本ものたけのこ(曲がりたけ)を携えて。
 春先は「わさび天使さん」がお見えになっていた。
 うれしいことに、わが家はいろんな天使に好かれている。
 それとも、天使はこういう築40年の借家が好きなのだろうか?
 「天の恵み」とはまさにこのことで、とにかくいつも「おいしいもの」「今だけの旬のもの」を届けてくれる。
 ああ、なんてボクらはシアワセなんだろう。
 今気付いたのだが、「旬」という字と「筍」(たけのこ)という字は似ている。
 竹の旬が「タケノコ」だったのか。あるいは「旬」の代表格が「タケノコ」だったのか。
 このタケノコの一番おいしい食べ方を研究してみたが、やはりこれしかないようだった。
 それは「焼き」である。皮ごと焼く。そしてアッチアッチしながら皮をむき、塩っこちょっと付けていただく。



 この手のものに調理は要らない。シンプルイズベスト! エンジェルハズカム!
 その際、この呪文が必要になる。書くと5文字、言うと7文字の呪文。
 天使に感謝!
 である。



 あれ? そーいえば、さっきの天使、わさび天使に似ていたなあ。。。

 (2017.06.14) △このページのトップへ

『もっとお金持ちになりたい』5171

 表題の言葉を妻が吐くので、ボクはこう言ってやった。
「でも、あのどん底時代から見たら、ずいぶんお金持ちになったんじゃない? デパ地下で買い物もできるし」
 妻は、「そうね」と言いながら、「仕事を3日ぐらいボ〜ンと休んでも全然心配ないようになりたいわ」と、ずいぶんせせこましいことを言ってため息をつく。 
 話がせせこましく暗く「お父さん、お粥ができたわよ」状態になりそうだったので、ボクはコーヒーをいれながら、右肩を大きく上げてみせた。
「今にこうなるよ!」
 すると妻は、ポツリとこう漏らすのだった。
「私のほうから見ると右肩下がりだわ、それ」

 (2017.06.13) △このページのトップへ

『手に入れたいもの』5170

 今朝、体重計を見て2人とも真っ青になった。
 でも原因は分かっていた。
 昨日の夜、ずいぶんおいしい「煮物」と「混ぜご飯」を大量に摂取したからね。
 手に入れたいものがある。
 食っても食っても太らない体質。
 だけど、そのバアイ、お金がいくらあっても足りない。
 なら、こんなものがあればいいのに。
 使っても使っても減らない財布。
 そんなばかげた会話をひとしきりした後、「ふう・・・」「ああ・・・」となった2人である。

 (2017.06.13) △このページのトップへ

『目から蒸気が出ている』5169

 この時期のわが借家の庭は、白いマーガレットの花でいっぱいになる。
 なかなかイングリッシュガーデンっぽくっていいよ。
 で、今朝のこと。
 妻は勤務用のメガネをかけながらこう言う。
「右のレンズの一点だけがいっつも曇るのよ」
 それからメガネを外しレンズを拭いている。
 そういう動作が何回かあった。
 ボクはこんな疑問を持ってそれを見ていた。
 この人、目から蒸気が出てんじゃないかな? 

 (2017.06.13) △このページのトップへ

『たべっこどうぶつ』5168

 今、何十年ぶりに「たべっこどうぶつ」を食べた。
 なんか以前よりも「薄くね?」「しょぼくね?」「まずくね?」という話題になった。
 その意見が大勢を占めた。「大勢」といっても2人だけど。
 ささをたべるくろとしろの動物は?
 という、袋に書いてある問題もあまりにも簡単過ぎね?
 そして動物に焼印してある「hawk」の文字を「ハウク」と呼んだ人もいた。
「それはホークですよ。鷹のことです!」と言った人もいたが、どっちが誰でどっちが誰かは、本人の名誉のために伏せておこう。

 (2017.06.12) △このページのトップへ

『ボクはつくづく「ことな」なのだなあ』5167

 とにかく『その日』が終わった。
 緊張してあんなにやった練習の成果が半分も出せなかったけど、着物姿で駆けつけてくれた妻はもう手放しで大絶賛してくれた。一番かっこよかったと言われた。ヒュ〜ヒュ〜とはやされた。
 わが子の初めての運動会を見る親のような心持ちだったという。
 転ばないように、転ばないように、と手に汗を握りしめつつ、ハンカチをフリフリ最後まで走り切った息子を見ているような気持ちだったという。
「あらまあ、いつに間にこんなに上手くなって・・・」と、涙が出そうになったという。
 雨の日も風の日も練習に出ていくボクを見送り、 帰ると「今日は上手くいった」と狂喜乱舞、「今日は駄目だった」と戦意喪失、そんな感情のシーソーゲームの連続だったボクを暖かく見守ってくれた妻であった。唇の血豆や指のまめのつぶれを見て「かわいそうに」と言ってなでなでしてくれた妻であった。
 ご近所からの「近所迷惑!」「騒音公害反対!」「ラッパ吹き出ていけ!」のシュプレヒコールを全身で浴びながらも、ボクの盾となり人柱となって対応してくれた妻でもあった。
 そんな文句が書かれたプラカードをたたき割りたい衝動に駆られつつも、社会性を重んじてグッと耐えてきた妻であった。
 それにしても長かった。
 枯葉コンサートから1か月半は、ボクの人生の3年分に値するものだった。この初ライブを通して、ボクは自分のことを、本当につくづく「子どものような大人なのだなあ」とあらためて思った。
 年は十分に大人なのだけど、他の団塊の世代を中心とした50〜60代の出演者のように、潔く「これからの第二の人生を趣味として、自分のペースで音楽を楽しみたい!」という純粋で無欲な大人の諦念(というか「達観」)がないのだ。
 「中年にとっての楽器はかく楽しむべき」の正しい悟りを開いていないといいますか。
 まだまだ、「おれはやったるで〜!」「世界のジャズサックス奏者になったるで〜!」という、どっから来るのか訳の分からんギラギラした子どものような気質があって困る。そーゆー意味でボクは、まったく不純なのだ。潔くないのだ。
 そういう正しい達観を持った大人たちは、何だか見ていて楽しそうだ。たとえ演奏は下手でも「おれ、これ、やりたかったことなんだもんね〜」「ず〜っと企業戦士で自分の趣味は棚上げだったんだもんね〜」「定年になってから始めた老後の趣味の一環なんだもんね〜」「仲間もほらこんなにたくさんできたよ〜」「楽しまなきゃ損だよね〜」「家族も大賛成なんだもんね〜」「ほれ、昔の職場の同僚たちもみんな見に来てくれてるでしょ〜」「ほら、あそこで手振ってる〜」みたいな感じで、実に楽しそうなのだ。
 そういうオジサンたちがゾロゾロと大量にライブハウスの薄暗いステージに上がり、かぐや姫の『赤ちょうちん』などをアンサンブルでやっちゃう絵は、たまらなく「あ、いたいた。昔赤ちょうちんにこーゆー人たちいたいた!」的郷愁を醸し出すステキな風景なのだった。
 こういうオジサンたちが、緊張してビビりながらも、仲間の声援に応えて「小さく半分ガッツポーズ」などを取る光景も見ていてカワイイかった。
 中には、おそろいのアロハシャツを着たウクレレを持った女性陣を大量にはべらせてステージに立った「現代の光源氏」あるいは「モテモテハーレム男性」もいた。
 その方は、ボクらが秋田に来た頃(14〜15年前)、雑誌の取材の仕事を紹介された方だったので、懐かしい驚きだったわけだが、まさに団塊の世代にとって老後の理想形のような「ハーレム人生」を謳歌しているようであった。演奏曲の『アロハオエ』もそんな満ち足りた熟年ムードを演出していた。
 『大人の音楽レッスン発表会2017』というライブの名前が表すように、出演者は圧倒的に団塊の世代を中心とした「大人」が多かったわけだが、中には中学生や高校生もおり、それはそれで前途洋々的エネルギーが高かった。純粋にストイックに自分の「高み」を目指している感じがして好感が持てた。
 で、ボクはどちらかというとこっちの気持ちが強いように思うのだ。つまり、ボクは「大人なのに子ども」(ことな)なのだなあということをしみじみ思ったわけだ。
 そして、「大人」と「子ども」の間でどっちにも振り切れずに、チクタク行ったり来たりしているちょうどメトロノームの針のような存在、それが自分なのだなあ、ということを実感した。
 それがいいのか悪いのか? それは分からないけど、ボクは今、もっともっと場数も踏みたいし上手くもなりたい! そしていつかは世界のステージに立ちたい!!
 どこかでいわゆる「正しい大人の諦念(達観)」を身に付けざるを得ない時が来るかもしれないが、悪あがきと言われようが何と言われようが、それまではとんがっていたいのだ。メトロノームの振り子を「大人サイド」に簡単に止めたくないのだ。サックスを「楽しみ」はしたいけど、安易に「楽」になりたくはないのだ! 
 それにしても、ドキドキしたり、ハラハラしたり、ワクワクしたり、めげたり、舞い上がったり、責任感じたり、あがったり、下がったり、痛かったり、なんだりかんだりいろいろあったけど、この年にして、今さらこんなスリリングな体験ができるだけ、ボクは果報者だよね。
「もっともっと頑張んなさい!」と言ってくれる妻に感謝!!
 そして、こんなステージを提供してくれた教室にも感謝だ。
 これが終わったら教室はもうやめようと考えたこともあったけど、もう少し頑張ってみようと思った。
 人はいろんなご指摘やご忠告やお叱りを受けて成長する。それらは、たとえ耳には痛くても『ご金言』と呼べる有り難いものだ。
 それはまず親から与えられた。やがて恩師だったり親友だったりした。
 しかし、そんな親はもうとうに亡くなり、恩師もしかり、かつての親友は行方知れない者も多い。
 年を取るにつれ、自分に対する他人からの「痛い言葉」をとんと聞かなくなっていく。そして、自分も言わなくもなっていく。それが、波風立てないで穏便に生きるための「大人の知恵」とばかりに。
 でも本当はそれはさみしいことだ。愛情薄き緊急事態だ。
 歯槽膿漏で少し口臭がするようになったことや、後ろの髪の毛が立っていることや、飲むと理屈っぽく説教垂れになっていくことや、いびきがうるさいことや、ちょっといいことがあるとすぐ有頂天になっていることや、右肩が少し下がっていることや、寄せ箸は行儀が悪いということや、トイレでうんちをしたら窓を少し開けることや、そーゆーさまざまなことを、相手のために、相手が恥をかかないようにと、その一心で「だから気を付けなきゃ駄目よ」と言ってくれる人の存在は、実に本当に貴重で有り難いものなのだ。それがパートナーのパートナーたるゆえんなのだ。自分では自分のことは何も見えないのだから。特に大人になればなるほど、偉くなればなるほど、そーゆー嫌なところは見ないようになるものだから。
 その点ボクには最愛の(少し口うるさい)妻がいて、いつも上記のような、実にこまごましたことをボクにを教え、気付かせ、諭し、遠慮会釈なくビシバシ忠告してくれる。ああ、なんてありがたいことでしょう。シアワセなことでしょう。
 そんな妻を除けば、めったに人に叱られるようなこともなくなったいい年こいたオヤジを、自分の娘よりも十も若い、音大出たてのおなご先生がビジバシ叱ってくれる。
「ダメダメ、そうじゃなくって!」と鞭を振るわれ、「あ、すいません、すいません」と、うろたえながら冷や汗かきかきサックスを習っているオヤジの図。そうやって必死に世界を目指すオヤジの図。
 何だかそれも悪くない気がしてきた。

 (2017.06.12) △このページのトップへ

『泣いても笑っても吹けても吹けなくても』5166

 ついに『その日』が来た!
 外は嵐のような静けさ、かと思いきや「嵐のような嵐」だ。
 つまり大雨洪水大風波浪警報発令中なのだ!!!
 嵐を呼ぶ男とはボクのことか?!
 とにかくやるだけのこと、の百倍はやった気がする。
 特に、このラストの2週間はすごかった。
 Q番街からの「騒音反対!のくれーっむ的ご忠告」もあって、逆にボクは燃えた。
 病人や老人や赤ちゃんや参勤交代、いや3交代で寝ている人たちへの配慮のために、ボクは家で一切の音を出さなかった。少し臭くはなったが、おならも極力消音した。
 そして、外でこんだけ頑張った。エライ! あんたが大将!



 金もかかったし、時間もかかった。飲まず食わずの日々だった。(うそ)
 この間ボクは、一度もバンドメンバーに会っていない。
 忘れもしないあの日、前の日に譜面を渡されて臨んだ「合同練習」の日。
 ただ棒立ちしているだけだった恐怖のあの日。
 あの日以来、ボクは誰とも会っていないし顔もみんな忘れてしまった。
 今日だってリハーサルなどあろうはずもない。だって30組も出るんだから。
 なので、今日はあの日以来のいきなり「ぶっつけ本番」一本勝負なのである。
 また、ボクは実際の曲に合わせて吹いたことも一度もない。
 最後の最後まで、練習はメトロノームの「チクタク」に合わせて行われた。
 メトロノームだけがお友だちの、いわばチクタク練習だった。
 そんなある意味地味〜な練習を繰り返す日々だった。
 そして、ついにおとといの最後のレッスンにおいて、ボクは講師の先生からこんな言葉を頂いたのである。
「やすしさん、もう練習しなくてもいいですよ」
 この言葉は重い。幾つかの解釈が浮かんだ。
(1)今さら練習しても遅すぎます。もうあきまへん。あきらめなはれ。
(2)その指とその唇では痛々しくてかないません。少しお休みなはれ。 
(3)いやもう十分上達しました。ほんまによう頑張りはりましたなあ。
 しかし、先生の目を見てボクは分かった。(3)だと。ゼッタイ(3)に違いないと!
 そんなわけで、今日ボクは人生初のサックス奏者としてのステージに立つ。かっけ〜!
 出番はおそらく16時ごろではないかと思うが、最後の調整を10時からALVEで行って13時には会場に入る。妻は16時に別途駆けつけてくれるらしい。

 

 では、嵐の中をいざ出陣!
 妻の最後の忠告はこうだ。
「社会の窓だけは注意!」
 は〜〜〜い!!

 (2017.06.11) △このページのトップへ

『ビバリーフールズ』5165

 明日に本番を控えているのに、くだらん上にもさらに下らんことばかり書いているな、このばか!
 と、お思いでしょう。
 そうです。もう一つだけ書かせてください。
 こうやって自分を落ち着かせようとしてるんですから。現実逃避なんですから。
 わが家の裏側に隣接するQ番街は物音一つしない「静かな町」なのだが、表玄関側はそうじゃない。
 実ににぎやかな通りに、実にバラエティーあふれる人間が行き交う。
 ある時は、ハリウッドスターの『チャビン・コスナー』さんが、ゴルフ用具を車に積んで出掛ける光景を目にする。チャビンさんは読んで字のごとき頭髪の方だ。
 ゴルフの帰りは、足腰ガッタガタになって足を引きずりながら痛々しくご帰還になる。
 同じくハリウッドスターの『ジャンキー・チェーン』さんも見掛ける。
 彼はチェーンに油の切れた自転車を運転しているので「ギ〜ギ〜」うるさいチェーンさんだ。
 ボクらは彼のことを別名『ジャンジイ』と密かに呼んでいる。
 名前の由来は「ジャン」=「ジャンジャンバリバリ」=「パチンコ」である。
 つまりジャンキーさんは「パチンコ大好き人間」なのである。決して「ジャンク(がらくた)」から取った名称ではない。雨の日も風の日もチェーンをギコギコさせながら通う。その姿はいつも妻に目撃されている。
 あと、深夜コソ泥のように静かにゴミを出し入れしてくれる、ボクらにとってはありがたい「スーサン・ホーク」(名称の由来は複雑なので割愛)さんとか、その他にもおもろい方がたくさんいて飽きない。
 このようにハリウッドスターが多いことから、ボクらはこの街区を「ビバリーフールズ」と呼んでいる。
 ボクらのような「フールズ(Fools)おばか」も生息することから、勝手にそのような名称にした。
 こちらは向こうの「静か過ぎるQ番街」とは違い、ボクらにとってはヒジョーに水の合う街区だ。

 (2017.06.10) △このページのトップへ

『世界は2人のためにドーム』5164

 最近、お風呂場で大声で鼻歌演歌を歌えなくなった。
 お風呂場の方面(ボクらがQ番街と呼ぶ裏庭側)は、ご老人やご病気の方や乳飲み子ちゃんや参勤交代、いや3交代制のたち人が多く暮らすサイレントな界隈、つまりとても静かで、公共道徳と警防と社会秩序が遵守されている「モラル街区」と呼べる所なので、ボクのように田舎者で野放図な声高野郎は歌うことはおろか、うがいを「ゴロゴロペッ!」することもご法度なのである。あの事件の後、これまで呑気にのほほんと暮らしていたボクらにも、最近やっとそういう事情が分かってきた。
 なので、ボクは公然と堂々と演歌を歌えなくなってしまったので、最近は頭の中で、文字だけで演歌を研究しているのだ。
 まあ、それはいいとして。。。
 喫煙家が生きにくい社会になって久しいが、声の大きい人も生きにくくなった。
 特にこの裏側の町内はそうだ。本当に人んちの声はおろか、おならの音さえ聞こえない。
 そんな中で地声の大きいボクはいかに生きるべきか?
 地声の大きい人を人生の伴侶として選んでしまった妻はいかに生きるべきか?
 その答えがやっと出た。
 それは『世界は2人のためにドーム』の建設である。
 それを家ごとスッポリカブってしまえばいいのではないか。
 まあ、そういう結論になったのだが、どうやってつくるんだ、そんなもん。
 取りあえず、少しずつ、大型冷蔵庫の梱包用の発泡スチロールを集めよう。
 皆さん、ご協力よろしくお願いします。

 (2017.06.10) △このページのトップへ

『おいわちゃん』5163

 昨日、買い物当番だった妻は、いつもながらステキなものを買ってきてくれた。
 夕べはメインに『ブリの塩焼き』をおいしくいただいた。
 それ以外にも『イカ刺し』や『茗荷の肉巻き』などがあった。
 そして、今朝の大ご馳走も作っておいた。
 それが表題の『おいわさん』なのである。
 イワシに「お」を付けたくなるほど、大きくてふくよかな大イワシの煮つけ3尾。
 さっき、ガス台の上に鎮座しているお鍋の落としぶたをソッと取って開けて見たが、サイコーにうまそうだった。
「食べて、食べて、はよ食べて!」と申しておった。 
 ああ、よだれが出てきた。おいわちゃん、待っててね〜!

 (2017.06.10) △このページのトップへ

『続・演歌の歌詞から学ぶこと』5162

 演歌の歌詞から学ぶことは多い。
 かつて、お酒を飲むシチュエーションとして、どーゆーのが「いい」か教えてくれた歌があった。

 肴はあぶったイカでいい
 女は無口なひとがいい
 灯りはぼんやり灯りゃいい
 店には飾りがないがいい
 窓から港が見えりゃいい
 はやりの歌などなくていい
 ときどき霧笛が鳴ればいい


 ただ残念なことに、ボクはまだ八代亜紀さんの教えにのっとった酒場に行ったことがない。
 長い髪の女が似合う北の酒場通りにおける「いい女」とはどーゆーものかを教えてくれる歌もある。

 ちょっとお人好しがいい
 口説かれ上手なほうがいい


 しかし、どーもこの歌詞は男の都合のような気もしてくる。
 なぜなら、2番になると、北の酒場通りには涙もろい男が似合う、と言い始める。そしてこう続く。

 ちょっと女好きがいい
 瞳でくどけるほうがいい


 スギリョーのような流し目のできない男は駄目なのか? モテないのか?
 息子が二十歳になった時に、親父から一言言ってきかせようと思って作った歌もある。
 この手のものはたいがい説教じみたものが多いのだが、この歌はシンプルだ。

 いいか、男は生意気ぐらいがちょうどいい
 いいか、男は大きな夢を持て!


 明日、人生の初ステージに出陣するボクにとっては、ヒジョーに勇気を与えられる歌である。
 それにしても、ほんに演歌は勉強になる。演歌じゃないのも混じってるが。。。

 (2017.06.10) △このページのトップへ

『演歌の歌詞から学ぶこと』5161

 あんこ便りは片便りであること。
 港の女はお人好しであること。
 津軽には7つの雪が降ること。
 長崎から船に乗ると神戸に着くこと。
 与作はヘイヘイホーと樹を伐ること。
 おまえもいつかは世の中の傘になれというおふくろの教訓。
 人間働いて、働いて、働きぬいて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね! それが人間ぞ、それが男ぞ、そう教えてくれた母の教訓。(ああ、怖っ!)
 兄貴も親父似で無口な2人であること。
 波の谷間に命の花が2つ並んで咲いていること。
 汐のヌオイ(におい)は肌身にしみること。
 北に帰る人の群れは誰も無口なこと。
 通い妻だと笑った人の髪の匂いが懐かしいこと。
 などなど。。。
 いや、ほんに演歌は勉強になる。演歌じゃないのも混じってるが。。。

 (2017.06.09) △このページのトップへ

『2人で26時間働いた記念ディナー』5160

 なにしろよー働いたので、こんなものを飲んで、食べる権利ぐらいあるだろう!



 罰は当たらんだろう。



 わが家のワインはサイコーさ。



 わが家のハンバーグもサイコーさ。 



 この疲労と困憊と睡魔と充足が入り混じった顔を見よ!

 (2017.06.09) △このページのトップへ

『どっかで見たぞ』5159

 ハンバーグ(冷凍ストックしておいたもの)を焼こうと、ボクはバターを出した。



 あれ?



 なんかどっかで見たぞ。



 あ!! 



 半ケツを言い渡す?
 ボクのケツやないか!!

 (2017.06.09) △このページのトップへ

『キムチが楽になった件』5158

 今日は2人ともレッスンの日である。妻はお習字、ボクはライブ前最後のサックス。
 この日は妻の買い物当番。
 帰りの時間の関係で、妻は先に買い物を済ませてから、それを持ってお稽古に行くことにしている。
 今日のメニューは「豚キムチ」だった。これはニラとキムチの関係で「臭い」がヤバイのだが、ライブはあさってだし、なんとかなるだろう、と思っていた。受験生が受験前に勝利のために「カツ」を食うがごとく、ライブの成功のために臭いよりも元気と精力を優先したメニューだった。
 しかし、今朝、妻は起き抜けにこう言う。
「やっぱり、あれやめた。なぜって、ニラやキムチの臭いが教室中に充満する」
 そうして胸をなで下ろしている。
 気持ちが楽になった妻であった。
 キムチが楽になった妻であった。

 (2017.06.09) △このページのトップへ

『不審なオヤジが置いていったもの』5157

 代表のデスクからは外の様子がよく分かる。
 郵便配達の人などが来たバアイも当然分かる。
 で、昨日はなにやら怪しい風体のオヤジが、きょろきょろわが家を見回していたらしい。
 ポストを見るとこんなチラシが入っていた。
 『ご主人さま そろそろ塗装しませんか?』
 チラシにはプール付きのシャレた白い家が写っていた。



 ご主人?
 はいはい。でも、ボクはご主人はご主人でも、そーゆーことにはまったく決定権のないご主人なんですよ〜。

 (2017.06.09) △このページのトップへ

『ぶっ続け13時間労働完了!』5156

 ようし!
 終わった!
 13時間走った!
 2人で合計26時間働いた!
 ばかみたい!
 さあ、飲むぞ!

 (2017.06.08) △このページのトップへ

『働かざる者吹くべからず』5155

 新聞配達のバイクの音を仕事机で聞いている。
 つまり4時には起きて仕事をしているのだ。
 11日のライブに向けて、たまった仕事を片付けねばならんのだ。
 それはステージを観に来てくれる妻とて同じ。
 万障繰り合わせて・・・なのである。
 好きなことをやるために、自ら会場費を負担し、いろいろ万障繰り合わなければならないのは、ほかでもない。
 それはボクがまだ、お金を出して人様に聞いていただくほどの腕がないからと、生活していくためにはどーしてもこーして老体に鞭打って働かねばならぬ身の上だからである。
 つまり「働かざる者食うべからず」であり、「働かざる者吹くべからず」だからである。
 さあ、働くぞ〜!!!
 おっと牛乳配達も来たぜ!
 おはよう!!! そしてご苦労さん、お互い労働者諸君!!!
 君らも見にお出で! ドリンクチャージだけ500円ですよ!
 ・・・その日は、しあさってさ。

 (2017.06.08) △このページのトップへ

『初めての英語のように』5154

 初めて英語の教科書を開いた時、あなたはどうでしたか?
 世界がグローバルに拓けたような気になりましたか?
 イギリスの女の子は確か「ルーシー」ではありませんでしたか?
 男の子は「BEN」ではなかったですか?
 そして「これはペンです」と、分かり切ったことを言いませんでしたか?
 ボクは今、そんな忠一、いや中一(中学1年生)の気分である。
 初めてのサックスの授業で、最初の扉を開けた時のドキドキを味わっている。
 あの時の「これはペンです」に当たるものが、「素顔のままでの1分弱のソロ」だ。
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 This is a pen.
 ・・・・・・・・・・。
 たったそれだけのセンテンスをボクはもう34億6,342回も繰り返し繰り返し、返し繰り返し繰り、呪文のように吹き続けている。
 なんだかもうバカみたいになっている。
 時々、This is a fishになったり、This pen is appleになったりする。
 時々、気が狂ったように「ペンパイナッポーアッポーペン!」(Pen-Pineapple-Apple-Pen)になったりする。
 いけねえ、ピコ太郎が取りついている。振り払わねば!
 それにしても、ああ、あと4日。泣いても笑っても怒っても・・・あと4日。

 (2017.06.07) △このページのトップへ

『元あった所へ戻す』5153

 整理整頓の達人である妻が見つけ出した整理整頓の黄金ルール。
 元あった所へ戻す。
 これが鍵だね! なんたってこれが鉄則だね!
 ちょっと面倒くさいけど、その習慣を身に付けるだけで見違えるように片付くのだという。
 誰とは言わないが、教えてあげたい人がいるらしい。
 でも、その人はきっとこう言うだろう。
 それができるくらいならこうなってないわ!

 (2017.06.06) △このページのトップへ

『6月6日晴れ』5152

 6月6日は雨がザアザア降るものとばかり思って生きてきた。
 子どもの頃聞いた歌には案外「洗脳力」があるのだ。
 でも、今日は晴れ。昨日までの長雨がカラッと上がった格好だが、何だかものすごく寒い。
 そんな寒い(体感気温は氷点下)朝、よりによってボクらは5時前に起きて仕事だ。
 本当は4時前に既に起きていたのだが、寒くて布団を抜け出せなかった。
 いったいぜんたいどーなっちゃってんのかね、この天気。
 そんな寒い朝に限って、ボクらは用意してあった「ざる中華」を食べるはめになってしまった。
 茹であがった麺を水で洗う作業がきつかった。あかぎれになりそうだった。
 今日はぜひ昼寝をしたいものだなあ。
 ああ、寒い、眠い、寒い、眠い。

 (2017.06.06) △このページのトップへ

『源氏物語にはまる』5151

 光源氏が気持ち悪い。
 中年の臭みがものすごい。
 それでも若いおぼことの不義の恋に挑み続けるみっともなさ。ああやだやだ。
 相手に極度に気持ち悪がられているのに、そんなこととはつゆ知らず「いひひひひ」と、かえって燃え上がっていく中年男の愚かしさ。むさくるしさ。えげつなさ。
 それにしても、これが『源氏物語』なのか?
 源氏というのはこんなぶざまな男だったのか?
 知らなかった。。。
 なるほど、この小説が当時はもちろん、今も「永遠のベストセラー」であり続けるのもうなずける。
 ボクらは今、早く源氏が自業自得の最後を迎えることを期待しつつ、ワクワクしながら毎夜読み進んでいる。
 いやあ、これは今の世でもまったく色あせない面白い小説だ。
 さながら「イケメン・ボンボン・ロリコン・マザコン・ナルシスト」の因果応報型凋落物語といったところか。
 これは誰も知らないだろうけど、昔『完全無欠のロックンローラー』という歌をアラジンというグループが歌っていたが、あの歌の中で、完全無欠のロックンローラーに対して、コーラスで「あたいら女に無視されて」というフレーズがあった。まさに今、光源氏はこれだ! 完全無欠と思っているのは自分ばかりで、実は「あたいら女に無視され」始めているのだ。アラジンならぬ「ゲンジン」。。。
 ああ、面白い、面白い!
 おっと、そろそろサックスの練習に行かねば! 本番まであと5日しかないのだ。

 (2017.06.05) △このページのトップへ



■エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常2』バックナンバー(5100〜5150話はこちら)

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