東京珍道中1 

「東京珍道中」

 4月16日 ぼくらはほぼ10年ぶりに東京に行った。
 仙台までクルマで行き、何やら怪しいオッサン二人に誘導されながらクルマを駐車場に入れ、秋田ナンバーを見て法外な料金を提示されるも、「こう見えても、私たちはかつて仙台におりましてね、しかも妻はこの辺に住んでおりましたので駐車場の料金事情には詳しいのですよ」と言うと、怪しいオッサンは急に態度を変え、結局その半額の料金で折り合いをつけることに。
 それから、かつてよく通っていた懐かしいお店を2軒をハシゴした。カメちゃんの『とと屋』では、やたら靖国神社に詳しいちょっとあっち系の人と、やたら焼酎の瓶の写真ばかりを撮りまくって集めているちょっと変わったオジサンと同席して楽しかった。ショウちゃんの『春八』では、ショウちゃんがはにかみながら白い亜土帽をかぶった彼女を紹介してくれた。ショウちゃんよかったね。それから、とびきりおいしい刺身やお茶漬けなどをごちそうしてくれたのだった。
 ぼくらは深夜の夜行バスで東京に向かった。目的はオペラのリサイタルを見にいくためだった。フトしたご縁で知り合った、実際にはお会いしたこともない石原克美さんという有名なテノール歌手から夫婦でリサイタルに招待されたからだ。
 往復夜行バスを選んだのは、単純に経費削減のためだった。新幹線の半分以下で行けるからだ。しかし、この選択は間違っていたことに後で気付くことになる。長いのだ。眠れないのだ。痛いのだ。朝6時頃降ろされるのだ。過酷だった。二度と乗りたくない、と思った。帰ってから激しい腰痛になり病院でMRIで検査したりしたために、結局旅費を浮かせた分以上にお金が掛かってしまった。もうコリゴリだ。
 東京駅八重洲口に放り出されたぼくたちは、まず顔を洗う場所を探した。八重洲地下街はまだシャッターが下りていてどこにも開いている店がなく、結局駅のトイレで歯を磨き顔を洗った。荷物をコインロッカーに入れて東京駅の中を通って丸の内側に出てみた。目の前の丸ビルや新丸ビルもまだ閉まっている。朝6時なのだ。当然である。仕方なくぼくらは、はとバス乗り場を探して外へ出た。そして驚いた。雪が降っていたのだ。40何年ぶりのこの時期の雪だった。
 ぼくらは引き返してコンビニでビニール傘を一本買った。それから八重洲口のコインロッカーから荷物を出して、今度は丸の内の方のロッカーに入れ直した。そのほうがはとバスを降りてからの行動に好都合だと思ったからだ。重い荷物を抱えて駅のあっちとこっちを行ったり来たりしている間に時刻は7時ごろになっていたが、それでもまだ開いている店はなかった。空腹だった。そしてお上り気分だった。
 閑散としていた構内に少しずつ通勤客が増えてくる中、銀の鈴あたりに設置された見せ物小屋のような隔離された喫煙室でタバコを吸って時間をつぶすしかなかった。
 8時頃になってようやく開いた『越後そば』という立ち食いそば屋で、ぼくらはようやく朝食にありついた。かき揚げそばがあんなにうまいものだとは思わなかった。
 はとバスは10時半ごろの出発だったので、それからまた延々と長い時間をつぶすしかなかった。準備のいいぼくらはビニール傘をもう一本買った。それからいろいろ考えた末、コインロッカーの荷物をもう少し近い場所に移した。都合3回目の移動である。900円の投資になった。
 はとバスの待合室で時間をつぶしながら、ぼくらはヒマに任せてあれこれ考えていた。荷物はバスに載せとけるんじゃないか? そういう考えが浮かんだ。なるほど、と妻がうなずいた。
 ぼくらはきびすを返した。結局荷物はバスに積み込まれた。何だったのだ、あの大移動は・・・。
 さらにコンビニで買った傘は、結局その後晴れてしまった天気の前に、役立たずのお荷物と化してしまったのだった。まあ、杖代わりにはなったかな。こうして始まった東京珍道中でした。はとバスもリサイタルも夢のようだったし、帰る前に新丸ビルにあるお洒落なドイツ料理のお店で飲んだビールや料理、高かったけど「ええい、やけくそだあい! 残りのお金全部使ってやる〜!」と妻の大号令で実現した。うまかった。やっぱ大東京だなあ・・・。
 それにしても、いやはや田舎者はお恥ずかしい限りですなあ・・・。

東京珍道中2

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