こんな「オシゴト」やってます!  雑感  写真 | 映画


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★★★ 映画化MI決定! 豪華キャスト大出演! ★★★
抱腹絶倒! 笑いと涙の金字塔! 
笑いに飢えたすべての読者に捧ぐ「夏目椰子」乾坤一擲の勝負作!
「十六団子」をめぐる人間模様を、軽妙な筆致と独特のユーモアで描く、
待望の長編小説『十六団子』を、WEB読者だけに公開します。
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 ●『その死からすべては始まるのだ!』 (第1部〜第1章)
 ●『団子3人衆はツヨイのだ!』(第1部〜第2章)
 ●『愛宕村って?』(第1部〜第3章)
 ●『葬式の朝はこうして始まった』(第2部〜第1章)
 ●『お葬式』(第2部〜第2章)
 ●『そして十六団子は・・・』(第2部〜第3章)
 ●『終わりの始まりの終わり』(第2部〜第4章)最終章

 
 

何だこいつら! みんなどうかしてる! 前半のクライマックス。(作者注釈)

第1部〜第3章『愛宕村って?』

1『フランソワーズ』

 二所谷は、祭壇を取りにいったん会社に帰ったので、貴志たちの家はスミたち4人だけになっていた。霊柩車を見送ったスミは、急に別人のようになって目をらんらんと輝かせながら、
「おい、かなめの部屋さ行ってみるど!」  
 と言った。家の中を物色すると言うのである。彩はもちろんのこと、マチものり子もさすがにその提案には乗らなかった。
「あいい、やめれ。スミ、おら見ねど」  
 のり子が言った。マチも、
「おらも見ねえ。やだもの、そいなの」  
 と言って取り合わなかった。
「おい、彩! 行ぐが?」  
 彩は、さすがにこれは注意しなければと思い、
「いや、それはやめたほうがいいかと・・・」  
 と、控えめに言った。
「フン!」  
 スミはそう言って、彩の制止も聞かずズンズン廊下を進んでいくと、昔かなめの寝室だった部屋のドアを開けた。
「こごが、かなめの部屋だったんだが・・・」  
 スミは、今では全く面影のなくなった部屋の中をキョロキョロと眺め回すと、ベッドの枕元にあった人形に目を留めた。それは、美樹たちが新婚旅行でパリに行った時に買い求めた、決して安くはないフランス人形で、フランソワーズというネームタグが付いていた。  
 スミはソッと人形を手に取ると、うっとりした目でそれを抱きしめた。フランス人形は、精巧な刺繍の施された美しいシルバーのシルクドレスを身に付けていた。
「ふうううっ」  
 スミは妙な声でため息をついた。
「あっ、あ、あん。あっ、あ、あああん・・・」  
 スミは何やら気色の悪い声を出して身もだえした。
「やっぱり、南蛮もんっつうのは、ふうううっ・・・違うもんだなや」  
 スミは、光り輝くドレスをうっとりと見詰めているうちに、しょぼくれた瞳がだんだんうるんできた。
「おらの人形さも、この服・・・」  
 スミの目が今度は急に光を放った。
「着・せ・で・みでえ!」  
 スミは野太い声でそううなると、狡猾な目でドアのほうを見た。  
 誰もいないことを確かめたスミは、いきなり乱暴な動作で人形を裏返しにした。そして、ドレスのファスナーに手を掛けた。
(オッ、オッ、スクール!)*フランス語で「やめて!」の意。  
 フランソワーズが、か細い声で抵抗したように見えた。  
 やがて、意識を失ったフランソワーズのドレスは、理性を失った『おいはぎババア』の手によって、あっという間にはぎ取られてしまった。
「へっ、へっ、へっ、へっ・・・」  
 スミは満足そうに笑うと、はぎ取ったドレスを、粉の付いた前掛けのポケットにしまった。それからスミは、シミーズとズロースだけになった哀れなフランソワーズをベッドに寝かしつけると、気色悪いほど甘い声でこうささやいた。
「ねんねすっ時はなあ、こうやって服っこ脱ぐもんだどお」  

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2『湯上がり娘』

「あいい、ほんとにスミでば、くせ悪くて困ったもんだわ」  
 目と鼻の先で、そんなおいはぎ行為が行われているとはつゆ知らぬマチは、うんざりした顔でのり子に話し掛けた。
「だーがら、スミの一番好かねえどごだよ」  
 のり子もそれに同調した。  
 そこへ、ひと仕事終えたスミが何食わぬ顔で戻ってきた。
「彩、冷蔵庫さ何があったが?」  
 スミは、前掛けのポケットを手で押さえながら言った。
「何かって・・・えっ?」
「何が食うもんだ」
「えっ? さあ?」  
 彩が返答に窮していると、スミは腰を曲げて冷蔵庫に突進してきた。スミは伸び上がって冷蔵庫を開けると、順番に中を点検していった。
「こごさナスある。ジャガイモもあるな。このトマトうまそうだごど」  
 スミは、一番下の野菜庫を開けてそう言うと、今度は上の段に目をやった。高そうな大きな瀬戸の鉢に入ったタケノコとフキの煮付けがあった。
「おっ、うまそうだごど!」  
 スミはのどをゴクンと鳴らした。  
 タケノコとフキの煮付けは、割烹中川から差し入れられたものだった。  
 スミは一通り冷蔵庫の物色を終えると、今度は、冷蔵庫の脇に置かれた紙袋の中をのぞいた。昨日、美樹が買ってきたお菓子やジュース類がたくさん入っていた。
「あのう、枝豆ならありますけど」  
 彩は、自分の持ってきた枝豆をスミに差し出そうとした。
「おう、そっちの飯台さ置げ。この煮付けもな」  
 スミはそう言って、もなかの入った袋とせんべいの入った袋を小脇に抱え、右手にはウーロン茶の入ったペットボトルを持って居間のテーブルに向かった。
「あいい、スミ。勝手に食っていいのが?」  
 マチが言った。
「当たりめえだ。こっちだってそのぐれえの権利あるべよ」  
 スミは袋をバリバリ開けて、ボリボリせんべいを食い始めた。
「彩、コップ持ってきてけれ」  
 スミの注文に、彩がコップと枝豆を持っていくと、マチは枝豆に手を伸ばし、
「あいい、うんめえ! これ、彩ちゃんの豆だが?」  
 と聞いた。
「ええ、これは『湯上がり娘』という新種みたいです。隣のリン子さんに種をいただいたんです」
「んだが。リン子は熱心だがらな。あれは意地あっからいいんだよ。少しでも上手ぐできねえと、ぜーんぶぶん投げるんだって。おらだば、もったいねえど思うんだけど、一切残らずみーんな投げるんだ。リン子はそういう意地があるもんな」
「そうですね。そういうきっぷの良さっていうのも大事なんでしょうね」
「んだんだ。百姓だって、ピンからキリまであってさあ。おらなんかはキリのほうだげど、のり子も上手だど。なあ、のり子」  
 急にマチに振られたのり子は、顔を少し赤くして、
「それほどでもねえが」  
 と言って照れると、ウーロン茶をグビッと飲んだ。
「のり子さ意地あるどは、おらには思えねえどもな」  
 スミが話に水を差した。
「んにゃ、ほんたらごどねえど。のり子だってこう見えで結構意地あんだど。なあ、のり子」  
 マチが言った。
「意地っつうわげではねえが、おら、誰さも負げねえごどはある」  
 のり子が言った。
「えっ? 何ですか?」  
 彩が身を乗り出した。
「ああ」  
 のり子はコップをテーブルの上に置くとまじめな顔で、
「スイガの種飛ばしだ」  
 と言った。  

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3『スイカの種飛ばし』

(スイカの種飛ばし?)  
 全員ポカンとなった。
「カギの種もあんべえいい」
(・・・)
「ブンドの種でもいい」  
 涼しい顔でのり子は続けた。
(ブドウの種も!)
「ちなみに、どれくらい飛ばせるんですか?」  
 彩が興味津々で聞いた。マチが、うんうんとうなずいた。  
 のり子は天井を見上げて、
「なあに、火の見やぐらのてっぺんまで、おら飛ばしたごどある」  
 と言った。
(ええっ!)  
 例えば道路の端から何メートルとか、畑の何畝分とか、そういう水平方向の距離を想像していただけに、彩はカックラキンになった。
(そうか、上に飛ばすのか。それにしても、あの火の見やぐらのてっぺんまで届くって、すごいことなんじゃない!)  
 彩は、火の見やぐらの下に立って、空を仰ぎ、思いっきりほっぺたを膨らませているのり子の勇壮な顔を想像してみた。
「あいい、おめえ、それだばすごいべ。10メートルも上さ飛ばすってが!」  
 マチも驚いている。
「なして、上まで飛んだって分がったのや?」  
 スミがまた茶々を入れた。のり子は不思議そうにスミの顔を見て、
「んだって、ユンボ、やぐらの上がら見でだもの」  
 と言った。
(なるほど、上に上がっているユンボさんの所まで届いたんだな)  
 彩はのり子の話は信ぴょう性があると思った。スミは、それ以上の突っ込みができなくなった。
「おらリンゴの種でも成功した」
「へえー!」  
 みんなはあっけにとられている。
「メロンの種はダメだった」  
 のり子は、最後に残念そうにそう言って、またウーロン茶をグビッと飲んだ。
(確かにメロンの種は軽いし、空気抵抗があって無理そうだわ)  
 彩は、ますますのり子の話が信用できると思った。
(ちなみにカボチャの種は大丈夫そうだわ。梅干しの種はどうだろう? 聞いてみたい!)  
 彩がのり子に尋ねようとした時、
「それにしても、あのアバ」  
 と、もなかをモゴモゴほお張りながらスミが言った。  
 彩は話がまた美樹の悪口になると思って、わざと話題を変えた。
「あのう、団子のことなんですが、明日は今日よりも大変なんですか?」
「明日は、十六団子も作らねばねえがらなあ」  
 せんべいをバリバリ食べながらマチが答えた。
「えっ? 『も』ってことは、今日の団子も?」
「ああ、ログゴの団子も新しぐ作り直さねばねえがらな」  
 マチが言った。
「えーっ! またあの作業をするんですか?」
「んだよ。驚いたべ、彩ちゃん」  
 驚いた彩を見てマチがほほ笑みを向けた。
「じゃあ、もっと時間が掛かるんじゃ・・・」
「明日は4時集合だ!」  
 スミがバシッと言った。
(ええっ! 4時って朝のお?)  
 目を丸くしている彩に、スミは、
「葬式が11時だがら、4時でも遅いぐれえだ」  
 と言って枝豆をつまんだ。
「スミ、これがら何とすんだ? あどやるごどねえべよ」  
 のり子が言った。
「火葬がらみんな戻ってきたら、あど帰ってもいいんだべ。なあ」  
 マチが言った。
「オダヤっこの料理は中川で用意するっつったけなあ」  
 のり子が言った。
「ほしたら、おらだぢ、何もすっこどねえべよ。なあ、スミ」  
 マチが言った。  
 スミは、枝豆にはまったらしく、バグバグ口に運んでいたが、
「貴志がらも、アバがらも、おらは何も聞いでねえ」  
 と言って、また豆をほお張り、
「今日はそごで終わりだ。もどもどおらだぢは『留守番』なんだがらな」  
 と、嫌みを込めて言った。  
 時計は2時半を回っていた。留守番チームの3人は、割烹中川の煮付けや彩の持ってきた枝豆、お客さん用に美樹が買ってきたお菓子などをあらかた食い終わると、その辺にあったクッションや座布団を枕にして、思い思いの最適なポジションを確保し恒例の昼寝を始めた。
(あの時もこんなだったわ)  
 彩は食器を片付けながら、愛宕村に来て間もない頃、マチに誘われて参加したお彼岸の『念仏』のことを思い出した。  

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4『ミセスホーメン』

 念仏は、春と秋の彼岸の中日に行われる村の恒例行事の一つだった。好奇心旺盛の彩は、村の伝承行事を見てみたいという純粋な向学心でそれに参加した。
「彩ちゃん、今回はおらだぢの班が当番だがら、若い人にも参加してもらいてえんだが」  
 いつもの尼僧のようないでたちで勝手口から現れたマチは、そう言って彩に笑顔を向けた。
「はい、是非どんなものか見てみたいです」
「そうが。だば、あさっての朝迎えさ来っからな」
「はい、何か用意するものは?」
「ああ、別にないけど漬け物あったら、持ってきてくれればいいな」
「漬け物ですか?」  
 彩は、そう言われて困った。村に来てから、いつも隣のリン子からおいしい漬け物をいただくばかりで、自分で漬けたことなどなかったからだ。その顔を見て、マチは笑顔になって、
「なんも、なんも。ながったらいいんだ」  
 と言った。マチは続けて、
「みんなに振る舞う赤飯を炊くんだが、その材料やお菓子はこっちで用意すっから。そのジェンコは、あどで当番全員で割って集めるがらな。なあに、1人200円ぐらいのもんだべ」  
 と言って、ノッタリクッタリ帰っていった。  
 念仏当日の朝、彩がエプロンを掛けて待っていると、マチと連れ立ってリン子、そして剣持杉子、宮下フキノが現れた。4人とも漬け物のタッパーや赤飯のお重が入っていると思われる風呂敷包みを手にぶら下げている。  
 83歳になる剣持杉子は、長年中学校の社会科の先生をしていた人物で、貴志や周平もかつて教わったことがあったが、非常に厳しい先生として生徒から恐れられていた。特に遅刻や忘れ物にうるさく、とりわけ忘れ物の多かった邦彦などは、学生服の背中に『ぼくは忘れ物王です!』という紙を貼られて、校内はもちろん、愛宕村を1周させられたりしたものだ。『鬼ケン』。当時、生徒たちは彼女をそう呼んでいた。しかし、80を過ぎた鬼ケンは、さすがにかつての勢いは衰えた。耳が遠くなったばかりでなく、行動にも奇異なところが目立つようになっていた。
「ホーメンッ!」  
 朝の4時に玄関の戸を開けて叫ぶ声がする。周平と彩は、初めは何か急なことかと思って飛び起きた。頭にところどころ脱色した水色の巨大なヘアキャップをかぶり、つぎはぎだらけの煮染めたような、しょっぱそうな色のモンペを履いた剣持杉子が玄関先に立っていた。
「あっ、先生。おはようございます。あのう、何か・・・」  
 周平が目をこすりながら聞いた。彼女は格子柄のパジャマ姿の周平を、上から下までまじまじと眺めた。
「ホーメンッ!」
(えっ? ホーメンって、もしかして『ごめんください』の『ごめん』のことなのかな? だとしたら、俺は目の前にいるじゃないか。それにしても、こんな時間に一体)  
 周平は、何が何だか分からなかった。心配になった彩が周平の後ろから顔を出した。
「あっ、おはようございまーす」  
 恐る恐る彩があいさつをした。
「ホーメンッ!」  
 剣持杉子は、裏返ったような息を吸い込みながら言葉を発するときのような、奇妙な声でまた言った。
(ちょっと変じゃない?)  
 2人は同時に同じことを考えた。剣持杉子は、上がりかまちの上に置かれた回覧板を指さした。
(あっ、これを持ってきたのか)
「ああ、回覧板ですね」  
 周平が言うと、剣持杉子は何も言わずクルリと向きを変え、玄関の戸も閉めずに帰っていった。
(うーん、ちょっときてるかもな)  
 周平は、回覧板を取り上げながら思った。
(いってまってるかも・・・)  
 彩も同様のことを考えていた。  
 それからも回覧板がある度に、必ず4時に彼らは起こされた。居留守を使ったこともあったが、彼女は執拗に、ひきつけを起こしたような変な声で「ホーメンッ!」を繰り返し粘った。剣持杉子の発する言葉は、「ホーメンッ!」だけだったし、いでたちもいつも同じ、大きなヘアキャップとつぎはぎのモンペだった。彼らは、この迷惑極まりないおばあさんを、『鬼ケン』改め『ミセスホーメン』と名付けた。    

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5『ミセスホウレン』

 一方、宮下フキノは86歳になるおばあちゃんだった。彼女も未亡人倶楽部のメンバーで、その年で独り暮らしを続けながら野菜作りに精を出していた。
「おら、腰抜げだあ」  
 ピンク色のビニールひもできれいに結わえたホウレンソウの束を抱えて、フキノは現れた。
「えっ? どうしたんですか?」
「このめえの地震だあ」  
 そう言えば1週間ほど前、震度3ぐらいの地震があったことを彩は思い出した。
「ああ、地震ありましたねえ」
「うんだ。鍋も釜もみーんなガジャンガジャンガジャンガジャーンって落ぢできたんだ。おっかねがったあ」  
 フキノは、そう言って本当に怖そうな顔をした。
「手足こう、ブルブルブルブル震えで、おら、腰抜げだんだあ」  
 フキノは、冗談でなく本当に腰が抜けたのだと言い、救急車を呼んで病院に行ったのだと彩に教えた。
「じゃあ、ほんとに大変だったですね」  
 彩が同情して言った。
「うんだ、この年んなるど、何もかんも本当に気弱ぐなって、ビグビグビグビグ生ぎでるんだ。息子もさーぱ帰ってこねえし。おら独りぼっつでせづねえ。生ぎででもなーんもおもしれえごどもねえ。早ぐじいちゃん、おらどご呼ばってければいいなあ」  
 気丈な村の老人たちの中にあって、フキノはくどいたり弱音をはくことが多かった。
「またまた、何言ってるんですか。おばあちゃんは百歳まで生きますよ。こんなに元気なんだもん」  
 彩が言うと、フキノは金歯の前歯を出してニコッと笑って、
「ほれっ、これ食べるが?」  
 と、抱えていたホウレンソウの束を渡した。
「わあ!」  
 フキノはこんなふうにして、穫れた野菜を持ってしょっちゅう彩の所へやってきた。彩はいつもフキノの愚痴やくどきを聞いてあげた。フキノの作る野菜はどれもおいしかったが、特にホウレンソウが葉ぶりも良く甘くて格別だった。その秘訣を聞いた彩に、フキノは少し照れながらこう答えた。
「おらのホウレンソウは、田の肥料やってるがらうめえんだ」  
 野菜作りを研究中だった彩は、
(窒素系の肥料が葉っぱにいいっていうけど、田の肥料もそうなのかしら)  
 と、興味深く思った。彩はひそかに、このホウレンソウの上手いおばあちゃんを『ミセスホウレン』と呼んでいた。  

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6『村の念仏』

「念仏初めでだが?」  
 念仏の会場になっている村の集会所に向かう途中、そのミセスホウレンが彩に聞いた。
「はい、初めてです」
「年寄りばっかしで、さーっぱりおもしれぐねえど。おら年寄り嫌いだ」  
 リン子が口を挟んだ。まだ58歳のリン子は、声も大きかったし顔は激怒したソフィアローレンのようで怖かったが、本当は心根の優しい竹を割ったようなサバサバした性格の人で、彩にはいつもよくしてくれていたし、彩も大好きだった。
「はっはっはっはっ、まあ、そう言うなや。おめえだってそのうぢ、年寄りになるんだがら」  
 マチがケラケラ笑いながらリン子に言った。  
 ミセスホーメンは終始無言で黙々と歩いていた。
「彩ちゃん、あどで店さ行って『どん兵衛』買ってきてもらいてえんだが」  
 マチが言った。
「どん兵衛ですか?」
「ああ、40個頼んである。11時半になったら行ってきてくれるかい?」
「あっ、はい。どん兵衛40個ですね。11時半っと」
「おらも手伝ってやっから。1人じゃ大変だ」  
 リン子が言った。
「ダメです!」  
 今まで沈黙していたミセスホーメンが口を開いた。
「11時でなければダメです!」
「あいい、なして。30分前でいいべよ」  
 マチが言った。
「ダメです、ダメです、絶対ダメです。買い物に行く時間、買ってる間の時間、帰ってくる時間、みんなに配る時間、湯っこ注ぐ時間、出来上がるまで時間、全部合わせれば、30分では足りません!」  
 彩は、この時初めて「ホーメンッ!」以外の言葉をこの人から聞いた。ミセスホーメンは、周平から聞いていた昔の厳格な鬼ケンそのものだった。マチは仕方なくミセスホーメンの言うことに従うしかなかった。
「彩ちゃん、11時だどよ」  
 マチが珍しく投げやりに言った。
「はい、分かりました」  
 彩がそう答えてリン子を見ると、リン子は、ミセスホーメンの見えない所で頭に指をツンツンさせて、
(この人ちょっと変わってるから)  
 というポーズをした。  
 集会所のカギを持っていたのはミセスホーメンだった。ミセスホーメンは、厳格な仕草でガチャガチャと鍵を開けると、腕時計を見て、バインダーに挟んだ「集会所使用許可証」に入館時刻を書き入れ、その隣に入館者名を書いた。
(先生時代の習性なんだろうなあ)  
 彩は思った。  
 念仏の当番の残りの2人は、太鼓と鉦と大数珠を取りに神社へ行っているということだった。
「あなた! テーブルを出しなさい!」  
 いち早くパイプ椅子に座ったミセスホーメンは、バインダーをひざの上に置いて足を組むと、彩に向かってそう言った。
「テーブルですか?」
「こっち、こっち」  
 リン子が手招きをした。  
 彩が行くと、
「いっつもあれなんだ。一体自分は何様だど思ってるんだべ」  
 と言った。  
 彩とリン子が会議用のテーブルを、足をたたんだままの状態で座敷の周囲に並べた。
「次! 座布団を出しなさい。全部で38枚!」  
 ミセスホーメンはそう言って彩たちに命令すると、今度は台所にいるマチたちに向かって、
「そちらは、コップと皿とはしを用意しなさい。38!」  
 と言った。
「あいい、何だべ。軍隊みでえだなや」  
 マチはそう言って、いまいましくミセスホーメンをにらんだ。  
 座布団を出しながらリン子はヒソヒソ声で彩に耳打ちした。
「自分は何もしないで、ああやって命令してるだけ。ああ、おら好っかねえ」
「こらっ! そこ、無駄口たたかない!」  
 リン子は口を尖らせると、ぞんざいにミセスホーメンの方向に座布団を放り投げた。  
 そこへ、神社へ行っていたばあさんが2人、念仏の道具一式をリヤカーに積んで戻ってきた。ヒサという前歯のないおばあさんと、さなえという腰の曲がったおばあさんだった。彩がびっくりしたのは『大数珠』という巨大な数珠だった。
「キングコングのネックレスみたい!」  
 彩は思わず叫んだ。
「はははっ、上手いこと言うな、彩」  
 リン子が笑った。  
 彩は、以前見た映画で、おうめさんというおばあさんたちが阿弥陀堂に集まって念仏を唱えているシーンを思い出した。
(ああ、これがそうなんだあ)  
 大数珠は座敷の中央にグルリと置かれ、その周りにも座布団が敷かれた。マチは一番奥の要の位置に座ると、30センチほどの長さに切り揃えられたわらの束を風呂敷包みから出して、その前に紙の箱を置いた。
「さっ、始めるがら座ってけれ」  
 マチが号令を掛けた。
(えっ? まだ誰も集まってないのに?)  
 彩はとにかくリン子の隣に座った。  
 タンタンタンタンタンタンタンタン・・・・。  
 ものすごい早打ちでミセスホウレンが太鼓を叩いた。彩のひざ元を数珠が、すごい勢いで通過していった。彩は慌てて数珠を握った。最初はあっけにとられていた彩だったが、だんだん分かってきた法則があった。それは、  
 1つだけある大きな珠(親玉というらしい)が自分のところに回ってきた時に、その人はそれを持ち上げて拝む。  
 マチの所(中立というらしい)の所に親玉が行った時に、鉦の担当のさなえは鉦をカンカンカンカンカンカン・・・と打ち鳴らす。  
 マチはその時に1本ずつわらをつまんで、それを紙の箱に移す。  
 という、単純と言えば単純な動作の繰り返しだったが、回ってくるスピードがあまりにも早くて、親玉をつかみ損ねて手にぶつけたり、拝もうとして頭にぶつけたりと、著しく危険を伴うものだった。
(あの映画とは違う。これは相当な荒行だぞ)  
 彩は、神経を集中してこのグルグル単純作業に当たった。それでも、親玉は何度も彩の手とおでこを直撃した。
(それにしても、人があまりにも足りない)  
 彩が周りを見回してみると、数珠を回しているのは中立のマチ、そしてヒサ、リン子、彩の4人しかいなかった。ミセスホーメンは相変わらず入り口のパイプ椅子に座って、みんなに監視の目を光らせている。  
 30分もしないうちに法則の1つが崩れ出した。それは、マチのつまむわらの本数だった。
「あいい、昼間まで終わらねえ」  
 マチはそう言いながら、1本ずつつまんでいたわらを3〜4本に水増しした。そのうち、わらは10本ぐらいの束になった。さすがのミセスホーメンも、マチのこの不正は暴けないようだった。箱に移されるわらはどんどん増えていった。  
 トントン、トト、トトトン、トント、トトン、トト・・・。  
 今度は太鼓のリズムが狂い始めた。
「太鼓の人! 合ってない!」  
 ミセスホーメンの声が飛んだ。  
 そうやって厳しい監視の目が光る中、延々とグルグル単純作業は繰り返された。
「11時! どん兵衛班は出発しなさい!」  
 ミセスホーメンは時計を見ながら叫んだ。彩とリン子は大数珠の輪を抜けて買い出しに出発した。
「しかし、どうしてどん兵衛なんですか?」  
 村に1軒しかない雑貨屋、坂田佐間之助商店、通称『さかさま商店』に向かう道すがら、彩はリン子に聞いた。
「昔は握り飯でも持ってきてやってたんだろうけど、みんな貧しかったがら、どん兵衛が出だころは、たいしたごちそうだったんだべな。みんなそれを楽しみにして集まってきたんだべよ。それが今でも続いでるんだど思う」
「へえ、なるほど。ところで、どうしてみんな集まってから始めないんですか?」
「だって目的が違うんだもの。念仏は当番がやるもんで、ほかの人だぢは当番のもてなしで、ただ遊んでればいいってごどになってるんだ」
「へえー、そうなんだあ」
「今からそのごとがよっぐ分がっから」  
 リン子が言った。
「へえー」
(あのことも聞いてみようかな)  
 彩は気に掛かっていたことを、リン子に尋ねてみたくなった。
「あのう、回覧板のことなんですけど・・・」
「うん」
「なんであんなに早いんですか?」  
 リン子は、ああというふうに笑って、
「オニケンだべ。そうか、彩の家に回ってるのが。今年から順番変わったがらな」
「ええ、朝の4時っていえば・・・ねえ」
「まあここら辺では、起きてる家は起きてるんだけどな」
「へえ、そうなんですか?」
「うん、農繁期はな。だども、回覧板回すだけのために、わざわざ寝てる人を起こさなくてもいいんだよ。郵便受けさ入れるだけでも済むんだがらさ」
「ええ、できれば・・・。ねえ」
「去年までは、おらの家に回ってきてたんだけど、おらは寝たふりこいでだよ」
「でも、なかなかあきらめないですよね。ミセスホーメ、あっ、いや、あの方」
「うん、おらはニワトリの声だど思って、知らんぷりして寝でだよ。おらの家のニワトリの声どそっくりだがら」
「ああ、なるほど。そう言えば似てますね。なるほど」  
 彩は、ひきつけを起こしたように鳴くニワトリを思い出しておかしくなった。
「さすがにしばらくすっといなくなるんだっけよ。撃退セイコーってわけだ」  
 リン子はそう言って笑った。
「なるほど、それいいかも」  
 彩はミセスホーメンの撃退法を、周平にも伝えようと思った。  
 さかさま商店からどん兵衛の箱を2つずつ抱えて2人が戻ると、念仏のグルグルは既に終わっており道具類も片付けられていた。そして、テーブルには赤飯やお菓子、湯のみなどがセッティングされていた。彩は、ミセスホーメンの指示に従って、大きなやかん2つにどん兵衛用の湯を沸かした。漬け物は、彩を除いた当番全員が持参していた。
「おらの少ししょっぺがった」  
 マチが自分のタッパーを開けながら言った。ナスの漬け物だった。
「おらのも少し色、本当でねくて」  
 ミセスホウレンが言った。キュウリの漬け物だったが、確かに少し色が悪かった。
「リン子はいっつも1等賞だが、どれ、なんたもんだ?」  
 と言って、マチがリン子の漬け物をつまんだ。  
 バリッ、バリッ・・・。
「ん? うっ、うんめえ!」  
 マチが驚いて叫んだ。彩も、
「いいですか?」  
 と言って、しその色が付いた大根の漬け物をつまんでみた。
(ああ・・・)  
 何とも言えないうまさだった。リン子は、全部で6種類もの漬け物を持ってきていた。
「これ、道の駅にも出してるんですか?」  
 彩が聞いた。
「ああ、いろいろ出してみて、モンタリングだかってものをしてるんだ」  
 リン子はそう言ってはにかみ笑いをした。
(モニタリングなんて、すごい!)  
 また今日も、リン子が漬け物1等賞になることは間違いなかった。  
 ミセスホーメンも、立派なお重に入った自分の漬け物を広げた。
(んっ? 臭い!)  
 営業マンの夏の靴下のような、すえた臭いが辺りに広がった。全員がミセスホーメンのお重を見た。ホーメンは、さすがに自分でも臭いと思ったのか、一口食べてみて、
「ん? 少し酸っぱがったようだな」  
 と言って、お重のふたを閉じた。  
 ちょうどお湯が沸く頃になって、ばあさんたちが集まり出した。彩はお湯を1個1個どん兵衛に注いだ。驚いたことに、別に誰かのあいさつがあるわけでもないまま、ばあさんたちは来た人から順番に勝手にお膳にはしをつけ、勝手にズルズルとどん兵衛をすすった。  
 バリッバリッ、ズルズル・・・。  
 しばらくそういう音が座敷を満たした。同時に、カツオブシとたくあんの混じった臭いも座敷中に充満した。
「このガッコ誰のだ?」  
 叫んだのはスミだった。ガッコというのは、雅香、すなわち京都の御新香の意味で、この地方に残っている言葉だ。
「リン子だ、リン子」  
 マチが答えた。
「やっぱりリン子が。おめえ1番だ」  
 スミが言った。
「んだんだ」  
 多くのばあさんが相づちを打った。  
 ミセスホーメンは、自分のお重も広げてみたが、誰にも見向きをされなかったばかりか、
「ウッ、臭え! 誰のガッコだ」  
 と言われて、仕方なくしまうしかなかった。  
 しかし、ホーメンがひそかに、自分のお重の空いているスペースに、リン子の漬け物をビッシリ詰め込んでいたことを彩は見逃さなかった。
「どれ、おらさも食わせろ」
「こっちさも回せ!」  
 やはり、リン子の漬け物は1等賞だった。そんなふうにして、ひとしきり漬け物の品評会やら、茶飲み話をしていたばあさんたちだったが、1時を過ぎる頃になると、誰からともなくゴロンと横になり始め、しまいには、座敷一杯に広がって一人残らず寝てしまったのである。ばあさんたちは心得たもので、しっかり座布団を枕にしてスヤスヤと気持ち良さそうな寝息をたてている。
(えっ? うそっ! 寝ちゃうの?)  
 彩は、予想もしていなかった行動に思わず目を丸くした。
「さあ、おらだぢも寝るど」  
 マチはそう言うと、自分も空いているスペースに座布団を敷いて寝てしまった。
(えっ? どうすればいいの?)  
 気付くと、寝ていないのは、彩とリン子とミセスホーメンの3人だけだった。ミセスホーメンは、相変わらずパイプ椅子に座ったまま座敷中に監視の目を光らせている。
(念仏って・・・)  
 彩は、リン子の言っていたことの意味が分かったような気がした。  
 ばあさんたちは4時頃になってようやく起き上がり、
「ああ、寝だ、寝だ」  
 などど言いながら、三々五々家に帰っていった。後片付けを終えた当番もおのおの帰り支度を始めた。
「彩ちゃん、なんとだった?」  
 笑顔でマチが聞いた。
「あっ? ええ、まあ。ねえ・・・」  
 彩は返答に困った。
「今日掛がったジェンコは1人分162円になる。どん兵衛の分は、来ねがった家がらの300円で間に合ったがら」  
 マチが言った。念仏に来られない若い夫婦世帯は、「わら代」として300円徴収されるルールになっていた。マチは162円はあとで自分が集金に行くと言い、来なかった家に清めたわらを届ける係は、ヒサとさなえにお願いすると言った。  
 ミセスホーメンは、全員が集会所を出るのを待って火の元を確認し、集会所使用許可証に退館時間を書き入れた。最後にカギを掛け終えたホーメンは、歩きかけた彩の耳元に顔を近付けてこう言った。
「このどん兵衛、あなた食べなさい」  
 ミセスホーメンは小さな声でそう言って、1個余ったどん兵衛をソッと彩に渡した。
(え? 何で?)  
 彩はそう思いながら、複雑な思いでそれを受け取った。
(この行事は1回出ればもういいわ)  
 何事にも好奇心旺盛な彩ではあったが、それが念仏に関する率直な感想だった。  
 それ以来、彩は300円払う側の人になった。念仏のたびに、郵便受けの庇の奥には、300円と引き換えの清められたことになっているわらの束が挟まっていた。わらは風に飛ばされたり、スズメの巣作りに一役買いながら、いつの間にかなくなっていくのだった。  

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7『夏の空』

 全員が寝てしまったので、彩は手持ち無沙汰になった。彩は外の空気が吸いたくなって勝手口から表に出た。セミが鳴いているカエデの樹の葉先を透かしてキラキラした光が踊っていた。その先には、どこまでも続く夏の空が広がっているはずだった。
(明日は4時かあ。きついなあ。畑の水やりはどうしよう)  
 彩は小道を通って玄関に向かった。玄関にはおびただしい数の傘が、隅のほうに重ねて置かれていた。
(どうするんだろう、この傘)  
 彩は玄関を掃いて打ち水をした。それから、上がりかまちに腰掛けて足を伸ばした。スカートからスラリと伸びた彩の裸の足は、打ち水のひんやりした冷気をまとって気持ちよさそうに揺れている。
(ふうーっ、さすがに足、疲れたな)  
 その時、バンッ! というドアを閉める音がした。彩が慌てて立ち上がって待っていると、30本ほどの傘を抱えた女性が現れた。
「すいません、これしかながったんです」  
 邦彦の妹、滋子だった。滋子は、
「どごさ置ぎましょうか」  
 と言って彩を見た。
「ああ、そうですね。そこにいっぱいあるみたいなんで」  
 彩はそう言って、傘が重ねて置いてあるほうに視線をやった。
「わあっ! いっぱいあるう」  
 滋子は驚いて傘の束を見た。
「そうですね。何に使うんでしょうね」  
 不思議そうに彩が言った。
「本当に、何さ使うんだべね」  
 滋子は首を傾げた。
「本当に、分からない傘ですね」  
 彩も首を傾げた。
「私、周平の同級生で滋子って言います。もしかして・・・」  
 滋子は彩のほうに向き直ると、そう言って自己紹介した。
「ええ、周平の妻です。彩って言います。よろしくお願いします」  
 彩がお辞儀をした。
「老人ホームで仕事してるもんだがら時間が不規則で、ながなが村の人ど会う機会がないんだよね」  
 滋子が言った。
「本当ですね。こっちに来て5年になるのに、知り合いになったのはおじいちゃんとおばあちゃんばっかりで、若い人はほとんど知りませんからね」
「少なくなったどはいえ、若いもんもいるにはいるんだけど、会う機会がないもんな」
「ええ、今度、遊びにきてください。時間がある時」
「うん、周平どもしばらくゆっくり話してないしなあ」
「是非!」  
 彩が笑顔で言うと、滋子は満面の笑みを浮かべて、
「うん、ありがど」  
 と言って、手を振って帰っていった。  
 滋子が帰った玄関で、彩はまた上がりかまちに腰掛けて、足を投げ出しながらしばらく空を見ていた。  
 空軍基地から飛んできた戦闘機が、グオーッという音をたてて上空を横切っていった。まっすぐに伸びた白い噴流の跡は、少しずつ変形しながら薄くなり、やがて心もとなく揺れる一筋の煙になった。
(かなめばあさんも、今ごろ煙になって、あんなふうに空に散らばっていったのかな)  
 彩は漠然とそんなことを思った。  
 ガチャッ! グイーン。  
 クルマが止まり、ドアが閉まる音とトランクが開く音がした。祭壇を取りに会社へ戻っていた二所谷だった。二所谷は、両手にいっぱい荷物を持って玄関にやってくると、彩に向かって、
「すいません。座布団下ろすのだけ手伝ってもらえますか?」  
 と言った。
「あっ、はい。分かりました!」  
 彩は急いで外へ飛び出した。  

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8『勘違い』

 ルルルルル、ルルルルル・・・。  
 ちょうどその時、居間の電話が鳴っていた。
「あいい、すかがね。電話だ、電話」  
 その音に、まっ先に目を覚ましたのはマチだった。
「彩ちゃん、電話だ、電話」  
 マチが呼んだが彩の返事はない。
「あいい、のり子。おめえ出ろ、早ぐ出ろ!」  
 電話に一番近い所で寝ていたのり子は、
「なんとだどや」  
 と言いながら、仕方なく受話器を取った。
「もすもす」
「こちら、なかよし動物クリニックと申しますが、宮下さんのおたくでしょうか?」
「あん?」
「宮下さんの・・・」
「なんも、おら畑野のり子だども」  
 マチが、違う違うというふうに手を左右に振った。それを見て意味が分かったのり子は、
「ああ、んだんだ。こごの家は宮下だ、宮下。銭の家だ」  
 と言った。
「美樹さんいらっしゃいますか?」
「あん?」
「美樹さん・・・」
「ああ、アバはいねえ」
「アバ?」
「ああ、美樹はアバだべ」
「・・・」
「いねえよ」
「では、伝言をお願いできますか?」
「今、火葬場さ行ってる」
「はっ? ああ、お葬式の手配ですね」
「でねえ、葬式は明日だ」
「あっ、それも、もうお決まりなんですね」
「ああ、11時だべよ」
「そうですか。段取りがいいですね」
「団子は、おらだぢが作る」  
 段取りを団子と勘違いしたのだなと受付の女の子は思った。この人大丈夫だろうかと思いながらも、女の子は取りあえず話を続けることにした。
「では、ジャムちゃんはこちらでお預かりしておりますと美樹さんにお伝えいただけますか?」
「ジャムだど?」
「はい」
「ジャムって食うジャムだが?」
「いえいえ、猫ちゃんです」
「ネコチャン?」
「ええ、猫のジャムちゃんで・・・」
「ネゴのジャムだど?」
「そうです。ネコちゃんの名前がジャムちゃんなんです」  
 のり子は耳からいったん受話器を外して、ポカンとした顔で声を見詰めている。
「よろしくお願い・・・」
「ジャムっつえばイズゴだべよ」  
 また受話器を耳に当てたのり子が言った。  
 女の子は、どう答えていいのか分からなくなったが、取りあえず、
「ええ、まあそうですね。でも、この場合は猫のジャムちゃんなんです」  
 と言った。
「何だど? ネゴのジャムだど?」  
 のり子がまた聞いた。
「ええ、とにかくそうお伝え下さい。こちらでお預かりしてますと」
「ネゴのジャム預がってるだど!」
「ええ、そうです。よろしくお願いします」  
 女の子はそう言って逃げるように電話を切った。
「ネゴのジャムだど?」  
 のり子はまた言って、受話器を持ったまましばらくポカンとしていたが、
「何だど?」  
 というマチの声に答えてこう言った。
「ネゴのジャムだど。おめえ、食ったごどあっか?」
「・・・」
「ネゴのジャムって何だべ」  
 のり子がようやく受話器を置いた。
「のり子、おめえ、何しゃべってんだ」  
 マチが身を起こした。
「ネゴのジャム預かってるんだどよ」  
 のり子が言った。
「はあ?」  
 マチはポカンと口を開けている。
「へっ、賢しい人の食うもんは分がらねえもんだなや」  
 話を聞いていたスミが、寝転がったまま皮肉を言った。
「おめえ、ちゃんと話聞いだんだが? 一体、誰がらだったんだい?」  
 マチが聞いた。
「誰って・・・。ジャム屋だべ」  
 のり子が答えた。
「ジャム屋だど?」
「ああ」
「おらもう知らね」  
 あきれたようにマチはそう言うと、顔をあっちに向けて寝てしまった。
「あいい、イヌのジャムもあんだべが」   
 クッションを頭に当ててひっくり返りながら、のり子がボソッと言った。  

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9『ボラ親子の謎』

「おやじ、バッキシ上手くいったな」  
 柱の陰に目立たないように立っていた昭介に、休憩所にあった菓子をほお張りながら近付いてきた高太が得意満面でそう言った。
「高太、あっちに行ってろ!」  
 昭介が鋭い声で言った。
「一緒だと目立つからか?」
「ああ、目立たねえほうがいい」
「今度は目立たないほうがいいんだな」
「ああ」
「バッキシ、目立つもんな」
「ああ、目立たねえほうがいいんだ」  
 昭介はそう言って、辺りを見回した。
「他人に成り済ませってことだろ?」
「ああ、カリフラワーだ」
「おやじ、それを言うならカモフラワーだろ。カリフラワーは、おいらの嫌いな白いモコモコだろ」  
 高太はそう言ってニヤニヤ笑った。
(カモフラワー?)  
 昭介は、カリフラワーは確かに白いモコモコだと納得したが、かといってカモフラワーも何だか微妙に違うような気がした。しかし、悲しいかな昭介はそれ以上の語彙を持っていなかった。
「とにかく目立つんじゃねえ」
「おう、おやじ、俺はあっちに行ってるぜ。また後でな。バイビー!」  
 死語を言い残して、高太はジュース類のペットボトルが置いてあるテーブルのほうに小走りに消えた。
「やえちゃん」  
 休憩所の入り口で貴志が声を掛けた。
「あっ、貴ちゃん。この度は本当に・・・」  
 やえはそう言って目を伏せた。
「昭介さんも来てくれてたみたいだね」
「ええ、向こうに・・・」  
 やえはそう言って休憩所のほうを見た。
「高太もいた?」
「ええ、もう顔が分からないでしょうね」
「最後に会ったのが3歳くらいの時だったもんね。そりゃあもう、分からないよな」
「高太もあっちに・・・」  
 やえはまた休憩所のほうを見た。  
 テーブルを片付け終わった周平は、ガランとなった火葬場の祭壇に目をやった。パイプ椅子の一番前の隅にたった1人で小さく肩を落として座っている美樹の姿があった。
(貴志さんの話によれば、自分のおとうさんも病気なのだという。美樹さんは、今大きな2つの悲しみを抱えて堪えているんだろうな)  
 周平はそう思って、美樹には声を掛けずに黙って休憩所へ向かった。貴志と野々村やえが別れるところだった。  
 周平は貴志の元に行くと、香典の入った袋を差し出して言った。
「貴志さん、これ、香典ですが、俺持ってて、帰ってから渡しますか?」
「やあ、周平君。どうもご苦労さまだね。そうしてくれると助かるな。骨箱とか持たなきゃならないからね」
「分かりました。ところで、今話されてた方はどなたですか?」
「ああ、今の女の人?」
「ええ、野々村さんでしたっけ?」
「うん、おばなんだけど年は俺と一緒なんだ。野々村やえっていうけど、何か?」
「あっ、いえ。ちょっと気になって、というか、野々村さんて3人いましたけど・・・」
「うん、だんなと子どもも来てるんだ」
「ああ、そうですか。ならいいんですけど、その人たちに全員、会葬御礼を渡してしまったんですが・・・」  
 恐縮そうに言った周平に貴志は笑顔で、
「あっ、いいよいいよ。構わない。取りあえず足りたんでしょ?」  
 と言った。
「ええ、足りることは足りたんですが・・・」
「じゃあよかった。村の人結構来てたからどうなるかと思ってたんだ」  
 貴志はそう言うと、周平にペコンと頭を下げて休憩所のほうへ歩き出した。
(うーん。3人が貴志さんの一族だったとなると、話はもっとややこしくなるぞ。一体どう考えればいいんだ)  
 FBI捜査官はまた頭を抱えた。  
 周平は、この犯行組織のプロファイリングを少し加筆修正した。  

 野々村昭介→せこい。貴志のおじ。物干し事件の犯人。詐欺師。ボラ顔。筆力がある。  
 野々村やえ→せこい。貴志のおば。  
 野々村高太→せこい。貴志の甥っ子。小賢しい。極端に筆力がある。  

 これが、プロファイラー星野周平の出した現段階での犯人像であった。  

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10『貴志の嘘』

 枕机は取り払われ、きらびやかな祭壇が出来上がりつつあった。  
 座布団を運びを終えた彩は、座敷の隅に立って二所谷の動きを感心して眺めていた。  
 二所谷は祭壇の枠組みがあらかた整うと、したたる汗をハンカチで拭ってから壁に白黒の鯨幕を張った。次に、祭壇の上にいろんな小物を飾り始めた。そして最後に、端によけていたログゴを手に取った。その時、二所谷の動きが一瞬止まった。
(どうしたのかしら?)  
 そう思って彩は、後ろからソッとのぞいてみた。
(あっ!)  
 なんちゃって団子が丸見えだった。
(やばい、やばい、どうしよう)  
 彩は焦った。  
 二所谷は少し間を置いて何か考えていたが、やがて、バラバラと団子の山を崩し、もう一回きれいに団子を並べ直した。
「よしっ!」  
 二所谷はそう言ってゴグゴを祭壇の両隅に置いた。
(わあ、すごい! なんちゃって団子が見えなくなった!)  
 彩は拍手を送りたい衝動に駆られた。  
 葬儀屋二所谷は、有能な団子修復士でもあった。
「あのう、麦茶でもいかがですか?」  
 彩が声を掛けた。彩をチラッと見た二所谷は少し笑顔を作って、
「あっ、ありがとうございます。でも、もうそろそろ着く時間でしょう」  
 と言って腕時計を見た。  
 彩が柱時計に目をやると、時刻は4時15分だった。  
 二所谷の言葉通り、間もなく火葬を終えた一行が戻ってきた。それと同時に、割烹中川の仕出し料理が届き、係の人たちの手によって手際よくお膳が並べられていった。お逮夜会場はにわかに騒々しくなった。  
 さすがのスミたちも一行の到着の時には起き上がって、何事もなかったかのように振る舞っていたが、のり子の顔にはくっきりとクッションの刺繍のあとが付いていた。
「どうでした?」  
 骨箱を祭壇に上げようとしていた貴志に、後ろからソッと二所谷が聞いた。
「あっ! ええ、まあ」
「案外簡単だったでしょう? これ」  
 二所谷はスリのまねをした。
「あっ、そうですね。大きくってね、案外。ははっ」  
 貴志が焦って答えた。
「ジョウコツでしたか?」
「そーですねえ。ええ、何というか・・・ジョウです、ジョウ。まあ・・・いい骨でした」
「のど仏は見ましたか?」
「あっ、ええ、のど仏もありましたねえ・・・確か」  
 貴志は嘘をついていた。焼き上がったかなめの骨は、上骨どころか本当はぐちゃぐちゃに砕けていた。粉化していたと言っていい。
「火葬炉はどっちでした?」  
 二所谷が執拗に聞いた。
「あっ、手前ですね。ええ1号機です、たぶん」  
 貴志はまた嘘をついた。実際にかなめが焼かれたのは2号機だった。焼き上がった骨を見た時、貴志は激しく後悔し下劣な賄賂役人をうらんだ。2号機はきっと、超ウェルダム焼きの火葬炉だったんだろうと貴志は思った。だが、すべては後の祭りだった。
「そうですかあ。のど仏、美しかったでしょうねえ」  
 二所谷はうっとりした目でそう言って、深くため息をついた。
「ええ、何となく。いいもんでしたねえ、ははははっ」  
 もちろん嘘だった。粉と化した骨は、はしで拾うこともできず、ブリキのちりとりのようなものですくい取られて、かろうじて骨箱に納まったのだった。
「そうでしたかあ」  
 二所谷はそう言って、満面に夢見るような笑みを浮かべた。
(頼むから、こっそり骨箱開けないでくれよ)  
 貴志は、自分の嘘がばれないようにというよりも、二所谷の夢を壊したくない一心で切にそう願った。  

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11『伝言』

「のり子、おめえ、電話のごど言わねばねえべさ」  
 マチが言った。
「ああ、ネゴのジャムのごどが」  
 のり子はそう言って、面倒くさそうに立ち上がると、美樹のいる座敷に向かってゆっくりと歩き出した。
「のり子、おらだぢ帰るどって、アバさしゃべってこいよ」  
 スミがのり子の背中に言った。
「ああ」  
 顔に刺繍のあとを付けたのり子が座敷に入って周囲を見回すと、美樹は座敷の隅で壁に全身を投げやるようにして座っていた。のり子はヨタヨタした足取りで近付いていった。
「あのなあ、さっき電話が来たんだよ」  
 のり子が言った。美樹はのり子にうつろな目を向けた。
「誰」
「あん?」
「どっから」
「ああ、ジャム屋だど」
「・・・」  
 美樹はポカンとした顔でのり子を見た。
「おめえ、ネゴのジャム食うのが?」  
 美樹の顔色が変わった。
「で、何て?」
「あん?」
「だから何て言ったの!」
「ああ、だがら、ネゴのジャム預がってあんだど」
「・・・」
「ネゴのジャムだばうまぐねえべ、なあ」  
 美樹が立ち上がった。
「うめえのが?」  
 美樹はケータイを手に持つと、やおら血相を変えて表に飛び出した。
「犬のジャムもあんのが? ん?」  
 のり子はボーッと美樹の後ろ姿を見ている。
「あいい、そんたにうめえもんだべが」  
 のり子は座敷の壁に向かってそう言った。
「あいい、帰るどってしゃべるの忘れだでば」  
 置き去りにされたのり子の周りでは、慌ただしくお膳が運び込まれていた。  

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12『お逮夜』

 一三は、仕出屋から届いた名札を入念にチェックしながら、漢字の間違いはないか、抜けはないかに鋭く目を光らせていたが、大丈夫だと分かると、今度は自分の書いてきた席次表を参照しながら、1枚1枚名札をお膳の上に置いて回った。  
 一方源蔵は、坊主の席の位置を、ああでもない、こうでもないと、右へずらしたり、左へずらしたりしながら、チッ、チッ、チッ、チッを繰り返して落ち着きがなかった。  
 郁子と大地は洋に手を焼きながらも、自分たちが経験したことのない「お逮夜」という行事を興味津々で眺めていた。
「ねえ、お通夜っていうのはあるけど、お逮夜ってどういう意味なのかしらね」  
 郁子が大地に聞いた。
「うーん、お通夜みたいなもののような気が・・・するんだけどねえ」  
 あごに手を当てながら大地が答えた。
「こっち独特のものなんでしょ?」
「うーん、そうかもね。何なんだろうね」  
 大地は答えに困った。
「その答えは簡単です!」  
 いきなり後ろから声がした。大地と郁子はビックリして声の主を見た。
「お通夜は火葬前、お逮夜は火葬後ということになります。この辺では、火葬して骨にしてからするのが普通です。ですからお逮夜なんです」
「はあ、そうなんですかあ」
「火葬前がお通夜、火葬後がお逮夜ねえ」
「ええ、そうです!」  
 二所谷はキッパリとそう言った。
「なるほど、勉強になりました」  
 大地が礼を述べた。
「それほどでもありません。また何かあったら聞いてください!」  
 二所谷はそう言うと、バタバタと急がしそうに祭壇のほうに消えた。
「ねえ、あの人誰かに似てない?」  
 郁子が言った。
「うん、俺も思ってたんだけど、シュワちゃんだろ?」  
 大地が言った。
「でも、顔と声は、ファイナルアンサーの人そっくりよね」  
 郁子が口を手で隠して笑った。
「ハイナンシャー!」  
 洋が足元で叫んだ。  

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13『困った注文』

 あっという間に時刻は4時45分を回った。配膳を終えた割烹中川の配達リーダーの女性が台所に入ってきて言った。
「あのう、この鍋にお吸い物が入っています。これを火にかけていただけますか?」  
 女性は明らかに彩に向かって話していたのだが、団子リーダーであるスミは自分にお願いされたと勘違いした。
「おい! それはおらだぢの仕事でねえ。おめえらやれ!」  
 スミが言った。  
 配達リーダーの女性は、一瞬困ったような顔でスミを一瞥したが、もう一度彩に向かって、
「お願いできますか?」  
 と言った。
「いいですよ。火にかけるんですね」  
 彩が快諾した。
「すみません。それから、このおうどんを入れて、最後におネギを散らしていただけると助かるんですけど」  
 配達リーダーの女性が、言い方は遠慮がちだが、結構手間の掛かる注文を追加した。うどんは1食分ずつ小分けになっていた。
「はあ、それは今すぐやるんですか?」  
 彩が聞いた。
「いいえ、少し歓談されてから、そうですね、30分くらい経ったころがいいかと思います」  
 彩が急に降ってわいた仕事に、少し躊躇しながらうなずくと、
「これは、基本的にお客様のほうにお願いしておりますので」  
 と、配達リーダーの女性は「お客様のほうに」を強調して付け加えた。
「おい! おらだぢは何も聞いてねえど。彩、やっこどねえ。アバさやらせろ!」  
 スミが言った。
「それもそうだなあ。おらだぢ今から帰るんだものなあ」  
 マチもスミに同調した。彩は困った。  
 配達リーダーの女性は、彩の顔を拝むように見て、
「お願いします」  
 と言うと、うどんやネギの入った入れ物を運んできてしまった。
「彩、やっこどねえ!」  
 スミがまた言った。
「はあ・・・」  
 彩はどうしていいか分からなくなった。  

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14『マサカ様』

 そこへ、さかさま商店の坂田満佐子がライトバンでビールを運んでやってきた。
「ごめんあさーせ、ビールはこちらへお置きしてよろしゅうございますでしょうかあ?」  
 満佐子はそう言うと、上がり口に瓶ビールのケースをドンッと置いた。満佐子は力持ちだった。彼女は、ビールケースを5つとウーロン茶の箱などを次々に運び込んだ。
「あっ、ご苦労さまです!」  
 彩が勝手口に出ていくと、満佐子はいつもの厚塗りの化粧顔に満面の笑みを浮かべて、
「あーら、彩さま、ご苦労さまざますわねえ!」  
 と言った。  
 満佐子の話す言葉はどこか奇妙だった。彩のことは『彩さま』、周平のことは『周さま』と呼ぶこの一風変わった人のことを、彩たちは陰でさかさま商店の満佐子様ということで、『マサカ様』と呼んでいた。  
 マサカ様の意味はもう一つあって、彼女のとんちんかんないでたちにも起因していた。彼女は店番の時はノーメイクの顔でラフなジャージ姿でいるのだが、そうかと思うと雑草取りに外へ出る時は超厚盛りの化粧をしおしゃれ着まで着ていた。そういう「まさか!」と思うような、あるいは、どう考えても「そりゃ逆さまだろう」という格好が命名の由来でもあった。  

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15『ムカデ競争』

 マサカ様はかつて町内対抗運動会の「ムカデ競走」のメンバーに選ばれ、愛宕村代表として参加したことがある。周平と彩も「ラブラブリレー」というものに選ばれて参加していたのだが、この時のマサカ様の格好はすごかった。化粧の厚盛りは、まあいつものこととして、着ている服が半端じゃなかった。なんとラメ入りのきらびやかな真っ白い洋服を着ていたのである。耳にはイヤリングまで付けていた。村のテントの中で、自分に視線が注がれていることにマサカ様はご満悦だった。
「あーら、このお洋服ですか? 別に自慢するわけじゃあござあせんけれどもね、ブチックでウッン万円したんでございますですのよ、おほほほほっ」  
 視線を注いでいたのは村のメンバーだけではなくほかの村の参加者たちも同じだったが、それは決して「羨望」とか「賞賛」の意味ではなく、「バカじゃないの?」という「侮蔑」の意味が多分にこもっていたことに、全く気付かないところがまたマサカ様だった。
「ただ今よりムカデ競走を行いまーす。参加者は本部テント前までお集まり下さーい!」  
 いよいよマサカ様の出番が来た。マサカ様は、アナウンスの声に少し緊張した様子で、慌ててハンドバッグを開けてコンパクトを取り出すと、もう十分厚盛りの顔の上にあと3ミリ厚くファンデーションを盛った。
「さあ、皆さん、気合いを入れていきますですわよ! 集中! 集中!」  
 マサカ様はそう言ってメンバーを鼓舞すると、先頭に立って出陣した。
「ねえ、あの格好で走れると思う?」  
 彩が心配そうに言った。
「ああ、俺は転ばないことだけを祈るよ」  
 周平が、前日の雨で少しぬかるんでいるグラウンドを見ながら言った。
「よーい!」  
 パンッ!  
 ムカデ競走は始まった。愛宕村チームは全部で5人、全員白い鉢巻きをしている。  
 先頭はミセスホーメンの長男で、元ハンドボール国体選手の貴美雄。げっ歯類のような前歯が特徴の貴美雄は、面倒見は抜群にいいのだが、何事も独断専行型でガリガリ無理矢理やってしまうところが弱点だった。彼の面倒見は、時として「余計なお世話」、「迷惑な出しゃばり」になることが少なくなかった。周平たちは彼のことを『ガリムリータ』とか『デシャバリータ』と呼んでいた。  
 2番手は周平の同級生の滋子。3番手に東京の墨田区から嫁に来たということで、その名もズバリ『墨田区』と呼ばれている長身のすみれ。4番手はキンキが大好物の貞幸。最後に『マサカ様』という強力な布陣の愛宕村チームはスタートから一気に先頭に立った。
「おーっ!」  
 テントの中から歓声が上がった。  
 ガリムリータは、持ち前の運動神経とガリムリ気質でグイグイとチームを引っ張っている。マサカ様もそれに付いていっている。まっ白なラメ入りの服が観客全員の視線をくぎ付けにしていた。
「いいんじゃない、いいんじゃない」  
 彩がテントから身を乗り出した。   
 愛宕村チームは、スタートからぶっちぎりで首位のままラスト10メートルまで来た。ゴールは目と鼻の先だ。
「あれっ?」  
 周平は首を傾げた。一糸乱れなかったムカデの足が微妙に乱れ出したのが分かったからだ。乱れた足は後ろ足の2対4本だった。
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒ、引っ張るなって!」  
 貞幸が大きな声で後ろのマサカ様に叫んでいる。
「はあ、はあ、はあ、はあ、もう、もう、わたくし、ダ、ダ、ダ、ダメエ・・・」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、離せってば!」  
 貞幸の大声はテントにまで届いた。
「ダ、ダ、ダ、ダメーッ!」
「おっ、おっ、おっ、おめえ! ヒ、ヒ、ヒ、ヒ、引っ張るなって!」  
 ゴール直前だった。  
 ムカデの一番後ろ足は麻酔でも打たれたかのように自ら絡まりながら動きを止めた。それに続いて、その一つ前の後ろ足がもつれながら止まった。健全だった前足3対6本も、それに引っ張られる形で自動的にストップした。  
 慣性力とは恐ろしい。5人全員の頭が思い切り前方に放り出された。
(ヒーッ! ダーッ! ワーッ! キャーッ! ギャーッ!)  
 後ろから順番に悲鳴が上がり、後ろから順番に顔が地面に落下した。  
 5人はそのまま、ぬかるんだ土の上を1メートル以上も顔面でスライディングする形となった。  
 最も慣性力の影響を受けた、つまり慣性質量と加速力の大きかったガリムリータの頭は、ゴールテープまで残り3センチの所でピタリと止まった。そこが慣性力と摩擦力の均衡点だった。  
 ガリムリータは、出っ張った前歯とあごで地面をかいてガリムリ前進しようとしたが、後ろが重くて1センチも進めない。動けなくなったムカデの脇を、別のムカデが何匹も追い越してゴールインした。ガリムリータはそれを横目で見ながら涙をにじませ、
「ちっ、ちくしょう!」  
 と、悔しそうに吠えた。
「ああ・・・」  
 テントの中に大きなため息がもれた。  
 愛宕村ムカデチームのムカデ競走は、結局最下位に終わった。力なく立ち上がったメンバーの顔は皆ドロで真っ黒だったし、服も無惨なほどに汚れていた。ひときわ観客の視線を浴びたのが誰であったかは言うまでもないだろう。  
 ブティックでウン万円したという服は、ラメも全部はがれ落ち、見るも無惨なドロ服になっていた。ファンデーションを厚盛りした白い顔はドロパックの顔になっていた。イヤリングは外れ、グラウンドの土と化してしまったようだった。哀れだった。  
 観客は本当は死ぬほどおかしかったのだが、何となく笑えないムードがグラウンドに充満していて、笑いたいけど笑えないという極めて体によくないストレスを抱えながらジッと耐えるしかなかった。愛宕村の代表メンバーも5人に掛ける言葉を失った。  
 テントに戻ったマサカ様は、化粧コットンで顔のドロをあらかた落とすと、また、ファンデーションの厚塗りを始めた。コンパクトをしまったマサカ様は、何食わぬ顔で進行表を手に取った。次のプログラムが「ラブラブリレー」であることを知ったマサカ様は、周平と彩に向かって、
「さあ、周さま、彩さま! ここからが集中でございますわよ、集中! 集中! さあ、どうぞ、いってらっしゃいませえ! ファイトッ、オー!」  
 と、ガッツポーズまで作って励ましてくれた。マサカ様はめげない性格でもあった。
「この度は、ご愁傷さまでございますでございます。こちらにおビールをお届けさせていただきました。あらっ、いけませんわ、わたくしとしたことが。栓抜き、栓抜き・・・。ああ、そうでしたわ、ごめんあさせねえ。今戻ってすぐにお持ちいたしますわね。貴志さまから栓抜きを30個用意するように申しつかっておりましたのに・・・。わたくしとしたことが、あーら、ごめんあさ〜せ!」  
 力持ちのマサカ様は、めげない性格に加えて、そそっかしく大変うっかり屋さんでもあった。  

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16『珍しい供物』

 ボラの魚眼を思わせる分厚い眼鏡の奥で、キョロキョロした目が落ち着きなく座敷の隅々を見回していた。
(ババアどもはいないようだな)  
 昭介は安心して自分の席に着こうとした。その時、座敷の奥に突っ立ているのり子とチラッと目が合った。
(やべえ!)  
 昭介は焦って目をそらした。
(もしかしたら、このババア・・・)  
 のり子は、昭介の顔をしばらく無遠慮に見ていたが、気付く様子もなくやがて目をそらした。
(おお、大丈夫だ。ばれてねえ、ばれてねえ)  
 昭介はホッと胸を撫で下ろした。
「おじさん、どうも。おばさんと高太君は?」  
 貴志が声を掛けた。昭介は一瞬ギクッととしたが、相手が貴志だと分かると、
「ああ、今日は火葬も3人で行ったし、お逮夜は俺だけで来たよ。明日は3人また来るから、3人で」  
 と言った。昭介は「3人」というところを何度も強調した。
「そうですか。じゃあ、今日はゆっくりしていってください」
「ああ、そうさせてもらうよ。久しぶりだもんなあ」  
 リラックスした表情になった昭介は、短い足であぐらをかいた。
「あのう、喪主の方いらっしゃいますか?」  
 玄関で貴志を呼ぶ声がした。
(花屋かな? それとも電報かな?)  
 葬式を明日に控え、家には献花や電報がひっきりなしに届いていた。
「あっ、はい。お花なら運んでください」  
 玄関先に出向いた貴志が、立っている若者に言った。
「あ、いえ、花ではなくて粉なんですけど」
「えっ? 粉?」
「ええ、米の粉です」  
 貴志は、若者が何を言っているのか分からず首をひねった。
「斎田さまからお届けなんですけど」
(あっ、そう言えばそうだった。斎田夫婦は粉を買いに行ったんだった)  
 貴志はそのことをすっかり忘れていた。よく見ると、若者のジャンバーの胸には「木之倉与左衛門商店」と黄色い刺繍がされていた。
「それから、こちらも預かってきました」  
 そう言って、若者はポケットからメモ帳を破いた紙を取り出した。メモにはこう書かれていた。
ー貴志君へ。私たちは急きょ所用ができて、今日のお逮夜には行けなくなりました。この粉を仏前に供えてやってください。ちなみにこれは最高級品の粉です。明日の本葬には照子とそろって出席させていただきます。斎田道秋拝ー
(あの人は、しゃべるよりも文章のほうがいくらか伝わる人だな)  
 貴志はそう思った。
「じゃあ、ここに運べばよろしいですね」
「ええ、そうしてください」  
 若者はクルマに戻っていった。少しして現れた若者は、のしの付いた大きな袋を抱えていた。
「えっ! こんなに!」
「もう1袋あります」
「何? 何? 何? まだあんの!」  
 貴志はあっけにとられるばかりだ。
(どうすんのよ、これ)  
 貴志はぼう然と米袋を見下ろした。
「今の人、木之倉与左衛門商店ですよね」  
 仕出屋に混じって手伝いをしていた周平が声を掛けた。
「あっ、ああ・・・」
「これ、どうしたんですか?」
「いや、仏前にって・・・」
「珍しい供物ですね」
「うーん・・・」
「じゃあ、あっちに持っていきましょうか?」
「そうだな、そうしてもらおうかな」
 周平と入れ替わりに、今度は源蔵がやって来た。
「チッ、おい、手抜がりねえべな」
「あっ、はい。坊主には一番初めにビールを注ぐんでしたよね」  
 そう答えながら貴志は腕時計をチラッと見た。5時5分前だった。
(どうせ、あのなまくら坊主のことだ。30分は遅れるさ。その役はあとで彩さんに頼めばいいや)  
 貴志は高をくくっていた。
「チッ、ウーロン茶は?」
「はい、大丈夫です」
「チッ、ビールは?」
「ええ、それもさっき届い・・・あっ!」  
 目の前にそのなまくら坊主が立っていた。  

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17『高級仕出し弁当』

 台所ではスミとマチが帰り支度を始めていた。
「あいい、のり子、何やってるんだべ」  
 なかなか帰ってこないのり子に業を煮やしたマチが言った。
「どうせ何が手伝わされでるんだべよ。おら帰るぞ。明日も早えがらな」  
 スミは、略奪したフランス製ドレスの入った前掛けを外し、クルクルと丸めてひもで縛った。
「帰るんですか?」  
 彩が聞いた。
「ああ、彩もいいがら早ぐ帰れ!」  
 スミが言った。
「でも、このお吸い物が・・・」
「いいがら、何もやっこどねでば!」  
 そう言ってスミは立ち上がった。
「はあ・・・」  
 そこへ割烹中川の配達リーダーが戻って来た。彼女は大きな仕出し弁当を4つ抱えていた。
「これは、喪主様から皆さんにということです」  
 配達リーダーは、そう言って居間のテーブルにそれを置いた。
「何? おらだぢさだど!」  
 スミが驚いて叫んだ。
「ええ」
「あいい、すかだね。何とだど」  
 マチも目を丸くしている。  
 スミは、弁当のふたを開けて中をチラッと見た。それから、いきなり丸めていた前掛けのひもをほどきながら言った。
「彩! 湯っこ沸がせ!」
「湯っこですか?」
「ああ、うどん煮る湯っこだ」  
 スミはそう言うと、キッチンにあったうどんやネギの入った入れ物をのぞきこんだ。
「でも、これ、もう煮てあるかと・・・」
「いいがら沸がせ!」
(どう考えればいいの?)  
 現金といえばあまりにも現金なスミだった。  
 そこへ、青い顔をして貴志が飛び込んで来た。
「皆さん、すみません。ちょっと手伝ってもらえますか。すいません、坊さん来ちゃったんで。ええと、彩さんはビールを坊さんに注いでください。すぐにお願いします。スミさんとマチさんは、適当に後ろのほうの方へ注いでもらえますか」  
 スミは、
(適当にだど!)  
 とは言わなかった。
「よしっ! 彩、マチ、行ぐど!」  
 スミはそう言って先頭に立って座敷に向かった。  
 高級仕出し弁当の効果は絶大だった。  

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18『サインプレー』

 着座した荘道はニヤニヤとケータイを見ていたが、何となく準備が整った気配にケータイをしまって身を起こした。  
 荘道の前に座った彩が、貴志の顔をチラッと見た。  
 貴志は源蔵の顔を見た。  
 源蔵がうなずいた。  
 貴志がうなずいた。  
 彩はビール瓶を持った。  
 荘道がコップを持った。
(あっ! 栓が開いていない)  
 間があった。  
 全員が息を飲んだ。  
 彩は、周りを見回して栓抜きを探した。
(あらっ、いけませんわ。わたくしとしたことが、栓抜き、栓抜き。ああ、そうでしたわ、ごめんあさせねえ・・・)  
 マサカ様の言葉が浮かんだ。  
 彩は慌てて貴志に向かって、栓を抜くポーズをした。  
 貴志は、野球のサインプレーのようにそのまま源蔵に伝言した。  
 源蔵はピリピリした顔で貴志をにらみ返した。  
 貴志はサインを送る人を間違えたと思って、今度は美樹にサインを送ろうとしたが送るべき相手はどこにもいなかった。
(うちに栓抜きなどあったろうか? 缶ビールとワインしか飲まない家に・・・)  
 貴志は栓抜きが見つかる可能性がゼロであることを確信した。  
 貴志は彩にバッテンを作ってサインを送り返した。
(えっ? ないの? ねえ、1個もないの?)  
 途方に暮れた彩は荘道に作り笑いを浮かべると、
「すみません、住職さん。栓抜きないみたいなので、ちょっと今取りに行ってきますから、少しの間、何かありがたいご法話でもお願いできますか?」  
 と言ってニッコリ笑った。  
 荘道は、「住職さん」に反応したのか、「ありがたいご法話」に反応したのか、はたまた「彩のニッコリ」に反応したのか、急にご満悦な顔になって、
「あいっ!」  
 と言って姿勢を正した。  
 全員がホッと胸を撫で下ろしつつ、荘道の法話を聞こうと身を乗り出した。  
 周平は彩と貴志に目配せして立ち上がると、さかさま商店に向かって玄関を飛び出していった。連携の正しい迅速なサインプレーだった。
「人間というものは、貧乏になると卑しくなります」  
 荘道はまずそう切り出した。  
 一三は、天敵の口からどんな法話が聞けるものかと耳をそばだてた。
「このことを、ヒンすればドンすると申します」  
 荘道は、そこで1拍置いて後ろを振り向くと、そこにあった米袋を見ながら言った。
「ここにドン百姓というお米があります」
(えっ?)  
 全員が米の袋を見た。
「天日干し米ドン百姓、これこれ」
(違う違う。それ『ドン』じゃない、『ジュン』よ)  
 彩は米袋の文字を見ながら思った。
(でも、そんなことより、それがどうしたの?)   
 荘道は座敷のほうにゆっくり向き直った。  
 そして、全員の視線が注がれる中でこう言った。
「これっておいしいの?」
(・・・)  
 沈黙が5秒あった。ちょっと立ち直れそうもないくらいの凍った空気が座敷中に流れた。  
 恐い顔で正座をしていた一三がカクッとこけた。こけたのは一三ばかりではなかった。洋以外は皆こけた。そして全員いたたまれなくなって下を向いた。  
 源蔵が心配していた「場がしらける」状況が成立してしまった。しかしこの場合、原因は明らかに坊主にあった。栓抜きが不備だった不手際は彩の機転で何とかなった。超どっちらけの原因は荘道にこそあったのだ。  
 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ・・・。  
 荘道はそんな周りの凍った空気を全く読めないまま、ケータイを手に取って慣れた手付きで何やらボタンを押している。
「ああ! あった、あった」  
 沈黙を破って荘道が叫んだ。
(えっ?)  
 みんなが荘道を見た。
「2万5800円だって。たっかいなあ、これ」  
 荘道は彩に向かって、
「ねえ、たっかいねえ、これ」  
 と言ってバカづらで笑った。
「えっ? ああ、きっと・・・いい・・・お米・・・なのかと・・・」
「ねえ、タニシ土壌だもんねえ、今タニシいないもんねえ」
「えっ、ええ・・・」
「いないよね、今タニシ。マジこいてすっごいなあ、これ。ドン百姓」  
 法話というよりは「呆話」と言ったほうがいいような、何とも素敵なお話が繰り広げられていた。
(ああ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、もうダメだ)  
 一三は、猫背のか細い肩を震わせながら唇をかんだ  

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19『帰る者たち』

 そこへ、周平が栓抜きを持って戻ってきた。栓抜きをもらった彩はビール瓶の栓を抜き、あらためて荘道におしゃくをした。  
 それを待って全員に飲み物が注がれ始めた。自動的に「にわかおしゃく班」に組み入れられたのり子は、スミとマチよりは少し若いということで彩の次の列を担当し、マチがその次、スミが担当したのは玄関側の1列だった。スミは、周平から渡された栓抜きで栓を開けると、振り返って作之進のコップにビールを注いだ。  
 その3つ左に昭介が座っていた。昭介はスミの顔を見て激しく動揺した。
(やばい! あのババアだ)  
 当然のことだが、昭介はスミの顔をしっかりと記憶していた。昭介は猪首をすくめて立ち上がった。そして、志のもとに来ると小声で、
「ちょっと所用ができたんで帰るから」  
 と言った。
(所用? さっき誰かもそんなことを・・・)  
 貴志は少し戸惑った。  
 昭介は、
「そういうわけなんで、あのお膳包んでおいてもらえる? あとで高太を取りによこすから。そうそう、できれば俺の隣の斎田さんのも、いないんだったら持たせてよ」  
 と言った。  
 彼は、どさくさの中でもちゃっかりお膳を、しかも2つもゲットすることを忘れなかった。  
 昭介は猪首の首をさらにすくめた、まるでジャミラのような格好でスミの横を通り抜けると、逃げるようにして走り去った。
「ケンパイ!」  
 荘道は右手にグラス、左手にはケータイを持って音頭をとった。続いて、貴志が立ち上がって喪主あいさつをした。貴志のあいさつは短かった。
「ええ、今日は故人を偲んで、粗末な料理ですけれども、どうかごゆっくりしていってください」  
 決して粗末ではなかった。  
 上トロのマグロ刺、キンキの塩焼き、伊勢エビのグラタンなど、料理は割烹中川の仕出し料理の中でも最高級のものだった。
(やれやれ、それにしても美樹は一体どうしたっていうんだ)  
 あいさつが終わってやっと一息ついた貴志は、おしゃくをしている彩たちを見ながら思った。
(本来、お前が中心になってやらなければならないことじゃないか!)  
 貴志は、美樹への怒りがふつふつと再燃していくのを覚えた。
「奥さん、すいません。ぼくそろそろ帰るから」  
 荘道が彩に向かって言った。
(奥さん?)  
 彩は不審に思いながら、
「あっ、お帰りですか?」  
 と言った。
「うん、これ」  
 荘道は料理の膳を指さした。
「あっ、ただ今」  
 彩はお膳の料理を持ち帰り用の折りに移し、ビニール風呂敷で包んだ。
「奥さん、明日の葬儀は何時でしたっけ?」  
 荘道は立ち上がりながら彩に聞いた。
(この人、私を美樹さんと勘違いしてるんだわ)  
 彩はそう思いながら、
「確か11時かと・・・」  
 と言って貴志のほうを見た。貴志はそれを見て坊主の元に来ると、
「どうもありがとうございました。明日もよろしくお願いします」  
 と言って頭を下げた。
「11時ね!」
(おっ、覚えていた!)  
 貴志は想定外のことにうれしくなった。
「そうです、よろしくお願いします」
「うっまそうだなあ、マジこいてこれ」  
 帰り際、米袋を見ながら荘道はそう言ったが貴志は取り合わなかった。
 坊主が去ると場は一気に緩んだ。  
 それは、盛り上がっていったと言えば言えなくもないが、単にだらしなく、しまりのないものになっていったとも言えるものだった。
「あっ、チッ、今日はどうも、大難儀掛げますた」  
 おしゃくに行ったスミに向かって源蔵が礼を述べた。
「ああ、一日中休む暇もねがったなあ」  
 本当は3時間以上も昼寝をしていたスミが、ぬけぬけとそんなことを言った。
「チッ、大変に世話になります。明日もひとつよろしぐ」  
 源蔵は正座になりながら恐縮して言った。
「4時に来ねばねえよ」
「4時だすか! チッ、いやあ、何とも。チッ、美樹は・・・」  
 源蔵が辺りを見回しながら言った。
「ああ?」
「チッ、美樹はちゃんと・・・」
「ああ、アバが? アバ、ツラも出さねえよ」
「チッ、チッ、チッ、ツラも、チッ、チッ、出さねえだど!」  
 源蔵の顔つきが変わった。
「何がら何までぜーんぶ、おらだぢだげでやってるんだ。いい気なもんだなや」  
 源蔵の持つビールのグラスが小刻みに揺れている。
「チッ、チッ、チッ、おい、貴志!」  
 源蔵が叫んだ。ビールが大量にお膳にこぼれた。  

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20『その頃美樹は』

 その頃美樹は、なかよし動物クリニックに向かってクルマを走らせていた。
「ジャム!」  
 美樹は猛スピードでクルマを走らせながら、何度もそうつぶやいた。  
 キーッ!  
 いつもなら1時間半はかかるその道を、美樹は50分で病院に到着した。そして大急ぎでクルマを降りると、小走りで病院の中に入っていった。
「ジャム、ジャム・・・」  
 取り乱した美樹の表情を見た受付の女性は、ただコックリとうなずいて「こちらです」というふうに美樹を促した。美樹は診察室に通された。  
 石塚獣医師は何か書き物をしていたが、美樹に気付くと手を止めて、
「手は尽くしましたが、やっぱり無理でした」  
 と、残念そうに言った。
「こちらです」  
 石塚は奥の部屋に美樹を案内した。ジャムは、白い小さな発泡スチロールの箱に入れられていた。石塚はそのふたを外した。
「ドライアイスも入れてあります」  
 石塚はそう言って、自分は診察室のほうに引っ込んだ。  
 今は亡きがらとなったジャムを前に、美樹はもう泣かなかった。美樹は無言で箱のふたを閉めると、亡きがらとなったジャムが収まった箱を持った。
「先生」  
 美樹が石塚に声を掛けた。石塚が振り返ると美樹は、
「ありがとうございました」  
 と言って深々と頭を下げた。
「あっ、いや、お力になれなくて」  
 美樹はもう一度お辞儀をして歩き出した。
「お葬式の手配も済んでるそうですね」  
 石塚が美樹の背中に言ったが、美樹はそれには答えなかった。  
 マンションに戻った美樹は、発泡スチロールの箱をダイニングテーブルの上に置くと、脇にあったパンフレットを手に取って「ペット葬儀の流れ」のところに目をやった。「まずはお電話を!」という文字とフリーダイヤルが書かれていた。美樹は受話器を取った。
「はい、ジャパンペット成仏堂です!」  
 明るいオペレーターの声だった。
「ペットが・・・死んだ」  
 どんより暗ーい依頼者の声だった。
「さようですか、それは大変ご愁傷様でございます。さぞかしお力を落とされておられることと存じます」  
 急にオペレーターの声のトーンが暗転した。
「どうすればいいの」
「はい、まずは火葬をしなければなりませんが、今晩は一緒にいてお通夜をされても構いませんし、これから伺うこともできますが・・・」
「火葬場は?」
「いえ、当社のペット火葬車がご自宅までお伺い致します」
「火葬車?」
「はい、最新式の火葬炉が付いた専用車です」
「・・・」
「あっ、ご安心下さい。無煙無臭ですのでご近所の皆さまのご迷惑になることも一切ございません」
「・・・」
「あっ、大丈夫です。社名なども入っていない地味なクルマですので目立って怪しまれるようなこともありませんし、担当者もよく心得ておりますから」
「・・・」
「他社さんですと、基本的に合同火葬ですのでお骨が戻ってきませんが、当社は『完全個別立ち会い火葬』になっておりますので、お骨をしっかり受け取っていただけます」
「・・・」
「ペットの大きさにもよりますが、入れてから1〜2時間でお骨が出来上がります。それを確認していただいてからお骨を拾っていただくわけです」
「・・・」
「今ならサービスといたしまして『当社特製オリジナル骨箱』をプレゼントさせていただきます。かわいいペットちゃんの絵柄入りです」
「・・・」
「何かご質問は・・・」
「料金は?」
「動物の種類によって違っておりまして、ザリガニなど小動物は1万8000円から・・・」
「ザリガニ?」
「ザリガニですか?」
「まさか」
「ゴリラなど大型動物は8万円からとなります」
「ゴリラ?」
「ゴリラですか?」
「まさか、まさか」
「じゃあ・・・」
「猫、猫」
「あっ、猫は税込み3万5000円です」
「へえ」
「火葬はいつにされますか? 今晩お通夜をされるのであれば明日お伺いしますが」
(明日は・・・)
 美樹は逡巡した。
「あのさ」
「何でしょう?」
「あさってでもいい?」
「ドライアイスは入れてありますか?」
「うん」
「そうですか。夏場ですけど、あさってであれば何とか大丈夫かと思います」
「あさって来て」
「分かりました。何時にお伺い致しましょうか? その日はあいにく午前中しか空いておりませんが」
「10時」
「かしこまりました。あさって7月20日の10時ということで、ご予約入れさせていただきます」  
 オペレーターはその後、住所や名前、電話番号などを聞き、火葬までにやっておいていただきたいことを告げた。それはおおむねこうだった。

 ペットちゃんの体を、濡れたタオル等で優しく拭いてあげる。  
 ペットちゃんの好物だった食べ物やおもちゃ、思い出の品を傍らに置いてあげる。  
 ペットちゃんの遺影写真を飾ってあげる。スナップ写真でも可。  
 ペットちゃんにお水やお線香、お花を上げてあげる。  
 ペットちゃんに感謝を込めて、「今まで本当にありがとう!」とお言葉を掛けてあげる。

 ちなみに、ペットちゃんを北枕に寝かせてあげる、ペットちゃんに団子を上げてあげるというのはなかった。
「ご位牌や戒名、お葬式、法要の一切についても何なりとご相談下さい。それから仏壇も多数取り扱っておりますので、担当が伺いました時にお申し付け下さい。ペット霊園、墓地の手配もお引き受けいたします。ありがとうございました」  
 最後にギュッと営業トークを詰め込んで、オペレーターは電話を切った。
(確かに人間並みだ。それにしても火葬車とは・・・)  
 受話器を置いた美樹は、椅子の上にぐったりと体を投げ出した。
(目の前の白い箱が・・・)  
 美樹は実体のない虚ろな頭で思った。
(毛ガニの入ったお歳暮だったらな)  
 美樹はソッと発泡スチロールのふたを開けてみた。
(ジャム・・・)  
 一瞬、ジャムが初めて家にやって来た時の場面がフラッシュバックした。

「ねえ、名前何にする?」  
 毛糸玉のような子猫に頬ずりしながら、美樹が言った。
「俺の誕生日に買ったんだから、命名権は俺にあるぞ」  
 ワインで顔を赤くした貴志が、少しふざけた口調で言った。
「何?」
「目が青い猫だから・・・」
「うん」  
 美樹の目が期待に光った。
「ブルー!」
「何それ」  
 美樹はカックラキンになった。
「ダメ?」
「イージー」
「そっかなあ」  
 結局その日は決まらなかった。  
 次の朝、2人が出勤前に朝食を食べていた時、美樹が言った。
「ねえ、決まった?」
「ん?」
「この子の名前よ」
「ああ、いろいと考えたんだけど・・・」
「うんうん」
「チビとかタマとかチャコとか・・・」  
 焼きたてのトーストをほお張りながら貴志が言った。
「アリュー!」  
 美樹はあきれた顔でそう言って、食卓の上に置いた皿に牛乳を少し注いだ。子猫はたらこの先っぽのような舌を出して、ペロペロそれをなめている。
「うーん・・・」  
 貴志は、もう1枚のトーストにブルーベリージャムを塗ろうとして瓶に手を伸ばした。
「あっ!」  
 子猫が瓶のふちをおいしそうになめていた。
「おい、見ろよ!」  
 貴志が美樹を見て言った。
「うん、これいい」  
 美樹は、何かひらめいた時に見せる、眉根にしわを寄せた表情で言った。  
「えっ?」
「ジャムにしよう!」  
 美樹は、そう言って子猫を抱き上げた。
「ねえ、ジャム。今日からお前はジャムだぞ」  
 それが最初だった。  
 それから18年が過ぎ、そのジャムは今、亡きがらとなってここに眠っている。スターサファイヤのような六条の光を発するブルーの目は、もう二度と再び輝きを放つことはないのだ。  
 バチッ、バチッ・・・。  
 発泡スチロールのふたを大粒の涙が叩いた。   
 美樹は、マナーモードにしていたケータイの着信履歴を見た。会社からのおびただしい留守電に混じって、貴志からの電話も3本入っていた。美樹は着信履歴を一括消去した。  
 美樹は立ち上がって、ルビーのような赤い目をこすりながら、ブルーベリージャムの入っている冷蔵庫に向かってよろめくように歩き出した。  

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21『美樹はどうした!』

「チッ、チッ、チッ、美樹はどうした!」  
 貴志を呼びつけた源蔵が、ツバをいっぱい飛ばしながら言った。
「ちょっと・・・」  
 少しふてくされたような顔で貴志が言った。
「チッ、ちょっと何だ!」
「ちょっと、用があって・・・」  
 貴志は、心の中で美樹をかばう気持ちが失せている自分に気が付いていた。
「チッ、チッ、チッ、用だと!」
「ええ、まあ」  
 ジャムのことで美樹はここにいない、そのことははっきりしている。そのはっきりしている事実を、貴志自身、許容する気にはなれなかった。むしろ、怒っている源蔵の気持ちと同じ気持ちの自分がいた。
「チッ、美樹の家のごどが?」  
 源蔵が少し声のトーンを落として言った。
「まあ・・・」  
 貴志は言葉を濁した。源蔵は、チッと舌打ちすると、こぼれて半分ほどになったビールを飲み干した。
「チッ、焼酎買ってこい!」  
 源蔵はそう言うと、美樹に関してそれ以上の言及をしなかった。
「はい」  
 貴志は源蔵におしゃくをして立ち上がり、周平の席に向かった。
「周平君、悪いけど焼酎買って来てくれるかい」  
 貴志が言った。周平はサッと腰を上げて、
「銘柄は何がいいですか?」  
 と聞いた。
「そうだね、適当に。あっ、源蔵さんに聞いてもらえれば・・・」  
 周平はうなずくと源蔵の元に向かった。  
 一方彩は、仕出屋に言われたお吸い物を用意するために台所にいた。さっき、「彩、吸い物はおらさ任せろ!」と豪語していたスミは、村のおじいさんたちと合流したまま、そのことはすっかり忘れてしまったようだった。  
 彩は、一人鍋に火を入れながら、自分は出しゃばり過ぎているような気持ちになった。
(それにしても・・・)  
 彩は鍋の湯気を見ながら思った。
(美樹さんはどうしたんだろう)  
 その時、後ろから周平が声を掛けた。
「彩、大丈夫?」
「あっ、うん」  
 彩が目を上げて周平を見た。
「ちょっと元気ないみたいだぞ」
「うん、いや、何か私出しゃばってる気がしてね」
「出しゃばってる?」
「うん、美樹さんどうしちゃったんだろうね」
「おとうさんが具合悪いみたいなんだ」
「えっ?」
「貴志さんに聞いたんだけど」
「へえー、そっかあ。そうだったんだあ」  
 彩は、合点した表情でうなずいた。
「じゃあ、大変だね。美樹さん」
「うん、かなりダメージ受けてるみたいだったよ。火葬場でそう思った」
「そっかあ、そうだよねえ」
「だから、出しゃばってるなんて考えないで、美樹さんのためにも俺たち頑張ってあげないとな」  
 周平が金剛力士像の笑顔を向けた。
「うん」  
 彩にも笑顔が戻った。じゃあ、と手を振って出掛けようとした周平に、彩が、
「ねえ、今日帰ったらいろいろ話したいことがあるんだ」  
 と声を掛けた。
「寝しゃべりだな」
「うん、結構こっちはおもしろいことだらけよ」  
 彩がクスッと笑った。
「オッケー、実は俺も面白い話がいっぱいある」  
 周平は、笑いをこらえるように彩に視線を投げ掛けると、焼酎を買いにサカサマ商店に走った。  

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22『あざみの歌』

 作之進が十八番の『あざみの歌』を歌っていた。彼は、3番のところで「あざみ」のところを「かなめ」に替えたりしながら情感たっぷりに歌い上げた。最後の歌い終わりのところでは、感極まって「わが胸にー」が「バガブデジー」に聞こえるほどだった。  
 座敷中がシーンとして、作之進の歌に聞き惚れていた。すすり泣きをする人すらいた。1人だけ、何だかどうも釈然としないという顔で聞いている者があった。妻のマチだった。  



 7時半を回り、お逮夜の会席は佳境に入っていた。  
 おしゃくから解放されたスミたちは、台所に戻って超高級仕出し弁当の折りを開けた。
「わっ! 何だこのザリガニ!」  
 のり子が歓声を上げた。
「のり子、ザリガニでねえ。伊勢エビだ、伊勢エビ!」  
 大きな伊勢エビのグラタンを割りばしでつつきながら、マチが説明した。
「何だ? イセエビって」  
 のり子が聞いた。
「エビはエビでも、値段ばり高えエビだべ」  
 スミが、何食わぬ顔で話に入ってきた。
「おらこの年まで、ほんたらもん食ったごどねえど」  
 のり子が目を輝かせた。
「おらもだよ、テレビで見だっきり、食うのは初めてだよ」  
 子どもが、生まれて初めてレストランに連れていってもらった時のような顔でマチが言った。
「スミ、おめえ食ったごどあっか?」  
 のり子が聞いた。スミは、
「へん、何、こんたらもんは味はてえしたごどねえど。大味でうめぐねえんだ。おらはかえってザリガニのほう好ぎだでば」  
 と、本当は食ったこともないのに余裕をかましていたが、だらしなく半分だけ開いた口の両端から、だらしなく垂れ下がっている粘液状の物体がスミの本心をいやが上にも物語っていた。

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23『ムスタキ金蔵』

「おらあ、かなめのドッキューヒ(同級生)だったんだ。おらあ、ヒクッ! シェンショーシャ(戦争に)行ってる間に、ヒクッ! かなめでば、ケッ、ケッ、結婚シュテシュマテ(してしまって)。おらあ、シュカダ(仕方)ねがら、ヒクッ! タマヨどケッ、ケッ、結婚しゅたんだ。ヒークッ!」  
 金蔵は相当酔いが回っていた。デベソのタマヨの夫である金蔵は茅葺き職人だった。トタン屋根のなかった昔はこの村では茅葺き屋根が普通だったので金蔵の仕事は安定していたのだが、今では、村に茅葺き屋根の家は数えるほどしかなくなり自動的に彼の仕事は細っていた。それでも、腕のいい職人だった金蔵は、少ないながらも他村や他県からの依頼もあって、何とか茅葺き職人を続けていた。  
 耳当ての付いた零戦飛行隊のような帽子をかぶり、酒屋さんがしているような長い前垂れを当てた金蔵は、畑が隣だったこともあって、畑仕事をしている周平たちに気さくに声を掛けてくることが多かった。
「ほれっ、ショシャ、シュジュランシュイシェンシャイデルベ」  
 金蔵は、畑の境界近くの盛り土に咲く一群の白い花たちを指さして言った。彼の発音は、ボソボソッとしゃべるフランス人の発音に近く、ジョルジュ・ムスタキを思わせるような独特のものだった。彩にとって、村の方言はただでさえ難解だったが、特に金蔵との会話には周平の同時通訳が欠かせなかった。彼らは、金蔵のことを『ムスタキさん』と呼んでいた。  
 くわを持つ手を休めて金蔵に会釈した彩は、
「こんにちは!」  
 と言いながら、ムスタキさんの指さした方向を見た。  
 隣で肥料をまいていた周平は、
「ああ、きれいだなあ。ムス・・・あっ、金蔵じい」  
 と言った。  
 彩は周平に、
(何? 今何て言ったの?)  
 という、『サッパリワッカリマシェーンポーズ』を作った。
「ほれっ、そこに、スズラン水仙咲いてるべ、だって」  
 周平が笑いながら小さな声で通訳した。  
 ムスタキさんは笑顔でうなずきながら、今度はこう言った。
「7号シェンのバイパシュシャ、シャンジョグショグドあるべ」  
 彩が周平に例のポーズを送った。
「7号線のバイパスに山賊食堂あるべ」
(うんうん、それで?)  
 ムスタキさんは、満面の笑みを浮かべながらこう続けた。
「シュゴドバリシュテニャデ、シュシャ行って2人シュテ焼ぎ肉食ってこい!」
(2人っていうのと焼き肉食ってこいは分かったぞ)  
 彩が周平と自分を交互に指さし、それから焼き肉を焼いて食うまねをした。
「うんうん、そうそうそうそう」  
 周平が連想ゲームの加藤芳郎のような口調で言った。
(でも、『シュゴドバリシュテニャデ』っていう、フランス語みたいなのはどういう意味?)   
 彩が壇ふみのように小首を傾げて上を指さし、手を広げて『最初のところがワッカリマシェーン』というポーズを作った。
「ああ」  
 周平はうなずいて、近くにあったくわを持つと、ガツガツと耕すまねをし、それから「ダメダメ」というふうに、顔の前でバッテンを作った。
「ああ、耕すのはダメダメ?」  
 檀ふみが言った。  
 司会者のピンポンは鳴らなかった。  
 加藤芳郎は「うーん」とあごに手を当てて考えてから、指を4本出した。   
 壇ふみが言った。
「ヨン?」  
 加藤芳郎は「違う違う」というふうに手を振って、もう一回指を4本出した。
「シ?」  
 加藤芳郎は「そうそうそう」というふうにうなずいて、今度は5本の指を出した。
「ゴ?」  
 壇が答えた。  
 芳郎は、また「そうそうそう」とうなずいた。
「シゴ?」  
 壇が言った。大きくうなずいた芳郎は、今度は両手の指を広げてみせた。
「トウ! あっ! シゴト! 仕事だめだめ?」  
 壇ふみが言った。  
 司会者が「うーん」というふうに首を少し傾げて難色を示した。
「仕事、仕事、あっ、そうか。『仕事やめて』ね!」  
 壇ふみが富士びたいをテカテカ輝かせて言った。
「正確には『仕事ばっかりしてないで』ですが、まあいいでしょう!」  
 壇は、両目を縦書きの上かっこに、口を下かっこにしてかしわ手を打った。
「正解!」  
 司会者が檀ふみを指さして叫んだ。  
 2人の様子をニコニコと笑って見ていたムスタキさんは、
「おっ、ショロショロシェリュマダニャ。シェリュマダバママクァニャバニャナ」  
 と言って、『豪太くん』という名のキャタピラの付いた小型キャリアにエンジンを掛けると、それに寄り掛かるように押しながら帰っていった。ムスタキさんの後ろ姿には、まるでロバに引かれて移動を続けるジプシーのような哀感があった。
「・・・」  
 彩は、異邦人を見るような目でそれを見送った。
「おっ、そろそろ昼間だな。昼間はまんま食わねばねえな」  
 周平が素早く解説した。
「何で分かんの?」  
 彩がポカンとした顔でつぶやいた。

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24『スイッチョンVSムスタキ』

 シューナ(支那)のドンブチュエーン(動物園)  
 シューナ(支那)のドンブチュエーン(動物園)  
 ニワドリブーブ ブダはコゲコッコ  
 ネゴはワンワン イヌニャンニャン・・・

 作詞家の西条八十が聞いたら真っ赤になって怒るようないい加減な替え歌を歌う金蔵は、上機嫌に割りばしで皿まで叩いている。本家のムスタキが歌うシブイ『異国の人』とはえらい違いだ。それを興味深い目でジッと見ていた洋は、郁子のひざ元を離れると、祭壇の下にあった木魚を、トントントントン叩き始めた。金蔵の歌う調子の外れた『支那の夜』は、洋の叩く木魚のリズムとなぜか絶妙のコラボレーションを見せていた。  



 一方、ムスタキ金蔵のちょうど向かい側では、スイッチョン源蔵が母校『沢目小学校』の校歌を歌っていた。座敷に居合わせた村人のほとんどがこの小学校を卒業していることもあり、源蔵に合わせて手を叩きながら歌を口ずさんだり、中には隣同士肩を組んで体を揺らしながら歌う者もあった。

 若鮎踊る 清らな川が  
 映した岸の 眺めを縫って  
 村を一つに結んでる・・・

「チッ、おい、こらっ! そごのジジイ。おめえ、いい加減な歌うだうな!」  
 一番を歌い終えたところで、スイッチョンがムスタキに吠えた。  
 ムスタキは、チラッとスイッチョンを見たが、平気な顔でいい加減な『支那の夜』を歌い続けている。洋もそれに合わせて、軽快な木魚のリズムを刻み続けている。  
 源蔵はまた校歌を歌い出した。  

 汲めども尽きぬ 友情込めて  
 ニワドリブーブー ブダはコゲコッコ  
 今日も楽しく学ぼうよ  
 ネゴはワンワン イヌニャンニャン

 二重唱になった。
「チッ、チッ、チッ、チッ、おいっ、この野郎! ニワドリはコゲゴッコーだべっこの。チッ、ブダはブーブーって鳴ぐんだ、バガっこの!」  
 酔いが回ってきた源蔵が大声で叫んだ。  
 その時、玄関には野々村高太がいた。彼はガムをクチャクチャかみながら、異様に盛り上がっている座敷をのぞいていたが、誰も気付いてくれる気配はなかった。
「野々村っス!」  
 彼は、玄関から子ボラ顔を思い切り突き出して叫んだ。岩場からチョコッと顔を出した子ボラをいち早く発見したのは周平だった。周平は素早く立ち上がって高太の前に行くと、
「何か」  
 と言った。  
 高太は、一瞬ドキッとして周平の顔を見たが、わざと余裕を示すかのようにガムをゆっくり2〜3回かんで、
「料理もらいに来たっス。貴志さんに言ってくれれば、バッキシ分かるっス」  
 と言った。周平は高太の言動に注意を払いながら、
「ちょっと、待ってください」  
 と言って貴志を呼びにいった。
「ばあたれ! シュナのブダはなあ。ヒック! ほんとにコゲコッコって鳴ぐんだっちゅうんだ。ヒーック! ばあたれ!」
「チッ! うそこぐでねえっ、この野郎!」  
 酒グセの悪い源蔵が絡んでいた。
「やあ、高太君。ちょっと上がっていかない?」  
 貴志は笑顔で高太に言った。高太は、貴志の言葉にちょっと座敷を見回して、大方酔っぱらいしかいないのを確認すると、
「いっス」  
 と言って、またクチャクチャガムをかんだ。  
 FBI捜査官、星野周平は、高太の一挙手一投足を注意深く観察していた。
「チッ、おめえ、いい加減なごど言うなってんだ、このペテン野郎!」  
 源蔵が叫んだ。  
 高太はそれにピクッと反応した。明らかに『ペテン野郎!』のところだった。
「ウル、ウル、ウルシェってんだ。チクショー、おらはなあ、シェンショーしゃ行って、ヒック! このマナゴで見できたんだっちゅうんだ、ヒック! ばがっこの。何だってんだ、このボンクラ男! ヒーック!」  
 金蔵も顔を真っ赤にして反論した。  
 高太は、今度は『ボンクラ男!』に反応してピクッとなった。
「料理下さい、2つ」  
 高太は動揺を隠しつつ貴志に言った。
「ああ、そうだったね。ちょっと待って」  
 貴志は台所に向かった。貴志が戻るまでの間も、捜査官はジッと監視の目を光らせていた。高太は、周平をやぶにらみするようにチラッと見て、落ち着きなくガムをかんだ。
「チッ、うそつぎっこのっ! いい加減なごどばり言うな!」  
 源蔵がまた叫んだ。源蔵にかかると、ジョルジュ・ムスタキさんは、ジョルジュ・ウソツキさんになってしまうのだった。  
 高太は『うそつぎ』と『いい加減』に激しく反応し動揺した。  
 貴志が大きな折りを2つ持って戻って来た。
「お待たせ。これみんなで食べて」  
 貴志がそう言って折りを渡すと、高太は乱暴に貴志の手からそれを奪い取って、そのままクルッと向きを変えて走り出した。
「チッ、チッ、おめえみでえな大うそつぎは家さけえれ。さあ、早ぐけえれってんだ! とっとどけえりやがれ! このうすらばが野郎!」  
 源蔵の金切り声が高太の背中を追い掛けた。『大うそつぎ』と『うすらばが野郎』に反応して、高太の肩がピクッと大きく動いた。  
 FBI捜査官は、またプロファイリングを追加修正した。  
 野々村高太→小賢しい(もとい→)うすらばか野郎。『バッキシ』という謎の言葉を吐く。ペテン野郎。ボンクラ男。大うそつき。いい加減。ガム好き。  
 以上だった。プロファイリングは格段に精度を増していた。

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25『傘』

「ブーブ、ブーブ」  
 洋は金蔵のほっぺたをつねって、歌の催促をしていた。
「こらっ! 洋」  
 郁子が叱った。
「ヒーック! おうおう、めんこいボンズだなあ。ヒーック! ブーブが?」  
 金蔵が洋を抱き上げて、自分の股の間に座らせた。
「コッコッコ、コッコッコ」
「ヒーック! んだんだ。ブダはコッコッコって、ヒック! 鳴ぐんだど、なあ。ニワドリはブー、ヒック! ブーってな」  
 金蔵は洋にいい加減な教育を施すと、また割りばしを持って『支那の夜』を歌い出した。洋は、慌てて金蔵の股ぐらを飛び出し所定の位置に座った。そして、木魚だけでは飽き足らなくなった洋は、鉦や米袋、さらには骨箱まで叩き出した。  
 トン、トン、チンッ! ボン、ボコボコ、チンッ! カンカンカン、チンッ! ボゴ・・・。  
 金蔵の歌ういい加減な『支那の夜』に合わせて、洋が快調にドラムを叩いている。
「洋! やめなさい」  
 大地が叱った。
「ははっ、いいから、いいから。故人もにぎやかなのを喜ぶから」  
 貴志が言った。
「まったくもう、どうしょうもないんですよ」  
 郁子が困り果てた顔で言った。
「それにしても、画才ばかりじゃなくて、音楽の才能もあるんだね、洋君は。将来が楽しみだ」  
 貴志が感心して言った。
「とんでもないですよ。ただの多動性幼児です。困ったもんですよ、ほんとに」  
 郁子がそう言って、洋のところへ行こうと立ち上がった時だった。  
 バヅンッ、バヅンッ、バヅンッ・・・。  
 パーカッショニストの奏でている音に、金属を強く叩くような不協和音が重なった。  
 ザザ、ザザザザザザザザザザザザー・・・。  
 次に、本家本元の音が聞こえないくらいの、圧倒的大音響が座敷中に響いた。  
 ピカッ!  
 続いて稲妻が光った。洋がびっくりして、泣きそうな顔で郁子のほうを見た。  
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・。  
 洋は、木魚の棒と鉦の棒を放り投げると、一目散に郁子の元に走った。  
 ドドドドドドドドーン!  
 次の瞬間、下っ腹を振るわすような重低音が鳴り響いた。
「うっ、うっ、うええーん!」  
 洋は郁子の胸に飛び込んで、泣きながら耳をふさいだ。
(また雨か)  
 貴志の脳裏を昨夜の悪夢のような豪雨がよぎった。貴志は眉根にしわを寄せた。  
 雨は激しさを増していた。稲光と雷鳴は、昨夜以上の頻度で光りそして鳴り響いている。  
 突然、部屋の電気が消えた。洋の泣き声のボルテージが上がった。
(あっ、停電だ!)  
 誰もが思った。
(ロウソク、ロウソク・・・)  
 多くの人間が反射的にロウソクを探した。そしてすぐに気付いた。ロウソクは既についているということに。祭壇の上にともる2本の大きなロウソクの明かりは、それだけで十分なだけの光を座敷の隅々にまで届けていた。  
 昨夜の豪雨を体験している村人たちは、雨の勢いが増していくことを案じてチラホラと帰り支度を始めた。彼らはめいめいに席を立つと、かなめの祭壇に水を上げ、線香を立て、それから手を合わせた。
(はて?)  
 誰もが疑問に思ったことがあった。それは、洋がひっくり返したログゴについてではなかった。バラバラ散乱している団子に混じって転がっている、明らかにそれと分かるティッシュペーパーの塊についての謎だった。  
 彼らはびしょ濡れになることを覚悟して、折り詰めの入ったビニール風呂敷を手に靴を履いた。そして、その折りを傘代わりに頭にかざした。
「チッ、傘どんぞ」  
 その時源蔵が傘を差し出した。『甚左衛門のチョロ』と書かれた白い布が縫い付けられた傘だった。
「おっ! こりゃあ、どんもどんも」  
 金歯の松吉は喜んでその傘を受け取ると、豪雨の中を跳ねるようにして帰っていった。
「チッ、はい傘、どんぞ」  
 源蔵がまた傘を差し出した。今度は、黒い文字で『葬祭センタービューティフルセレモニー』とグルリ全面に大書きされた傘だった。
「やあや、なっとも準備いいもんだなや。助かる助かる」  
 竹信という禿頭の村人が、ニカッと笑って傘を手に取った。  
 そうやって15人ほどの村人が、源蔵に礼を言って帰っていった。  
 一団の最後が金蔵だった。酩酊状態の金蔵は、フラフラした足取りで靴を履くと、充血した濁りまなこから焦点の合わない視線を源蔵に送った。
「ヒーック! オイオメオラウソ・・・、ヒーック! バガオメブダ・・・、ヒーック!」  
 もうすっかりろれつが回らなくなった金蔵に、源蔵は傘を渡そうとした。
「エルエレエロ、エラレーッツンダ。コロバラロウコロッ! ヒーック!」  
 金蔵はその傘を突き返した。  
 金蔵はそのまま、雷鳴とどろく雨の中をずぶ濡れになりながらフラフラと千鳥足で帰っていった。
「大丈夫ですかねえ」  
 貴志が源蔵に聞いた。
「チッ、なあに、あのバガ。雨さ当だって少し頭冷やせってんだ。チッ、ついでに、頭さ雷でも落ぢでければ少しは賢しぐもなるべよ。チッ、チッ、チッ」  
 源蔵は苦々しくそう言った。
「それにしても、傘役に立ちましたね」
「チッ、備えあれば憂いなしってのはこのごどだ。チッ、覚えでおげ」  
 源蔵は、『褒めんなよ、照れるぜ!』と言わんばかりに、ホゲホゲした顔でそう言った。

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26『お通夜』

 ダイニングテーブルの上に置かれた発泡スチロールの箱の前には、ブルーベリージャムの瓶とキャットフードの皿、水の入ったグラスなどが置かれ、ジャムのスナップ写真が飾られていた。  
 美樹は、寝室のキャビネットの奥からライムグリーンのマフラーを探し出すと、それをソッとスーパーで買ってきた花の前に置いた。マフラーは、毛がほつれて所々ボロボロになっていた。それは、ジャムがまだ小さかった頃、じゃれて遊んでいたものだった。  
 椅子にゆっくりと腰掛けた美樹は、寝室で使っているアロマキャンドルに火ををともし、ジャスミンの香りがするお香を燃やした。  
 ゆっくりと立ち上っていく煙と、広がっていく心地いい香りの中で、美樹はしばしくつろいだ気持ちになった。
(今まで本当にありがとう)  
 目を閉じて手を合わせた美樹は、ペット葬儀社のオペレーターに告げられた言葉と全く同じ言葉を心の中でつぶやいた。  
 時計を見ると、すでに8時半を回っていた。  
 美樹は、貴志に電話しなければと思った。立ち上がって受話器を取り上げた美樹は、愛宕村の番号を押そうとして指が止まった。
(貴志が出るはずがない。あのババアたちが出るかもしれない。ババアたちに限らず、きっと全員自分のことを陰でののしっているはずだ)  
 お逮夜の席で、ヒソヒソと、あるいはおおっぴらに繰り広げられているであろう自分への悪態が目に浮かんだ。美樹は、今度は貴志のケータイにかけようとして、また指を止めた。
(ジャムと俺のかあさんと、どっちが大事なんだ!)  
 貴志のあの言葉が浮かんだ。  
 美樹の指が、プッシュボタンを7回押した。
「お父さん?」
「ん? ああ、美樹か」
「ジャムが死んだの」
「ああ、やっぱりダメだったか」
「うん」
「そうか」
「うん」
「まあ、仕方ないだろう。生き物はいつか死ぬんだ」
「うん、今ジャムのお通夜をやってたんだ」
「お通夜? お前今どこにいるんだ」
「家」
「家ってマンションか!」
「うん」
「かなめさんのお通夜じゃないのか、今日は」
「うん」
「どういうことだ」
「・・・」
「早くそっちへ、かなめさんのお通夜へ行きなさい」
「・・・」
「美樹」
「・・・うん」  
 受話器を持つ手を涙が濡らした。
「いいね、明日は葬式なんだからね」
「お父さん」
「ん?」
「葬式には来ないで」
「・・・」
「お父さんが病気だってことになってるから」
「・・・」  
 ピカッ!  
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・。  
 ドドドドドドドドーン!  
 雷鳴がとどろいた。
「どういうことだ!」
「だから・・・。そういうことになってるから」
「・・・」
「・・・そうでもしないと」  
 やっと美樹の言っている意味を理解した要三は、最後にもう一度言った。
「早く、貴志君のところへ行きなさい!」  
 美樹は無言でコックリうなずくと、静かに受話器を置いた。

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27『ネコバリ岩』

「源蔵さんは、たすか真橋村ですたねえ」  
 一三が源蔵に聞いた。一三と作之進親子は、村人たちとは一緒に帰らずに座敷に残っていた。  
 まだ雨脚は衰えなかったが、雷鳴は少し遠のき、停電もあれっきり解除されていた。
「チッ、んだす。真橋村でごぜえます」  
 傘を渡している間に、源蔵は少し酔いが覚めたようだった。そして、相手が元先生ということもあってか、源蔵はかなり丁寧な言葉遣いだった。
「何でも、あそごのネコバリ岩のとごろで、映画のロケをやっているそうですね」
「チッ、んだす。『釣りバガ三平』だがっつう映画でごぜえます」  
 源蔵は、映画のタイトルを微妙に間違えていた。
「そうですか。そういうものがあるど、いぐらが観光客も増えるんじゃないですか?」
「チッ、まあ、そんであれば、チッ、ありがでえもんだすども」
「そうですね。このままでは、この地域の財政は干上がってすまいますからねえ」
「チッ、まったぐもって、その通りでごせえます」
「若者はいなぐなる。そうなれば子どももいない。結局、年寄りばっかすの地域になってすまいますからねえ」
「チッ、んだす。ほんとだす。なんでも、限界集落っつうもんだそうだす。チッ、もう村は限界だっつうごどのようだす。チッ、チッ、沢目小学校も来年閉校になって、そのまんま老人ホームになるんだそうだす。チッ、おらこの年なって、まだ同じ小学校さへえるどは、チッ、思わねがったすなあ」  
 一三は、うんうんと大きくうなずいた。
(源蔵は昔、優等生だったのかもしれないな。そう言う意味では俺と一緒だな)   
 一三と源蔵の会話を聞きながら貴志は思った。
「洋! お風呂ですよー!」  
 バスルームにお湯を張っていた郁子が叫んだ。洋は涙のあとをくっきり残した顔で、人さし指をしゃぶりながらスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
(こいつ、今日は大活躍だったもんな)  
 洋を起こそうとして立ち上がった大地を制止して、貴志はニッコリ笑うと、バスルームの郁子に、
「洋ちゃん、寝てますよー。少しこのままにしておいてあげたら」  
 と叫んだ。
「そうですかあ。すみませーん」  
 遠くで郁子の声がした。
「貴志君は、ネコバリ岩に行ったごどありますか?」  
 一三が貴志に話の矛先を向けた。
「ええ、小学校の時に1回。確か『鍋っこ遠足』の時だったと思います」
「そうですか。そういえば鍋っこ遠足もやりますたねえ」
「ええ、紅葉の季節におっきい鍋持って、山で穫ったきのこをたくさん入れて、ダマッコも入れて・・・」
「えっ? ダマッコ? それって何ですか?」  
 それまで黙って話を聞いていた大地が、貴志に向かって聞いた。
「ああ、そうか。大地君、知らないか」
「ええ、こっちには4歳までしかいなかったですからね」
「そうだったね。あっ、ダマッコっていうのはね、ちょうどピンポン球ぐらいの大きさに丸めた団子のような、もちのようなもので・・・」
「チッ、チッ、チッ、違う、違う。もぢでね」  
 源蔵が口を挟んだ。
「チッ、ダマッコは、うるち米をちょうどいいあんべえに、こうこう・・・」  
 源蔵は、すりこぎ棒でつぶすまねをした。
「なるほど。じゃあ、きりたんぽとは違うんですね」  
 大地が聞いた。
「そうだね。形状も違うし、あっちは棒に刺していろりで焼くでしょ。そこも違うね」  
 貴志が説明した。
「なるほど。この辺独特のものなんですね」  
 大地がうなずいた。
「そうですね。旧高合町の名物というごどになっております。とごろで・・・」  
 ネコバリ岩に話を戻そうと思った一三が、無理矢理話に区切りを付けた。
「ネコバリ岩の意味は分がりますか?」  
 一三が言った。  
 貴志が首を傾げるのを見て、源蔵が手を挙げた。
「ネコバルっつえば、例えば、風船ふぐらます時どが、便所さ入ってこう、うーっんって力む時に使うども、そういうごどでねすか? 先生」
(やっぱり、源蔵は優等生だな。でもちょっとたとえが下品かもな)  
 貴志は思った。  
 一三は、満足げにウーパールーパー顔に笑みを浮かべると、先生口調でこう言った。
「そうですね。『気張る』という意味で、そういう時に使うのも正しいどは思います。ただ、語源的には、恐らく『根っこが張る』から来ているのだど思います。つまり、根っこが張ったようにどっしりとして動かない。あの岩は、まさにネコバリ岩そのものですねえ」  
 一三が解説した。
「わしらも一緒じゃの」  
 さっきから、ジッと目を閉じて寝ていると思っていた作之進が、突然話に入ってきた。
「この土地に、ネコバッて、這いつくばって生ぎできたんじゃからな。こごよりほがに、どごにも暮らす場所を知らんかったがら。旅行さ行ぐっつっても、ばあさんたちは勤労奉仕で東京さ行ったごどはあるが、せいぜいそごら辺の温泉場ぐらいのもので、都会はおろか本物の海だって見だごどもない者も多い。そういう意味では、わしらもネコバリ岩のようなもんじゃの」  
 スミたちに混じって、お膳の片付けをしていた周平と彩は、聞くともなく作之進の言葉を聞いていた。

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28『長い1日の終わり』

「貴志、ワッパガ(大体)片付いだども、おらだぢそろそろけえってもいいが」  
 前掛けで手を拭きながら、スミが貴志に聞いた。
「あっ、すみません。どうもいろいろと、何から何までありがとうございました」  
 貴志が立ち上がって礼を言った。源蔵も立ち上がって頭を下げた。
「でっけえザリガニ、うめがったなあ」  
 のり子が言った。
「あいい、ザリガニでねって。伊勢エビだでば」  
 マチが言った。
「明日は4時に来ねえど間に合わねえがら、おらだぢ全員4時に来るがらな。4時だど、4時な」  
 スミは、何度も『4時』を強調した。
「明日はいよいよ十六団子ですね。早い時間から申し訳ありません。どうかよろしくお願いします」  
 貴志が言った。  
 スミは座敷を見回しながら、
「明日はアバいるんだべな」  
 と言った。
(アバ? ああ、美樹のことだ)  
 貴志はその意味にすぐに気が付いて、
「ええ、たぶん」  
 と、憮然とした顔で言った。
「じいさん、一三、なっとする? 一緒に帰るが?」  
 マチが言った。
「そうじゃの。わしらもそろそろ帰るとするかの」  
 作之進はそう言って、よっこらしょっと立ち上がった。一三も書道具箱を持ってそれに続いた。
「今日も徹夜になるがもすれません。美樹さんのほうが少す手こずりそうです」  
 一三は難しい顔でそう言った。  
 洗い物をしていた郁子が、エプロンのまま座敷に入って来た。
「大体片付きましたので、どうぞ今日は。お疲れでしょうし明日もありますから、皆さんゆっくり休んでください」  
 と言って座を仕切った。まだ30そこそこの郁子だったが、その対応は実に的を射たものだった。
(それに比べて美樹は・・・)  
 貴志はつくづく情けなくなった。
「あっ、周平君。彩さんも、今日は本当にありがとう。明日もよろしく頼みます」
「はい。じゃあ、私たちもそろそろ失礼します」  
 周平たちもスミたちと一緒に帰ることになった。  
 スミの腹の辺りは、子どもを抱いたカンガルーのようにふくれていた。そして、スミの折りもまた、ふたが浮き上がるほどにふくれていた。それは、人が残した刺身などを大量に詰め込んだからだった。  
 源蔵は、玄関から人数分の傘を持ってくると、高校野球の優勝旗を授与する時のように、
「チッ、どんも。今日はたいした難儀掛げますた」  
 と言って、一人一人に丁重に傘を手渡した。  
 どしゃぶりの闇に彼らが消えると、座敷は急に静かになった。家にいるのは、奥田大地ファミリーと源蔵と貴志きりになった。貴志は大地と郁子に向かって、
「どうだい、お風呂一緒に入ってきたら? 長旅で疲れたでしょう」  
 と言った。郁子は源蔵にチラッと目をやって、
「よろしかったらお先にどうぞ」  
 と言って、手を差し出した。
「チッ、いいがら先にへえれ」  
 源蔵は、ほとんど残っていない焼酎の瓶を傾けながら言った。
「そうですか。じゃあ、私たち、ねえ、あなた」
「すみません。じゃあ、お先します」  
 大地はそう言って、眠っている洋を抱き上げた。洋は指をくわえたまま、大地の腕に抱かれてバスルームに連れていかれた。  
 貴志は、今日初めてのタバコを吸った。ニコチンの慰安が全身に行き渡ると同時に、虚脱と疲労と睡魔が一気にわき上がってきた。
(疲れた・・・)  
 貴志は、しばらく忘れていたこめかみの痛みを感じ、目を閉じた。
「チッ、よう、飲めや」  
 源蔵がビール瓶を持って貴志に勧めた。
「あっ、どうも」  
 半分ほど残ったぬるくなったビールを一気に飲み干した貴志は、小刻みに震える手でグラスを差し出した。源蔵は貴志にビールを注ぐと、自分は焼酎の瓶を逆さまにして、最後の一滴をグラスに落とした。
「チッ」  
 源蔵は焼酎をもったいなさそうに口の中で転がしながら、高そうな鉢に盛られた煮付けのフキにはしを伸ばした。

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29『フキの歌』

 

 僕はフキが大好きです。毎日でも食べたくなる  
 フキは茎だけでなく、葉っぱもとてもおいしくて  
 僕はタケノコも好きです。毎日飽きることはなく  
 軟らかいとこだけでなく、硬い根っこのあたりも大好きです  
                『フキの唄』(作詞 吉田拓郎)

「タケノコとフキの煮付け、うまかったねえ」  
 吉田拓郎のCDが流れていた。顔に化粧水をペタペタ付けながら、文字通りの『湯上がり娘』になった彩が言った。
「うまかったな、あれ誰作ったの?」  
 本物の湯上がり娘をほお張りながら、周平はビールを飲んでいる。
「何かねえ、割烹からの差し入れみたいよ」
「へえ、それにしても、あの料理半端じゃなかったよな。伊勢エビとかキンキとかさ」
「うん。賄いにもおんなじような料理が出たのね。驚いちゃってさあ」  
 顔の産毛を安全カミソリでなぞりながら彩が言った。
「スミばあ、腰抜かしただろ?」  
 周平がクスクス笑った。
「ううん。『なあに、こんたらもん。大味でてえしてうめぐねえもんだ』なんて言ってさ」
「ククッ、スミばあらしいな」
「でもねえ、出てんの」
「え?」
「私見ちゃったの」
「えっ? 何が?」
「よーだーれ」  
 彩は周平のほうに向き直ると、口をだらしなく半分開けて『よだれダラーン』のポーズをした。周平は思わずプッと枝豆を吹き出した。
「もう一つ、見ちゃった」
「えっ? 何、何?」
「残った料理をいっぱい詰めてんの。自分の折りに」
「プッ、やりそうだな。でも、確かにもったいないっちゃあもったいないもんな」
「だよねえ」  
 風呂上がりのお手入れを終えた彩は、周平の隣に座って、周平の注いでくれたビールをクーッとうまそうに飲んだ。
「ねえ、吉田拓郎さん、ほんとにフキの葉っぱやタケノコの根っこ好きなのかなあ」
「ええっ?」
「この歌よ。そう言ってるでしょ」
「うーん、でも、全体通して聞くと比喩だってことも分かるんじゃない?」
「だよね。でも、この辺のおじいちゃん、おばあちゃんは本当に食べそ」  
 彩はそう言って笑った。
「そうそう、今日滋子さんっていう人に会ったのね」
「うん、傘持ってきただろ、滋子」
「そう、今度遊びにきてくださいって言ったの。周平にも会いたがってた」
「そっか。滋子ともしばらくゆっくり話してないもんな」  
 周平はそう言って最後の枝豆を口に入れた。
「あー、足疲れたなあ・・・」  
 彩が半ズボンのパジャマからスラリと伸びた足を、グニュグニュもみながら言った。
「明日も早いから、そろそろ寝るか」
「うん、じゃあ寝しゃべりね」  
 彩が目をランランと輝かせながら言った。

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30『寝しゃべり』

 『寝しゃべり』とは、布団に横になってからのおしゃべりだ。周平と彩は、中学高校の修学旅行の時のように、たわいない日々の出来事を、布団の中でいつまでもいつまでもしゃべくり合うのが習慣になっていた。  
 周平は『野々村という犯行グループのプロファイリングについて』を中心テーマに、推理サスペンス風な話の組み立てをした。
「それ、面白い、面白い。明日の結末が楽しみだわ。捜査官、ガンバッテ!」  
 彩は最後にワクワクした顔でそう言った。  
 一方、彩の中心テーマは2つあって、1つは『団子作りの経緯』という、爆笑コメディタッチのお話だった。周平は笑い過ぎて腹の皮がねじれるほどだった。もう一つは、『ログゴ団子における団子の数に関する疑問』という、アカデミックなテーマだった。テーマがテーマなだけに、周平は我意を得たりとばかりに設計上の持論を展開した。
「設計的には、あれは正三角錐。つまり正四面体だから、ええと、一番下は、5個、4個、3個、2個、1個の正三角形で合計15個。2段目が4個、3個・・・、頂上の5段目は当然1個。つまり合計35個だね。ログゴは2つあるわけだから、それが2つで本当は70個あればよかったんだよ」  
 周平は、エッヘンとばかりにしゃべり終えた。
「へえー、じゃあ、考古学的な観点で聞くけど、世界一高いギザの大ピラミッドを団子で作ったら一体幾つ必要でしょうか? ちなみに底辺の各辺は230メートル、高さ146メートルでーす!」  
 彩が鋭い突っ込みを入れた。
「ええっ! ピラミッドは四角錐だから、ええと・・・。団子の直径を仮に2センチとして・・・うわあ!」  
 周平はしっぽを巻いた。
「エッヘン! 分かんないだろう」  
 今度は彩が威張った。
「ちょっと待って。ええと、底辺が230・・・」  
 周平はしばらくこの宇宙規模の難問に挑んでいたのだが、解けそうもないと観念してやっぱり白旗を上げた。
「ねえねえ、それは明日の宿題ってことにして・・・」
「・・・」
「ねえ」
「・・・」  
 クークー気持ち良さそうに寝ている彩の枕元には、3時半にセットされた目覚まし時計が置かれていた。

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31『美樹11時半』

 時計は11時半を回っていた。  
 美樹はソッと勝手口の戸を開けた。そして、空のお膳が積み上げられた廊下を通って座敷に入った。祭壇の脇に、貴志と源蔵が向き合う形で横になっていた。彼らの傍らには、ビール瓶と中身の入ったグラスが無造作に置かれている。   
 美樹は寝室からタオルケットを持って来ると、2人にソッとそれを掛けてやった。奥の部屋では、洋をまん中に大地と郁子が川の字になって寝ている。  
 祭壇の前に座った美樹は、短くなったロウソクを新しいロウソクに替え、線香を上げた。  
 美樹はかなめの遺影写真を見た。初めてジックリとその顔を見詰めた。かなめは、満面の笑みで美樹を見詰め返していた。枯れたはずの美樹の目から止めどなく涙があふれ出た。美樹は、長い間そこに座っていた。  
 木魚の棒を握ったまま寝ている洋が、寝言を言いながら何度も寝返りを打った。

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32『ヌー』

 午前2時。謎の徘徊者ヌーはソッと天井裏を抜け出した。  
 雨はすっかり上がって、空には星が出ていた。ヌーの足は真橋村に向かっていた。真橋村までは6キロの距離があったが、健脚のヌーはズンズン歩いて、やがて『ネコバリ岩』にたどり着いた。  
 滝つぼでイワナが跳ねた。イワナの腹が月光にキラッと光った。子連れのツキノワグマがそれを狙って水に飛び込んだ。ヌーは傍に立っている看板に目を留めた。映画のロケ地であることが書かれていた。ヌーは満足したようにうなずいた。ヌーはミーハーのようだった。  
 それからヌーは一気にまた愛宕村に引き返した。そして、双六のスイカ畑にズンズン入っていくと、大きなスイカを抱えてそれを石の上に落とした。ヌーは怪力だった。  
 ヌーはグチャグチャになったスイカを、手づかみでうまそうに食べた。ヌーはのどが渇いているようだった。あらかたスイカを食べ尽くしたヌーは、今度は火の見やぐらの下に立った。そして満天の星空を見上げた。  
 プッ!  
 ヌーは、口に含んでいたスイカの種を、星空めがけて思い切り吐き出した。種は1メートルほど飛んだだけでヌーの顔の上に空しく落下した。ヌーは肺活量はあまりないようだった。  
 ヌーはそれから双六の家に向かった。植え込みの茂みから部屋をのぞくと、双六とユンボはポコンとふくれた百姓腹を丸出しにして、大口を開けて幸せそうに寝ていた。  
 次にヌーはスミの家に行った。ふすまに開いた穴から中をのぞくと、スミは人形を枕元に置いて寝ていた。人形は、きらびやかなドレスを身にまとってはいたが、異様に大きいてるてる坊主頭のせいで、さえない三頭身人形に成り下がってしまっていた。  
 ヌーは、スミの家の玄関の戸を開けると、ソッと台所に忍び込んだ。そして冷蔵庫を開けた。マグロの刺身が目に留まった。ヌーはそれを3切れ口に入れた。  
 今日のヌーはアクティブだった。それから、マチ、のり子、歌子ら村の家々を次々に回って歩いた。そして、最後にデベソのタマヨの家に着いた。タマヨの脇で金蔵が大きないびきをかいて寝ていた。ヌーは寝室に忍び込むと、金蔵の枕元に立った。ヌーはいきなりギュッと金蔵の手を握った。金蔵がビグッとなった。  
 タマヨの家を出たヌーは、道の向こうに人の気配を感じてドキッとした。新聞配達のタワスが来たと思ったからだ。今日は少し長居をし過ぎたなと反省した。  
 慌ててヌーは脇の茂みに隠れた。しかし、それはタワスではなかった。黒いマントを着た男だった。男は、ヌーが隠れている茂みの前で一瞬立ち止まったが、そのままタマヨと金蔵の家の方向に歩き出した。  
 男をやり過ごしたヌーは、茂みから出て貴志の家に戻ると、北側の壁をつたってまた天井裏に身を隠した。<第1部第3章完>(まだまだ続きます!)

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●『第2部第1章』へ続く

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