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雑感34「尊敬されるオバサンになるために」

2014.09.29

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 真理さんの夫のヤスシです。
 真理さんの雑感ファンの皆さん、ごめんなさい。
 かれこれ21か月もこのコーナーをお休みしていました。
 何とかしなくちゃ! とは思っていても、忙しくてなかなか書けない。
 そんな折、12~13年前のOL時代に、仙台のコミュニティーFMで『OLエッセイ』とかいう番組やってた時の原稿が出てきました。
 OLしながらライターとしての独立を目指してセッセと書いているわけですが、筆致がのびやかで真摯な想いと純真さが伝わってくるとってもいいエッセイです。
 自分で書いたものだし、載せても構わないだろうということで、これからボクが代筆して(原稿は印刷したものだけなので打ち直して)いきたいと思ってます。

「尊敬されるオバサンになるために」278 

 身近な子どもの成長ぶりを目の当たりにした時ほど、時の流れの速さを実感することはありません。
 何度もご紹介してきた私の6人の甥っ子、姪っ子たちも、中学、高校に進むにつれ、めっきり大人びてきまして、頼もしいような、淋しいような複雑な心境です。
 今日は、現在、中3の姪っ子のお話。彼女はその昔、プクプク太った何とも面白い、ぬいぐるみみたいな赤ん坊でした。
 3歳ぐらいから小学校に上がるまでは、機嫌が悪くなると手足をばたつかせ、ぴょんぴょん飛び跳ね、体全体で不満を表現するので、もう、そうなったら手が付けられず、家族はそんな彼女を「キョンシー」と呼んでいたものです。
 あれから10年、月日の経つのはなんて早いんでしょう。中学3年になった彼女。今ではものすごくしっかりしている。
 先日、話をしていて思わず私は「ほーっ」とうなってしまいました。受験生である彼女、「もう、将来何になりたいとか考えているの?」と聞くと、「うん、まあ一応ね」なんて言う。
「じゃあ、そのための進路も決めてるの?」と聞くと、「うん、でも第一志望の高校は、ちょっと今の成績じゃ難しいし、第二志望のところは校風はすごく自由なんだけど、クラブ活動が盛んじゃないのね。学生時代はやっぱりクラブとかやるほうが、いろんな意味でプラスになると思うんだよね」なんて、とてもハキハキとしっかり話すのです。
 今年の夏は、自分をひと回り成長させるためにアメリカにホームステイしたいのだとか。
 今、30過ぎたこの歳になってさえ、自分に人生これでいいんだろうかと悩み、これから先の将来像も描けずにいるオバサンの私。爪のあかでも煎じて飲みたいくらい。
 それにしても、ほんの赤ん坊だった子どもが、ピーピー騒いで大人を閉口させ、それでもかわいくてかわいくて、ず〜っと守ってやらなくちゃ、なんて思って見ていた子どもが、いつの間にかこんなにしっかりしてしまうのですから、感慨無量とはこのこと。不思議ですよね。
 大人と子どもの関係だったものが、ある時、ある年齢を境に、30歳も15歳も大差ない話し相手、対象になっている。
 母親である姉は、もうすっかり彼女を良き相談相手として頼りにしています。
 ふと30過ぎて、結婚もせずにいる大人だか子どもだか分からないこのオバサンは、彼女の目には一体何物に映っているのだろうかと、不安になってしまいました。(おわり)

 ボクの感想です。
 そんなキョンシーだった姪っ子のU子ですが、ホームステイもしましたし、努力して看護師と助産婦の資格も取り、優しい産婦人科のお医者さんDくんと結婚しました。
 そして先日、無事に女児を出産。ももちゃんの「母」になりました。おねえちゃんは「ばっぱ」になりました。
 一方、そんなオバサンだった妻もまた、こうしてボクと結婚してめでたくシアワセに暮らしているわけでして。。。
 月日の経つのは誠に早いものだね。

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雑感33「自分育て」

2012.12.15

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 いやあ、随分何も書きませんでしたなあ(笑)。笑ってごまかすつもりはないが。
 いろいろあったなあ。家族の一人、義兄が逝ってしまったことも大きな出来事だった。何もない人生なんてつまらないというが、起こった時はそんな余裕をかましていられないもんだ。  
 世の中もいろんなことがあって、景気も政治もグチャグチャ。でも、そんな中にあっても、もしかしたら変わったかな? と思うことがある。景気がどん底になって、日本の未来に希望が持てなくなって、あの震災があって、一体どうなることかと思ったけれど、なんだかちょっとずつ変化を感じるのだ。  
 あの震災が起こって、人のいたみに寄り添いたい、何かできることを始めたい、力になりたいとボランティアに駆り立てられる人々がいた。今でも続いている。原発事故からエネルギー問題に否応なしに向き合わされ、「持続可能」「再生可能」など、かつて日常会話では登場しなかった言葉が飛び交うようになった。食の安心・安全を求め、農業や漁業といった一次産業にも目が向けられるようになった。しかも、若者たちが新しい感覚で新しい一次産業を生み出そうとしている。  
 「何か自分にできることをしたい」「何歳になっても遅過ぎることはない」「行動しなければ何も始まらない」「人のために何か役に立つことをしたい」、こんな言葉を多くの日本人が語り、本当に突き動かされて人生観が変わった人がどれほどいることか。なんだか少し世の中の空気が変わったような気がする。省エネ、エコ、環境なんていう言葉はもう普通で、商品開発もそんな方向。人々のマインドもそんな方向。「安心・安全」、これももう当たり前の感覚になった。生産者の顔が見えるものを買いたい。消費者の顔が見える商売をしたい。お金じゃない価値、もうけじゃない価値。不幸な出来事も、どうやらたくさんの「たね」を残したんだなあと思う。日本の未来も捨てたもんじゃないとも思えてきた。  
 ところで、前出の言葉だが、引っくり返すと、「自分にできることをしない人」「歳のせいにしてもう遅過ぎると何もしな人」「行動しない人」「人のために何もしない人」みたいな感じ。ん、私か? みたいな感じ。  
 ここで私は長い瞑想に入ってしまう。まず、自分の生活を回すことが大事だと思っているが、それってダメか? 自分が幸せを感じられなければ、人に幸せを分けてあげるなんてムリムリ。自分の身近な人を助けられなければ、ほかの人を助けるなんてムリムリ。そう思う自分って心の狭〜いエゴイストなのか? と、私はまず思う。思うのだけれど、また思う。人には持って生まれた使命があると同時に、持って生まれた甲羅というものもある。できる人ができることをするのが一番。「できること」はいろいろあるから、そこで出てくるのが甲羅の話。いろんな人がいていいわけだ。だって、そもそも私たちはみんなこの地球を一時お借りして生きているだけの砂粒ほどの存在だもの。その砂粒が一生懸命生活している、その営みは取りあえず合格で、もしかしたら砂金に相当するのではないか?  
 会社勤めをしている人も頑張屋さん。自営業の人も頑張り屋さん。大企業の人も中小企業の人も零細企業の人もみんな頑張り屋さん。農家だって漁師だって大工さんだってお店屋さんだって、店員さんだって芸術家だって、おじいちゃんだっておばあちゃんだって、お父さんだって主婦だって、みーんな頑張り屋さんなわけだ。生き方上手の人だって生き方下手の人だって、みんな頑張り屋さん。だから、誰かがやったことを素直に心の底から「すごいなあ」「えらいなあ」「カッコイイなあ」と思えること、ジーンと胸が熱くなってウルウルになったり、この感激を分かち合いたいと必死になって人に教えたり、そんなことでもいいんじゃないか? 大事なのは、人をたたえるピュアな心と、その背景を想像する豊かな感受性ではないだろうか。  
 かつて夫は、夢と野心を抱いた若き起業家だった。今の夫は、「自分の文章を読んで、誰か一人でも面白いって感じてくれたらうれしいんだけどなあ」といって、日々紡いでいるささやかな幸せを書き綴っている。かつての野心に満ちた眼光はない。「どうせ誰も読んでないさ」と時々ひがんだりしながらも書き続けている夫の、そんなまあるいエネルギーが私はすてきだなあと思う。なぜなら、それがこの人の53年目の今在る姿だからだ。“今の自分”にとって何が大切かをちゃんと知っているし、“今できること”を細々とやっている人の一人である。  
 世の中のいろんなところで、いろんな人が、いろんなことをして生きている。「この人すごいね」「この人、カッコイイ」、「こういう人間にはなりたくないもんだ」、そんなことをよく夫と話す。誰かの生きざまに感激してマジ泣きすることもしょっちゅうある。若い頃、「将来あんな人になりたい」と描いたものだけど、この年まできた今は、「こういう人間でありたい」と明確になった気がする。何歳まで生きるかは分からないが、人としてよりよく生きたいと思うのだ。だから、老若男女いろんな人のことを見聞きして「すごいなあ」と思い、応援したいと思い、見習いたいと思い、反省しなきゃと思い、本物を見つける目を養い、人から学べる人になれるように自分育てをしているんだと思う。「自分はなんぼのもんでもない」とか「ちっちぇえなあ」と落ち込みながら、戒めながら、死ぬまで自分育てを続けるんだろうと思う。よりよい砂粒になりたい一心で。それだって、生まれてきた使命の一つじゃないかな?  
 そうだ、目標は稲穂さんだ! 稲穂さんって誰? 「実るほど頭をたれる稲穂かな」。いやあ、久しぶりに長文になったぞ。

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雑感32「春ははんなり」

2012.04.08

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 どこかでは桜が満開だとか。東京でも開花が宣言されたとか。そりゃそうだ。もう4月なんだもの。だがしかし、秋田というところは寒い。秋田というか、五城目町馬場目町村というべきか、我が家というべきか。いやいや、この冬は本当に恐ろしいほど雪が多くて寒くて、そして春先も不穏な天気が続いたのだ。結果、観測史上初の大雪を記録し、先日は観測史上初の瞬間風速を記録した。家の中にこもっているから余計に寒く感じるのか、まだまだ何もかも冬支度のまんまだが、もういい加減、厚手のセーターも着飽きた感じ。  
 と、そんなところに友達から便りが届いた。思わず「ほうっ」とため息をもらした私だった。封筒にはかわいらしい桜の模様が描かれていて、開けると、中の便箋も揃いだ。薄〜く色づいたつぼみと、開いた花と。ああ、春の香りだ。そして、相変わらず達筆な友の柔らかな文字がしたためられていた。  
 電子メールの時代になって、めっきりペンや万年筆を手にする機会が減った。私は仕事柄、キーボードを打つのが結構早いので、メールを打つほうが断然手っ取り早い。カチャカチャカチャチャ、それで済む。  
 待てよ、本当にそれで済むのだろうか? 今、手にしている友からの手紙は何かが違う。そうだ、目に映るもの、心に映るものが違うのだ。寒い北国で暮らす友を思って一足早い春の風を送ろうと思うその気持ちが、ちゃんと届けられたのだ。手にしたときにちゃんと伝わってくるのだ。便箋や封筒を選ぶときから始まる思いの伝え合い。パソコンや携帯のディスプレイで見るメールの中からは得られないもの。  
 私は自慢じゃないが、ひどい悪筆である。みみっちいちっちゃな字、丁寧に書いても殴り書きのようにしか見えない字。若い頃からコンプレックスを持っている。でも、こうやって直筆の手紙を手にしてみると、やっぱり手紙は便箋に書くもんだ、封筒に入れて届けるもんだと思う。へたでもいいからペンを握って書いてみようかなと思う。  
 今、大切に机の上に置かれている手紙は、まだ冬のまんまの部屋の中で、どこか「はんなり」とした空気を放っている。そうだ、春がきたんだ!

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雑感31「今を生きる」

2012.03.13

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 あの忌まわしい日から1年がたったわけだ。いろいろなことが変わった。失ったものははかり知れない。反対に、得たものもある。気がついたこともある。そうか、1年たったのだなあと思う。  
「今はこんなに悲しくて、涙もかれ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけれど・・・」、そんな思いだった大勢の人々。中島みゆきさんの「時代」という歌はこんなふうに続く。

 そんな時代もあったねと
 いつか笑える日がくるわ
 あんな時代もあったねと
 きっと笑って話せるわ
 だから今日はくよくよしないで
 今日の風に吹かれましょう
 まわるまわるよ 時代はまわる
 喜び悲しみくり返し
 今日は別れた恋人たちも
 生まれ変わって歩き出すよ      

 そうあってほしい。  
 私には震災の後ずっと気になっている友達がいた。福島県のいわき市に住んでいる。発災直後に連絡は取れたものの、その後の原発問題もあって、今どんな状況に置かれているのか、どんな思いでいるのか、報道されている情報や想像だけでは分からない。不用意なことを言ってさらに傷つけてしまうのではないかと恐れ、どういう言葉を掛ければいいのか分からず気になったまま月日が流れていった。      
 そんな彼女から電話があった。想像していた以上に大変な現実を話してくれたが、それでも聡明な彼女らしく、懸命にたくましく頑張っていた。電話の向こうから凛とした息遣いが伝わってきた。もう二十年近くも会えずにいるが、彼女は確実に同じ空の下で「今」を生きている。よし、私もこの地でしっかり生きていかなければ、そう思った。      
 ところで、私と夫はそろって案外気が小さい。その裏返しなのか、事あるごとに「ばあちゃんがきっと守ってくれている」「お父さんが守ってくれているはず」みたいな話になる。大好きだった人たちがあの世からいつも見ているから、曲がったこと、よほど悪いことをしなければ、きっと2人で仲良く長生きできると思っている。特に最近は年のせいなのか、どうも小さくまとまりがちな気がする。だが、いわきの友達の力強い声を聞いた時、今この瞬間に確かに生きているという事実、そして、その今を懸命に味わって生きることが大切なのだとつくづく感じた。そうだ、転ばぬ先の杖ばかり集めていても駄目だ。過去をもう一度生きることはできないし、未来に確かなものなんてない。今を熱心に生きることが大切なんだ!  
 亡くなった人には見守ってくれる懐の深さと優しさがある。生きている人にはエネルギー伝播力と背中を押してくれるたくましさがある。どちらも私には大切な栄養素だ。

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雑感30「向き不向き」

2011.06.20

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 年に一度の村の共同作業の日。夫は朝早くからお弁当を持って出掛けていった。この村においては51歳の夫もまだ「若手」の部類。若手の男には、最も重労働とされている山仕事が割り当てられる。チェーンソーを操る人、草刈り機を操る人、ナタやノコギリ、コマザリという何だかよく分からないものなど、ほかにもいろいろ山作業グッズがある。そして、過酷な労働の上に、山ヒルがいて、毎年必ず血まみれの犠牲者が出る。  
 この行事、村の排水路の掃除したり、草取りをしたり、神社の掃除をしたり、ゴミ捨て場の箱にペンキを塗ったり、集会所の掃除をしたりという村の一大事業で、老若男女問わず、一家から必ず1人参加する決まりになっている。出られない家は6,000円払わなければならない。わが家にとっては極めて深刻な金額なので毎年夫が出るわけだが、これがホント、体験したことのない私が言うのも変だけど、死ぬほどしんどい。Tシャツもズボンも絞れるほどの汗をかいて帰ってくる。頬はこけ、目はうつろ・・・。エライなあ、あなたは本当にエライ! この日は心の底からそう思うのだ。  
 50代の女性も2人ほど山担当を割り当てられて出掛けていった。エライなあ。ヒルのいる山の中、しかも私の大嫌いなクモだっているし、変な虫だって、クマだって出るかもしれない。そんなところで肉体労働をするなんて、本当にエライなあ。  
 村のお年よりたちは、冬以外は朝早くから畑に出たり、草を刈ったり、田んぼに出たり、本当に体を使って仕事をする。ここに来た頃は、私たち夫婦も野菜づくりに燃えて嬉々としてやっていたのだが、3年で挫折。2人とも「向いていない」という結論に達した。朝から日が暮れるまで、毎日毎日、毎年毎年同じように肉体労働をし続けるなんて、とても無理だと分かった。  
 夫は、ちょっと精を出すとすぐに腰が痛くなったり歯が痛くなったりと軟弱だ。私も、ぐったり疲れる。そして2人とも翌日は静養が必要となる。こんなことでは仕事にならない。かつて村のあるおじいちゃんが、「俺は百姓カラダだ」と得意そうに言っていた。ですよねえ・・・。もう、つくりが違うのよ、つくりが。生まれた時から百姓当たり前の環境だから、当然そういう仕事をして、そういう体ができていくんだろう。人間って鍛えられるものなのだ。  
 私たち夫婦は残念ながらそんなふうには鍛えられてこなかったようだ。そして、この年からではもう遅いようだ。その代わり、パソコンに向かい、キーボードをたたいたりマウスを操ることなら何時間でも平気だ。何日でも、何年でも苦痛ではない。どころか、こっちのほうがよっぽど楽しい。ラク〜。だから太るんだとは思うが。それにしても、自分にとって不向きで苦手なことをやっている人を見ると、やっぱりエライなあと思う。自分が情けなくさえなる。  
 だが待てよ、人間には向き不向きというのがあるのだ。パソコンを使う仕事、本を読むこと、裁縫の針を持つこと、これなら私もずーっとずーっと飽きずにやりとおせる。外仕事はすぐに嫌になる。でも逆に、「百姓カラダ」の人たちに家でじーっとしていろと言ったら、やっぱり苦痛だと思う。その証拠に、「体を動かしていないと頭痛くなる」って隣のおばさんがいつも言っている。静タイプと動タイプがいて、それぞれ向いていることをやるのが一番いいのだ。  
 ただ、静タイプは家の中にいて仕事ぶりが目につきにくいから、「エライなあ」とは誰も言ってくれないのが残念だ。

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雑感29「大切な人」

2011.06.17

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 2月以来雑感を書いていなかった。気にしていなかったわけではない。書こうと思っていた矢先に、あの大震災が起こったのだ。  
 私は、この度の震災で超有名になってしまった「石巻」で生まれ育った。今までの私の人生の半分は石巻、半分は仙台、そして秋田の生活が7年。地震と大津波が襲ったあの地が私のふるさとである。  
 地震の直後に石巻の母とだけは奇跡的に連絡が取れたものの、あっという間に通信が一切駄目になり、同居している姉夫婦と姪、七ヶ浜(ここも震災で有名になった)に住んでいる上の姉家族5人の安否は確認できない状態になった。秋田も丸2日停電したので、その後テレビで見たニュースの映像に愕然とした。あらゆる手段を使って家族の消息を知ろうとしたが、分からないまま10日ぐらいが過ぎた。外出していたはずの石巻の姉夫婦の足取りは不明。姪の職場は自衛隊により救助活動が行われていたが、安否は分からなかった。七ヶ浜は避難命令が出続けていた。  
 実家の姉の息子は東京にいる。上の姉の息子の一人が群馬にいる。県外の者同士は電話が通じるようになって、それぞれがそれぞれの家族の安否情報を求めて手を尽くしていた。2人の甥と連絡を取り合い、互いに知り得た情報交換をし合った。いつ眠り、いつ起き、何を食べていたのか、まるで実感というものがなかった。必死だった。次第に頼りなく、力なくなっていく甥たちを励ましながらも、時間の経過とともに、もしかしたら・・・と、私たちも、考えないようにしていたことを考えるようになっていた。唯一の救いは、仙台にいる夫の子どもたちの無事が確認できたことだった。  
 奇跡としか言いようがない。全員が無事で生きていた。知らせてきた甥の声音を忘れることはできない。そして、友達、恩師、先輩、後輩、それぞれの消息をたどり、生きていたことを知った瞬間の感覚も生涯忘れることはないだろう。  
 この4月と6月、上の姉の娘、下の姉の娘が相次いで入籍した。結婚式は後になったが、それでも若者たちは生き生きと新しい人生のスタートを切った。人生を共に歩む伴侶を得たこと、これ以上の確かな希望はあるだろうか。「未曾有の出来事」、それでも人間はたくましく次の時代を築く。  
 ふるさとは見る影もないほど変わり果てていた。多くの人の人生を奪い、変えてしまった大震災の実態を目の前に、私と夫は声も出なかった。しかし、それでも大切な場所であることに変わりはない。そして、人はみな誰にとっても必ず大切な人がいて、誰もが誰かにとって大切な人だという、原始的だけれど、ずっしりとした手ごたえだけは残ったような気がする。

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雑感28「世界に一つの雛壇飾り」

2011.02.19

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 昨日、雛人形を飾った。この家に来た最初の雛祭りに張り切って7段飾りを全部飾って以来、なんだかんだと事情があってしまったままだったので、かれこれ6年ぶりということになる。雛祭りは女の子のお節句で、わが家には女の子(?)は私しかいないし、いまさら健やかな成長を願うという年でもない。でも、厄を祓うという意味では大いに意義ありだ。  
 今回は男雛・女雛のみ。理由は、7段全部飾るとなると結構なスペースが必要になるのだが、そういう部屋は現在、激しい雨漏り状態なのだ。残念。   
 さて、箱の中から男雛登場、おお、凛々しい。女雛登場、おお、麗しい。自慢じゃないが、わが家の雛人形たちは本当にいい顔をしているのだ。なにしろ54年という歴史を持つ。      
 何度も書いてきたが、私は3姉妹の末っ子で、3つ違いの姉と6つ違いの姉がいるのだが、長女が生まれた時からこの雛人形の物語は始まる。両親は女の子が授かったということで、お祝いに雛人形を買うことにした。しかし、貧乏だったので、一度に段飾りなんてとてもじゃないが手が出ない。それならば、頑張って毎年一段ずつそろえていこうということで、まず、男雛と女雛を買ったというわけだ。ちなみに、実はこれが一番高価だったそうで、しかも、わざわざ父が東京の有名デパートまで行って選んだという思い入れも手伝ってか、なるほど、雅な品格、風格、申し分ない。54年という歳月の中で、さすがに色があせたり、飾りが傷んだりはしているものの、ため息が出るような美しい人形だ。      
 さて、順調に滑り出した雛人形壇飾り計画だったが、次の段の「三人官女」をそろえる年、両親は事情があってすごく生活が苦しかった。結果、やや小ぶりの、母に言わせれば「貧弱な」三人官女になってしまった。父と母は、「いいさ、いつか買い換えよう」となぐさめ合ったが、それもこれも自分たちの歴史そのもの。愛着が沸いて、結局そのままの人形が今に残っている。      
 次女が生まれ、三女の私が生まれ、女の子だらけのわが家に、五人囃子、右大臣・左大臣、仕丁(従者)と、毎年雛人形が一段ずつ増えていった。そして、お囃子の楽器や家財道具、牛車までそろい、数年かかって念願の7段飾りとなった。これがわが家の雛人形の歴史だ。      
 実はこの壇飾り、飾るのに結構手間が掛かる。まず、段を組み立てるのがややこしくて難儀。一人一人の人形の飾りや持ち物を正しくセッティングしていくのがまた一苦労。子どもの頃、毎年季節になると母に手伝わされたのだが、内心、「あー、面倒くさい」と思っていた。しかし、今はそれすらもいとおしいと思うようになった。こんな面倒なことを私たちのために毎年毎年欠かさずやってくれていたのだから、母よ、あなたは偉かった! そして、毎年毎年晴れ着姿の娘たちを記念撮影し、一緒に雛あられを食べてくれた父よ、あなたも偉かった!      
 やがて、2人の姉は結婚して子どもが生まれ、娘たちに新しい雛人形が贈られた。私は40過ぎまでねばったおかげでか、この古くて愛着のある雛人形を受け継ぎ、嫁入り道具に連れてくる権利を得たのだった。      
 私がこの雛人形をいとおしいと思うわけは、娘たちの成長を願って頑張った若き日の両親の姿がいとおしいと思うからだ。

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雑感27 ハッピーハンバーグ

2011.01.28

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 夕べは夫特製の「ハート形ハンバーグ」を食べた。うまかった。そう、昨日は私の48回目の誕生日だったのだ。満48歳。いつの間にかここまできていた。  
 あれこれ考えてみた。そうか、もう秋田の田舎で暮らすようになって7年になる。その間いろいろあったが、風邪ひとつひかずに元気で過ごしてきた。これは快挙だぞ。だって、仙台で暮らしていた時代は、毎年1〜2度は必ず風邪をひいて寝込んでいたのだから。これほど環境が変わった中で、しかも猛烈に暑い夏と極寒の冬が繰り返されるこの地で、元気はつらつでい続けているというのは、我ながらすごいことだと思う。
 そうそう、介護をしていた頃は、さすがにちょっと精神的ダメージを受けた。「心の病」ってこうやって進むのかな? と思ったりしたっけ。私にも弱点はあったようだが、体に関してはいたって健康だった。  
 私が母のおなかに入っている時、あまりにも腹が大きかったので、医者から「双子かもしれない」と言われたそうだ。産んでみたら3,800グラムという巨大児、それが私だった。身長だけは伸び悩んだものの、ガッツリ頑丈な体に強靭な内蔵の持ち主に成長した。丈夫に生んでもらったことに本当に感謝している。  
 さて、ハンバーグの話に戻るが、私は子どもの頃からハンバーグが大好物で、誕生日には必ずハンバーグと決まっていた。ある誕生日、そんなに好きならばと、母がフライパンいっぱいの巨大ハンバーグを作ってくれた。うれしかった。以来、毎年誕生日はフライパン大の巨大ハンバーグと決まった。母から引き継いで、姉たちも作ってくれた。  
 そして、夫が現れてからその役目は夫に引き継がれ、そこに「ハートの形」が加わった。毎年、いろいろなメッセージがトッピングされる力作で、エプロン姿で真剣に取り組む姿が可笑しくもあり、うれしくもある。  
 そんなわけで、夕べもハート形のハンバーグをたいらげたわけだ。母は電話で、「四十何歳になってもまだハンバーグなんだねえ」と、あきれて笑っていた。姉は、「少なくともあと40回くらいはハートのハンバーグを食べられるように、二人とも仲良く、健康でね」とメールをくれた。  
 かくして、私の誕生日メニューのハンバーグは、私の大切な人たちの愛情がたっぷり込められた歴史あるメニューとして今なお続いており、私が世界で一番好きな食べ物はこの「ハッピーハンバーグ」なのだ。
 『写真コーナー』もご覧下さい。

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雑感26 覚しきこと言わぬは腹ふくるるわざなれば

2010.12.30

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 2010年も残すところあと2日。思い返せばいろいろなことがあった。今年は今までになく夫がいろいろな友達とアクティブに行動してくれたおかげで、愉快なことが多かった。51歳になってライブコンサートまで実現して、夫はご満悦だ。それもそうだろう。あまりにも夢中になって、嫌でも現実派に回らなければならない私とケンカにまでなるほどのめり込んでいたのだから。  
 ケンカといえば、今年はなんだかよくケンカをした。次の日には二人とも「何から始まったんだっけ?」という感じで、思い出そうとしても思い出せないほどたわいもないことが発端だ。それなのに、私たち夫婦のケンカは激しい。激しいといっても、決して取っ組み合いのプロレス型ではない。お互いの武器は「口」なのだ。まあ、よくしゃべること、しゃべること。「ちょっと、俺にも言わせてよ」「今までずっと聞いてたんだから、今度は私にもしゃべらせてよ」ってな具合で、発言のタイミングの奪い合いになる。どっちも理屈屋だから、負けてたまるかと自己主張しまくる。相手のささいな抜けを見つけようものなら、容赦なく論破していく。楽しい。実は快感なのだ。理論に隙があってはならない。弱みを見せてはならない。どこで王手をかけるか、互いに小さな矛盾も見逃さないから、相手にとって不足はない。      
 まあ、よく考えてみれば議論ゲームみたいなのだ。とにかく、もうヘトヘトになるまで議論、議論、議論。そうしているうちに、「もう寝るわ」となって、布団にも潜り込む。この、「寝る」という行為が実は大切なのだ。悶々としながら布団に入るのだが、疲れ切っているせいで、あっという間に爆睡に入る。翌朝、起きて顔を合わせた時、お互いに相手の消耗ぶりを見て、「プッ」と笑ってしまうのだ。「何だか私たち、バカみたい」「もう二度とケンカはやめよう」と誓い合い、うっすらと残っている夕べの記憶の断片を拾い集めて大爆笑となる。      
 実はこの年末もやった。年末にふさわしく、2晩にわたって十数時間の歳末出血大サービス。疲れた。かなり疲れた。だけど、かなりおかしかったし、面白かった。「覚しきこと言わぬは腹ふくるるわざなれば」と言ったのは吉田兼好さんだったっけ。そうそう、人間、腹にため込んでばかりいると、悶々として腹がふくれて体に良くない。不満が鬱積して、いずれ取り返しのつかない事態になることだってある。腹の中にあることを全部言っちゃったほうが後々のためだというのが、私たちたち夫婦のやり方なのだ。      
 これですっきりさっぱりして新しい年を迎えられそうだ。思えば、こんなきっつい理屈屋を相手に真剣勝負してくれ続けるのは、我が夫ぐらいだろう。似たもの夫婦とはよく言ったものだが、ケンカすらも笑って暮らす種にしてくれる相手に恵まれたことに感謝している。  
 来年私は4度目の年女だ。まだまだ跳ねっ返りのウサギのままだろうけど、来年もよろしく!      
 では皆さん、良いお年をお迎えください!

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雑感25 恥じ多き哉、人生!

2010.11.29

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 前回、今年も映画「素晴らしき哉、人生!」を観て心が洗われた、と書いた。本当に素晴らしき哉、人生! と思った。で、夜、感動覚めやらぬまま布団に入り、つらつらと自分のこれまでの人生を振り返ってしまった。
 あんなこともあったな、こんなこともあったなと、いろいろなことが断片的に思い出されるのだが、気が付くと、そのどれもこれも何だか苦い思い出ばかり。会社時代、随分と生意気で、上司とやりあったりしたシーンが浮かぶ。あーあ、イヤなヤツ。上司がイヤなヤツと思っていたけど、今になってよーく考えてみると、私のほうイヤなヤツだ。あの上司、きっと「生意気でイヤなヤツ」と思っていたよな。ごめんなさ〜い。
 友達との関係に溝ができたときのことも思い浮かんだ。ひどいことを言われて傷つき、疎遠になった。でも、よーく考えてみれば、彼女がそういう言葉を言ったのは、きっと私にそういうところが本当にあったからだ。今なら、そう思われる何かが自分にあったんだと分かる。あーあ、傲慢なヤツ。ごめんなさ〜い。
 日曜日に出掛けるのが急に面倒くさくなったという、たったそれだけの理由でこっぴどくフッてしまった0君。あ〜あ、ひどいやつ。ごめんなさ〜い。
 思い出せば思い出すほど、穴があったら入りたい気分になり、布団の中で丸まってしまった。みなさん、ごめんなさ〜い。
 というわけで、今度こそ本当に「清く・正しく・美しく生きるべし」と心に誓った。あぐらをかいてはいかん。隣で平和な大いびきをかいている夫に逃げられる前に反省しとこ!

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雑感24 It's a Wonderful Life 〜素晴らしき哉、人生!〜

2010.11.27

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 毎年この時期、このタイトルどおりの感慨を抱き、心が洗われて希望がわく。アメリカではクリスマスの定番となっている1946年に作られた映画だ。もちろん白黒。わが家でもこれを毎年この時期に観るのが定番なのだ。
 主人公のジョージは、子どものころから世界に羽ばたく夢と野望を抱いていた。才覚もあった。しかし、ここ一番という人生の節目で必ずのっぴきならない事情が起きて、自分のつかんだ幸福のキップをほかの人に譲ってしまう。いつもツキに見放され、いつも貧乏クジを引いてばかり。結局、小さな田舎の町に残って、父親の住宅金融会社を継ぎ、町の悪徳権力者の圧力と戦いながら、貧しい人たちの幸せのマイホーム実現のために、まじめに頑張っている。そこに起こった超不運な出来事。会社の破滅、そして身の破滅か。絶望して自暴自棄になったジョージは自殺をしようとするが・・・おっと、この辺の詳細は映画コーナーで。
 皆さんは天使の存在を信じるだろうか? 彼を救おうと登場する守護天使・クラレンスは、まだ2級天使。つまり羽がない。ジョージを本当に救えたら、羽を獲得できて1級天使になれるということで降りてきたのだ。「生まれてこなければよかった」と言ったジョージに、この2級天使は、それならばと、もしもジョージが生まれてこなかった場合の世界を彼に見せる。現実世界でジョージを取り巻いていた世界とは全く別ものだった。かかわりのある人たちもみんな全く別の人生。ジョージは、自分がいかに素晴らしい人生を生きてきたかに気付く。そして、彼の窮地を救ってくれたのは、紛れもなく、彼がかかわってきた人々にほかならないのだった。
 1人の人間がこの世に生まれて生きているということは、いかにたくさんの人とかかわっていることか。そして、互いに何かを与え、与えられていることか。希望を失い、何もかも嫌になるときは誰にでもある。しかし、自分という人間だって、決して捨てたもんじゃない。誰もがどこかで誰かが必要とする存在なのだと思う。うん、希望がわいてくるなあ。
 だが待てよ、裏を返せば、1人の人間がこの世に生まれて生きているということは、いかにたくさんの人に迷惑を掛けているか、ということでもあるな。「私は人に迷惑を掛けないで生きている」と思っても、かかわっている以上そんなことは不可能だ。気付かないところで必ず誰かに迷惑を掛けているはずだ。
 つまり、誰しもが、与え・与えられ、支え・支えられ、許し・許されて生きているということだろう。この映画を見るたびに、清く、正しく、美しく生きようと殊勝な心がけを持つに至る。やっぱり私も、羽をもらって1級天使になりたいし。(ん? この欲は減点かな?)
 クリスマスがきて、大晦日がきて、そしてまた一つ年を重ねるわけだが、「素晴らしき哉、人生!」は、毎年この時期にこうして自分の人生をかみしめる機会をくれる映画なのだ。なんだか最初から最後まで、泣きながら笑い、笑いながら泣いて観ている。ジェームズ・スチュワートの弾むように生き生きとした豊かな表現力もたまらない。
 生きることにお疲れの方、ぜひこの映画で栄養補給してくださいな!

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雑感23 才能か、要領か 

2010.09.21

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 人には得手、不得手というものがある。向き、不向きというものがある。なくて七癖、これは別だな。      
 私は昔から理数系は大の苦手。この間、誰かが、「好きなことしかしない」のが末っ子の特徴だと言っていたが、確かにそうかもしれない。唯一好きだった国語以外は全く学ぶことを放棄した気がする。      
 そんなわけで、一応OL(これって死語?)、会社勤めも経験した後、紆余曲折をへて、今、文字や文章を扱う仕事をしている。文章を書く、リライトする、これもなかなか奥が深く、いつも悩む。選ぶ言葉一つで全く違ったものになることを恐れる。だから遅筆だ。      
 ところで、最近、夫が朝早く起き出して何やらエッセイなんぞを書いている。2つも3つもあっという間に書けるらしい。しかも、「クックック」「ヒッヒッヒッ」と、向かいの机で一人で笑いながら、とても楽しそうに、軽快にキーボードをたたいている。何なのだ? こちらは、眉間にしわを寄せながら、あーでもない、こーでもないと校正作業をしているというのに。何か釈然としない。      
 そもそも、だ。文章というものは、熟考を重ね、推敲を重ね、校正を重ね、そして人様の前に出すものだ。これが私の持論なのだ。それを、クックック、ヒッヒッヒ、出来た〜! と、いとも簡単に仕上げられてはたまらない。しかも、だ。どうも「妻」の失敗談をネタにしているようではないか!      
 書いた文章を人様に読んでいただく、このありたがさと怖さを知らないな。恐れを知らないな。そう思いながら、夫のエッセイを読んでつい不覚にも「プッ」と笑ってしまっている自分が情けない。自分の持論を思うと、じくじたるものがある。      
 それにしても、日常のちょっとしたことを、面白がってスラスラ文章にできてしまうというのは、ここまでくると才能と呼ぶべきなのか? いやいや、要領がいいと言うべきか? 確かに私は要領悪いもんな。夫によく、「何でそこまで悩むの?」とあきれられるもんな。でも待てよ、OL時代、仕事は早かったほうだぞ。こと、文章を書くとなると、なんだか遅いんだよな。やっぱり要領が悪いということになるのかな、あっ、才能がないってことになるのか?      
 考えてみれば、夫も私も、少なくとも向いた仕事、自分の中では得手な部類に入る仕事をしていると思う。お互い、いろいろ遠回りしてたどりついた仕事でもある。その仕事のし方は大きく違うが、やっぱり好きなことには変わりない。好きなことを仕事にできて、こうしてまた勝手なことを勝手に書いているのだから、随分幸せだと思う。      
 夫のエッセイや私の雑感を、貴重な時間を割いて読んでくださり、お付き合いくださっている皆様、本当に感謝感謝です。

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雑感22 足を向けては寝られない 

2010.08.11

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 わが家もやっと夏休みに入った。これからお盆を迎える用意をしたり、今年は夫の友達一家が遊びに来るので、旅館の女将(仲居?)状態で忙しくなる。少しは気合を入れて掃除せにゃあなるまい。暑っ。      
 来客があるというのはとてもいいことだ。普段できずにいた(しないでいたというだけだが)ところまできれいにしようとするし、そのついでにいろいろなものが整理されてさっぱりする。
 さっぱりするといえば、今、庭の巨大化し過ぎたイトヒバの木を、村のコウゾウさんという人がチェーンソウで切ってくれている。伸び放題だった雑草も草刈り機で刈ってくれた。チェーンソウや草刈り機など、村で生きるための必須道具を何一つ持たない私たちにとって、本当にありがたいことだ。
 思えば、この村に来た時から、私たち夫婦はどれほど村の人々に助けられ、教えられてきたか分からない。
 6年前に、夫のおばあちゃんと父親と、二人の介護から始まった村での生活は、村の人々の助けなしには成り立たなかった。「ばあちゃんとおやじを生きているうちに田舎の家に連れて帰りたい」という夫の意志で戻ってきたその1年半後、おばあちゃんが亡くなった。家で葬式を出してやりたいということになったが、こういう場合の村のしきたりも、段取りも、何をどうすればいいのか全く分からなかった。助けてくれたのは村人たちだった。いろいろな人がそれぞれの役割を担ってくれて、すべて滞りなく運んでくれた。私たち夫婦は村人たちに足を向けて寝られないのだ。
 畑のことを教えてくれたのも村のお年寄りたちだった。ぎこちない私たちのクワさばきを笑いながらも、とても楽しそうに、うれしそうに教えてくれた。あれから6年、私たちも村人たちも、それぞれその年月の分だけ年を重ねたわけだ。
 昨日の朝、「畑の友」だった84歳になるおばあちゃんが、「郵便局に車で連れて行ってくれないか」と電話をかけてきた。膝が痛むから歩くのが大儀だという。夫は「いいっすよ〜、9時に迎えにいげばいっすな」と少し耳の遠くなった電話の向こうの相手に大声で言って電話を切った。そうか、路線バスも廃止になったこの村では、数キロ先の郵便局に行くのだって大変なんだなあ。
 彼女は待ち切れなかったのか、8時50分にわが家にやってきた。帰りに、ナスやトマト、キュウリにオクラと、野菜をどっさり持たせてくれた。「おめらのごど、いっつも気にかけてる。オレが生ぎでる間は、おめらさ食わせる」と、ありがたい宣言までしてくれた。
 右も左も分からない時に助けてくれた村のおじいちゃん、おばあちゃんたちも、少しずつ老いていく。助けが必要になった時、今度は私たちが、その何分の一でも恩返しをしなければと思う。
 う〜ん、お盆のせいか、殊勝なことを考えたな。

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雑感21 貧乏贅沢 

2010.07.11

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 ロッテリアの「10段重ねバーガー」、ガストの「皿からはみ出るステーキ」、そして牛角の「牛角ギガカルビ」と、巨大メニューが話題だ。私はどれもまだお目に掛かったことはないが、10枚ものパティが挟んであってどうやって食べるのだろう、ステーキが皿からはみ出していたらテーブルにソースがたれないかとか、いろいろ気になる。それにしてもデカイこと。      
 これらの人気の理由を夕分析すると、何でも、節約疲れの反動からくるプチ贅沢ニーズということらしい。なるほど、「節約疲れ」に「プチ贅沢」か。      
 わが家はリーマンショク以前から、それどころか、もっともっとずーっと何年も前から節約経済が続いている。慣れとは恐ろしいもので、「節約疲れ」という感覚がまひしているようだ。      
 あ、でも待てよ、あるかもしれない。うん、あるある。年に一度くらい、無性に本マグロのお刺身が食べたくなったり、ヒレステーキが食べたくなったり、比内地鶏入り豪華きりたんぽ鍋が食べたくなったりする。そんな時は、「たまにはいいよね、こんなに頑張って仕事してんだから」と夫と二人で言い訳をし合って買いに走る。      
 同じく、年に一度くらい、無性に欲しいものががまんできなくなる。「買っちゃえ、買っちゃえ」と、日ごろケチケチためたお金を一瞬にして使ってしまう。自分へのご褒美という名目だ。      
 そういえば2ヵ月ほど前、夫が「どうしても外で飲みた〜い!」と駄々をこね、友達と約束を取り付け、秋田市まで出掛けていった。当然泊まり掛けという贅沢な飲み会だ。あれってやっぱり「節約疲れの反動」だったのだろうか。相当楽しかった様子だったが、2〜3日したら余韻が冷めたのか、「やっぱり家で飲むのが一番いいや」という結論に達したようだ。気が済んだらしい。      
 反動というのは確かに襲ってくるようだ。でも結局、私たちの場合、大してデカイこともできない。かわいいもんだ。すっかり貧乏性がしみついてしまったのだろうかと、ちょっと不安になる。      
 考えてみれば、食べたいものを楽しみながら作って食べられて、おいしくお酒が飲めて、10歩も歩けば布団にもぐり込めるのだから、私たちにとってはこれこそプチ贅沢、というか、毎日が貧乏贅沢といえるかもしれない。そうでも思わなきゃ・・・ねえ。   

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雑感20 友達に会いたい! 

2010.06.18

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 最近、夫の友達がよく遊びに来るようになった。夫は高校まで秋田にいたから、地元にも結構友達がいる。私はといえば、実家のある石巻と、大学を出てからずっと住んでいた仙台以外で暮らしたことがないので、ここには長い付き合いの友達というのはいない。引っ越してくるときには、友達と離れるのが本当に寂しかった。知り合い一人いない初めての土地で大丈夫だろうかと不安だった。だが、土地の生活に慣れるのに必死だったし、畑を作ったりするのが新鮮だったりしたせいか、あっという間に月日が過ぎた。      
 ところが今年になって、友達との交流が頻繁になった夫が、楽しそうに飲んだり語ったりしているので、とてもうらやましい。高校時代からの親友だそうで、お互いに深い信頼が底に流れている感じが伝わってくる。男同士という世界も、私には新鮮に映って興味深く、会話を聞いているとかなり面白い。いつの間にか私もすっかりなじんで、一緒になって結構ずけずけ言っていたりしている。昔、バンドをやっていたという夫は、親友が来るとギターを出してきて、二人で夜中、というか朝方まで盛り上がる。ちなみに、その親友は本物のミュージシャンである。      
 そして、さらにそのまた仲間がいて、彼は東京の某有名予備校の名物先生だそうだが、これからミュージシャンになるという壮大な夢を持っているらしい。この方が加わると、もうハチャメチャ。果てしない男たちの「子ども返り」が始まる。      
 そんな姿を見ていると、無性にうらやましくなる。自分の友達の顔が目に浮かび、みんなどうしてるかなあ、会いたいなあ、と思うのだ。      
 友達とのいうのはいいものだ。まだ大人になれずにいた時代、共に遊び、共に学び(?)、夢や理想を語り合い、悩みを打ち明け合った。そして少しずつ成長し、大人になってきた。そんなお互いの過程を知っている友達や、青臭いころの自分を知っていてくれる友達というのは、やっぱり宝物だと思う。      
 年に1〜2度郷里に帰っても、実家に顔を出すのが精一杯だったし、仕事を持っている友達が多いので休みが合わなかったりして、もう随分長いことまともに会っていない。みんなそれぞれのステージで頑張っているんだよなあと想像し、離れていても勇気をもらってきたのだが、なんだか無性に顔が見たくなってきた。今度帰ったときは、みんなに会ってじっくり語り合いたいものだ。   

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雑感19 朝恵比寿に夜大黒 

2010.06.18

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 朝起きたら、夫がやたらニコニコしながら「おはよー!」と声を掛けてきた。あれ? 随分と機嫌がいいぞ。元来、夫はすこぶる寝起きがいいのだが、今朝は妙にハイテンションだ。何かいい夢でも見たか?      
 「忘れたの? 朝恵比寿に夜大黒だろ」と言われて合点がいった。そうそう、昨日本棚を整理していたら、小学校時代から使っていた古い「ことわざ辞典」が出てきて、ついつい読みふけるうちに見つけたことわざだ。「朝からニコニコ顔で一生懸命に立ち働いていたならば商売は自然に繁盛して、夕方には福の神の大黒顔をするものだ」という意味。確かに朝、笑顔でスタートすると誰でも気持ちがいいから、そんなサイクルで一日が回っていくものなのかもしれないな。恵比寿さまも大黒さまも極上の笑顔だもんな、うん、うん、なるほど。      
 それにしても、あらためていろいろなことわざの意味をたどってみると、昔の人はいいことを言ったものだと感心する。古くから言い伝えられ、語り継がれてきたことわざには普遍の真実があると思った。時代は移り変わっても、人々の人生や暮らしの中に起こることというのは、そう変わるものではないのかもしれないな。      
 極めつけはこれだった。「稼ぐに追いつく貧乏なし」。一生懸命に働けば、貧乏の足はどんなに早くても追いつかれない、という意味。自転車操業の自分たちにあまりにもピッタリ過ぎて、笑ってしまった。ちょっぴり切ないけど。夫はこのことわざが相当気に入ったらしく、紙に大書して壁に張った。それもどうかと思ったが、確かにかなり励まされる。      
 夜、夫がニコニコ顔で、「今日もすっごく楽しい、いい一日だったね。やっぱり朝恵比寿に夜大福だな!」と言った。正解は「夜大黒」だが、どっちも「福」だから、まあ、いいか。ん? 待てよ、もしかして、私の顔が豆大福にでも見えたのか?  

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雑感18 やり過ぎにご用心 

2010.06.10

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  この1週間ほど天気がいい。ここ秋田の地では、わあっ、青空だ! と感激するくらい、こんな晴れの日が続くことは珍しい。      
 気を良くして、冬ムードを一掃。実は、コタツにストーブ、冬布団と、まだそんな生活だったのだ。言い訳をするようだが、怠けていたわけではなくて、本当に寒かったのだ。大きなものをドシドシ洗濯して、敷物も寝具も衣類もぜーんぶ夏仕様へ。洗濯物がスカスカ乾いてくれるから、はかどる、はかどる。大変気持ちがいい。      
 調子に乗って、過去の遺物ともいえる書類なんかも整理。何でとっておいだんだろう? と思うような古い文書や資料、郵便物の山。えーい、捨ててしまえ! 大変気持ちがいい。      
 私は整理するのが好きで、結構燃える。とことんやってしまう。しかし、手紙や小物など一つ一つの思い出をたぐり寄せて悦に入ってしまうのが癖で、片付くまでにとっても時間がかかる。これってあの時の、ああ、懐かしい! まだとっておこうか、いや、もう要らないかなあ・・・と、きりがない。      
 今回は、そんな癖が顔を出す前が勝負だと、あえてあまり見ずに、考えずに挑んだ。しかし、難関は衣類と電化製品だった。まだ着られるかな、でも・・・と逡巡し、出してはしまい、また出しては捨て、捨てては拾いと、何度もばかみたいに同じことを繰り返していた。どうしてこう思い切りが悪いんだろう。欲が深いんだろうか。      
 そして電化製品。わが家は基本的に使えるうちは使う主義なので、買い替えるなんて気はサラサラない。コタツも、埃を払ってきれいにふいて、しまう。その予定だった。      
 しかし、そこに私よりも凝り性の夫が登場したことで、思いがけない展開になってしまった。わが家のコタツは25年も前に買ったもので、はめ込まれたファンが回って暖まるという仕組みだが、夫はその装置をぜーんぶ分解して掃除すると言い出した。シャカシャカとネジ系を外していき、見事に分解。「うんうん、このほうが細かいところまで掃除できるし、いい、いい」と私もノリノリになってきたその時、「あっ」「えっ?」「線が切れた」「うそっ」。      
 何やら、電気系統の細〜い1本の線が切れてしまったようだ。その後、夫は別の線をつないでみたり、ハンダ付けまでして奮闘した。そして、「よし、くっ付いた」という声に、コンセントを入れてテスト。バヂッ! 火花が散った。瞬間、さすがにもったいながり屋の私たちも、このコタツを使い続けることに生命の危険を感じた。      
 かくして、今回の大整理&大掃除は、「要コタツの買い替え」という、家計に打撃を与える結果となった。25年も使ったんだからあきらめもつくか。やっぱり寿命ってあるんだなあ。      
 でも、新しいコタツを購入することが、ひそかに楽しみであったりもする。人間、やっぱ物欲ってあるのよねえ。  

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雑感17 境界線はどこ? 

2010.04.05

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 「魚を上手にきれいに食べられる人は、しつけの行き届いた人」と聞かされてきた。一理ある。      
 夫は、大変な魚好きで、異常なほどきれいにたいらげる。焼き魚は絵に描いたような「魚の骨の標本」になるし、鍋ものや煮物に入った「あら」の部分は、小さく分解された半透明の骨のパーツだけが残される。      
 しかし、ちょっとだけ気になる。こんなにきれいにたいらげるのは、魚に感謝してありがたくいただくという意味においては満点だが、よそで食べるときはどうか? 特に、せせったりしゃぶったりしている姿はどんなもんだろうか。      
 私はエビが大好きで、フライや天ぷらなどにカラリと揚げた場合は、しっぽもガブガブ食べる。有頭だったりすると、ガッツガッツとそれもしゃぶる。      
 しかし、外で食べるときはさすがにちゅうちょする。目の前のエビのしっぽにかぶりつきたくなる衝動の前に葛藤する。やっぱりちょっと恥ずかしいのではないか?      
 シジミはどうだろう。「シジミはだしを味わうのが通。身を食べるのは邪道」と聞いたことがある。そうなんだろうか・・・。わが家では食べる。どんなに小さな貝でも、一粒残さず食べる。シジミ汁の日の食卓は無口になる。しかし、よその家で食べるときはどうだろうか。うーん、迷うところだ。      
 小さいころ、母に連れられてよそのお宅を訪問したとき、スイカを出された。帰ってきてから母に、「顔から火が出るほど恥ずかしかった」としかられた。私がたいらげた後のスイカは、切ったつめのように黄色い部分と皮しか残っていかなったからだ。どうやらスイカは、赤いところをちょっとは残さなければいけないらしいと知った。      
 食べ物を粗末にしないでありがたくいただくというのと、美しくいただくというのはどうやら違うようだ。「もったいない」と「みっともない」は違う、か。うーん、なかなか微妙で悩ましい。  

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雑感16 四十不惑、五十知命 

2010.04.05

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 孔子は、四十歳にして迷いがなくなり、五十歳にして天命を知ったという。四十代の後半まできた自分を振り返ってみれば、迷いっぱなしだった三十代を抜けてから、うん、確かに、少なくとも迷いはなくなったかな。もちろん、孔子さまのように立派なものではないが。      
 「五十知命」。夫は今まさに50歳、観察してみよう。      
 先日、夫の友達が遊びに来た。彼は若いころに音楽を志して以来、ずーっとその道を歩んできた人だ。自分の生きざまをじっと見つめながら、秋田という地を原点として自分の音楽を追及し続けてきた。その彼が、今、世界に向けて発信するときを迎えている。ちょうど五十歳。今まで積み重ねてきたすべてのものを結集して、いよいよ挑む。      
 五十歳というのは、なかなかすてきだと思った。迷ったり揺らいだりしていない。蓄えた力がしっかりあるからだろう。自分に与えたれた「使命」を知る旅を終えてたどり着いた場所、という感じがする。控えめながら、キラキラとした目で話す彼を見ていてそう思った。      
 そういえば、最近私の周りには生き生きしている五十代が結構いるなあ。みんな芯があってかっこいい。      
 さて、夫だが、友達の静かな闘志に影響を受けながら、「おれもやるぞ!」と熱い闘志を燃やしている。こつこつと、その辺はあくまで地味ではあるが、「知命」の歳、何やら夫もたくらんで(?)いるらしい。      
 お互いに力を与え合い、もらい合いながら、熱い50歳たちの挑みのときがきているようだ。楽しみですなあ。

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雑感15 晩婚のススメ 

2010.03.24

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 「雑感」と銘打って始めたが、なかなか書けなくて情けない。「雑念」ならたくさん浮かんでいるのだが・・・と言い訳しても仕方がないか。      
 日本では、未婚率も離婚率もすごい勢いで増えていると聞く。ちなみに私は、人が結婚しようがしまいが、結婚という形態をとらずにいようが、離婚しようが、その人が幸せであればいいと思っている。      
 私たち夫婦は結婚4年目だが、実は、二人での人生はそれよりもう少し長い。そもそもは、“お互いが自立した関係でありたいから籍は入れない”という確固たる信念の下にスタートしたのだ。      
 しかしこの村に来て、その信念はあっけなくついえた。ここでは、基本的には「○○のカアチャン」が普通の呼称。新しい人、知らない人を見た場合、少し若いと見積もったときは「ネエサン」「アネサン」「カアサン」などと、非常にあいまいな呼称になる。      
 私が、夫の生まれた地であるこの村に来たとき、夫がバツ一ということもあって周りの人は多分、相当戸惑ったに違いない。その上、「籍は入れてないんです」と言うから、彼らは?マークだらけ。説明するのも大変だった。何かやりずらい。何か生きずらい。めんどうくさい。      
 というわけで、根負けしたとは言わないが、やっぱり自然であるほうがいいようだと入籍の運びとなり、「ヤスス(ヤスシ)のカアチャン」に落ち着いた。      
 そんなわけだったから、結婚式もない、結婚指輪もない、新婚旅行もないという、ないないづくし。(あれっ、そういえばプロポーズもなかったんでないかい?)      
 私は、自分の場合は遅く結婚して良かったと思っている。40過ぎれば、お互いにそれまでの人生の中でいろいろ辛酸をなめている。自分の弱点も欠点も分かっている。自分は何ぼのもんでもないと達観さえしている。お互いにだ。そうすると、こんな自分と一緒に人生を歩んでくれる相手がとてもありがたく、いとおしく思えるのだ。大事にしようっと。だから、自己主張はしても、けんかにまでは至らない(ことが多い)。20代で一緒になった人たちよりスタートが遅いのだから、その分二人の時間を大事にしようと思うので、毎日が濃い。晩婚って案外いい。      
 しかし、一つだけデメリットがある。かつて、友達や先輩や後輩たちに先行投資だと思ってせっせと出した結婚祝い金(律義に出産祝いまで)は、ほとんど回収できないということだ。さすがに40歳を過ぎると、「結婚した」と言っても人はあまり反応してくれない。まして入籍だけだと、ますますインパクトは弱いらしい。残念。      
 くどいようだが、私は、結婚したほうがいいと思っているわけでも、それを勧めているわけでもない。ただ、経験してみたら晩婚というのは悪くないぞ、ということは実感している。つまり、正しい選択というのは、自分が正しかったと思い続けられるように生きることなんじゃないかな、と思うのだ。夫の平和な寝顔を見ているとそう思う。

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雑感14 「名は体を表す」か? 

2010.01.14

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 お正月ムードでちょっと油断していたら、あっという間に日がたっていた。ああ、こうしてまた月日は流れていくわけだ。      
 今年のお正月は暴風雪に見舞われ、実家に帰ることを断念。家にこもりきりとなったが、そんな悪天候でも年賀状を配達してくれるのだから、えらいなあ。そう思ったせいか、妙にじっくり読んでしまった。      
 恩師、友達、後輩・・・名前をたどりながら、そういえばいろんな名前があるもんだなあと思った。名前にはその年や時代の流行があるらしいが、私ぐらいの年代だとそれほど奇抜なものはない。      
 一人一人思い浮かべながらあらためて見ると、「名は体を表す」という諺どおり、どの人もみんな、いかにもその人らしいピッタリの名前に思えてくるから面白い。幾久子、富美子、孝子、幸恵、多佳一、幸久、忠義、聡平、広志・・・耕之助、これは農家一筋の80歳のおじいちゃん。どの名前も、きっと親御さんはいろいろな願いを思いを込めて付けたんだろうなあ・・・勝手にあれこれ想像していたら、なんだか泣けてきた。      
 そういえば、町の広報誌の「お誕生おめでとう」コーナーに、毎月生まれたの赤ちゃんの名前が紹介されているのだが、とてもすごい名前ばかりだ。「すごい」では抽象的過ぎてさっぱり分からないだろうが、何となく音の響きにイメージで漢字を当てたような名前、何でこの漢字だ? と首をかしげてしまうような、日本語でないような名前をよく目にする。それをなげかわしく思うのは、私が年をとったからなのか?      
 いずれにしても、その人がその人である証しとして一生付き合っていくのが「名前」なわけで、生まれて最初に授けられる、とても美しい贈り物ではないだろうか。      
 ちなみに、私の名前は「真理」という字を書くが、二人の姉はそれぞれ「理恵」と「理香」と書く。かなりしつこくこだわってるなあ。「理」という字の意味を知ると、なるほど、両親の信念も分かるし、込めた願いも分かる。(もしかしたら、私が理屈っぽいのはそのせいだろうか? とも思えてくるが・・・)      
 込められた願いどおり、みんな自分らしく、幸せな人生をおくりたいものだ。

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雑感13 年末ギリギリに・・・ 

2009.12.30

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 いよいよ今年も暮れていく。毎年思うことだが、1年という時間が過ぎるのはあっという間だ。記憶のテープをキュルキュルと巻き戻してみる。そういえば、新しい年に希望を抱き、張り切ってスタートしたなあ。壮大な夢を描いたわけでも、立派な目標を立てたわけでもなかったけれど、健康で笑って過ごせるようにと願った1年。何とか大過なくここまでこられたことに感謝だ。
 夕べは忘年会だった。といっても、毎晩飲んでいるのだから同じことなのだが、やっぱり「忘年会」と名前が付くと年末っぽくていい。何となく1年を振り返ってみたくもなるものだ。あんなこともあった、こんなこともあったなあ。      
 今年のわが家のキーワードは「健康」だった。食生活、生活の環境も含めてかなり意識したので、さまざまな健康グッズがそろった。加湿器、空気清浄機、整水器、卓球台などなど。ちなみに、みんなオークションで購入した格安未使用品。おかげで夫婦そろって元気いっぱいだ。      
 さて、忘年会だが、「ちょっと飲み過ぎか?」「いーじゃん、だって今日は忘年会だもん」「そーだよねえ」と盛り上がった。ひとしきり飲んで、しゃべり疲れて、いよいよ就寝。      
 秋田の冬は寒い。冷蔵庫のような寝室で寝るためには「湯たんぽ」が必需品。これのおかげでかぜもひかずにいられるわけで、毎冬お世話になっている大事なグッズの一つだ。湯たんぽ、あったか〜い。See you・・・。      
 夜中にふと目が覚めた。ん? 何か痛いかも・・・やっぱり痛いぞ・・・ヒリヒリするぞ・・・あっ・・・やっぱり・・・。      
 またやってしまったのだ。低温やけど。あれほど「注意しな」と言われていたのに。実はこれで2度目なのだ。前回も酔っ払って寝た夜だった。「何でやけどするまで熱いって気付かないの?」と、あきれ顔で夫は言うのだが、気が付かなかったんだから仕方がない。湯たんぽの使用に際しては、「お年寄りや子どもには、周りが気を付けてあげましょう」と注意書きがしてある。「周りって、おれか? でも、お年寄りと子どもって・・・」。      
 いやあ、すまん、すまん、こんな年末ギリギリに。そうだ、来年は、けがややけどにも注意だな、うん。      
 では皆さん、良いお年をお迎えください。

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雑感12 時代遅れ 

2009.11.24

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 グラチャンバレーなるもので、久々にバレーボール観戦に燃えた。思えば私の小・中学校時代、男子バレーはものすごく盛り上がっていた。何といってもオリンピック金メダルだもの。私も、まるでアイドルを追いかけるように熱を上げていた。名セッター猫田、横田に大古に森田・・・懐かしいなぁ。私は森田淳悟が大好きで、一度握手をしてもらった時の、うちわのような大きな手のひらが忘れられない。今回、ちらりとテレビの画面に映ったが、その渋い初老の紳士姿に、隔世の感を禁じ得なかった。ああ、まわるまわる、時代はまわる・・・おっと、今回はそういう話ではない。      
 そのグラチャンバレーなるもののために、5夜連続テレビを見たわけだ。日本チームの活躍ぶりにも驚いたが、CMの多さにも驚いた。何度も何度も同じCMが流れる。バレーのラリーよりも長いではないか。えーい、やかましーわいっ!      
 そして同時に、自分たちがCMの中身、いわゆる「トレンド」を何も知らないことにもあらためて驚いた。      
普段わが家では、ほとんどテレビを見る習慣がない。夫婦そろっておしゃべりなせいか、テレビを見るひまがない。だから「トレンド」を知らないのも当たり前なのだ。      
 考えてみれば、わが家でブレークするのは、モノでも、映画やドラマや本や音楽でも、トレンドどころか、「化石」と呼ばれそうなものばかり。一応、新しいものにも目を光らせてはいるつもりだが、良さそうだとなれば、「じゃあ、再来年あたり」ということになる。      
 若いころは、封切りを待ちかねて新作映画を見まくったし、新刊書を手当たり次第に読んだし、フォークでもロックでもジャズでもポップスでも、流行と聞けば何でも聴いた。モノだって、新商品と聞けばすぐ飛び付いた。      
 しかし、いつのころからか、古いもの好き人間に変わったようだ。ひと時代もふた時代も前のものが面白いし、こっくりとしみる。生まれる前の時代に思いをはせるのも楽しい。そういえば、わが家の電化製品はみな20年選手だ(構造が単純なので直せてしまう)。      
 古いもの好きには理由がある。長く残ってきたものは、時代をへる中で、残る力があるかどうかを試されたものたちだと思うからだ。新しいものも、1年2年、5年10年とたつうちに、ちゃんと本当の力が見えてくる。それを待ってから信頼できるものを選びたいという、まあ、すごーく遅れた「いいとこ取り」ってやつですか。たまには不発だったりすることもあるけれど。      
 もちろん、今見たい、今聞きたい、今触れたい、今使いたい、この感覚も大切だと思う。旬を逃せば意味がない、それも分かる。しかし、のんびり待ってゆっくり味わう、この時代おくれ感覚も案外悪くない。      
 師走を控え、世の中はますます気ぜわしくなるようだ。もうそんな時期かと思いながらレコード盤にそっと針を落とすと、パリパリいいながら地味で渋い、そしてまろやかな音と声が聞こえ出す。「やっぱりこれだよなぁ」と、もう今や60代70代に達したはずの声の主に耳を傾け、息遣いにしびれている。平和だ。

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雑感11 腹時計ならぬ・・・ 

2009.11.05

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 私はさして取りえもない人間だが、一つだけ夫に絶賛されていることがある。食べることへの執着心だ。夕食を食べた直後から、もう明日自分が何を食べたいかを想像し始める。「ごちそうさま。ところで明日、何食べたい?」「今、腹いっぱいで考えられないよ」、毎晩この会話が繰り返されるのだが、普通はそうだよな、と思うので、夜、布団に入ってから思い巡らすことにしている。延々と考えているうちに眠れなくなるのだが、あるところでパッとひらめく。夫に言わせれば、腹で考えているということらしい。      
 私が料理らしい料理を作るようになったのは、恥ずかしながらここ数年のこと。仙台に住んでいたころは、食べたいものは外で食べる生活だったから、まともな料理を作ったことがなかった。今は近くに一軒の店もないし、お金もないので、食べたいものは自分たちで作るしかない。食いしん坊の私たちは、せっせと料理本を買い込み、研鑽を積んだのだが、料理にも資質や才能というものが関係するらしく、本を見ては、手間ひま惜しまずチャレンジする夫のほうがメキメキと腕を上げた。計量すんのって面倒くさ〜い、と思ってしまう私は伸び悩み、いつしか、わが家のシェフの座は夫が獲得。私は修業中とされ、野菜の皮をむいたり切ったりと、下ごしらえ係になった。      
 しかし、さすがに修業ばかりでは物足りない。もっといろんなものが食べた〜い、という欲求に突き動かされ、ちょっと作ってみたら楽しくなり、最近はレシピの開拓に余念がない。その強い味方がインターネットだ。      
 インターネットって本当に便利だなあと思う。料理本の場合だと、気に入ったものにはチャレンジしてみるが、食材がそろわないとどうしてもボツになりやすいので、1冊全部制覇するのは難しい。そもそもレシピの掲載数に限りがあるし。      
 ところが、インターネット検索の場合、出てくるレシピ数は半端じゃない。何よりもいいのは、今、家にある食材から探すことができること。この食材でできるおいしい料理ってないかなあ、ほかの食べ方ってないかなあと探してみると、ぞろぞろ出てくる。大根とかキャベツとかジャガイモとか、現実的な食材の時ほど、なるほどこんな食べ方もあったかと思わず唸る。      
 レシピだけではない。調理道具の基礎知識から、野菜の切り方や魚の下ろし方、今さら聞けないよなと思うことまで懇切丁寧に教えてくるから、花嫁修業をしなかった私でも何とかなる。      
 それにしても、こんな田舎にいても欲しい情報が即座に得られるんだから、便利な世の中になったものだ。本代もかからないし、インターネットさまさまだ。      
 さて、明日は何を作ろうか(作ってもらおうか?)、今夜も腹の脳みそがフル回転するはずだ。 

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雑感10 達者第一 

2009.10.07

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 突然ですが、「卓球」と聞くとどんなイメージが浮かびますか? なんだか暗い、なんだか地味、なんだかかっこ良くない(卓球をやっている方、ごめんなさい)などなど。      
 でも一方で、温泉旅館なんかに行った時に卓球台があったりすると、卓球だって、え? やる? 別にやってもいいけど、やってみる? と、いつの間にか浴衣のすそをはだけて興じてしまった経験はないだろうか。      
 そう、なんだかしらないけれど、やるとはまってしまうのが卓球。カコーン、カコーンという玉の響きが、妙にそそるのだ。      
 なぜ突然卓球の話かというと、実はわが家に卓球台が登場したのだ。これには訳があって、この夏の健康診断の結果、夫婦そろって体脂肪多めの要注意。メタボこそセーフではあったが、家の体脂肪計によれば、夫は内臓脂肪も多め、私はそもそも体重多め。      
 中年の域に達してから、食事には気をつけていたつもりだったのだが、一日中パソコンに向かいっぱなし、座りっぱなしで、運動不足の見本のような生活だから、当然の結果といえる。早朝ウオーキングでもしようかという案も出たが、冬になったら凍えてしまうじゃないかと、想像しただけでおっくうになった。これではいけない。ずーっとおいしいものを食べていようね、ずーっと長生きしようねと誓い合っているのに、生活習慣病から怖い病気になってしまったら、おいしいものも制限、寿命も縮むではないか。そんなの嫌だ! ということで、一念発起して購入したのがミニ卓球台なのだ。ちなみに、わが家はオンボロだけど、田舎の屋敷だけに廊下は広い。      
 これが、ただ今大ブレーク中。目下、できるだけ長くラリーを続けることが目標。初日は10回も続かなかったのだが、カコーン、カコーンの玉の響きに誘われ、もう少し、もう少しとやるうちに、10日目でなんと236回という快挙を成し遂げた(自慢)。なぜか一杯飲んでからのほうが続くという統計も得られた。仕事で凝り固まった肩や腰もほぐれるし、気分もリフレッシュできるし、なんといっても楽しい。カコーン、カコーン、カコーン、カコーン、ああ、たまらない。      
 で、再びなぜ卓球か。もう一つの理由は、私にできるスポーツはこれしかなかったということ。白状すると、私は中学時代、卓球部に所属していた。運動音痴の私がなぜ卓球部を選んだのかといえば、当時家に卓球台があったという単純な理由だ。当然、選手なんかであるわけはない。あくまでも所属である。しかし、それでもやったことがあるだけましだろうということで始めたら、見事にはツボにはまったというわけだ。      
 効果のほどは? これがすごい(と思う)。二人とも体重は1キロ減。体脂肪も変化の兆しを見せている。もっとも、今まで運動ゼロだったわけだからな。これから3ヵ月、半年、1年後の目を見張るような成果を楽しみに、毎日せっせとラケットを振るのみである。      
 夫は初心者、私は経験者。なのに、なぜかポコッというむなしい音をさせてとんでもない方向に玉を飛ばしているのは私ばかりというのは、ちょっと不本意でもあるのだが・・・。

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雑感09 夏の終わりに 

2009.09.01

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 あっという間に夏が終わってしまった。1年の3分の2はストーブが必要なところに住んでいるので、夏が来るのを本当に楽しみにしていたのだが、今年は冷夏。梅雨明けもないままに何となく夏になり、気が付いたらもう冬支度に入るのだから泣けてくる。      
 それでも今年は、思い切って長い夏休みを取った。お盆の支度をして、実家にお墓参りに行ってと、まあ例年通りの流れだけれど、高校野球だけは心置きなくがっちりテレビ観戦した。      
 私は、高校球児たちのひたむきさがたまらなく好きなのだ。ポーカーフェイスを装っていても、笑顔を絶やさないように見せていても、ちょっとしたミスで微妙に動揺し、チーム全体に影響してしまう辺りがかわいい。この年ごろに徹底的に鍛えられ、仲間の大切さを学ぶ彼らは、きっと人間力のある大人になるだろうなと想像すると、日本の未来にも希望が持てる。      
 高校野球が終わると、夏も終わったなあという感じで、いよいよ仕事モード・・・と思ったら、今度は選挙。なかなか忙しい。今回は政権交代がかかった選挙ということで、開票速報にこれまた熱が入った。それにしても、ここまでとは思わなかったなあ。議席を落とした、いわゆる大御所といわれる人たちの沈うつな顔と、初当選を成し遂げた新人の若々しい表情の対比が、政権交代だけでなく、世代交代の象徴にも思えて印象的だった。      
 変わること、変えることはいいことだと思う。いつの世も変化は起こってきたし、必要なわけで、そうやって歴史は刻まれていくわけだ。おかしいと思ったら、このままではいけないと思ったら、また変える勇気を持てばいい。      
 それにしても、国民が、投票という形で政権を引っくり返すほどの意思を表現できるというのはすごいことだと思う。かつては、女性はもとより、ほんの一部のお金持ち以外は選挙権がなかったわけで、財産や性別で差別されることなく選挙権を得るまでには大変な道のりがあったのだから、今ごろ当時の人たちは、あの世でさぞや驚いているだろうな・・・なんて、突拍子もないことが頭に浮かんだ。      
 ああ、いよいよ季節は移り行く・・・。

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雑感08 後輩のFちゃん 

2009.07.06

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 先日、後輩のFちゃんから久しぶりにメールが届いた。うちのオフィスのホームページを時々見てくれているという。うれしい。しかも、感想やコメントから、とっても丁寧に見て、読んでくれていることが分かる。     
 Fちゃんは、私のOL時代の後輩だ。10歳近くも年が離れているのに、何だかとっても気が合って、こんな私をいまだに慕ってくれているのだ。      
 あのころは二人でよく飲み歩いた。毎晩のようにワインのボトルを軽く1本空けながら、尽きることのない話をしたものだ。恋の悩み、将来の夢、会社の愚痴もいっぱいしゃべったなあ。      
 私は、口から泡を飛ばしながら先輩ぶって教訓をたれ、熱弁を振るっていた。彼女はそれを、目をキラキラさせて聞いてくれた。そして、「先輩にいつも励まされます!」と言ってくれるのだった。でも考えてみれば、あのころ、本当は私のほうがFちゃんの言葉に励まされていたのだと思う。自分は間違っていないか、独りよがりになっていないか、勇気は萎えていないか、そんな確認をしたくて一生懸命演説していたような気がする。30代、私が最も背伸びして突っ張って生きていた時代だ。      
 30歳代に突入したころ、ある女性にこんなことを言われた。「30を過ぎたら、10歳年上と10歳年下の女性を意識しなさい」と。10歳年上というのは、自分が10年たった時にこの人のようになっていたいという、憧れの存在、目標となる女性を見付けなさいということ。そして10歳年下というのは、自分が10歳下の人からどんなふうに見えるか、その人の目標になれるように努力しなさいということ。今でも心の奥に刻まれている。私にそれを教えてくれた女性は、50代の本当にすてきな女性だった。      
 Fちゃんからのメールを読みながら、またふっとその言葉を思い出した。二人で飲み歩いたあの時代から10年近くが過ぎ、お互いにあのころとは違う日々を歩んでいる。素直で頑張り屋のFちゃんは、もう先輩の酔ってろれつの回らない熱弁を聞かなくても、自分の意志でしっかりと生きている。おっといけない、彼女にとって10歳年上の私は大丈夫だろうか? 反省しきりである。      
 かわいい後輩のFちゃんは、私が秋田に移り住んでからも、何度かわが家に遊びに来てくれた。気が付くと、私はFちゃんを相手にワインのボトルを空け、熱弁を振るっていた。その傍らで、夫がせっせとおつまみやらお料理を作っては出してくれた。お風呂の用意も、布団の用意も。      
 翌朝、彼女は本当にしみじみこう言った。      
「真理さん、さすがですねえ。願えばかなうって本当ですねえ」      
「・・・・・・」      
 そういえば・・・「何で女が料理や掃除や洗濯するって決まってんだろ。私は、家事も一緒にやってくれる人を見付けるぞ!」、かつてこんなことを豪語した記憶が蘇った。かなり恥ずかしい。良いほうに取り続けてくれるFちゃん、だから大好き! 

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雑感07 「一駅族」に学べ! 

2009.06.13

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 通勤中に一駅分歩く「一駅族」が増加中という記事を目にし、なるほど、百年に一度の経済不況の余波は、ついにビジネスマンの電車賃節約まできたかと思ったが、これは早とちりだった。      
 平日の運動を意識して、健康のために一駅歩くビジネスマンが増えているという、まさに健康志向の時代を反映した、それこそ健康的な現象なのだ。メタボはやっぱり格好悪いし、何より病気になるのは嫌だ。今のうちに生活習慣病とさよならして、健康で楽しく、生き生きと人生を謳歌したい。家族のためにも長生きしなくちゃ。とまあ、こんなふうに考えるのは正しい。      
 わが家の場合、仕事柄、夫婦そろって一日中家にこもって座りっ放しの生活。多分、近所の老人たちは、一体あの二人、毎日何やってんだべ? と思っているに違いない。食材が枯渇すると、気分転換も兼ねて町まで買い物に出掛けるが、バスも通っていないし、駅なんて隣町にしかないから「一駅族」というわけにはいかない。車がなければ用が足せないのだ。それでも、ここで暮らし始めた最初のころは、田舎の景色が珍しくて、二人そろって自転車で出掛けたりもしたが、町までの距離と帰りの荷物のことを考えると、ああ駄目、もはやそんな若さはない。      
 考えてみれば、せっかくこんな空気がよくて自然豊かなところにいるんだから、朝に散歩でもすればいいんだよな。それも実は何度も考えたことだが、一度もに実行に移せずにいる。これじゃあ年々脂肪が厚くなるはずだ。駄目だ、駄目だ。そうか、「一駅族」か。見習おう。      
 それにしても、私の早とちりだったとはいえ「一駅族」は、やっぱり電車賃も節約になるよなあ。脂肪はへってお金はたまる、か。わが家は、脂肪はたまってお金はへる・・・この違いは大変なことだ。駄目だ、駄目だ、見習おう。

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雑感06 生きてる証し? 

2010.06.06

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 いかに「のんびり雑感」とはいえ、しばらく書くのをサボっているうちに、6月も1週間過ぎてしまった。いかんいかん。      
 先日、18歳になる姪っ子が、わがオフィスのホームページを見て、「あ、ちゃんと更新してるよ! 生きてるみたい」と言ったとか。いやあ、怖い怖い。インターネット当たり前世代の見る目は厳しい。ちょっとのぞいてみた時に更新されていないホームページは、もう「死んだ」も同然ということになるらしい。      
 確かに、ネット上には、何年も更新されないまま形骸化してしまっているホームページも多々存在する。見る側にしてみれば、内容を読みながら、これっていつのだ? と確かめ、1年も2年も前のものと分かれば、もう古くて信用できない情報ということになってしまうし、この人、この会社、どうしちゃったんだろう? と思ってしまう。新着情報一つでも載っていることって大事だ。      
 ホームページにしろ、ブログにしろ、一個人でも全世界に向けて発信できるということはすごいことだ。しかし、同時に発信するからには責任も伴うんだよな。見えない向こう側の誰かを忘れてはいけないわけで、せっかく発信したのなら、愛情を掛けてちゃんと育てていかなければ。姪っ子の言葉のおかげで、ふんどしを締め直した感じ。      
 今度彼女が見た時に、「死んで」いないように頑張らなきゃ。

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雑感05 映画は楽し 

2010.05.16

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 今年のゴールデンウイークは思い切って一切仕事をせずに、録りためてあった映画を片っ端から見た。      
 私が初めて映画というものを見たのは、小学2年の時。父に、二人の姉と一緒に連れていってもらった「小さな恋のメロディ」が最初だった。父が隣で字幕を読んでくれた。その努力に報いるほど理解できたわけではないが、それでも、なんてすてきな世界があるんだろうかと、私の目はハート型になった。とりわけ強烈に印象に残ったのが、メロディが着ていた制服。水色と白のギンガムチェックのワンピースがとてもかわいくて、家に帰ってから、母親に同じものを縫ってくれとせがんだ。      
 以来、映画雑誌を買いまくり、俳優のポスターを部屋中に貼りまくり、のめりこんでいく。      
 大学時代には映画研究会なるものに入った。年に数回、映写機とフィルム、でっかいスクリーンを借りてきて上映会を開くのが慣わしで、ここで扱った映画は、今にして思えば映画通をうならせる作品ばかりなのだが、当時の私には全く訳が分からなかった。何しろ何もかもが古くて、途中でヒューン・・・と電源が落ちたり、フィルムが送られなくなったりで、こっちは鑑賞どころではない。「天井桟敷の人々」も「道」も「ベニスに死す」も、結局理解不能なままに終わった。      
 連休のおかげで、消化不良のままだった「天井桟敷の人々」も見ることができた。これが、物語良し、役者良し、映像も美術も見事で、しかも妙にあとを引くムードがある。やっぱりただものではなかった。と分かったのだから、私も少しは成長したのか?      
 映画の楽しみ方は人それぞれだけれど、私はまず、オープニングクレジットの段階でかなり興奮する。クレジットがどんなふうに現れるか、字体や配置、デザイン、背景はどんな映像か・・・もうそれだけでわくわくする。      
 「シェルブールの雨傘」とういう映画があるが、私はこの映画のオープニングクレジットのところが大好き。哀愁を帯びたテーマ曲が流れる中、石畳の上を色とりどりの傘が行き交うというシーンを、カメラが上からとらえる構図がとってもしゃれている。そうそう、いい映画の条件から絶対に外せないのが音楽だが、この映画は音楽もとてもしみる。もちろん俳優も大事。      
 そうしたすべてを含めて、私がこよなく愛している映画が「ひまわり」。果てしなく続くひまわりの冒頭シーン、泣きたくなるほど切ないテーマ音楽、そして主演のソフィア・ローレンの演技がまた素晴らしい。泣くのを必死にこらえて、でもこらえ切れずにゆがんでいく表情、嗚咽、むせび泣き・・・この「泣き」の演技が圧巻だ。ソフィア・ローレンのあの顔でなければならない。カトリーヌ・ドヌーヴでは駄目なのだ。      
 ここ数年、古い映画ばかり好んで見ている(新作を見ようにも、町に出ても映画館というものがない)。特に白黒の世界は、ものすごく想像力がかきたてられるのだが、「シェルブールの雨傘」と「ひまわり」は、カラーの時代がきて良かったぁと実感する映画だ。      
 ところで、日本では劇場で公開される映画だけで、年間400本以上作られているそうだ。ということは、世界中で毎年生み出される映画はものすごい数になるが、時代を越えて人々に語り継がれる映画は、果たしてどれくらいあるのだろう。長い年月、風雪に耐えて残り続けたものこそ本物だと誰かが言っていたが、本当にそう思う。いいものはいい。例え公開当時B級作品といわれたものであっても。      
 ああ、映画の話になるとキリがない。続きはまたいつか。いやぁ、映画って、ほんっとうにいいもんですねぇ〜。

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雑感04 そろそろ始動! 

2009.04.11

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 そろそろクマが冬眠から目覚める時期らしい。ちなみに野生のクマの場合は、実は冬眠というよりは冬ごもりで、ちょっとした物音とかでも目を覚ますらしいのだが、メスのクマは、この冬ごもりの間に出産までしてしまうというのだから大したものだ。寒さに縮こまって極度のものぐさ状態に陥り、カロリーだけは摂取し続ける割には、何の生産性もない私の冬ごもりとはえらい違いだ。
 もっと大したものだと思う話がある。かつて、漢方を研究している中国料理屋のご主人に聞いたのだが、冬眠から目覚めたクマは、最初に山菜(フキノトウ)を食べるのだそうだ。冬眠中は排せつができず、体内には毒素がたまった状態。解毒作用のあるフキノトウのような山菜を食べてすっきり、そしてしっかり胃腸の調子を整えるというのだ。春の芽吹きに合わせた春の目覚め、理にかなっているのではないか。
 もちろん人間にとっても同じことが言える。田も畑もまだ始動前の時期、山菜は貴重な食料でもある。必要な時期に必要なものがちゃんと用意される自然界の仕組みは、本当にすごいと思う。春には春のもの、夏には夏、秋には秋、冬には冬のもの、田舎に住んでいるとこうした自然の摂理をものすごく実感するし、同時に味わうことができる。しかも、かなり集中的に、大量に、である。
 しかし、山菜の場合は自生のものだけに、トゲがあったり自然毒を持っていたりとなかなか手ごわい。間違って毒草を食べるのは嫌だし、クマも怖いので、臆病者の私には山菜採りはちょっと不向き。毎年、おすそ分け(と言うにはあまりにも大量)の山菜を、ありがたくいただいている。
 ああ、今年もそんな季節か。山菜を求めて山に入る皆さん、くれぐれもクマにはご用心!

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雑感03 春のこころは・・・

2009.03.24

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 我が家の庭には見上げるほどの大きな桜の木がある。夫が生まれ育った家なのだが、町育ちの私には庭に桜があるなんてちょっと信じられなかった。これがまた見事な花を咲かせるので、「花より団子」の私でもうっとりする。居ながらにしてお花見なんて、なんてぜいたくなんだろう。
 桜といえば必ず思い出すのが、「世の中に絶えて桜のなかりせば、春のこころはのどけからまし」という在原業平が詠んだ歌。桜が咲く時を今か今かと待ちわび、咲いたと思ったら今度はいつ散ってしまうかとハラハラして気が気ではない。ああ、この世の中に桜というものがなかったら、春は心おだやかでいられるのに・・・といったところだろうか。愛しさや切なさがない交ぜになったような桜大好き人間のこの感じ、好きだなあ。
 実は今、私はまさにこの心境なのだ。今年は例年より開花が早いらしいが、もちろんここ秋田の田舎ではまだまだ先のことである。が、しかし、もうハラハラして気が気ではない。なぜなら、やっと芽吹いた新芽を鳥たちが食べにくるからだ。その数は半端じゃない。一昨年なんか、ついに一つの花も咲くことなく終わった。それこそ今か今かと待っていたので、すごくショックだった。桜の新芽を好んで食べる「うそ」という鳥の亜種が大発生したという説があり、今私は鳥たちに目を光らせているというわけだ。食べるなよ、あっ、また来た、そんなに食べるなってば! 花を待つどころか、その前段階から既に結構疲れている。
 越してきた5年前の春、これから住むことになる廃屋とは対照的に、庭の桜の姿はとても立派なものだった。5度目の春、今年は果たしてどんな桜を見せてくれるだろうか。
 「ねがわくは花の下にて春死なん あのきさらぎの望月のころ」(西行)。究極はやっぱりこれだろうなあ・・・。  

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雑感02 笑う門には福来る 

2009.02.16

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 皆さん、腹の底から笑ってますか? 「笑い」は免疫力を高め、脳の働きを促すばかりか、なんと難病までも治してしまうとか。リウマチの患者さんが、落語を聞いて笑ったら痛みが驚くほど和らいだとか、がんの患者さんが吉本で大笑いしたら、がんをやっつける細胞が活性化したとか、ちゃんと科学的にデータで証明されているというのだから驚く。
 私の母は76歳になるが、かなり元気だ。70を過ぎてから大きな手術を一度、つい3ヶ月前も甲状腺の病気で入院したが、完全に復活。不死身だ。そして彼女の兄弟姉妹はさらにパワフルである。どうやらその秘密は「笑い」にありそうだ。
 特に老姉妹が6人集まると、その勢いはとどまることを知らない。窓ガラスはピリピリ鳴り、家ごと揺れる感じ。それが通夜の席であろうが関係ない。何十杯もお茶を飲み、絶え間なく何かを食べながら、延々と続く爆笑の渦。7〜8時間なんてザラだ。アハハハ、オホホホ、ヒーッ、いろいろな声が入り混じった笑いの波が3分おきぐらいにドワーッとくる。中でも86歳の長女は、入れ歯をカクカクさせながら快調に飛ばす。これだけ大笑いできれば健康なはずだ。
 我が家は2人しかいないのにかなり笑っている。人が聞いたら、ばか? と思うようなことでギャハギャハと腹を抱え、手までたたく。健康なはずだ。
 人にだけ与えられた「笑う」ということ。これは確かに効くかもしれない。しかも、笑いは伝播する。一緒にいる人を楽しくさせ、場の空気を明るくする。笑顔の人を見て不快になる人はいない。笑って健康でいられるならこんないいことはないし、健全な精神が宿るに違いない。
 「笑いの国」を目指すほうが、よっぽど「美しい国」になるんじゃないか?  

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雑感01 誕生の日に 

2009.01.28

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 どうやら、人生の中で転機というのは何度でも訪れるらしい。今日、1月28日はオフィスマドロスの誕生日である。そして、私は46歳になった。あと数年で50歳かと、つい数えてしまう。
 私にとって、特に30代後半から40代にかけては転機の連続だった。普通のオバサンにはなりたくないと16年の会社勤めを辞め、好きな仕事で生きていこうと決めた時、人生最大の転機だと張り切った。退職日は1月28日、30代最後の誕生日だった。
 フリーランスの世界で一からのスタートは大変だったけれど、束縛から解放されてかなり自由になったし、やりがいも感じた。同時にかなり貧乏になった。いっそ自給自足ができたらどんなにいいだろうなんて考えているうちに、また虫が騒ぎ出した。スローライフこそがわが人生の完結型だ! と、無謀にも田舎暮らしを夢見て、バツイチのパートナーと家付き・カー無し・介護付きという妙な生活が始まったのが42歳の時だった。近所の老人たちの姿を見ながら、ああ、こうして当たり前に生活を回し、普通に生きて普通に年を取っていくことが幸せなんだと実感した。普通のオバサン万歳! さすがにこれが人生最後の転機だと思った。
 しかし、あんなに喜々としてやっていた畑仕事も、わくわくしてやった屋根の雪下ろしも薪割りも、この1〜2年はちょっとしんどい。年を取ったせいか、寒さも骨身にしみる。冷蔵庫よりも冷え切った寝室で、湯たんぽを抱きながら布団の中で丸くなる時、ふと、セントラルヒーティングのある家に住みたい・・・と思ってしまう日が増えた。
 そして今は、日々楽しく笑いながら、おだやかに、普通に当たり前に、だけどちょっと刺激もあって快適で、わくわくする仕事も・・・ああ、何だか随分欲張りになったようだ。また虫が騒ぐ。この分ではまだまだ転機は訪れそうだ。次の人生のステージはどこに?  

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雑感00 「のんびり雑感」始めました 

2009.01.28

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 「Happy-go-lucky」というのは、「のんびり」という意味らしい。
 さてさて、「のんびり雑感」なんて、のんびりしたことを言っていて、果たしてどれだけ書けるのか?
 なかなか更新できないかもしれませんが、どうか「のんびり」構えてお付き合いください。  

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