こんな「オシゴト」やってます!  雑感  写真 | 映画


★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常』

 つれづれに書き記すボクの「備忘録」です。
緋色(ひいろ)とは、「茜で染めた色」で茶褐色の色。鳶色(とびいろ)とも言います。
脇息(きょうそく)とは、肘掛けのこと。
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最新の『緋色の脇息』

  
 

『金は天下の回りもの』200

 金は天下の回りものだ。私を避けて回るのが気に食わないが・・・。(イワン・ツルゲーネフ)

 (2011.02.28)   このページのトップへ

『エジソン』199

 今の実験は成功だ。そのやり方ではダメだということが分かった。(エジソン)

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『枯渇』198

 ほとんどの人は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だというところまで行き着き、そこでやる気をなくしてしまう。
 いよいよこれからだというのに・・・。(エジソン)

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『愛するということ』198

 愛するということは、互いを見つめ合うことでなく、ともに同じ方向を見つめることだ。(サン・テグジュペリ)

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『老齢』197

 老齢は山登りに似ている。(イングマール・ベルイマン)
 登れば登るほど息切れするが、視野はますます広くなる。

 (2011.02.28)   このページのトップへ

『ドストエフスキー』197

 人生で一番大事なことは、失敗したらジッと歯を食いしばって我慢し、成功してもすぐ有頂天にならないことだ。(ドストエフスキー)

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『ジャン・パウル』196

 人生は、一冊の書物に似ている。(ジャン・パウル)

 馬鹿者たちは、それをペラペラめくってゆくが、賢い人間は念入りに読む。
 なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから。

 (2011.02.28)   このページのトップへ

『ヘッセ』195

 人は、自分自身のために生きるより、他人のために生きるほうが、満足が大きいのだ。(ヘッセ)

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『人間』194

 地球は皮膚を持っている。(ニーチェ)

 そして、その皮膚はさまざまな病気を持っている。
 その病気の一つが「人間」である。

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『愛するもの』193

 なんのために、あなたたちは生きているのですか?(武者小路実篤)

 国のためですか?
 家のためですか?
 親のためですか?
 夫のためですか?
 自己のためですか?
 愛するもののためですか?
 愛するものをもっておいでですか?

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『幸せ』192

 命を失うより、片腕をなくしても生きているほうが価値がある(水木しげる)

 バカだなあ。死んでしまったら何もならんよ。
 幸せってものは生きていてこそ感じられるんだ。噛みしめられるんだよ。
 考えてみろ。死んでしまったら肉体がなくなって魂になるだけだろ。
 魂だけになったら幸せを実感できないんだよ。
 幸せってものは、身体と心で感じてこそ初めて分かるんだ。

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『春よ来い』191

 春よ来い また冬だよの 我が暮らし(夏目椰子)

 2月も終わる。
 春を待ち続けて4ヶ月。
 営々と続くこの北国のサイクルに織り込まれて、ボクらは日々を紡いでいる。
 これはこれでまた良し。楽しまねば。

 (2011.02.28)   このページのトップへ

『未来の幸福』190

 どんなに追い求めても「未来」に幸せはない。
 「未来」そのものがないからだ。
 「過去」や「未来」といった幻想(マトリックス)の中に、本当の幸せはない。
 そこにあるのは「時間」という拘束に縛られた「つかの間の快楽(時間とともに不幸に裏返る偽の幸福)」だけだ。
 いいかい。おまえが幸せを見つけ出せるのは、いつだって「今」だけだよ。(雲黒斎)

 (2011.02.27)   このページのトップへ

『小説を書くのは』189

 小説を書くのは夢を見るのと同じ。
 夢は目覚めたら消えるけど、私には夢の続きが書ける。(村上春樹)

 (2011.02.27)   このページのトップへ

『人生は芝居のごとし』188

 人生は芝居のごとし。
 上手な役者が乞食(こじき)になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。
 とかく、余り人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。(福澤諭吉)

 (2011.02.26)   このページのトップへ

『どっち取る?』187

 寒いのと 虫がいるのと どっち取る?(夏目椰子)

 少し温かくなってきた。
 お初の小バエが出た。
 どっちも嫌だと妻は言う。

 (2011.02.26)   このページのトップへ

『やせだぬき』186

 やせだぬき ケーコさんちの残飯(めし)あさる(夏目椰子)

 汚れたモップのようななりの、やせたたぬきがケーコさんちの残飯入れをあさっていた。
 腹減ったんだろな。
 冬はな〜んもないもんな。
 みんな頑張って耐えていたんだな。春は近いよ。

 (2011.02.25)   このページのトップへ

『残雪に』185

 残雪に ババの石灰 春よ来い(夏目椰子)

 ミセスホウレンが畑に石灰をまいていた。
 今年もまだまだやる気満々の83才。
「おめだちゃ食わせるがらな」
 ナスとピーマン、そしてホウレンソウを持ってくる、ホウレンばあさんのあのしわくちゃの笑顔が目に浮かぶ。春は近い。

 (2011.02.25)   このページのトップへ

『春めくや』184

 春めくや やぶありて雪ありて雪(小林一茶)

 外の景色は「白黒のまだら模様」。
 やぶがあったところ、木の根もとは黒く、そこが生きていたことを教えてくれる。
 そしてまた雪。
 そんな景色の中に、ちょっこり「春」がのぞいてる。

 (2011.02.25)   このページのトップへ

『もう一歩』183

 もう一歩 あともう一歩と Keyの音(夏目椰子)

 妻がKeyを叩く音がそう聞こえる。
 その音を聞いていると、ボクも頑張らなければと思う。
 希望の音を2人で響かせ合っている毎日。
 春は近い。

 (2011.02.24)   このページのトップへ

『いいじゃない、ゼロからやれば 2005』182

 トミがグループホームに入る機会に、ボクらは迷わずにおばさんにトミの通帳を渡した。
 こうして新年が始まったのだった。これを書いている2月4日、今のところ収入はない。ボクには養育費もある。月7万はキツイ。あんな見栄をはらなければよかったかな・・・・・・そんな弱気が頭をもたげることもある。だけどさ、ひまめの顔を見ていると、なんだかこれでよかったと思える気がする。自分たちは自分たちの力で少しでもいいから仕事を見つけてお金を稼ぐために頑張るんだ。貧乏したってなんとかなるさ。

 ことなは、養育費という超現実的問題も抱えているので、今現在仕事の話がきていないことにちょっと焦っているようだ。しかし、一旦腹が据わると開き直るタイプの私は、今現在仕事の話がこないということよりも、そこそこ生活が成り立つ大富豪トミさんの年金が手元にあることのほうがよほど怖いことだと思うのである。つまり、最低限の生活保証を手にすると、人は怠け心が芽生えるもの。一番怖いのは、稼がなきゃ、という気持ちが萎えることだと思うから。食っていく糧は畑でも山菜取りでも、狩でもいいわけで、それが夢を実現するライフワークなら一番いいけれど、つまりはなんだっていいわけで。食えないからって餓死するまで何もしない人は少ないだろう。なにかはやるはず。その危機感を失うことの方が私はよっぽど怖いと思うのだ。考えてみれば、私もことなも過去、かなり真面目に必死にビジネスの世界で頑張ってきた実績がある。決して快楽主義、刹那主義、怠け者ではない。これからの人生をこんなふうに生きたいという明確なイメージを描き、意志をもって選んだ田舎暮らし。あの決断をした時の気持ちを見失わないように、お互いに見張りあわなければ意味がないだろう。だから、貧乏大歓迎なのである。だけど、一つくらいは仕事したいなあ。

 (2011.02.23)   このページのトップへ

『恋のチカラ』181

「『恋ノチカラ』のDVD、買ってよかったね。なんたって、私たちのバイブルだから」  
 と、ひまめは言った。
「そうだね。今、腹が鉛でさ、具合悪い。まっ、それはそうと何だか混乱してる」と、青ざめた顔でことなが言った。
「あれ? もしかしてウンチ出てないの? それとも、精神的にフン詰まってるの? 今日は、ことな、書いたんだよね。その調子、その調子。書きたいことが湧き上がった時が書きどきだもんね。あせらなくたって、書きたくて仕方なくなるものだから、心の声をよーく聞きましょう」  
 雪がズダダッっと落ちた。今日は大雪だったのだ。大雪の中ヨドバシへ二人は「恋ニチカラ」を買いに行ったのだ。ひまめは暗証番号を失念して自分を責めていたっけ。
「書いていてね、ひまめさんがおっしゃる『書きたいことが湧き上がった時が書きどき』っていうことがしっくりこないのね。つうまありい、何が足んないんだろう? って思うのよ」頭をかきむしりながらことなが言った。
「もしかしてそれは、これを書きたい、っていうのが見つからないから? これについて、このことを書こうと決まれば、思ったままに書くうちに、調子に乗るっていうのかなあ、うまくいえないけど、『これ』がはっきりすれば解決しそうな気はするんだけどな……」
「ストーリーを頭に描くとだめなんだ。おれは。そして、事実を書く抵抗もある。全部フィクション化するか? なんか、事実を書くことの衒いもあって、かといってフィクションだけでは収まらなくなって、要は書いているうちにこの辺の軸がぶれていく気がする」
「あのさ、いろんなタイプの作家がいるし、私だって素人だからよくわかんないけど、初めからストーリーを描いて書き出せたら、それはいいことなんだろうけど、例えば、前にことなが言ってた子どもの頃の原風景とか、そういう書きたい場面、思い出して記憶を記録したい場面ってあるよね、そういうのから書いてみてもいいんじゃないかな。難しく考えすぎないで、要は、文章化する基礎っていうか、リズムをつかむことから。前にOさんの小説読んだよね、彼女はあの小説を書いたのは、『大学のキャンパスの風景を書きたかったのね』って言ってた。それでいいんじゃないかと思うよ。まず、自然にかけそうな部分から書いてみて、そこに登場人物のイメージが湧いてくるってこともあるかも。誰をそこに立たせたいのか、どんな人に言わせたいのかとかさあ。確かに私もストーリーを初めから考えるなんてまだできないもん。最初に書いたのは、自分の体験の中での自分の感情を吐露することから書き始めたのね。それはすごくすらすら書けた気がする。だって、自分のことだからね。で、それがストーリーになってるかっていうと、違うんだよね。ま、そこが結局私の弱点でもあるんだけど。とはいうものの、書きたいと思ったことを先ず書くことから始めないと、種ができないんだよね。風景描写でも感情描写でも、なんでもいいって気がするけどなあ」
「別に最初からプロみたいなものを書こうと思っているわけじゃないし、書けない」
「私ね、前にことなが会津のアパートのことメールに書いてたの、あれ、すごくおもしろいと思ったんだよ。ある一日の描写だけど、布団をほしたりね、あの文章、お日様の匂いまでしてくるような、そんな感じで読んだ。つまり、構えずにあんなふうに素直に書いていったらどうかな? 日記だってなんだっていいわけだもん。それが、もしかしたら、ある一人の青年? 中年? のことをテーマにしたものになったりもするかもしれないし。ことなのあんな感じの文章が読みたいって思うよ、私は」
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『朝陽が出ればふとんを干す』

 なぜかそうせずにはいられない。
 この空間は、「ひまわりハイツ」という6畳一間のシンプルな誂え。マッチ箱ナガヤは横に三つ並び、それを2段重ねにした作りだ。僕の部屋は1階の真中。入り口は北側で南側に1軒の窓があり手すりが付いている。網戸付きの窓を開けるとすぐ下に幅1メートルのどぶ川にしては水量の多い小川が流れ、チャプチャポせせらぎが聞こえる。その向こうは高さ3メートルくらいの瓦を載せたブロック塀が視界を遮っている。塀の中段に「○△バカ」と青いペンキで殴り書きをしてあるが、読解できない達筆な文字だ。塀の手前に広葉樹が適度に伸び太陽を遮らない程度に枝を伸ばしている。すずめをはじめとした各種山鳥が梢で羽を休める。チュクチュク、ピーピーにぎやかだ。
 朝5時になると、本物の鳥のさえずりが時を知らせる。  
 そしてそれから僕はふとんに入る。
 気持ちいい就寝。
 太陽は、人々に早く仕事に行け、と言わんばかりにその陽光で角膜を覚醒させようとしているのだろうか。でも僕は眠る。おかまいなし、至福の時だ。
 やがて、昼になると少し高くなったお日様が遮光カーテンの隙間から左の肩あたりに差し込んでくる。そろそろ起きるか。
 ふとんをはねのけて、カーテンを開ける。窓を開ける。外はもう相当ヒーティングされていることが分かる。天気予報は25℃だったと思う。この部屋はまだ、長袖でも涼しい。コーヒーをチンしてコタツのスイッチを入れ、温度を1にセットする。
 ここは立地上、西陽も東陽も当たらず、日中も二階の庇が邪魔して最小限の陽光しか入り込まない。上と左右の部屋が発砲スチロールのように保温材の役割をしているから、いつも涼しいのだ。エアコンは真夏でも必要ないだろう。得をした気分になる。コーヒーマグを取り出し、口に運ぶ。インスタントでもうまい。いや、インスタントゆえにうまい。

 一人暮らして1ヶ月になる。こうしていると、外のエネルギーが必要なのが分かる。ふとんを干すのは、太陽エネルギーを取り込むためだ。
 レトルトばかりでは、体内のエネルギーは低下する。だから少し手をかけて料理してみる。それを摂取することでエネルギーを補給する。
 「代謝」のメカニズムを体で知ることになる。

 静かである。時間は何の束縛をも僕に与えない。ただ、あるがまま、己れの手のひらの中におさまっている。
 今日もこの時間と空間は僕だけのために、ただじっとあるがままにここにころがっている。

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「ひまめ、良いこと言った。やっとフンが出てきたよ。ありがとう。ちょっと、ウンチ。」
 足早にトイレに駆け込んだことなの背中を見ながら、ひまめはふっと息を吐いて微笑んだ。
「かわいいヤツ」
 ひまめは、ことなの持っている「何か」をずっと信じてきた。今も、そしてこれからも、何かやってくれるヤツだと信じている。そうだ、ことなはキュッと引き締まった短篇小説を書き上げるかもしれないな……なんとなく、そうなんとなくだが、ひまめはそんな気がした。
「ふたりが互いに触媒になってあるひ化学反応を起こしたんだ。この関係が次のステップへ行くためには、何かを産み落とすことなんだよ」
 と、ことならしくもないことを大人げに言ってはにかんだ。
「そうね、こういう関係は普通ありえないって思われるけど、ありうるよっていうことを伝えたいよね」
「それはたまご?」
「たまごとか種ね。雛を孵化させたりハナを咲かすってことはそれぞれが次にやること」

〓26日朝1:45分〓

ことな「今日、いや昨日はいろんなことを話したね。巷間の教え、つまり奢らないで原点でいこう、という教訓ですね。笹川の旅もたのしっみ〜」
ひまめ「まったくもって、その通り! つまり、巷間の教訓に当てはめると、ここ数日話あってきたことが、全部スルッと消化できて昇華できたって感じぃ」
ことな「はにかみ屋のぼくです」
ひまめ「あいも変わらず気ばかり強い私です」
ことな「変な関係ですが、なかなかいいんじゃない?」
ひまめ「まったくですねー。根本的に似てるからねー」
ことな「わがままで好き嫌いが激しく、結構頑固ですよね、ぼくら」
ひまめ「そんでもって、思い込みも激しい。でもさ、自然体でお互いいられることが、この関係の一番の良さでしょ? 自分が自然体でいられることだけでなく、相手にも自然体であって欲しいという思いがとっても強い二人だと思う」
ことな「おだずもっこ」
ひまめ「いつのまにか誘発されちまってた」
ことな「オダズってことは、基本的にコミュニケーションの潤滑油だよね。オダズには才能が必要だとも思う。そして、表面的なオダズ(ふざけ合うって意味の)だけでなく、少しこころのコミュニケーションができるところに近づいている気がする。この頃、とみにそう思える。でもってあの、オダズ乗りもいつでもできる関係が好きです」
ひまめ「それと、私たちのケンカってかなりシビア。それができることも私は好き。真剣に議論するって、知りたい、知って欲しいという愛情の証でしょ? どうでもいい人ならそんなエネルギーは使う気にならないもの。オダズことも、怒ることも、深いところに信頼関係があってこそなわけで、特に、オダズってことに関しては、相手を間違うとかなり淋しい結果を招くので気をつけよう」
ことな「自己嫌悪? そろそろ寝るか? 今日は柑橘系食ったし。いい汗流そう!」

 (2011.02.23)   このページのトップへ

『【Eπi+1=0】 改め《 eの(πi乗)=−1》オイラーの公式・博士の愛した数式』180




 著者にこんなメールが飛び込んできました。世界の数学者、プロフェッサー鈴木東栄氏からでした。筆者の浅学非才を恥じるとともに、ここに謹んでお詫びと訂正をさせていただきます。
 いやあ、それにしても『餅は餅屋』、勉強になります。今後、数学や天文を題材にしてモノを書くときは、彼に指南役になってもらいたいと思っております。それでは紹介します。
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 表題のエッセイに、少し気になったことがあるので、メールをしました。著者にイチャモンをつけるつもりは毛頭ございません。著者の友人にたまたま、数学で飯を食っている奴がいまして、著者に恥をかかせたくない一心で書かせてもらいます。  

 オイラーの定理は、理数系では無視できない、円周率π、虚数単位i、微積分学の対数の底e、負の数の代表選手-1、の4者の関係を見事に表した公式で、正確には以下の様になります。

 《 eの(πi乗)=−1》
 ※-1を左辺に移項すると、YouTubeの映像と同じです!

 美しい! 本当に美しい!
 あるまんど山平の楽曲だ! 数学は科学の女王! と言われる事が納得できませんか(私は20年かかりましたけど…)!
 指摘したいのは、πiが累乗の指数になります。数学的な話は、無視できませんのでメールしました。さらに、eは小文字です。大文字だと、エネルギーになり、アインシュタインの相対性理論の公式で  

  E=m×(cの二乗)  が有名です(詳細省略)。

 ちなみに、『博士の愛した数式』を執筆するにあたり、作者の小川洋子は、お茶の水女子大教授の藤原正彦先生から数学の指南を受けたとのことです。

 藤原正彦氏は、私が高校生の時大好きになり、かつ人生を変えさせてもらった新田次郎の息子(母は藤原てい〜流れる星は生きている〜で有名)さんです。

 さらにさらに、エッセイの著者(ヤッシ)は、高校は理数科の出身で、当時の数学は天才的でしたYo!

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 東栄、すっかり文系頭になっちゃった自分だけど、この公式を「いっぱいの愛情に1人を加えると無の境地に入れる(無になれる)」、そんなふうに文学的に解釈すると、何だか泣けてくるくらい美しく神秘的だね。理文融合の公式とも言えるんじゃないか?

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 (追伸)2.26 やるね〜ヤッシ! 見事だね〜ヤッシ! 
 オイラーの定理を『理文融合(この言葉も気に入ったぜ!)の公式』と捉えたアナタは凄い! 授業で使わせてもらいます。日本語って器用だな、と感じました。
 『オイラー』で最後までダジャレを言わなかったよ。
 言いたくて、言いたくて、でも我慢しました。最後まで我慢しました。ヤッシ、尊敬してね。こんなオイラを…。

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 ああ〜、最後に出ちゃったよ。油断したんだね、彼。

 (2011.02.22)   このページのトップへ

『あんだ』179

 あんだ、お金もないから、これから出会う人は皆いい人だよ。(ま)

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『ナイフをペンに、くわに代えて。2004.2.10』178

 人の心をナイフで傷つければ、すなわちそれは自分が傷付きます。
 そうじゃなくてこれからは、ナイフをペンに、くわに代えて生きていこうと思います。
 外に宝はないのです。
 外に目を向けるのではなくて、自分の内側に目を向けて、本当の幸せを探すのです。
 それが「あなた」にとっての幸せになるまで。

 (2011.02.22)   このページのトップへ

『冬田2004』177

 夢落ちて 我が身は冬田となりにけり (夏目椰子)

 何もかも済ませ、もはや休むのみといった風情の冬の田んぼ。
 ざくざく霜柱が立っていたり、薄く氷が張っていたりする田面。
 冷たい北風が吹きすさぶ日には、荒涼とした厳しさを感じますが、弱い冬の日が射す日中などは、虫をついばむ渡り鳥の餌場にもなって、穏やかな一面も併せ持ちます。
 やがて来る田植えの季節まで、田んぼは静かに眠って力を蓄えているのでしょう。

 (2011.02.22)   このページのトップへ

『泥の河2』176

 う金色のさざめきがすでに川面で煌めいていた。
 大きな波紋がじわじわと岸辺に向かって撓んでいく。
 夕陽の、赤錆のようなかけらが、少しずつ黒ずみながら川面を昇っていた。
 夜更けて、ときおり点いたり消えたりする母親の部屋の灯も、小さなさざなみの青さよりもっとはかない何かを投げかけてきた。

 堂島川と土佐堀川が合流し、安治川と名を変えていく一角、まだ焼跡の名残りを伝えていた昭和30年の大阪の街を舞台に、河畔に住む少年と、川に浮かぶ郭舟で育つ姉弟のつかの間の交友を、不思議な静寂のうちに描く、太宰治賞受賞作『泥の河』。

 (2011.02.22)   このページのトップへ

『泥の河』175

 川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮らしているとは思っていない。
 実際、川と橋に囲まれ、市電の轟音や三輪自動車のけたたましい排気音に身体を震わされていると、その周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった。
 だが満潮時、川が逆流してきた海水に押し上げられて河畔の家の軒下で起伏を描き、ときおり潮の匂いを漂わせたりすると、人々は近くに海があることを思い知るのである。
 川には、大きな木船を曵いてポンポン船がひねもす行き来していた。川神丸とか雷王丸とか、船名だけは大袈裟な、そのくせ箱舟のように脆い船体を幾重もの塗料で騙しあげたポンポン船は、船頭たちの貧しさを巧みに代弁していた。
 狭い船室に下半身を埋めたまま、彼らは妙に毅然とした目で橋の上の釣り人を睨みつける。すると釣り人は慌てて糸をたぐりあげ、橋のたもとへと釣り場を移すのであった。

 (2011.02.21)   このページのトップへ

『擬音・擬態語』174

 風さささ 波どどど
 山風の懐にも 汐風の袂にも
 忘れてならぬ 森永ミルクキャラメル

 (片岡敏郎)大正時代のコピーライター

 ありありと情景が浮かぶ。リズム感もある。
「ハッパふみふみ」
「スラリ、キラキラ、キンキラ」
「ピッカピカの1年生」
「君にクラクラ」
 擬音・擬態語の魅力はリズム感があり、文に感覚性を与え、いきいきとさせる点にある。
 谷川俊太郎、草野心平の詩には、それだけで作られたものもある。
 新しい言葉をいくらでも作り出せる。
 例えば、昔の人が玉の触れ合う音を表した「もゆら」といった、末尾に「ら」のつく型。
 「どたら」「ぐりら」・・・・・・。
 「どんとぽちい」のコピーは、古典の研究者をうならせるほどの絶妙な古語の掘り起こしだった。

 だらりんしょん、お湯につかれば つるりんしゃん (夏目椰子)

 (2011.02.21)   このページのトップへ

『あざみの歌』173

 山には山の愁いあり
 海には海の悲しみや
 ましてこころの花園に
 咲きしあざみの花ならば

 高嶺の百合のそれよりも
 秘めたる夢をひとすじに
 くれない燃ゆるその姿
 あざみに深きわが想い

 いとしき花よ汝はあざみ
 こころの花よ汝はあざみ
 さだめの径ははてなくも
 香れよせめてわが胸に
 (横井弘 作詩)

 (2011.02.20)   このページのトップへ

『ゆらぎ』172

 自然界の中で、最も人間が心地いいと感じるリズム。
 小川のせせらぎ、そよ風の音・・・。

 (2011.02.20)   このページのトップへ

『枯淡』171

 枯淡の境地。枯淡の域。
 世俗の名利にこだわる気持ちがなく、自然そのものの持つ、さらりとした味わいが感じられる様子。

 (2011.02.20)   このページのトップへ

『感激』170

 人生っていうのは、結局何回感激したかってことで値打ちが決まるんじゃないかな。(本田宗一郎)

 (2011.02.20)   このページのトップへ

『涙』169

 心は身体と同じで、いつも動かしていないと、すぐにカチカチに硬くなってしまう。
 涙には人の心をストレッチするやわらかな力があるのです。(石田衣良)

 (2011.02.20)   このページのトップへ

『決意2004』168

 道のりは長く険しい。
 なぜ自分がこの道を選んでしまったのかも分からなくなる瞬間がある。
 人生は一回きりだから、今を修復して「普通」に生き、いわゆる家庭円満というやつをノホホンと手に入れることだってできるのに、なぜにオレはこういう道を選ぼうとしているのだ。

 ”自分に正直に潔く生きたい”。
 そのためにオレは今、悩み、苦しみ、喘いでいる。
 そのためには、これからの人生はたとえ親戚とてあてにせず、自分に課せられた最低限の責任を全うし、誰にも迷惑をかけずに生きていくこと以外にない。
 最低限の責任とは何か?
 親、祖母の面倒と,子供の面倒、妻への保障だ。それだけだ。それ以外にない。
 少なくともこのことだけ、誰にも依存せず、責任を果たして死にたい。
 その上で、モノを書き残したい。
 自分の人生をそのことに賭けて生きていきたいと願っている。
 人を騙したり、裏切ったり、人に期待を寄せたり、頼ったり頼られたりするのはウンザリだ。
 この悩みの向こうに、オレ自身笑っている姿をイメージしてみよう。
 それだけあればいい。
 友だちも親戚も皆、「何が原因でそうなったんだ?」と言う。
 原因が分かれば認めてやってもいい、と言わんばかりに。
 そしてこうも言う。
「まあ、夫婦のことはオレたちがとやかく言える問題じゃない」それから、
「自分の周りでも離婚した人はいっぱいいるし、今は珍しいことでもないけどな」
 だからオレは思う。
 別に心配してくれなくてもいいよって。もちろん口に出して言うわけじゃないけど・・・。
「あんなに仲良かったのに・・・」
 そうだ。みんなから見れば理想的な夫婦、理想的な家庭だったはずだよ。
 でも、壊れる時はこんなもんさ。
 オレが倒産して、妻に愛想を尽かされて、放り出されたのならよかったのになあ。
 そうじゃないだけに、誰にどう話していいのか、説明がつく話なんかじゃないのさ。
 だから、悩むのです。  

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『禅宗』167

 禅宗では、釈迦さんの教えはたった3つ。
 座禅。辻説法。托鉢。
 まず考える。
 次に考えたことを人に話す。
 そして、施しを受けて生かされる感謝を覚えよ。

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『死にのぞんでの祈り』166

 誰も孤島ではなく
 誰も自分ひとりで全てではない
 人は皆、大陸のひとかけら
 そのひと握りの土を
 波が来て洗えば
 洗われただけの欧州の土は失われ
 君の友人や君自身の土地が失われる
 人の死もこれと同じで、自ら欠けてゆく
 何故なら私もまた人類の一部だから
 ゆえに問うなかれ
 誰がために鐘は鳴るやと
 それは君のために鳴るなれば(ジョン・ダン)

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『タガタメ』165

 デカプリオの出世作なら、さっき僕が録画しておいたから、もう少し話をしよう。眠ってしまうにはまだ早いだろう。
 この星を見てるのは、君と僕とあと何人いるかな。ある人は泣いているだろう。ある人はキスでもしているんだろう。
 子供らを被害者に、加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。
 でも、もしも被害者に、加害者になった時、できることと言えば、涙を流し、まぶたを腫らし、祈るほかにないのか?
 タダタダダキアッテ、肩たたき抱き合って、手を取って抱き合って。

 左の人右の人、ふとした場所できっとつながってるから、片一方を裁けないよな。僕らは連鎖する生き物だよ。
 この世界に潜む怒りや悲しみに、あと何度出会うだろう。それを許せるかな?
 明日もし晴れたら、広い公園へ行こう。
 手をつないで、犬も連れて、何も考えないで行こう。
 タタカッテタタカッテ、誰がため戦って、戦って誰勝った? 誰がためだ? 誰がためだ? 誰がため戦った?

 子供らを被害者に、加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。
 でも、もしも被害者に、加害者になった時、かろうじてできることは、相変わらず、性懲りなく、愛すること以外にない。(桜井和寿)

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『手間返し』165

 手間返し。
 もやい。
 ゆい(結)。
 ぬい。
 契約講。
 無尽講。
 働いてくれた分は働いて返す。

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『遺言』164

 物語は「その時」を待っている。
 私の手によって語られる時を、ジッと暗闇の中で息をひそめている。
 私には、それを語るだけの資格が与えられていないだけだ。
 何を語られたいのだ。
 それはきっと、失われ捨てられゆくものたちの「遺言」かもしれない。(夏目椰子)

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『自然への尊厳』163

 自然への尊厳を書いていこう。
 それは人間の尊厳につながることだ。
 なぜなら、人間とて自然の一部なのだから。(夏目椰子)

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『処女作』162

 処女作には締め切りがない。
 締め切りがない作品は、とにもかくにも何かを信じて書くしかない。
 自分の才能を?
 そうした信念は、別に誰かのお墨付きをもらっていない。
 言うなれば、全く根拠のない信念である。
 処女作が後続の作品に較べて輝きを放つのは、一つにはその根拠のない信念、強さゆえである。
 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が発表されたのが1979年。辻仁成が20才の頃。
 それから10年後、辻のデビュー作『ピアニシモ』が発表された。(島田雅彦)

 (2011.02.19)   このページのトップへ

『くるみ』161

 ねえ くるみ
 この街の景色は君の目にどう映るの?
 今の僕はどう見えるの?

 ねえ くるみ
 誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
 そんな時はどうしたらいい?

 良かったことだけ思い出して
 やけに年老いた気持ちになる
 とはいえ暮らしの中で 今動き出そうとしている 歯車のひとつにならなくてはなあ
 希望の数だけ失望は増える
 それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
 想像してみるんだよ
(『くるみ』Mr.Children)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『あとがき』160

 信州の小さな田舎町に住んで11年になる。
 地に足をつけて発言したい、そんな想いがこんなライフスタイルを選択させた。
 外面はすでにもどりようのないところまで、地方の生活者として完成させることができたが、内面になるといまだにつま先を立てたがる自分がある。
 小説を書き終えるたびに、そんな自分が顔を出していないかと心して検証してみる。
 結局、書くという行為は、内面の浮き揚がろうとする足を大地につけさせるための作業だったのかもしれない。
 今回、思いがけない賞を受賞したが、身に付いたライフスタイルを変えるつもりはない。
 足が大地に根付き、厚い岩を割る。
 そんなところに見えてくる人と風景を書きたいから、今後も同じようにスロウペースで、足下を確認しながら書き続けていくつもりである。
 この10年、硬すぎる文体しかもたない男の自己検証の作業に根気よく・・・。
(『ダイヤモンドダスト』あとがき〜南木佳士)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『寅さん』159

 寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
 ご用とお急ぎでない方はどうぞこっちへ入った入った!!
 四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。
 四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水。
 粋なねえちゃん立ちションベン。
 田へしたもんだカエルのションベン。
 見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ(ってな! おもしれーか?)
 結構毛だらけ猫灰だらけ、お前のケツは糞だらけ(どうだあ、こんちきしょう!)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『檀一雄』158

 傷付き、夢に破れれば破れるほど、
 命の素材は、その光を増す。

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『腹が痛くて』157

 腹が痛くて、途中から便所にばかり立つので、君はさっぱり”つまらない”といふやふな顔をして、番茶などを差し出すけれど、なんだかそれが少しも美味しくなくて、これはきっとそういう気持ちのせいなのだなと、言おうと思うが、言い出しにくいまま、ぼくはジッと本などを読んでいました。
(夏目椰子)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『生きるということ』156

 生きるということは、その内部にポジティブに生きようとする力が、生まれながらセットされているはずなのです。
 そして、”記憶”と結びつき、各々の人生の時間軸と交差していくことにより、時間芸術として音楽はその中にあるのだと・・・。
 要は、楽しく、そして美しくというのが私の中での音楽に対する想いなのですね。(美しいというのは”カッコよく”というのではありません。カッコ悪過ぎても美しい場合が多々あります)
 ですから、実際に鳴っている音(サウンド)だけでなく、そこに込められたスピリッツがとても大事です。
(ベルヴィエントスのリーダー「あるまんど山平」)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『歓び』155

 辛い悲しい時ですら、そこに”人生の歓び”が内包されているのではないか・・・と思うのです。
(ベルヴィエントスのリーダー「あるまんど山平」)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『歓び』154

 たぶん音楽って”人生の歓び”を祝福してるんだと思うよ。
 とっても単純な方法でね。
 ・・・音楽は”歓び”の最もストレートな表現方法なんだろうね。
(ビーチボーイズのリーダー「ブライアン・ウィルソン」)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『ひかる』153

 ひかるの話し方は、ちょうど雪道を歩いているような感じがする。
 一つ一つの言葉に力があって、決して早足になったり駆け出したりしない。
 ときどきズルッと滑ることはあるが、尻餅をつき、雪を拾いながら立ち上がるときの笑顔は、その場の雰囲気をとてもあたたかいものにする。
(『パーク・ライフ』吉田修一)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『からだ』152

 宇田川夫妻のリビングで、30分ほど音楽を消したまま「ニュースステーション」を眺めたあと、ラガーフェルドを風呂に入れた。
 ニュース映像、特に戦渦を伝える映像を音なしで眺めていると、「人間とはからだのことなんだな」と、ひどく当たり前のようで、新鮮な衝撃を与えられる。
 テレビのボリュームを上げていれば、ビン・ラディンもブッシュもパウエルも、シャロンもアラファトもニュース解説者も、難しい言葉を並べ、あたかもその言葉が思考を生んで、生まれた思想で何かが起こっているように思えるが、その音を消してみれば、人間の思考などどこにも見えず、ただ歩き、座り、横たわる人間のからだしか映っていない。
 ビン・ラディンのやせたからだが、何か悪さをするとは思えなかったし、健康的なブッシュのからだが、逆に何かを解決できるとも思えなかった。
 音のないニュース映像は、なぜかしら、からだだけが不当な被害を受けているようだった。
(『パーク・ライフ』吉田修一)

 (2011.02.18)   このページのトップへ

『ピンポン』151

 人生楽しむならピンポンしてるうちだよ。

 (2011.02.17)   このページのトップへ

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