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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常』

 つれづれに書き記すボクの「備忘録」です。
緋色(ひいろ)とは、「茜で染めた色」で茶褐色の色。鳶色(とびいろ)とも言います。
脇息(きょうそく)とは、肘掛けのこと。
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最新の『緋色の脇息』

  
 

『力強く』100

 リズムを持って、力強くKeyを叩け!

 (2011.02.11)   このページのトップへ

『名言』99

 難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に書くこと。
 (井上ひさし)

 (2011.02.11)   このページのトップへ

『ユーモアとペーソス』98

 ペーソス(哀愁)。後ろ向きな、ある種かっこ悪い生き方で、ちっとも派手なところはないが、かえってそれが人間らしいしみじみとした情味を感じさせること。
 心の琴線に触れるもの。
 登場人物が好き。
 ドラマ性。
 豊かなユーモア。
 真面目さ。
 感性の深さ。
 文章にリズムと余韻。
 命がけで書け! 明日という日はないと思って。
 大切なのは”情熱”だ。それが人を感動させる。これがないと”クソ小説”だ。最初の1枚にかける。
 1、考えずにハートで書きまくる。
 2、推敲1 頭を使って。
 3、推敲2 タイプしながら。
 4、推敲3 語句を選んで。

 (2011.02.11)   このページのトップへ

『天井』97

 青どどめ色のシミがところどころ広がる薄汚れた天井を見ながら、ボクは窓も仕切り戸もない六畳間に北向きに敷かれた布団の上で思った。
(蛍光灯のカバーが外れたら、今度こそ確実にやばいな)
 今年は8月としては記録となる台風の当たり年で、もう4回も直撃を受けた。
 その3回目の朝にカバーが外れた。

 (2011.02.11)   このページのトップへ

『青カビ』96

 綿ぼこりが付着して、身動きが取れなくなって、しまいに干涸びて死んだ青カビのような自分を見ている。

 (2011.02.11)   このページのトップへ

『早朝に。2004.09.01』95

 今年に入り、あまりの生活激変でモノを書くということから遠ざかっていた。
 庭の畑の作物も、夏野菜から秋野菜へと衣替えをする季節なので、私もここでそろそろ生活に変化をつけなければと思い立った。  
 4時半に起き、ノロノロ眠い頭でコーヒーを沸かし、何はともあれ新人賞へ向かって書き出す気持ちになったのだ。
 ノロノロ、ボチボチ、スロースタートを切ろうと思う。

 (2011.02.10)   このページのトップへ

『精霊たちが帰っていく。2004.08.18』94

 ま、を図書館で下ろし、大雨の中、クルマを走らせ帰宅する。
 ヘルパーさんはすでにキッチンで2人の昼の支度を始めていた。  
 久しぶりに机に向かいペンを執っている。
 お盆が終わると、短く激しく暑かった夏が、秋風に追われるように去っていった。
 テレビでは、オリンピックと甲子園の熱気が残っているものの、秋田は確実に長い冬へ向かって動いているんだ。
 あんなに楽しませてくれた”アオガエル”たちも、もうトイレのサッシにさえ見当たらなくなった。
 畑の作物たちは、遅かったデカトマトすら赤ばみ始め、本格的収穫の時期を迎えている。
 残暑の秋田から始まった「介護と田舎暮らし」の生活。
 少しずつ慣れ、少しずつ落ち着きを見せ始め、オレは今、ま、と共に、父、祖母を見守りながら生活している。
 妹に伝えたい、伝えなければならないことはたくさんある。
 今日は、そういう一連のことを、少ない時間の中で、心のゆとりをもってやっていかなければならない。
 何より、トミやヨシオや、ま、が元気で楽しく暮らしていられることに、先祖の精霊に感謝しながら、お盆送りの今日をくつろいで穏やかに生きたいと思っています。
 ありがとうございます。合掌。 

 (2011.02.10)   このページのトップへ

『トミ復活。2004.07.15』93

 もう完全にトミは復活しているのに、オレはいかにも旧態依然としていて、その変化にも対応できないでいる。
 労健から戻って、グッタリ疲れて眠ったトミは、1時間後床を抜け出し廊下の衣装ケースをガサゴソやっていた。  
 それを見つけたオレは、いつもの剣幕で「ダメ!」と言ってトミを寝かしつけたが、トミはなぜにそんなにまで怒られなければならないのか? といった顔で不満そうだった。
 かつて、何度も転倒し傷付いたことからのオレの過剰反応の名残である。
 それに対してトミは、実は平常な神経になっていて、オレだけが浮いてしまう。
 確かに正常になった人に、そこまでいきり立って怒ることもないじゃないか・・・という気にもなる。
 自分だけ”独り相撲”を取っている気がする。
 まあ、それくらいトミの容態が良くなった証しなのだ。
 喜ぶべきことなのだ。
 そう思うにつけ、自分のキャパのなさにうんざりしながら、また、そのことを、ま、などに当たり散らしてしまいそうになることにも、バカらしさと憤りを感じながら、こうして7:30、早々と床に入ろうとしている。
 みっともない自分です。 

 (2011.02.10)   このページのトップへ

『日常の下敷き』92

 日常の下敷きになって、埋もれたものを取り返すんだ。
 「甘い夢だ」と誰かがほざいたって、虎視眈々と準備をしてきた僕だから、きっと上手くやれる。  
 行こうゼ!
 (Mr.Children『PADDLE』より) 

 (2011.02.10)   このページのトップへ

『もうダメかもしれないナ・・・。2004.07.11 小雨』91

 久しぶりの記載になった。
 ま、が来てから1ヶ月。  
 何かが改善し、何かが壊れた。
 今日はオレ、全然”ウツ”で、トミやヨシオや、ま、や、あらゆる近い人たちにひどく当たっている。
 特に、ま、には辛く冷たく、完全に離れている自分と、そういう一方的な状態に何ら違和感すら覚えず、と言うよりは「何とかしなければ・・・」という感情も沸かない、かなりまずいことになっている。
「どうでもいいや」
「いずれにしてもこの関係は長く続くはずない」
 そんな自暴自棄な心と、天気同様暗い、暗い、怖いほどの静寂に包まれている。
 そのことは、トミやヨシオにも伝染し、家中が重苦しい空気になっている。
 昨日、一人部屋で暗く閉じこもっていた、まの姿を見た時から、それを慰めるどころか、いよいよオレは自己防衛を始めたんだ。
 彼女の精神と肉体の弱さに対して、オレは陰湿な責めを始めたのだろう。
 よくないことだ。
 よくないことだ。
 すべては”八つ当たり”なのだ。
 よくないことだ。
 バカなことだ。
 何をやっているのだ。
 オレはダメな人間だ。 

 (2011.02.10)   このページのトップへ

『やっと・・・。2004.06.08』90

 2週間時間が経ち、体重がついに60kgになった。全盛期より8kgもやせたことになる。
 仙台、石巻での1週間と、ま、が来て4人の『介護生活』が始まって1週間。  
 いやはや、まったく凄かった。
 前段での『Mさん宅ぶち切れ”帰る!”事件』や、こっちに来てからの、体調不良に始まった、ま、との『最悪、険悪、無思考バタバタ劇』の一連の出来事は、十分に激やせの原因を作るものだったが、これは多分に、今までの介護生活での疲れと、その蓄積が切れたことと、ま、の環境激変による余裕のない精神状態に起因するものであって、お互いがお互いに、深く、強く依存してしまった結果に違いない。
 ま、は、”被害妄想”と”自信喪失”と”将来への不安”と”四面楚歌”と、あらゆるネガな感情に翻弄されて、本気で自虐的に、
「家に帰る。何のために私は来たの!」となってしまったし、肉体的にも足腰の痛み、鼻炎に悩み続ける”試練の日々”だった。
 オレはオレで、風邪をこじらせ、部落の共同作業で張り切り過ぎて”日射病”にまでなってしまい、これはこれで死ぬほどしんどかった。
 幸い、破談一歩手前のところで、昨日ようやく正気を取り戻し、2人で”滑多羅温泉”へリフレッシュに行ったことで、心身ともに大いに復活した。
 もちろん2人の仲も・・・。
 部屋のレイアウトを変えたり、介護ヘルパーの掃除の依頼によっても随分楽になった。
 昨日はとても前向きな一日となった。
 それにつけても、何とも凄い”洗礼”ではあった。
 必要があって起こったことだと思うし、それほど”新ユニット”による共同生活と、その中で個々が自分の本分を果たしていく壁は高く、志と意義に満ちたものであるに違いない。
 その入り口のハードルをたった一つだけ飛び越えたに過ぎないけど。
 確かに、”将来への希望”は見えた。微かな光ではあるが・・・。
 こうして5:00に一人起きて、ペンを走らせる。
 そのことも、その証しである。
 親父は意気軒昂で、”晴耕雨読”「家の本を全部読破する!」などとのたもーた。
 朝からの雨。
 コーヒーとビートルズ。
 一日が始まる。 

 (2011.02.09)   このページのトップへ

『高速バスの車窓に沈む夕日。2004.05.26』89

 そう、ボクらはいつの時も、どこにいても、この太陽、まぎれもない”あなた”を見ていたんだ。
 新潟の海で、君と見た夕日も、ハワイで見たサンセットも、運動会で弁当を広げた時も、誰と一緒でも、いつの時代でも、”あなた”はまぎれもない”あなた”で、それは何億年もそのままの”あなた”で、世界中の人が時を超えて見続けたのも”あなた”で。  
 だから、”あなた”を通して、ボクらは時空を超えて”つながっている”わけで。
 ”連鎖する”ということは、そういうことではないかなあ、なんて宇宙的に思った。

 (2011.02.09)   このページのトップへ

『ホテルへ。2004.05.25』88

 朝から雨ー。
 夕べ、ウイスキーを多少飲み過ぎて、若干二日酔い気味。  
 でも、頭が痛くなるようなことは、こっちに来て一度もない。多分、田舎の空気や水のせいなんだろう。
 昨日は、食材が枯渇したことと、2人が”ホテル”暮らしになるので、一応”最後の晩餐”ということで、リクエストに応じたメニューで大いに2人の満足を得た。  
 ”刺身盛り合わせ””メロン””イチゴ”そして、Y子さん差し入れの”ブドウ”など、とりあえず大ご馳走であった。
 2人を預け、久々に自由になれる開放感で、オレも結構飲んだ。
 今、2人を乗せた「老健」のクルマを見送り、トミの部屋の洗濯物を乾かしながら、なぜか”寂寞感”のような感傷的な気持ちになった。
 「あー、せいせいした」という気持ちの反面、トミのベッドを直しつつ、「あー、きっとあんな憎まれババアでも、死んだときは寂しいだろうナアー」、「介護を全力で格闘した分、その想いがきっと強いんだろうナアー」そんなことをフト考えて涙もろくなってしまった。
 トミの現状の痴呆と向き合い、連れ合い、怒りや憤りを抱えながら悩み、時には”罵声”を浴びせ、汚物を鼻をつまみながら処理し、そんなことをやればやるほど、オレはまんまとトミの本当の最後に、死ぬほど悲しまされるに違いない。
 ”まんま”とトミの術中に嵌ってしまっているのである。
 でも、きっとこうして、クラシック”ハイドンのセレナーデ””アベマリア”なんかが流れる部屋で一人、オレは泣くぞー。
 ”やり遂げて”泣いてやるかんな、ババー!

 (2011.02.08)   このページのトップへ

『天日干しの布団で溶けていった。2004.05.24』87

 気持ちよく眠りに就き、5時まで熟睡した。
 親父はまだ鼻息をたててよく眠っている。  
 もう一つの南側のフロアを張って、そこには予想以上の部屋が完成した。資材費だけで。
 いよいよ石巻行きは明日になった。  
 夕べの、ま、の電話の声のトーン、オレへの対応にも力があった。
 石巻では、”カニ”とオレのリクエストの”スキヤキ”を用意して待ちわびてくれている。
 仙台の家とは情が薄れ、お金と形式的な儀礼の割合が多くなった分、石巻の人たちの温かさが心からありがたいと感じられる。
 ”石巻の人たち”愛すべき。
 息子たちとはあれから、電話はもとよりメールでの言葉すら交わしていない。
 彼らについて言えば、それは、彼らの”自立”として捉えて、むしろ当たり前の年齢である。
 ”メールや電話での父との近況報告”は必要ない。
 Yは部活に一生懸命だそうだし、Sも資格の勉強とバイトに精を出していると長女から聞いた。
 彼らにとって”自立した自分を求め、自分のアイデンティティを確立する”ことこそ重要なのだ。
 もう、そういう歳になったのだ。
 彼らにとっての”父の目方”は、今どのようなものであっても構わない。
 むしろ、空気のようにゼロでも、あるいは反面教師として、逆の重み、否定的な意味を持つものであっても。

 『父の目方』を読んだ石巻のKさんとRさんに電話で感想を聞いた。
 そして思った、いい評価であれ、悪い評価であれ、評価を聞くというのは”こそばゆい”もんだなあ。
 自分で自分の文章をあらためて読み返すことも含め、あんまり・・・、苦手だなあ・・・。
 できれば、書き終えたら二度とそのことには触れられたくないなあ。
 これは実に矛盾してるんだけどね。だったら書かなきゃいいんだからね。
 無理な話、都合のいい話ではあるが、そんなことを考えた。
 どんな”立派な読後感想”であっても(多分に2人の評価は高かったし、うれしかったのだが・・・)やはり、どうも・・・という思い。
 これもやっぱりオレの”ナル”かな?

 天気がいい。ま、を迎えるための最後の仕上げをキチンとやって、トミ、ヨシオを一時的に送り出すためにも、今日は”仕上げ”を徹底します。

 (2011.02.08)   このページのトップへ

『家は一年、木は十年、人は百年』86

「中国には『家は一年、木は十年、人は百年』という言葉がある。
 深い意味を含む言葉だと思う。  
 よほどの豪邸でないかぎり、一年もあれば一軒の家が建つ。小さな苗木も十年もたてば木と呼べるまでには成長する。しかし、人は百年かかるというのである。
 どんなに医学が発達しても、人が百歳まで生きるのは稀であろう。ではなぜ「人は百年」なのか……。  
 若いころ、私はこの中国の古い諺の意味がわからなかった。しかし、五十を過ぎたころから、「人は百年」という意味がわかってきた。
 人材論という別の観点からの解釈も可能だが、そうしたものから離れて、単純にひとりの人間の成長を考えるとき、人は否応なく、「父」と「母」の影響を強く受けて育つのである。父あるいは母を幼少時に亡くそうとも、善悪合わせて、遺伝子の螺旋は子に組み込まれている。
 この言い方が誤解を招くとすれば、容貌や体形、物の考え方、癖、ちょっとした立居振舞い等々に、父と母の、あるいはそのまた父と母の形態とか心の有り様といったものが継承されている。
 そのような「持って生まれたもの」ばかりではなく、人生経験によって培われた世間智や常識や処世術も、勉学や読書や芸術鑑賞などによって得た知能も情緒も、子は知らず知らずのうちに「父」や「母」から受け継ぐものが多いであろう。
 故に「人は百年」なのである。生まれたての赤ん坊が三十歳となり四十歳となり五十歳となり六十歳となり、それぞれの花を咲かせるとき、その花の種は百年前に蒔かれてあったと考えるならば、きょう生まれた我が子もまたそのようにして人間となっていくのだとわかるはずなのだ」
 (『父の目方』はじめに〜 宮本輝)

 (2011.02.07)   このページのトップへ

『ASAGUSOは起きたてに出る。2004.05.23』85

 このところ、トミのせいではなくても8時には眠くなってしまうので、朝、必然的に早く起きる。
 そしてASAGUSOをする。
 4時に、ニワトリの声を聞きながらASAGUSOというのは、何とも自然の摂理にかなっているようで、オレも”田舎者”の資格が備わってきたようだ。
 それから一服、コーヒーを沸かし、トミに軽くジャブを打って、それからゆっくり音楽を聴きながらカウンターで”至福の時間”。
 隣のケイコさんは、既に起きて庭いじりをしているし、空が明るいので今日は晴れそうだ。
 冷蔵庫や野菜の在庫を確かめて、あと2日分、過不足なく消化するための調理メニューのことなどをイメージする。
 この時間は体調も良く、頭も冴え、気分も周囲も”至福の静けさ”を保ってくれる。
 この時間こそが、ものを書く時間にうってつけだ。
 6月締め切りの”文学界新人賞”へ応募したいと思っている。
 この1ヶ月を中心にした”介護奮闘記”ではない心の物語を、重いテーマでありながらも、どこか突き抜けるような明るさを持った100枚の文章に仕立ててみたい。
 そういう”ライフワーク”を継続していくことが、ま、を入れて生活が始まる中で、最も大切な誓いのようにも思えるし、トミ、ヨシオにとっても、己の人生最終章の生き様を世の中に何か”意味のある形”で伝え残す必要があるとも思える。
 だから、”書くこと”すなわち”考えること”と”表現すること”に怠惰にならぬよう、ノートとペンを手放さないように。
 ”文学界新人賞”。
 必ず”魂の文章”で応募するゾ!!

 (2011.02.07)   このページのトップへ

『4時、朝。2004.05.23』84

 今日、明日と、この3人で1ヶ月に渡る「波瀾万丈」な生活を送ると、いよいよ、ま、を迎えにいって1週間後、新たな4人の生活が始まる。
 思えばこの1ヶ月、筆舌に尽きぬほどのことがトミを主導として”我が家”に巻き起こり、オレはその嵐に翻弄され続けたナ。
 いや〜、”介護生活”の第1幕は十分に小説をしのぐ重みと厚みと深みと澱みと、期待と、不安と、希望と、絶望と、怒りと、憤りと、あきらめと、喜びと、ストレスと・・・。
 まあ、それにしても、過ぎてしまえばこれもまた、面白い人生の一葉の風花ではあった。
 そしてさらに、第2幕は、続編は、第1幕をはるかにしのぐだけの”超巨編”になることは有に想像がつく。
 ”トミVSオレ”の構図は、トミ側には”痴呆”の進行という強力なサポーターが付き、オレだって、ま、によって、それに耐えうる人材を確保した。
 だから、きっとこのバトル、面白くなることに違いないよ。

 (2011.02.07)   このページのトップへ

『書き神様』83

 ”書き神様”が下りてきているうちに、とにかく一心不乱に書け!
 ”書き神”出たらペンを執れ!

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『よっし!2004.05.22』82

 「よっし!」という掛け声で、ヨシオはベッドから起き上がる。
 独り言の多いヨシオだが、最近、声に”力”と”前向きさ”が感じられる。
 昨日、寝る前の会話。
「明日、晴れそうだよ」
「よっし! 草取りさな」
「ああ、頼む」
 そんな何でもない会話の中にも、それがみなぎっていてうれしかった。
 ヨシオの「よっし!」は希望だ。
 少しずつ日焼けをして逞しくなっていくヨシオの顔が、何よりも幸せのシンボルだ。
 晴れるといいな。
 オレも今日は、汗かいて、大工を頑張って、夕方一緒にうまい酒を飲みたい。
 大相撲もあと2日。
 ヨシオの「よっし!」が続くといい。

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『ボクが書く意味』81

 アーネスト・ヘミングウェイは、「午後の死」を書いた時、「私はものを書くことを学ぼうとしており、単純なことから始めようとしていた。最も単純で、最も根源的なものが激烈な死である」と語った。
 その世界を描くことを、作家になる重要な一歩と考えた。
 ボクにとってそれ(生と死が日常的に対峙した世界)は、こうして老人と繰り返される日々がそのままボクの書く動機で、そうした実際の体験そのものが学ぶ題材なのだ。
 激烈な死ではないが、どこにでもいる普通の雑草のような人間の死を客観的に見つめる機会は、同時に自分の死や、裏返せば”生”を内なるものに問いかけ、文章を絞り出す行為によって、己自身もまた良く生きることにつながるものだ思います。

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『風は風なる』80

 風は風なる。
 雲は雲なる。
 花は花なる。
 ただ繰り返される”とこしえの営み”。
 そうした大きな力を見せつけられた時、
 ふるさとの丘の露草の上にひれ伏して、
 ちっぽけなボクは、もう泣くしかないなあ・・・。
 よだれなんぞたらしながら・・・。

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『トミは一番が好き。2004.05.22』79

 クラシックの音色が、朝の澄み切った静寂に溶ける。
 こんな全集を買ってたんだな。
 夕べのオレは、どこかトミに対して開き直ったようなところがあって、力を抜いて接することができた。
 入れ歯も久しぶりに洗ってあげたし、風呂にも入れた。
 概して優しかった。
 トミは一番風呂の快感で、
「もう出ないハ」と、ご満悦だった。
 「ムキ栗」や「イチゴ」など、大いに満足したトミは、
「オレ、パパよりも早ぐ風呂さ入った」と、盛んに言っていた。
 この人は”一番”とか”特別扱い”が好きなのである。
 仙台では、二人を決して”一番”にしない方針をとってきた。オレは大犯罪者だ。
 それだけのことで二人は喜ぶ。
「二人の年金のお陰で、こうして美味しいごちそうが食えるんだから、せいぜいこれからは食うことを楽しめよ」
 そんな言葉も白々しくなく出る。
 確かに、オレには今、全く収入がなく、二人のお陰で”生かされてる”身分。
 そういう境遇がまた、オレ自身の”感謝する心”を育もうとしているのだから不思議なものだ。
 「ハイドン」を早朝、コーヒーとともに味わうこの時間と空間にこそ”真のくつろぎ”が存在している。
 ”今ここにある幸”を、そのままありがたく、素直にいただいている。
 これから、畑仕事を通して、それを”自然”からもありがたく頂戴することもまた、人生の恵みへの感謝の心をオレに与え、満たしてくれるはずだ。
 そんな時間を、これからは、ま、を入れた4人で共有し、”喜びの連鎖”を形成していけたら本当にうれしいナ。

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『あそ美』78

 人をうならせる、ひらすら精緻な美。
 心を伸びやかにする、「あそ美」というもう一つの美。

 (2011.02.06)   このページのトップへ

『忍ぶような雨が・・・。2004.05.21』77

 ミスチルの『ディスカバリー』というアルバムを聞いている。
 朝6:15。忍ぶような雨が降っている。
 このアルバムを買ったのは覚えている。
 きっと”ビジネス男”だった時代だ。
 でも、こうしてじっくりと音を聞いたことがなかったんだろうな。
 まるで、初めて聞くように新鮮なんだ。
 一体、あの頃は何だったんだろうね。
 MONEYを求め、それでMONOを手に入れた。
 だけど、MONOは物でしかなく、ただそこに眠っていただけなんだ。
 破産で高価な物はみんな失ったけど、それでも今、その頃のMONOが生かされている。心に届いて「喜び」や「幸せ」を与えてくれている。
 命が与えられ、再び生命を刻んでいる。
 廃棄寸前だったカウンターもそう、古いカメラも、旧式のパソコンも・・・。
 そんな、明らかに”蘇生したMONOたち”がここにはあって、オレはバブル期に手に入れたそれらを、初めて深く味わっている。
 MONEYなんてなくたって幸せは手に入れられる。
 そういうことだ。幸せだけをストレートに・・・。
 今日は、南側2部屋の大工仕事だ。初めて「電動丸のこ」というものを使って。本格的にカーペンターなのだ。
 ワクワクする。その部屋が完成すれば、ま、を迎えられる。
 ただ一つ、問題がある。今日の食事のメニュー。食材が早くも枯渇している。主食がない。
 とりあえず、朝は昨日の”イカ大根”と”カブのみそ汁”でお茶を濁しつつ、昼と夕はどうしよう。カレー(チキン)でも・・・。
 コック兼カーペンターはなかなか大変だぜ!
 まずは飯4合炊くとすっか。

 (2011.02.05)   このページのトップへ

『プレッシャーをかけるつもりは・・・。2004.05.20』77

 ないのかなあ・・・。
 あるんだろうなあ・・・。
 ヨシオの怠惰ぶりや、トミのいたずらに辟易しているのは事実で、そのことを今は一時的にしろ許容できなくなっている自分が確かにいて、そういう想いを乱暴な言葉で投げつけている。
 ま、にさえ、そのはけ口として吐露しつつ、ウサを非常に生産性のない形で晴らしている。
 晴らしているのだが、さっぱり心が晴れないのは、やはり、行為行動は間違いに決まっているわけで、そんなどうしょうもないジレンマに陥っている。
「何もかもおもしろくねえ!」
 そういう自己表現でしかストレスを吐き出せない。
 非常に親不孝な、自分にすらOKの出せない己なのだ。
 こういうことではいけないのだ!
 トミもヨシオも萎縮しまくって、これでは昔のオレのとった行動のままじゃないのか!
 彼らを”しぇんじぇど”(のびのびと)田舎で暮らさせるのが目的だったはずではなかったのか!
 ま、が来てくれたら少しは変わるのかな?
 でも、やはりオレの性格は滅多なことでは変わらないのかもなあ・・・。
 ヨシオが7:30に起きて、仏壇に水を上げ、勤行を始めようとしている。
 飯も炊けたから、オレはそれも供えるとしよう。
 今日一日が穏やかであらんことを祈ろう。
 要はオレの心の中の問題なのだ。
 オレは彼らのすべての心の鍵を握っているのだ。
 穏やかに暮らそう。
 穏やかに暮らそう。
 穏やかに暮らそう。

 (2011.02.05)   このページのトップへ

『ツカ食いてえなあ・・・。2004.05.19』76

「ツカ食いてえなあ・・・」と連呼している。
 トミは針金で施錠された向こうの部屋で、ツカが食いたいと言う。
 「ツカ」は、「チカ」という魚のことであることは分かるさ。
 だけど、オレは・・・。
 今日だってホームセンターAMANOで、先日トミが連呼していた「イチヂク」を必死で探してたんだ。
 イチヂクはなかったけど、イヂコ(イチゴ)は買った。2パック。
 それから、随分前に「栗食いてえ」って言ってたから、栗の瓶詰めだって買った。2つも。
 トミを無視しつつ、頭のどっかにインプットされているんだ。
 そして、オレはそれを着実に実行してしまう。
 それがトミの洗脳と分かっていても。
 トミの「PAPA、PAPA・・・」の連呼を遮るようにして、槙原の歌が流れてきて、オレは久々に氷を買ってきてうまいウイスキーを飲んでいる。
 でも・・・。
 そんな昼下がりの唯一のくつろぎすら、トミの執拗な「PAPAコール」が台無しにする。
 ヨシオは「デイサービス」の湯の越温泉1270円ツアーにそそくさ朝出掛け、オレはAMANOで、ま、の部屋用の格安フロア材と角材と丸のこ、一輪車、照明などを、トラックを借りて全部仕入れたんだ。
 そして今、トミの「PAPAコール」が耳をつんざく中、ウイスキーのほろ酔いを心地よく感じている。
 『父の目方』という宮本輝選の本が光文社から刊行された。
 ま、の家族は3冊も買ってくれたらしい。
 ”印税”が入るなんて夢のよう。
 これから作家としての”いい意味で”欲が出てきた。
 ありがたいな。書くことを捨てないで、現実と向き合っていかなければ。
 昨日は、「何もおもしろいことない」イライラ、ストレスが積もっている気がして、トミにもヨシオにも当たりまくった。
 今日は少し落ち着いているけど、ま、がいればと思う。
 思い切り発散したい。
 何か、何かにぶつけたい。
 疲れてんのかナア・・・。
 ダメだなあ。
 弱いなあ。
 でも、これがオレさ。
 トミ、ヨシオ、わるいなあ・・・。
 ま、すまんね。

 (2011.02.05)   このページのトップへ

『介護者心得2004』75

 介護ストレスと向き合う介護者の心と健康づくり。

<キーワード>
 完璧を望んではいけない。
 自分を褒めてあげよう。
 1人で抱え込まない。
 素直に喜怒哀楽を出す。
 介護は人生の一部だ。(全部じゃない。これで終わりじゃない!)

 ケアマネに相談した時のメモだ。最後の行に赤丸がしてある。

 (2011.02.04)   このページのトップへ

『決意。2004.5.19』74

 トミ、本日百歳なり。
 ヨシオ、負けじと八十五なり。
 めでたきかな、うれしきかな。
 笑って生きたこの十年。

 彼らを連れてこの村に戻ってきた時、十年後をイメージして決意を書いた。
 あれから7年、ばあちゃんは92歳で天寿を全うしたけど、父は82歳になり、今も我が世の春を生きている。

 (2011.02.04)   このページのトップへ

『時を揺らして』73

 よく晴れた日曜の昼下がり、ブラリと散歩に出た。
 この村に来てから一度も近くを歩いていない。
 老人2人の介護は、当初の予想を超えてしんどくて、炊事洗濯だけでアッという間に1日が過ぎてしまう。
 24時間同じ屋根の下にいるだけで、ジワジワと気持ちが滅入ってくる。
 そういう時間が必要だった。
 ボーッと景色を眺めたり、外の風に吹かれている時間が・・・。
 ともかくボクは家を出た。
 春の陽射しが降り注いでいた。
 やがて、目の前にのどかな田園風景が広がった。手前にはキラキラ輝きながら緩やかに流れる川。
 この崖を下りてボクらは、あの夏泳いだ。上流にダムができる前、遊泳禁止になる前。
 そんなことを考えて歩いているうちに、小学校の前に来ていた。
 校門が小さく感じられた。
 校舎は新築の立派なものになっていた。期待を裏切られた気がした。
 その威容に気圧され、そらした視線の先に古びたブランコがあった。
 ボクは、古い友人に会ったような浮き上がる気持ちになって走り寄った。
 錆びたチェーンを握り、すり減った横木の上に座った。
 ブランコは軋んだ。
 ギーコ、ギャーコ、ギーコ、ギャーコ・・・
 あれはもう遠い日のこと。
 仲間と競い合ってブランコをこいでいた。夕日が校舎の屋根に沈むまで、いつまでも、いつまでも・・・。
 ガターン、ゴトーン、ガターン、ゴトーン・・・。
 突然音が変わった。満員電車の音になった。
 下を向いて、揺れに体を任せている自分がいる。
(ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ!)
 ボクは顔を上げた。
 風が顔を流れた。
 その風を感じた。
 ゆっくりと時を揺らす風。
(こうやって生きてゆきなさい。今は今なりのペースで)
 ブランコは優しくそう語っていた。
 夕飯の支度が頭をよぎるまで、ボクはいつまでもそうやって揺られていた。(夏目椰子)

 (2011.02.02)   このページのトップへ

『織田信長』73

 是非に及ばず。

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『白洲次郎』72

 戒名不要、葬式無用。

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『幸福の大地』71

 足が大地に根付き、厚い岩を割る。
 そんなところに見えてくる人と風景。
 田舎では、踵を地面に下ろして生活できる。
 そういう人たちを書きたい。(夏目椰子)

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『吉田町の唄』70

 昔その人は赤子を抱いて、いつか故郷を拓けと願い、
 父を超えてゆけと名前を授けた。
 母は影のように佇みながら、健やかであれと涙を流す。
 のびやかに、しなやかに、育てよ子供。
 やがて大地踏みしめ、太陽になれ。



 祖母に手を引かれ海辺を歩く。遥か遠い国へ胸を躍らせ。
 風が頬を過ぎて、七つの夏の日。
 姉の歌う声は小鳥のようで、心ときめいて足を速める。
 のびやかに しなやかに育てよ子供。
 やがて大地踏みしめ、太陽になれ。

 兄の進む道はたくましそうで、憧れのようにまぶしく映る。
 強くなれたらいい、12の秋の日。

 友と汗を拭き山に登れば、たぎる思い揺れて命尊し。
 時は川の流れ、19の冬の日。

 あの日その人は優しく笑い、母の手を握り旅に出掛けた。
 おだやかに安らかに眠れと祈る。
 やがて雪を融かしてせせらぎになれ。

 幾度春が来て、あの日をたどる。
 この名も故郷も静かに生きる。
 雲が空に浮かび、人の顔になる。

 昔その人が愛した場所に、若い緑たちが芽を吹き始め、
 のびやかに しなやかに育てよ子供。
 やがて大地踏みしめ、太陽になれ。(吉田拓郎)

 (2011.02.01)   このページのトップへ

『夏目漱石』69

 ああ、ここにおれの進むべき道があった。
 ようやく掘り当てた。

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『高杉晋作』68

 おもしろきこともなき世をおもしろく。

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『坂本龍馬』67

 日本を今一度せんたくいたし申候。

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『たきの川学園』66

 人は誰かを支えている時、
 たくさんのことを与えられていることを忘れてはいけないよ。(石井亮一)

 ハト 足止める所なく 舟に還る (石井筆子)

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『プロフェッショナルとは』65

 締め切りがあること。
 そして、その日まで最善の努力をする人のことです。(漫画家 浦沢直樹)

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『心のままに行け』64

 心のままに行け、最後はきっとうまくゆく。(ボブ・ディラン)

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『心の肥やし』63

 心の肥やしは体重にならない。(夏目椰子)

 (2011.01.31)   このページのトップへ

『ピカソ』62

 ピカソは8歳の時、どんな大人よりも上手に絵が描けた。
 だが、子供のように描くために一生かかった。(彫刻家、飯田善國)

 (2011.01.31)   このページのトップへ

『書は言を尽くさず』61

 「書」は言を尽くさず、
 「言」は言葉を尽くさず、
 「言葉」は心を尽くさず。
 時々見参の時を期せん。(日蓮)

 小説家の仕事が、つまるところ「書」で始まって「書」で終わることを強く認識する。
 小説を書くという作業が、つまるところ「書」によって成立しているのだ。
 「書」によって『心を尽くす』作業なのだから、一字一句をゆるがせにはできない。
 そんなとき私は、本棚の48色のクレヨンや25色の丸い小さなガラス壜のなかの粉絵の具を眺めると、どういうわけか元気が出てくるのだ。
 自分もまた、曰く言い難い色を「書」や「言葉」で醸し出せそうに思えてくる。(宮本輝)

 (2011.01.31)   このページのトップへ

『詩人アルベール・オーリエ(25歳時。27歳没)のゴッホ評』60

 フィンセント・ファン・ゴッホの絵から明らかになってくるのは、1人の人間としての、さらに1人の芸術家としての彼の気質である。
 このことは、生涯の事実によって確かめられるであろう。
 彼の作品全体を通して特徴的なのは、「過剰」ということである。
 力や神経や表現の荒々しさの過剰である。
 対象の特質を引き出す強引さ、形の大胆な単純化、太陽を面と向かって描く尊大さ、デッサンや色彩にしめられた激しい情熱。
 それらの中に立ち現れてくるのは、「技法の細部さ」さえ力強い存在。
 大胆な男である。しばしば粗野で、時にはあどけないほどに繊細な男である。
 そして、描くすべてのものに現れた放縦(気まま)を考えるならば、彼は幻想家、大人しいだけの俗物の敵、酔いしれた巨人に違いない。
 この男は、骨董をいじくるよりも、山を砕くことを選ぶだろう。
 それは、芸術のあらゆる峡谷に自らの溶岩を注ぎ込む、煮え立つ頭脳である。
 厳粛で、またグロテスクな、ほとんど病的なまでの恐ろしい狂気の天才なのである。

 (2011.01.28)   このページのトップへ

『アルプス画家、ジョヴァンニ・セガンティーニ』59

 私の山が見たい。

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『文人画家、富岡鉄斎』58

 万巻の書を読み、万里の道を行く。

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『建築家、アントニオ・ガウディ』57

 私の師匠は1本の木である。
 人間が作り出すものは、すでに自然という偉大な書物に書かれている。
 人間はそれを読む努力をしなければならない。
 独創とは原点(自然)に戻ることである。

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『男と女』56

 無常を知っている男。
 無常を知らない女。

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『鬼火(フ・フォレ)』55

 神が下りてくるトランス状態、フ・フォレ。
 死のプロセスとしての生をキャリアとして生きる。
 死に向かっている自分を忘れさせてくれるもの。
 恋、友人、家族、仕事、お金・・・。

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『夫婦とは』55

 夫婦とは長い会話である。(夏目椰子)

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『時の柔らかな』54

 時の柔らかな手触りを、手のひらに宿るほんのりとした丸みを帯びた「ゆらぎ」を、心に遊ばせていた。
 私はふと、夏が恋しくなった。(夏目椰子)

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『茫漠たる思い。2007.1.6』53

 『茫漠たる」とは、限りなく広くて向こうに何があるのか分からない様子。
 茫漠たる思いを、言葉という道具を使い、心を尽くした創作活動を一歩一歩積み重ねていきたい。(夏目椰子)

 (2011.01.28)   このページのトップへ

『連呼。2004.4.25』52

「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー飲んでえー、サイダー飲んでー・・・」
「こご痛でなあ、こご痛でなあ・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー飲んでえー、サイダー飲んでー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー飲んでえー、サイダー飲んでー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー飲んでえー、サイダー飲んでー・・・」
「こご痛でなあ、こご痛でなあ・・・」
「救急車呼ぶが?」
「呼べ」
「やすすー、あどいい、おっかにゃすてやざね」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー持ってこい。オシッコだあ」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「サイダー持ってこい」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「オシッコだて、オシッコだて、オシッコだて」
「サイダー持ってこい、サイダー持ってこい」
 いよいよ本当にボケました。
 トミは完全に壊れました。
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
「やすすー、やすすー、やすすー、やすすー・・・」
 オレも壊れそうです。(夏目椰子)

 (2011.01.27)   このページのトップへ

『死前6年。2004.4.24』51

 人は生後6年ぐらいが最も大切な時期だって聞いたことがある。
 「生後」の反対、つまり「死前」6年とは・・・。
 そんなことを布団の中で考えた。
 誰も自分の死期を知ることはできない。ガンで告知を受けでもしなければ。
 だけど・・・。
 死前6年という期間(死んでから結果的に周囲の人が認知するとしても)、何か意味がありそうでね。
 『あの世の精神世界へ入るための準備期間』あるいは『もう一度生まれ変わってくるための期間』とするならば、この『死前6年』という期間は意味があるように思えてくる。
 「生への清算」とでも言うべき、そういう意味ではこの辺り極めて重要な時間なのではないだろうか。
 特に、事故や病気による死ではなく、いわゆる老いて死を迎える人にとって・・・。
 そして、それを看取る人にとって・・・。
 子供にとって母のような「介助者」、そういう立場の人の存在の大きさ。
 うん、うん。オレは今、トミにとって母なのだ!!
 トミは、めんこい、めんこい、わらしっこなんだな、これが。
 そう思うとね、少し安堵するんですよ。
 オレは母であれば、トミという子供の、わけの分からんわがまま、行動、言動なんかも、許容できちゃったりして、ついでにいとおしくなっちゃったりするんだね。
 「うんち」も「非行」も怖くないもんね〜だ。

 ま、はね。そんでもって6月には来てくれるんだって。
 ありがたきかな。
 独りじゃ狂うって言って・・・。
 村人たちは、それぞれの距離と優しさで2人を迎え入れようとしてくれています。
 あとは、少しの時間と「ふるさと」の持つエネルギーが、どんどん変えていってくれるでしょう。
 トミ、ヨシオ、そしてオレさえも。(夏目椰子)

 (2011.01.27)   このページのトップへ

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