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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常』

 つれづれに書き記すボクの「備忘録」です。
緋色(ひいろ)とは、「茜で染めた色」で茶褐色の色。鳶色(とびいろ)とも言います。
脇息(きょうそく)とは、肘掛けのこと。
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最新の『緋色の脇息』

  
 

『マイホームタウン BABAME』50

 かかとを地に着けていただろうか。
 いつもどこかで『仮の住まい』と思っていなかったか。
 つま先立って、いつも「いずれは都会に住むんだ」と思っていなかっただろうか。
 この地を軽んじていなかっただろうか。
 春になれば8年目の暮らしが始まる。
 村の役員にもなる。
 妻は美容院を真剣に探している。
 今年の冬はどこか違う。
 ここの地にしっかりと足を下ろし、根を下ろし、責任を取って暮らす。
 そんな心構えのようなものが芽生えている。

 (2011.01.27)   このページのトップへ

『大きな2日間が終わった。2004.3.29』49

 子供たちを高速バスに乗せ、イトーヨーカドーで買い物をしてJRで八郎潟へ。バスの乗り継ぎがなくタクシー1450円なり。
 五城目で下りて自転車でおばさん宅へ。おばさんは「今度見に行く」と。「忙しくて何もしてあげられない」と後悔している。そんなことは決してないんだけれども・・・。
 自転車は、背中の重い荷物と、昨晩からほとんど何も食べていない体にはいささかきつく、時々押しながら帝釈寺まであと少しのところまで来たら、ケンゾーさんが来て軽トラに自転車ごと乗っけてくれた。
 ありがとうございました。
 エーサクさんは不在で入金できず、家に戻ると大工さんが2人で天井板を張っていた。オレも何か手伝うことを考えながら、それからずっと動いていた。
 Kは昨日から全く連絡もなく、子供らが無事に着いたかも分からない。こっちから電話すべきかもしれないけれど・・・。
 昨日から、シンゴの仕事ぶりにいささか「ズルサ」のようなものを感じていて、それはどこかKにダブるようなところがあって、何でかそのことはKの実家の人たちにも重なって(本当にそうなのかどうか分からないけれど)今まで、オレはKの良さだけを見ようとしてきたような気がして、興ざめです。
 もうこの段階になると、相手のことをそういうふうに冷めた目で見るようになるのも不思議ではないのだろうけど・・・。
 何だか子供たち(ヨースケはちょっと違うけど)を見送る時も、特別な情はわかなかった。もちろんありがたかったけど・・・。
 完全に一つのステージが、まぎれもなく終わったという感じだ。
 さあ、明日も頑張るゾ!(夏目椰子)

 (2011.01.26)   このページのトップへ

『子供らは寝入っている。2004.3.29』48

 全長9.2メートルの3トントラックを運転し、昨日何とか荷物を搬入することができた。
 シンゴとヨースケは本当によく頑張ってくれ(途中ダレる場面もあるにはあったが)大仕事を成し終えた。
 そして今、廊下にしつらえたベッドに2人寝入っている。
 子供を持って良かったと思い、助けられたことは今まで数あれど、力仕事の助っ人としてありがたく、頼もしく感じたのは初めてだ。ありがとう!
 今日、このマンモストラックをバックで出し、無事オリックスレンタカー秋田営業所に10時までに着くことができるか不安はあるが、早めに起きて頑張ろうと思っている。
 先祖の遺影写真も再び収まるところに置かれ、仏壇も備わった。心なしか写真の顔が喜んでいるように思えた。
 ようやく本当にみんなのお陰でここまでこれた。あとは、ばあちゃんと親父を連れてくるだけだ。
 子供らは「秋田の空気はうまい」と言い、夜9時には真っ暗になって寝入ってしまう村に驚いている。(夏目椰子)

 (2011.01.26)   このページのトップへ

『人の命(訃報に思う)2004.3.21』47

 正確には昨日、いかりや長介氏が亡くなった。
 誰であれ、人の訃報に触れて思うことは、「おのれは? おのれも・・・」という感慨だ。
 オレもいつか死ぬ。今44歳。いかりや長介72歳。あと28年。
 母は59歳で死んだ。あと15年。決して残りの生は長くない。
 母といえば、昨日、昔母が寝室にしていた部屋を掃除していて、OTTOのステレオを綿ぼこりの中から出して針を落とした。
 プレーヤーはかろうじて14年ぶりに回転を始めたが、かかった『北国の春』は完全に間延びした歌になった。
 お彼岸である。
 母はきっと喜んで聞いていてくれたの違いない。コーヒーを母にもいれ、一緒にそれを聞いて涙ぐんだ。(夏目椰子)

 (2011.01.26)   このページのトップへ

『合わないもの2004』46

 何がこの人と合わないのか考えてみる。
 一言でいえば思考のリズム。
 微妙な機微みたいなものがどうも合わないのだと感じる。
 それは会話の中で顕著になる。
 価値観の相違などといえばカッコイイが、おそらくそんな大それたことなんかじゃなくて、日々、暮らしの中で感じるちょっとしたズレ。
 そんなもののような気がする。
 それでも付き合って25年。あまりそのことは考えずにやってきた。
 それはボクが強く引っ張り過ぎて走ってきたせいだろうな。
 手綱が張って、そういう微妙なニュアンスの心の、感情のズレを見えなくしてきたのだろう。
 今、ボクが弱い立場になって、その糸のテンションが「何か」のズレを感じている。
 共鳴し合えないズレを感じさせている。それだけのこと。
 文学とかいうことではなくて、およそあの人は、そういう心の琴線に触れるような部分に対して苦手な人なので、例えばNHKの教養番組よりも娯楽番組やアクション映画を好むような、ある種単純で、幸せなごく一般的な情け深さと律儀さとお人好しの人なので、それは、合う人にはものすごく合い、その人を幸せにできる素晴らしい人だと思う。
 ボクではなく。
 きっと彼女を必要としている人はいる。いや、い過ぎるくらいいるはずだ。
 合わない人と添い遂げるよりも、合う人、必要な人と一緒になるのが一番いいのだと思うのです。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『価値観2004』45

 だますより、だまされたほうがいい。
 フルより、フラれたほうがいい。
 尽くされるより、尽くしたほうがいい。
 裏切るより、裏切られたほうがいい。
 取るより、取られたほうがいい。
 早いより、遅いほうがいい。
 小賢しいより、グズなほうがいい。
 目立つより、引き立てるほうがいい。
 いろいろより、この人だけがいい。
 そんな価値観の変化が好き。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『子なかりせば2004』44

 子なかりせば孫もなく、私の代をもって三郎兵衛の歴史は終わる。
 それならそれでいいではないか。
 何代目であり続けることに、さほどの意味はない。
 要は、そういうDNAを、形式ではなく後世に残せるかどうかだ。
 私の代で形式的な血脈は失せるとも、文学という名の血脈を後世に伝えることのほうが、よほど尊いことではあるまいか。
 本当の血脈とは、親権などというつまらぬ戸籍上で継がれるものではなく、無形に続きゆくものなれば。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『老病死2004』43

 人生、残るは「老病死」。
 いずれも醜く、苦しい。
 さながら、三途の川を渡るようだ。
 そんな「老病死」と向き合う人々がいる。
 そんな「老病死」と戦う人がいる。
 ここにはたくさんいる。
 私も人生、後半生、老病死と嫌が応にも向き合って生きる以外に道はない。
 ならば、できることならば、
 そういう辛さも楽しんでしまいたいのだが・・・。
 そういう楽観を持ちたいのだが・・・。
 そのための準備を始めなければ・・・。
 老病死、どんとこい!(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『誰も皆2004』42

 誰も皆、
 独りを感じるときがある。
 でも、ふたりを感じることができれば、
 その瞬間、皆幸せになれるのだ。
 多くはいらない。ふたりがいい。
 ふたりでいれば、幸せだ。(夏目椰子)

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『ふるさとの老人2004』41

 車いすに乗っていたっていい。
 父は、家の前からまっすぐに田のほうに延びる舗装道路を行く。
 その道は、父が若かりし頃、役場に頼んで作らせたものだ。
「お前の親父の胆力はすごたった」と役場の同級生が舌を巻いたほどだ。
 その道は公道なのに、その道に面した家は我が家しかない。
 その道をなぜ父がつくりたかったのか、役場が許したかも不明だ。
 でも、その道を父が車いすに乗って、風を切って悠々と歩く姿を想像すると私の胸は弾む。
 得意な父の笑顔が見たいものだ。
 ひょっとして口笛を吹くかもしれない。
 その、ふるさとの老人。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『かまど2004』40

 かまどを潰して、子らとも別れ、妻とも別れ、年老いた者2名連れ、ふるさとへ戻る。
 財産としてのかまどはすべてなくなり、何もよるべない始まりなれど、かまどより大事なものをひとつ拾った。
 それもまた、我が人生のかまどよ。
 それに火をくべ、味わって、人生生きるのよ。
 なんのなんの、紙切れなんてそれだけのものよ。燃えればなくなるものよ。
 ただ、子らだけは名残惜しいのう・・・。会いたいのう・・・。
 子らは立派なかまどだから、今も悔やみます。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『子らよ2004』39

 子らよ。
 君たちのためにお父さんができることは何だい?
 君たちのそばにいることかい?
 安定的に働いて金を入れることかい?
 お母さんと仲良くすることかい?
 お年玉をたくさんあげることかい?
 キャッチボールをしてあげることかい?
 勉強を教えてあげることかい?
 それとも・・・。
 お父さんが夢を捨てることかい?(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『介護2004』38

 私のスプーンに、ひな鳥のように口を開けしゃぶりついてくる、その人は、父。
 次から次へと、私の箸とスプーンに無言でしゃぶりついてくる、その人は、父。
 あなたと私の距離は、こんなにも近かったのか。
 近過ぎて、切な過ぎて、泣けてくるよ、父。
 私の手にしがみつきながら、用便に立つ、ヨロヨロの父。
 おむつを下げればあなたは座り、ややそれをつまみ上げるような素振りのあと、チョロチョロと力ない音を立てて放尿する父。
 あなたのチンチンは昔、もっと立派だったはずだ。
 風呂で見たあなたのソレは、やたらでかく凛々しかったはずだ。
 父は今日も、うまそうに全部平らげた。
 冷凍のタラの煮付けがそんなに美味いのか。
 冷めた大根のみそ汁を、そんなに美味そうに、何遍も何遍も飲むなよ。
 だから、だから、そんな従順な目で口を開けないでくれよ。
 「まずい!」の一言ぐらい言えよ、なあ。
 頼むよ、父。(夏目椰子)

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『早朝4時2004』37

 つまらない文章を書いてしまうことは分かっているのだけれど・・・。
 早朝4時に、小屋の耕運機の手引きエンジンの紐を引く父の後ろ姿がある。
 あれは、稲刈りが終わった頃の、そろそろ霜が降り始める季節のことではなかったか。
 父が勢いよく引いたエンジンは、白い蒸気を小屋中にまき上げた。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『魂のレベルを上げなければ』36

 肉体と魂。
 魂が先導する自我の達成。
 ボクに必要なのは、
 魂の高い次元への昇華なのだ。
 肉体は今、それを待っているのだ。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『腐りかけの果実2004』36

 何もしないで春を迎えられるだろうか。
 自分は腐りかけている。
 原稿用紙に向かって悩む。
 パソコンに向かって悩む。
 自分に向かって悩む。
 2月はやはり早かった。
 軽すぎて重すぎる時間の中で、ボクは思う。
 腐りかけの果実のような、甘くて醜い自分の心に、
 何とかケリをつけなければならない。(夏目椰子)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『たとえば星を見るとかして』35

 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、気持ちの中にある広い世界との間に連絡を付けること。
 一歩の距離をおいて並び立つ2つの世界の呼応と調整をはかることだ。
 たとえば星を見るとかして。(池沢夏樹)

 (2011.01.25)   このページのトップへ

『水は器物にしたがう(宮本輝)』34

 かつて私に小説を書く指導をして下さった方が、「30枚でちゃんとした短編が書けない作家は、所詮二流だ」と言ったことがあって、それは私の中に犯しがたい約束事として残ってきた。
 たった30枚だが、30枚に凝縮しなければならないからこそ、ひとつの短編小説を書く作業は、大げさに言えば、私にとっては血の一滴を無理矢理絞り出すかのような労苦を強いる。
 一行書き出したとたんに、絶望的な辛さを感じる。
 しかし、作品のどこかに、書く側の労苦があらわれたら、何のための30枚への凝縮かということになるし、そのような作品は、ただちに破棄すべき代物と化してしまうであろう。
 そのために、どの一行が不必要か、どこがどのように足らないのか、神経を研ぎすましすぎて、逆に作品の世界を小さくさせてしまったり、余裕を失くさせたり、型にはまりすぎたりといった落とし穴に陥りかねない。
「水は器物にしたがう」という言葉があるが、短編小説も水のようであるならば、自在に形崩れしたり、飲む人の状態に合わせて、濃く感じられたり淡く感じられたりして、それが一番いいのであろう。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『志賀直哉』33

 絶対的な自我肯定を行動の規範とし、その生の体験を書くことによって、鮮烈に生き直した強靭な個性の作家、志賀直哉。
 その生の歩みは、長く、美しく、豊かであった。(高田瑞穂)

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『名文』32

 少年の如き薄色の感傷が、風のように皮膚を走った。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『名文』31

 わたしの間違いだった。(八木重吉)

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『書き留めよ』30

 書き留めよ。
 議論したことは、風の中に吹き飛ばしてはいけない。(ガリレオ・ガリレイ)

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『研究者は』29

 酒飲みが勝手に酒を飲みたくなるようにやるものだ。(福沢諭吉)

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『深い井戸』28

 小さくてもいい。深い井戸を掘る。
 納得のいくキラめく短編を、校正に校正を重ねて書き上げる。
 まずはそれが肝要。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『十月の空のもと』27

 少しにじんだような雲が広がる土曜の朝。
 この秋初めて、お気に入りのセーターに袖を通した。
 秋を感じるのに、一番好きな瞬間でもある。
 物心ついてからもう何年もこうしてきた。

 秋、特有のひんやりとした空気と静けさを破るようにして、ふんわりとした温もりがこもったテントのファスナーを開ける。
 家人たちはまだ温もりに包まれたまま、目を覚ます様子を見せない。
 せっかくだから眠らせておこう。

 冷えたノブをつまんでポンピングする。
 体が早く目覚めようと、熱いコーヒーを求める。
 ボクのキャンプに、アンレデッドの「ピーク1」は欠かせない。
 可愛いとさえ思えるサイズと形、燃料を選ばないタフネス。
 そこが気に入ってから久しい。

 一杯のコーヒーのあと、まだ朝露に濡れたままの森に入る。
 昨日の雨が乾かないうちなら、森の妖精たちに出会えそうだ。
 唐松の根元、下草や苔に隠れるようにして、目当ての時候坊(じごぼう)が見えた。
 あと数本、いや、今日はもっと採れそうだ。
 誰にも見つからないうちに。これが極意とか。
 きのこ採りに熱中する友人の気持ちが少し分かった。
 そんな朝だった。 

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『死について』26

 「朝(あした)には紅顔、夕べには白骨」

 今を良く生きることが、良く死ぬこと。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『川柳』25

 『「前向きで」 駐車場にも 励まされ』

 『カーナビに 「ハイ」と答える うちの母』

 『回らない 寿司もあるの? と 聞く息子』

 『効率化 進めた私 送別会』

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『読書百遍、意おのずから通ず』24

 反復こそ大事。
 繰り返し聞き、読み、実行したものが自分のものになる。
 繰り返しのないものは、脳みその片隅に残るのみ。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『莫煩悩(ばくぼんのう)無学祖元』23

 悩みをふくらませず、
 今できることをクールにやり遂げ、
 天命を待つ心境。

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『2002年7月3日、八丈島にて』22

 八丈島にいる。
 ボクは、火傷と言っていいくらいのかなりひどい日焼けをした。両太股がズキンズキンしている。
 海にはいろんな魚がいた。アオヤガラという1メートルもある不格好に長い魚とか、刺身にしたらさぞうまそうな魚を見た。
 小さな雲丹を網に入れて歩いている漁師がいた。雲丹は人間が食うのではなく魚の餌にするのだと言った。石垣鯛を釣るらしい。
 魚の名前をもっと知りたいと思った。
 民宿『田代荘』でボクは今、夕食を待っている。なかなかお呼びが掛からない。8畳のガランとした部屋。扇風機が回っている。
 別の部屋には、作業員風の男と3人連れの若者がいる。どちらも長期滞在者だ。勝手を良く知っている。向かいの便所の臭いが少し気になる。
 「お食事どうぞ」やっと声が掛かった。
 食事はうまかった。刺身、クサヤ、海老フライ、山菜おひたし、きのこのバター炒め、タコのマリネ、オクラのゴマ和え、キムチ、シジミのみそ汁など、脈略なくご馳走が出た。
 馴れ馴れしくボクに話す民宿の奥さんに言わせると、ボクは「ツイテイル」らしい。
 今日の泊まり客は長期滞在者を除いて2組だが、(1組は8人くらいの団体、1組は男同士2人連れ)彼らはここに来るのに天候が悪く、何日も飛行機が飛ばなかったそうだ。随分苦労して来たのだそうだ。
 隣の男同士は、先輩と後輩みたいな感じで、先輩らしきほうがかなり威張っている。自分だけビールを注がれ、自分は1回も注いであげない。
 後輩はデブで、2人とも日焼けで真っ赤なゆでダコになっている。「ゆでブタ」と言ったほうがいいかもしれない。
 後輩の「ゆでブタ」は「マスオ」と呼ばれている。マスオとは飲んで友だちになってもいいかな、と思ったけれど、大したこともないかなと思ってやめた。
 部屋に戻ってTVをつけた。株価が238円上がったらしい。(夏目椰子)

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『最後だと分かっていたなら』21



 あなたが眠りにつくのを見るのが最後だと分かっていたなら、
 私はもっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう。
 あなたがドアを出ていくのを見るのが最後だと分かっていたら、
 私はあなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう。
 あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だと分かっていたら、
 私はその一部始終をビデオに撮って、毎日繰り返し見ただろう。
 確かにいつも明日はやってくる。見過ごしたことも取り返せる。
 やり間違えたことも、やり直す機会がいつも与えられている。
 「あなたを愛している」と言うことはいつだってできるし、
 「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる。
 でも、もしそれが私の勘違いで、今日ですべてが終わるとしたら、
 私は今日、どんなにあなたを愛しているか伝えたい。
 そして私たちは忘れないようにしたい。
 若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを。
 愛する人を抱きしめるのは、今日が最後になるかもしれないことを。
 明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず。
 もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから。
 微笑みや、抱擁や、キスをするための、ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと、
 忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを、どうしてしてあげられなかったのかと。
 だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。
 そして、その人を愛していることを。
 いつまでもいつまでも、大切な存在だということをそっと伝えよう。
 『ごめんね』や『許してね』や『ありがとう』や『気にしないで』を伝える時を持とう。
 そうすれば、もし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから。

 この詩は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で、1機目が激突後、救助のため最初にツインタワー内に突入した数百人のレスキュー隊のうちの1人で、今も行方不明中の消防士(29歳)が生前に記したものを、アメリカ、サンディエゴ在住の日本人Mutsumi May Sagawa(佐川睦)さんという方が翻訳した詩です。 

 (2011.01.24)   このページのトップへ

『初夏の風(川上澄生)』20

 風となりたや
 初夏(はつなつ)の風となりたや
 かの人の前にはだかり
 かの人の後ろより吹く
 初夏の 初夏の
 風となりたや

 あーいいなあ。あーいいな。
 心も体も伸びていくような気持ちになっていました。(棟方志功)

 (2011.01.23)   このページのトップへ

『夏目漱石』19

 明治38(1905)年1月、文壇デビュー。
 現在でいえば60歳にも当たるであろう39歳の時だ。
 「吾輩は猫である」の連載が「ホトトギス」で始まった。

 ただ書きたいから書き、作りたいから作ったまでで、つまり言えば、私がああいふ時期に達して居たのである。(漱石)

 この時期、日本の小説言語(文体)は、従来の尾崎紅葉的な美文がもう時代遅れのものになり、田山花袋や島崎藤村らの「自然主義文学」が登場しようとしていたのだ。
 つまり漱石は、同い年の紅葉や露伴ではなく、少し年下の花袋や藤村らと、作家的には同世代だったのである。
 高浜虚子はこう言っている。

 当日、できているかどうかを危ぶみながら私は出掛けてみた。漱石は愉快そうな顔をして私を迎えて、一つできたからすぐここで読んでくれ、とのことであった。
 (中略)氏はそれを傍らで聞きながら、自分の作物に深い興味を見いだすもののごとく、しばしば吹き出して笑ったりなどした。
 私は、今までの山会で見た多くの文章とは全く趣きを異にしたものであったので、少し見当がつきかねたけれども、とにかくおもしろかったので大いに推賞した。
 そして漱石から、「気の付いた欠点は言ってくれ」と言われたので、それを率直に口にした。

 (2011.01.23)   このページのトップへ

『小説は子供のように書けるだろうか』18

 文章において、無駄なものを徹底的に削ぎ落としていく作業は。すでにそこに「作為」や「技術」といった人工的なものが介入せざるを得ない。
 それゆえに、私は詩や俳句をうらやましいと思う。

 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ (三好達治)

 の前で茫然となり、

 うしろすがたのしぐれてゆくか (山頭火)

 の前でうなだれてしまう。

 小説を、子供のように書くわけにはいかない。
 それは、小説が、たとえどんな短編であったとしても、文章による組み合わせと、思考のカイロとによって構築されるものだからである。
 もし、子供のようにと言うなら、表現において「晦渋」であることを徹底的に排除していくしかない。
 そして、晦渋な表現を排除するためには、思想、もしくは思考が明晰で深くなければならない。
 おそらく、小説のつまらなさは、不鮮明で曖昧な思想や思考を、晦渋に表現することに尽きる。
 そのことに気付いたとき、私は「泥の川」を書き出した。
 もう16年も前のことなのに、私はいまだに深くて明晰な精神を持って晦渋さを排した小説を書けないでいる。
 きっと、思考する時間をみずから喪ったからに違いない。いま、そんな気がしている。

 (宮本輝)

 (2011.01.23)   このページのトップへ

『失敗しないコツ』17

 重要じゃないことから片付けていくことなんだよ。
 つまりAからZまで順番を付けようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めて行くんだよ。
 何か大事なことを決めようと思ったときは、最初はどうでもいいところから始めたほうがいい。
 誰が考えても分かる、本当に馬鹿みたいなところに、たっぷりと時間をかけるんだ。
 人はみんな誰が見ても分かるようなところは、簡単にすっ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。
 でも、俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところに一番時間をかける。
 そういうところに、長く時間をかければかけるほど、あとが上手くいくことが分かっているからさ。
 場所の選択。
 一つの場所が良さそうだと思えたら、その場所の前に立って、1日に3時間でも4時間でも、何日も何日も何日も、その通りを歩いていく人の顔を、ただただジッと眺めるんだ。
 どんな人間が、どんな顔して、そこを歩いて通り過ぎていくかを見ていればいいんだよ。
 まあ、最低でも1週間くらいはかかるね。
 その間、3000人か4000人くらいの顔は見なくちゃならんだろう。
 あるいは、もっと長く時間がかかることだってある。でもね。
 そのうちにふっと分かるんだ。突然、霧が晴れたみたいに分かるんだよ。
 そいつがどんな場所かということがね。
 その場所が一体何を求めているかということがさ。
 もし、その場所が求めていることと、自分が求めていることが、まるっきり違っていたら、それはそれでおしまいだ。別のところへ行って、また同じことを繰り返す。
 でも、もしその場所が求めていることと、自分が求めていることとの間に共通点なり妥協点があると分かったら、それは成功の尻尾を掴んだことになる。
 あとはそれをしっかり掴んだまま離さないようにすればいい。
 でも、それを掴むためには、馬鹿みたいに雨の日も雪の日もそこに立って、自分の目で人の顔をジッと見ていなくちゃならないんだよ。
 計算なんてあとでいくらでもできる。
 俺はね、どちらかというと現実的な人間なんだ。
 この自分の2つの目で、納得するまで見たことしか信用しない。
 理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義や何とか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることができない人間のためのものなんだよ。
 そして、世の中のたいていの人間は、自分の目でものを見ることができない。
 それがどうしてなのかは、俺にも分からない。
 やろうと思えば誰にだってできるはずなんだけどね。
 何も慌てて決める必要はないさ。
 辛いかもしれないけれど、ジッと留まって時間をかけなくちゃならないこともある。

 (村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』岡田亨の叔父の言葉)

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『The Torch(松明)』16

 真夜中、私の北西の海岸に
 漁夫たちの一群が見守って立っている。
 はるか、彼らの前方に広がる湖水の上では
 他の漁夫たちがヤスで鮭を突いている。
 カヌー、朦朧とした影のようなものがひとつ
 黒い水を横切って進む。
 その船首に燃え輝く松明(たいまつ)を掲げながら。

 (Walt Whitman〜『The Torch』)

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『パートナー』15

 騙されてもいいくらい信じてる。
 パートナーってそういうことでしょ?

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『決別』14

「もう指輪は要らないね」
「そう、ネクタイも要らない」
「売ろうかな」
「ネクタイは売れないね」
「二束三文だね」

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『天文学者と作家』13

 天文学者と作家に共通するのは『知的好奇心』。その幅が広いか狭いか。
 地球には、相当な数の人間がいるけれども、そのうち約50億人は、もっぱら地上のつまらぬことにかまけ、わずか1万人しか正しい天を見ていない。
 文学と科学の間を、縦横無尽に行き来する自然によって、想像力を刺激されるには、ある程度の知識と関心がなければならない。
 天文学者というのは、新しい道具を作って、それで新しい天体を見るのが仕事だ。

 (池沢夏樹『文学・科学・語学』より) 

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『最後の晩餐』12

 彼は昨日来て、今日帰っていった。
 夕べは、彼曰く『最後の晩餐』だった。
 寝息に涙が止まらなかった。
 会った時に、もう別れの涙が出た。
 この2日、おちょこ2杯程度の涙は出たかな。
 1ヶ月、誰にも会えない悲しさか、彼への愛しさか、ただただ泣けてくる。
 バスで帰った彼の横顔を忘れない。
 悲しそうだった顔を忘れない。(夏目椰子)

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『言葉の尊厳』11

 見えない像を見なさい。
 聞こえない音を聞きなさい。
 大事なことは、派手派手しいことの陰にあること。
 言い得ないもの、語り得ないものを言葉として、純粋な結晶として抽出すること。
 これが「言葉の尊厳」だ。

 (思想家「ヴェルター・ベンヤミン」の言葉)

 (2011.01.22)   このページのトップへ

『I.W.ハーパー12年もの』10

 あの四角い偽(にせ)のクリスタル風の壜に入って、
 キャップが不器用に大きい、あの酒。

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『諦める』9

 諦めるの語源は、『明らしめる』。
 何もかも明らかになってしまうこと。
 すべてが分かってしまった人間には、なすべきことは何もない。
 人生の初めにありながら、人生が終わってしまったかのように感じることを「メランコリー」というが、人と話しながら、その背後を遠く見つめてしまう。

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『宮本輝の小説』8

 必ずと言ってよいほど、一つの場所(トポス)や小さな道具、あるいは存在があり、物語はそこから発し、そこに戻る。
 この場所や小道具は動かない。
 それは、見事に焦点の合った形で存在し、したがって物語の展開はどれだけ自在であろうとも、揺れもしなければ偏りもしない。
 場所は揺るぎない世界、小道具は物語を解く象徴、あるいは記号であって、それが放つ暗示が、読者の中で物語の<意味>を示唆してくれる。

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『大切なのは』7

 大切なのは、事実の辿った細い線ではなく、その途中に見えた風景、蛇行する川と紫色の山脈、吹きつのった南風のほうだ。

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『長い休暇』6

 未来の自分という『他人』のために、困難な仕事を始める。
 長い休暇は終わった。

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『自分を書くこと』5

 自分を書くのは恐ろしい。
 書いてしまったことは取り返しがつかない。
 書くことは判決の宣告であり、刑の執行である。 
 その相手が自分となると、鉛筆は動かなくなる。

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『テッドの死』4

 私は静かに生きるため森へ入った。
 人生の神髄を吸収するため。
 命ならざるものは拒んだ。 
 死ぬ時に悔いのないよう生きるため。

 (『死せる詩人の会』冒頭の言葉)

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『時間の流れの中に』3

 時間の流れの中に立った自分が見える。
 今、時の流れは飛沫をあげて彼の足を洗っている。
 彼は、その中に立っている。 
 流れが運ぶもの、浮くものと沈むもの。
 流れまいとして足を踏ん張っている自分。両方の岸辺。
 ずっと下流のほうで待っているであろう海。
 そういう大きな図がようやく見えるようになった。
 そして、背後にはにこやかな神々。
 ここだけが自分の立つ場所ではない。
 ひとまず流れから出て、岸に立って、
 これからの長い歳月を、数百年の人々の営みを、
 ゆっくり見ていてはどうか。
 小さなエゴを、生命(いのち)の海にひとまず返上してはどうか。

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『エアリエルの歌』2

 父上は五尋の海の底 その骨は珊瑚と化して
 眼であったものは今真珠 身体はすべて朽ちることなく
 霊妙な海の力を蒙(かがほ)って 
 豊かで不思議な変化を遂げる
 海の妖精たちが弔鐘を鳴らす

 (シェイクスピア『テンペスト』エアリエルの歌より)

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『陽が出れば布団を干す』1

 なぜかそうせずにはいられない。
 この部屋は『ひまわりハイツ』という6畳一間と流し、風呂、トイレがあるいたってシンプルなあつらえ。
 マッチ箱を横に3つ、それを2段重ねたような計6つのブロックに分かれた、こじんまりした典型的なアパートである。
 江戸時代の長屋のようでもあるが、決定的に違う点は周りとの接触が皆無であるということ。
 ボクの部屋は2号室で、1階の1号室と3号室の間に挟まれた真ん中のポジションである。
 入り口は、住宅地に向き合った北側に位置し、したがって東が1号室、西が3号室ということになる。
 南側には1軒の窓があり、そこを開けると小さな幅80センチばかりの小川(どぶ川)が、澱みもせずにせせらぎの音を立てて流れている。
 その向こうは、上部に瓦を載せた3メートルばかりのブロック塀で仕切られているが、向こう側は相当ダダッ広い空き地である。
 そのブロック塀を挟んで、向こう側とこっち側には杉やカエデの樹木が、陽を遮らない程度の間隔で生えている。 
 木々の梢には、スズメなどの小鳥が朝5時を過ぎるとチュッチュと朝を知らせる。
 せせらぎの音とスズメの声がいいBGMだ。
 遠くにJRの汽笛が時折響き、時を知らせるサイレンが鳴る以外、クルマの音さえしない。

 南側の窓には手すりがあって、そこに布団を乾かす。
 庇は風雨で錆びかかってはいるが、雨の侵入だけは防いでくれる。
 何よりもこの部屋の立地的メリットは、直接太陽が部屋の中に入らない点である。
 朝日は1号室のほうから昇り、3号室に夕日は沈む。
 わずかに太陽は高く昇る時、快適な位置で洗濯物や布団に注ぐ。
 強い日光は、2階の部屋を集中的に焼射しここまでは届かない。
 手すりのポジションだけがきちんと陽を受けられる。
 この部屋は夏でも冷房が要らない。

 独り暮らしをしていると、外のエネルギーが必要になるのが分かる。
 布団に太陽エネルギーと樹々の精を取り込むのはそのためだ。
 レトルトばかりでは、体中のエネルギーは低下せざるを得ない。だから、少しでも手を掛けて気を入れて摂取する。
 火を通すだけで味は変わる。自分の手を通して、体に必要なエネルギーが効果的に取り込まれ排出される。
 気付かなかったことだ。
 エネルギー代謝のメカニズムを肌で知ることになる。
 静かである。
 時間は何の束縛もボクに与えず、ただあるがままおのれの手の中に納まっているだけ。
 今日もこの時間と空間はボクだけのために「そこにある」のだ。(夏目椰子)

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