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cut1 cut2 cut3 cut4 cut5 『映画コーナートップ』

『オリエント急行殺人事件』 Murder on the Orient Express 1974年(イギリス)

oriento  監督:シドニー・ルメット
  原作:アガサ・クリスティ
  出演:アルバート・フィニー(Poirot役)
     ローレン・バコール(Mrs.Hubbard役)
     バーティン・バルサム(Greta役)
     イングリッド・バーグマン(Countess役)


「推理もの大好き!」

マリリン:ふふっ、推理ものってワクワクするんだよね〜。好き、好き。しかも、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティの原作ということで大いに期待。名探偵ポワロも好きだしね。謎解きが命だから、この映画に関してはあまりしゃべっちゃいかん、いかん。お口チャック・・・苦しいけど。
ヤシーニ:はいはい、チャック、チャック。
マリリン:「えっ、まさか」「うそっ!」「なるほど・・・」と、そんな感じで、最後、名探偵ポワロの”締め”もなかなか。とにかく、豪華な顔ぶれ、豪華な作りで文句なく楽しめました。衣装なんかも素敵だったなあ。
ヤシーニ:ポワロが寝る前に寝台車の中で、ヒゲの手入れをするところは参考になった。(笑)あの曲線出すの大変だろうな、と思っていたんだよね。でも、網かぶってあんなに何時間も髪やヒゲの手入れをやっていたにもかかわらず、難事件を解決しちゃうところがすごいよね。

『プレイス・イン・ザ・ハート』 Places in the Heart 1984年(アメリカ)

pureisu  監督:ロバート・ベントン
  出演:サリー・フィールド(Edna Spalding役)
     リンゼイ・クローズ(Margaret役)
     エド・ハリス(Wayne役)
     エイミー・マディガン(Viola役)


「サリー・フィールドっていいね」

マリリン:サリー・フィールドっていいね。子育てと家事しかやったことのなかった主婦が、愛する家族と家を守るために、なりふり構わず立ち向かっていくたくましさが胸を打つなあ。ウィルとモーゼスにとっても、エドナや子供たちと一つ屋根の下に暮らすうちに、そこがプレイス・イン・ザ・ハートであり、夫の亡き後、ウィルやモーゼスは必要不可欠な仲間たちであり、みんなが寄り添い合って生かし、生かされ、支え合う家族になっていくわけだね。突然やってきて、銀のナイフとかフォークとか盗んでいくモーゼスの登場のし方って、レ・ミゼラブルが下敷きかな? せっかく見つけた心安らぐ場所を去らなければならなくなったモーゼスに「あなたが最高の綿摘みだってことを忘れないで」とエドナが言うシーン、泣くね。そうそう、目の見えないウィルに「あなたはどんな顔をしてるの?」って聞かれて、「美人じゃないけど気に入ってるわ」と答えるシーンがあるじゃない?
ヤシーニ:うんうん、あそこいいね。可愛い!
マリリン:あの辺りがサリー・フィールドという女優の魅力だよね〜。彼女に個性にすっかり引き込まれてしまったわ。なかなかいい映画でした!
ヤシーニ:ほんま、ほんま。いいです、いいです、イーデス・ハンソン。
マリリン:ちょっとふざけないでよ!
ヤシーニ:ふあ〜い。

『大統領の陰謀』 All the President's Men 1976年(アメリカ)

daitouryou  監督:アラン・J・パクラ
  脚本:ウィリアム・ゴールドマン
  出演:ダスティン・ホフマン(Carl役)
     ロバート・レッドフォード(Bob役)
     ジャック・ウォーデン(Harry役)
     マーティン・バルサム(Howard役)


「ジャーナリスト魂を見せつけられた」

マリリン:有名なウォーターゲート事件だよね。
ヤシーニ:うんうん。ニクソン失脚。中学生の頃だ。ワシントン・ポストってすごいって思ってた。その後かな、ロッキード事件はその4年後ぐらいでしょ。あの頃のマスコミってかっこよかったなあ。
マリリン:この映画、侵入事件のところは全く起こった通りに、起こった場所で再現されたんだって。侵入を発見して警報を鳴らしたウォーターゲートビルの警備員も実際の当の本人が演じてるらしいわよ。
ヤシーニ:へえ〜、驚いたなあ。ご褒美だったのかなあ。(笑)
マリリン:実在する二人の新聞記者、実際に起こった事件、そして、ニクソン大統領の失脚・・・。ドキュメンタリーの面白さ、推理小説の謎解きの面白さ、そして、
ヤシーニ:まだあるの?
マリリン:そして、そして、スケールの大きなエンターテインメント性、なかなかやるな、レッドフォード。
ヤシーニ:最後はそうきたか!
マリリン:実際にあったこの事件と二人の記者の調査活動に注目し、熱心に映画化の実現に奔走したのがレッドフォードだったんだよね。ポスト紙のニュースルームの記者はもちろん、ワシントンスター紙やニューヨークタイムズの記者と話し合ったり、相当なリサーチを重ねたらしくて、ウッドワードはレッドフォードのことを「彼は多分、私より優れた新聞記者だ」って言ってたそうよ。
ヤシーニ:相当入れ込んでたんだね。そういえば、これレッドフォードの独立プロ『ワイルド・ウッドエンタープライゼス』が映画化したんだもんね。
マリリン:それにしても、ジャーナリストって大変ね。真実への階段を地味な作業を積み上げて一歩一歩だもんね。
ヤシーニ:しかも、ツールは電話機とメモ帳というのが今となってはシブイじゃないの。
マリリン:そして、ドデカイことをやってのけたんだから、この二人の記者ってドラマチックよね。
ヤシーニ:まったく、まったく。○○党のあの人もお願いしたいもんだよね。

『パリは霧にぬれて』 La Maison sous les Arbres 1971年(フランス)

pariha  監督:ルネ・クレマン
  出演:フェイ・ダナウェイ(Jill役)
     フランク・ランジェラ(Philip役)


「やっぱりクレマンさんだったか・・・」

マリリン:最初、タイトルの美しさから「夜霧よ今夜もありがとう」的イメージを持っていたから驚いた。
ヤシーニ:古いなあ、それ。
マリリン:えっ?
ヤシーニ:いや「夜霧よ今夜もありがとう」ってさ。裕二郎だろ?
マリリン:そうよ。それが何か?
ヤシーニ:いやいや、どうぞ続けてください。
マリリン:それで、「ああ、こういうことだったのね」と背筋が「ゾクッ」。なるほど、ルネ・クレマン監督だもんね。「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」だって、子供が純真無垢なだけに「ゾクッ」とくるもの。
ヤシーニ:「夜霧よ今夜もありがとう」とはエライ違いだな。
マリリン:何かと親身になってくれて、頼りにしていた階下の友人が、実は・・・ってのには驚いた。誘拐された子供たちの弟のほうが、ピストルを拾ってバーンッ!
ヤシーニ:やっぱりクレマンさん、子役の使いどころを心得てるなあ。
マリリン:あれも驚いたなあ。かなり怖かった。観て怖いというよりも、心理を揺さぶられて「ゾクッ」とくる。
ヤシーニ:まだまだ暑いので、皆さんいかがですか? 「ゾクッ」としてみませんか?

『さらば友よ』 Adieu L'ami 1968年(フランス)

saraba  監督:ジャン・エルマン
  出演:アラン・ドロン(Dino役)
     チャールズ・ブロンソン(Franz役)


「何だかとっても・・・やあ!」

マリリン:この映画、結構可笑しい。といってもコメディーじゃないんだけど。
ヤシーニ:コメディーと言っていいんじゃない? 
マリリン:でも、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンといえば、時の二大スターよ。
ヤシーニ:だから笑えるんだよ。二枚目がまじめにやってるところがかえって可笑しいんだ。
マリリン:そーお? 男の友情、この二人カッコイイ! 最後にモロ「さらば友よ」という言ってしまうあたりがいいわ。
ヤシーニ:あそこ笑ったね。「やあ!」とか言っちゃってね。最後モロ、タイトルコールだもんね。これを娯楽と言わずしてって感じの映画でした。
マリリン:そーお?

『暗闇でドッキリ』 A Shot in the Dark 1964年(アメリカ)

kurayami  監督:ブレイク・エドワーズ
  音楽:ヘンリー・マンシーニ
  出演:ピーター・セーラーズ(Clouseau役)
     エルケ・ソマー(Maria役)
     ジョージ・サンダース(Benjamin役)


「ナンセンスギャグ万歳!」

マリリン:可笑しい、可笑しい、とにかく可笑しい。クルーゾー警部、好きだなあ。ナンセンスギャグだって何だってこのぐらい徹底して笑わせてくれたら文句ありません(笑)。
ヤシーニ:ホント、ホント。コロンボともポワロとも違うキャラだね。
マリリン:まったく違うわね。彼も一応、謎解きらしきこともやるんだけど、結局全然違うところで事件は解決し、本人もトンチンカンなままクルーゾー警部のお手柄でジ・エンドみたいな。
ヤシーニ:そうそう。何だか自分たちを見ているようだ。
マリリン:そうかなあ・・・。それはそうと、ピンクパンサーシリーズはたくさんあるけど、この作品ではクルーゾー警部が地球儀で手を挟むシーンが大爆笑だった。何か言いながら、グルグルグルグル・・・、「あででっ!」みたいな(笑)。
ヤシーニ:はまったな、ツボに。
マリリン:今思い出しても笑いがこみ上げてくる。
ヤシーニ:事件現場に駆けつけてクルマを降りたクルーゾーが、いきなり噴水の池に落ちたり、コートのポケットの中でタバコの火が燃えちゃうとことか、何だかこの人、全部可笑しいよね。
マリリン:最後に署長が「お前なんか嫌いだ」って言うでしょ。あれも最高に可笑しい。「あいつをヤッてしまおう」と決意したほど、クルーゾーに翻弄されまくっていたわけで、そりゃあ嫌いだよな。分かる分かる(笑)。
ヤシーニ:まいった、まいった。警部もクルーゾーも大まじめだもんね。そういうところはバスター・キートンやチャップリンにも通じるところがあるね。真のコメディアンは自ら笑っちゃ駄目さ。

『フィラデルフィア物語』 The Philadelphia Story 1940年(アメリカ)

fira  監督:ジョン・フォード
  原作戯曲:フィリップ・バリー
  出演:ケーリー・グラント(C.K.Dexter'Haven役)
     キャサリン・ヘップバーン(Tracy Lord役)
     ジェームズ・スチュアート(Macaulay役)
     ジョン・ハワード(Gerge役)


「大人のコメディ」

マリリン:もともとブロードウェイで大ヒットした舞台劇の映画化だったんだってね。舞台でもキャサリン・ヘップバーンがトレイシー役を演じていたのね。
ヤシーニ:へええ、そうなんだあ。そっちも見てみたいね。ブロードウェイ。
マリリン:そのうち行こうね(笑)。ところで、キャサリン・ヘップバーンって気品とおきゃんな感じが同居していて魅力的。好きな女優の一人だな。
ヤシーニ:『旅情』もよかった。彼女には何とも言えない魅力がある。
マリリン:スペンサー・トレイシーとの「生涯恋人」っていう関係も私はすてきだと思うんだけど、当初この映画は、共演者にスペンサー・トレイシーとクラーク・ゲーブルを予定してたんだって。スケジュールの都合で実現しなかったらしいけど、そっちの配役でも観てみたかったわ。
ヤシーニ:なるほど、そりゃあ夢のような話だ。
マリリン:トレイシーのキャラは結構好き。世間知らずだけど真っ直ぐでね。会話もしゃれてるし「大人のコメディ」と称されているようよ。
ヤシーニ:大人のコメディかあ。最後の結婚式に至るシーンなんか、まさにそんな感じでジーンとくるよね。ボクらが生まれる前のこの時代の作品には、そういうおしゃれでカッコよくて粋な大人がたくさん出てくるよね。そういう時代に生まれたかったな。そしたらオレも・・・。
マリリン:そしたら何?
ヤシーニ:いや、映画に出られたかなって・・・。
マリリン:・・・・・・(汗)。

『怒りの葡萄』 The Grapes of Wrath 1939年(アメリカ)

ikari  監督:ジョン・フォード
  原作:ジョン・スタインベック
  出演:ヘンリー・フォンダ(Tom役)
     ジェーン・ダーウェル(Ma役)
     ション・キャラダイン(Casy役)
     チャーリー・グレイプウィン(Grampa役)


「肝っ玉母ちゃん」

マリリン:これは、私たちすごく感銘を受けた映画だよね。ズシンと重たく響いたな。ノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベックの小説の映画化。ちなみに彼の小説「エデンの東」も映画化されてるね。
ヤシーニ:荒れ果てた土地、ブルドーザーの出現・・・不作と不況によって土地を追われた一家が、安住の地を求めて長い旅に出るわけね。オクラホマから、目指すはカリフォルニア。まさに大恐慌の時代。当時、大土地資本家以外の農民はみんな土地を失い、働く場所を求めて、豊かだといわれるカリフォルニアとかを目指したわけだ。     
マリリン:まず、母親が思い出の品を整理しながら、家族が幸せだった時代や若かった日々に思いを巡らすシーンに泣かされました。出発を前に、おじいちゃんが「ここはおれの土地だ」って言って離れたがらないシーンも切ない。彼、すぐに死んじゃうんだよね・・・。     
ヤシーニ:ああ、あそこ切なかったね。おんぼろトラックでの旅で、途中でおばあちゃんも死んじゃうんだよね。お金もないからみんなで埋葬してお別れする(泣)。     
マリリン:やっとの思いでカリフォリニアに着いたものの、そこで待っていたのは飢えと貧困、搾取という現実。オクラホマと似たりよったり。希望の新天地なんかじゃなかった(泣)。     
ヤシーニ:泣きっぱなしやなあ。屈辱的な仕打ちや、次々に立ちはだかる苦境。でも、決して彼らはへこたれないんだよねえ。農民、労働者のたくましさというか、生きるべく生まれたんだから生き抜くんだ、みたいな強烈な生命力を感じるね。    
マリリン:母親が真夜中に息子を送り出すシーンも泣かせるね。     
ヤシーニ:あの息子は活動家の道を選んだよね、きっと。     
マリリン:お父ちゃんはショボボンとなっちゃったけど、お母ちゃんはさすが「肝っ玉母ちゃん」よ。     
ヤシーニ:おれはもう駄目だぁ、お前が家族の柱だよなんて言っちゃう弱気なお父ちゃんに、お母ちゃんが言うセリフ、これがすべてだな、うん。
マリリン:お母ちゃんはこう言う。「男より女のほうが思い切りがいい。男は人生を区切って考える。家族が生まれて、死んで、農場を買い、そして失う。でも、女の人生は川だよ。途中に渦や滝もあるけれど、流れが止まることはない。女はそう考える」     
ヤシーニ:お父ちゃんはこう言う。「そうだとしても、きつい人生だ」     
マリリン:お母ちゃんはこう言う。「だから強くなるんだ。金持ちは子どもが身代をつぶせば終わり。でも、あたしたちはそうじゃない。たくましく生き続ける。永遠に生きる、それが民衆なんだよ」     
ヤシーニ:わっ! カッコイイ! 何だかマリリン、あのお母ちゃんに似てきたぞ(笑)。     
マリリン:女は強いんだぞ! 分かったか!     
ヤシーニ:おっしゃる通りでございます、はい。     
マリリン:そして「レッド・リバー・バレー」が流れてジ・エンド。うーん。ジェーン・ダーウェルがアカデミー賞助演女優賞を取ったのは納得です。     
ヤシーニ:監督のジョン・フォードは「わが谷は緑なりき」も撮ってるね。どこか通じるものがあるね、うん。

『アパートの鍵貸します』  The Apartment 1960年(アメリカ)

apa-to  監督:ビリー・ワイルダー
  出演:ジャック・レモン(C.C.Baxter役)
     シャーリー・マクレーン(Fran役)
     フレッド・マクマレイ(J.D.Sheldrake役)


「一級の大人のコメディ」

マリリン:これってすごく可笑しいよねえ。まず、アパートの鍵を貸して、せっせと出世の工作に励むという設定が可笑しいじゃない。     
ヤシーニ:間もいいし、会話も面白いし、アクシデントもいろいろ可笑しい。なかかセンスのいいコメディーだね。     
マリリン:ラスト、本当に自分を愛してくれる人に気が付き、フランがアパートに駆けつけてみると、部屋から銃声が。もしや、失恋の痛手で自殺か? と思いきや、バドが一人寂しくシャンパンの栓を抜いた音だったわけで、やれやれ、ハッピーエンド。でも、出世はもう無理だよね。どころか、辞表を出しちゃってるし(笑)。
ヤシーニ:これもアメリカ映画に大人の気品とユーモアがあった頃のいい作品だね。

『マディソン郡の橋』 The Bridges of Madison Country 1995年(アメリカ)

madisons  監督:クイント・イーストウッド
  原作:ロバート・ジェームズ・ウォラー
  出演:クイント・イーストウッド(ロバート・キンケイド役)
     メリル・ストリープ(フランチャスカ・ジョンソン役)
     ヴィクター・スレザック(長男マイケル役)
     アニー・コーリー(妹キャロリン役)


「メリル・ストリープの演技」

マリリン:普通の主婦が、日常の中で気付きもしなかった自分の中にあるものに気付く。出会ったことによって。触発されちゃったんだよね。自分の思った通りに生きてみたくなった。
ヤシーニ:もし、同じようなことがあってもさ、臆病だとさ、ああいうふうにならないよね。どっかにそういう願望が強かったから、何かピンときたんだね。
マリリン:あの田舎ってここにも似てるけど、人の醜聞の嵐の中で、もともとの感情を封印してたんだけど、あっという間に解けていってしまう。何か町で不倫してる人の噂を聞いてさ、「迷惑が掛かるなら来なくていいよ」ってロバートが言うんだけど、「私構わない」って言ったじゃない、彼女。そのぐらいの熱いものがあったんだろうね。
ヤシーニ:でも、あそこで別れてよかったね。
マリリン:だからこそ長年いい思い出っていうか、フランチャスカはその時を誇りに生きられたんだと思うよね。出て行ってしまってればさ、本人の言った通り後悔してたかもね。
ヤシーニ:ストーリーもいいね。遺言から始まって最初は嫌悪していた子どもたちが、2時間の中で『自分を生きた母親』を理解し成長していくっていう・・・。ぼくはこの辺りが実は一番しみたなあ・・・。
マリリン:『一生誇りに思ってた』ってことが、結構感動させられるんだよね。ただの出来事じゃなくてさ。
ヤシーニ:その後、何十年も生きていった過程もそこに感じさせるからいいんだね。そういう意味では『タイタニック』のローズもそうだったね。最後の写真が物語ってたりさ。
マリリン:それがつまり倫理に反してるかどうかっていう問題よりも、一人の人間が真剣に生きたという、それにみんな感動するんだよね。
ヤシーニ:本当に愛してたんだね。一過性の火遊びじゃなくて。この男も本気だったっていうシーンが随所に出てきて・・・。
マリリン:雨で張り付いた髪?(笑)
ヤシーニ:そうそう、ああいうの。純粋に真実の愛だった。彼女に中にはずっとそう思ってたけど、彼が先に死んだことによってそのことが証明されて、フランチャスカはああいう最後の決意をするんだろうな。
マリリン:本当だったんだってね。写真集、あのシーン泣かせるよね。年老いてるからよけいね。
ヤシーニ:子どもに伝えたくなったのはそこだよね。「今いる人を大事にしなさい、愛しなさい」と。「4日間だったけど私は愛した」と。「家族も全力で愛したよ」ってことだよね。
マリリン:墓まで持っていくこともできたけど、愛する者に伝えておきたかった、みたいな。あの家族はすごく平和な、だんなさんもすごく働き者で、いい家族だったことも分かるじゃない?
ヤシーニ:そうだよね。飛び出す理由の中にはさ、家族が暴力的だったり崩壊してたりってことがあるけど・・・。
マリリン:そうだったらこうはならない。そうそう、「なぜ一緒に来ない?」っていう質問にさ、「行く理由は何なのか聞きたい」っていうのがあったよね。結局、分からんでもないよね。行かなきゃいけないほどの理由もないんだよね。
ヤシーニ:この映画、すごくヒットしたってことはさ、世の主婦にすごくそういう願望ってあるんだよね。
マリリン:自分が本当の自分を生きてるだろうか? ってとこに重ねるんだろうな。それで、あの最後のシーンでしょ。やっぱり何度見ても泣いちゃうよね。
ヤシーニ:洋服屋で服を買うとことか、シャワーのとことか、彼が浴びたシャワーの水滴を見たりして、その服でピョコって出てきたとこもかわいいよね。
マリリン:うんうん。かわゆーい! やぼったいんだけど(笑)。
ヤシーニ:少女だよなっていう、幾つになっても女はみたいな・・・。
マリリン:役者って上手いもんだね、しかし。
ヤシーニ:すばらしいね。メリル最高!
マリリン:大女優だし、乙女心も・・・。仕草、表情、卓越してる。
ヤシーニ:いやいや、いい映画でした。
マリリン:泣き顔がいいね。『クレーマークレーマー』の泣き顔もよかった。
ヤシーニ:よっし、じゃあ、今日はこのへんで。お腹空いた。(終わり) Roseman橋

『ローマの休日』 Roman Holiday 1953年(アメリカ)

ローマの休日  監督:ウィリアム・ワイラー
  原作:アイアン・マクラレン・ハンター
  出演:グレゴリー・ペック(ジョー・ブラッドレー役)
     オードリー・ヘップバーン(アン王女役)
     エディ・アルバート(アーヴィング役)


「あらためて、名作だ」

マリリン:久しぶりに映画を見たね。お正月は暴風雪で実家に帰れなかったから、映画三昧の日々でした。
ヤシーニ:15本くらい見たうち、お正月らしい映画と言えばこれでしょう。オードリー・ヘップバーンのはまり役って感じで、すごくかわいくてさわやかな物語でした。
マリリン:これ、意味のない比較なんだけど『マディソン郡の橋』の普通の主婦、メリル・ストリープの体型とさ、王女さまでさっていう、ある意味夢物語じゃない。あれってすごく体型も比較すると面白いと思ってさ。
ヤシーニ:あの役はオードリーがやったからよかったんだよね。まったく違和感ないもんね。
マリリン:最後の記者会見のシーン、アーヴィングがよかったね。
ヤシーニ:ジョーの親友ね。コーヒー何回もぶちまけられてた人でしょ。(笑)ニブイ人。
マリリン:すごく鈍かったけど最後にやっと分かったよね。
ヤシーニ:粋なはからいをしたよね。
マリリン:アン王女は、この二日間の間にすごい成長したね。「私に義務を説く必要はありません」ってね。「私が国家と国民に対する義務を考えてなかったらここに戻ってきてない」と。
ヤシーニ:侍従たちに言うところね。大人っこになった感じ。
マリリン:ああいうこと、やってみたかったんだよね。
ヤシーニ:で、「ローマが好きだ」って言うとこもいいね。
マリリン:そうそうそう。自分の意志で台本じゃないことを言ったよね。
ヤシーニ:言った、言った。彼女「自立」したんだね。
マリリン:「最後に記者の皆さんにごあいさつしたい」って言うよね。
ヤシーニ:切ないよね。
マリリン:切ない。忘れられない滞在だったと。
ヤシーニ:名作だよね。
マリリン:やっぱりさ。後世に残ってるっていう何か意味があるんだよね。今までオードリー・ヘップバーンがかわいい、かわいい、素敵って言われるのも分かってたし、いっぱい見たことあるんだけど、その時は何かこうそんなに深くないような気がして、もう一回見ようって思わなかったんだけど、何か力があるよね。
ヤシーニ:あるねえ。
マリリン:やっぱり残ってるだけのことはあるよねえ。オードリーの魅力だけとかじゃなくてさ、ストーリーも分かりやすいっちゃあ分かりやすいんだけど、夢を見させてくれるというのは映画の重要な役目だよね。
ヤシーニ:うん。特にこの映画は徹底してシャレてる。
マリリン:お正月からいい映画だったね。今年もできるだけ時間作って、いい映画をいっぱい見たいわ。
ヤシーニ:うん。見たい、見たい。目標100本! 映画コーナーの更新10回!
マリリン:わあ〜! すごい。見るほうは手伝うから、更新頑張ってね!
ヤシーニ:は〜い。(終わり)

『ギルバート・グレープ』 What's Eating Gilbert Grape 1993年(アメリカ)

ギルバート・グレープ  監督:ラッセ・ハルストレム
  原作:ピーター・ヘッジス
  出演:ジョニー・デップ(ギルバート・グレイプ役)
     ジュリエット・ルイス(ベッキー役)
     メアリー・スティーンバージェン(ベティー・ガーヴァー夫人役)
     レオナルド・ディカプリオ(アーニー・グレープ役)
     ダーレーン・ケイツ(ギルバートの母役)


「どこへでも、どこへでも」

マリリン:ディカプリオの演技がいい。ジョニー・デップを食ってるね。
ヤシーニ:知的障害児ってことで、それだけでインパクトあるからね。でも、本当に演技が自然。うまい。
マリリン:どこの家族にも、大なり小なりあることだろうけど、ギルバート・グレイプが背負ってしまったものはものすごく重いよね。
ヤシーニ:そうね。家族を守らなければならない、という重い使命感が、時に若者である彼を苦しめる。
マリリン:ああいう葛藤って分かるような気がする。切ないよね。
ヤシーニ:うん。彼は、定住せずに自由にキャンプ生活を送っている女性ベッキーと会ったことで、いろんな刺激を受ける。
マリリン:あのジュリエット・ルイス可愛いね。大好き!
ヤシーニ:超ショートカット。マリリンさんは、あれに憧れてるらしいじゃん。
マリリン:そうなのよ。似合う?
ヤシーニ:いや、う〜ん。
マリリン:何よそれ。まっ、いいわ。ええと、何だっけ。そうそう、彼女に出会うことで、ギルバートはもっと葛藤するんだよね。そして結局、彼女と町を出て行くことはできなかった。
ヤシーニ:家族を捨てられなかったんだ。
マリリン:「どこへも行けない自分」。ギルバートかわいそう。守らなきゃいけないものに縛られているギルバートと、放浪することが自分の人生だというベッキー、この二人の対比がこの映画の作りの上手いところだね。
ヤシーニ:アーニーの18歳の誕生日の前の日、そんな彼は、いらだちが爆発してアーニーを殴ってしまう。
マリリン:ああ、あん時のギルバートとアーニーの心情は、見ていてつらかったなあ。
ヤシーニ:その後、二人とも、ベッキーのもとへ行くんだけど、アーニーは、水辺でベッキーに優しく抱きしめられて眠る。それをうる目で見つめるギルバート。あの辺の描写もいい。ひたすら、弟を弱者として体を張って守ってきたギルバートのやり方、だけどその一方で、ベッキーのような全く別のアプローチでも、アーニーにはちゃんと伝わり、守ることになる。これも上手い対比だよね。
マリリン:考えさせられるよね。もっと、感動したのは、誕生パーティーに朝、ギルバートが戻ってきて・・・。
ヤシーニ:そうそう、妹だかお姉さんといっしょに、いつもの「アーニーはどこ?」って・・・。
マリリン:で、仲直りをするとこがいいね。泣けた。
ヤシーニ:クジラのような母が、アーニーを取り戻しに警察に乗り込んだ場面もよかった。この母は母で、切ないんだよね。
マリリン:その母が死んだ時、「母を笑い者にさせない!」って家に火を放つ場面も、家族の愛、絆、そして悲しさを感じる。
ヤシーニ:それから1年後、最後の場面。妹姉が自立した後のギルバートは、アーニーと、また町に来たベッキーのトレーラーに乗り込む。
マリリン:アーニーが、「僕らはどこへ行くの?」っていうと・・・。
ヤシーニ:「どこへでも、どこへでも」ってギルバート。
マリリン:う〜ん、「頑張れ!」って思わず言っちゃいたくなるシーン。
ヤシーニ:こういうの作らせたら、ラッセ・ハルストレム監督はサイコーだね。
マリリン:ところで、最近あんまり映画見てないね。
ヤシーニ:そうなんだよ。この頃、卓球忙しくてさあ(笑)。(終わり)



「ジョニー・デップといえば・・・」By MOMOKO

『ギルバート・グレイプ』のジョニー・デップはレオにすっかり食われちまった感がありますね。     
『シザーハンズ』ははずせません。彼にしか演じられなかったと思うな。あのメイクなので彼がイケメンだと知らない人が多かった。     
 一押しは『ドンファン』です。最後には恋したくなり、人を好きになるって素敵だなあと。ジョニー・デップの魅力MAX! 観終わったあとはトロトロになるでしょう。     
『耳に残るは君の歌声』・・・デップのジプシーがピッタリはまってます。ハマりすぎ。小品ながらいい出来かな。     
『パイレーツオブカリビアン』・・・出世作だね。とにかく楽しいしエンターテイメントに徹してる。あんなメイクにしてもやっぱイケメン。ただ続編は蛇足もいいところかな。商売になって話は面白くないよ。これでジョニー・デップはすっかりメジャーになってしまいました。     
『ネバーランド』・・・正統派のジョニー・デップはやはり素敵でした。観る機会があったら皆さんどうぞ!

『老人と海』 The OLDMAN and the SEA 1958年(アメリカ)

老人と海  監督:ジョン・スタージェス
  原作:アーネスト・ヘミングウェイ
  出演:スペンサー・トレーシー(サンチャゴ老人役)
     フェリペ・パゾス(少年役)


「老いてこうあるべし」

マリリン:前回の『アラバマ物語』に続いてアメリカ映画が続きますが・・・。
ヤシーニ:うん、この二つの映画の共通点はそれだけではない。
マリリン:と、言うと?
ヤシーニ:『アラバマ物語』は原作が女流作家のハーパー・リー、『老人と海』は言わずと知れたアーネスト・ヘミングウェイだよね。
マリリン:うんうん。
ヤシーニ:ヘミングウェイが1953年に、ハーパー・リーは1961年にこの小説でピューリッツァー賞を取ってるんだ。そういう共通性もあるわけ。
マリリン:そっか。いい小説がいい映画になるかっていうと、必ずしもそうじゃないけど、この二つは原作にひけをとらないって感じだよね。
ヤシーニ:アメリカ文学つながりでいうと、ジョン・アービング原作の『サイダーハウス・ルール』『ガープの世界』、スティーブン・キング原作の『ショーシャンクの空に』『スタンド・バイ・ミー』『グリーン・マイル』なんかも秀逸な映画だよね。アメリカ文学についてもっと言えば・・・。
マリリン:ちょっと、このコーナーは映画です。文学の話は置いといて。(笑)紙面の都合もあるので、そろそろ映画『老人と海』の話に・・・。(笑)
ヤシーニ:は〜い。
マリリン:スペンサー・トレーシー、やっぱり品がいいよね。『花嫁の父』にしても『可愛い配当』にしても面白いだけじゃなくて、彼にしか出せない魅力がある。
ヤシーニ:原作が贅肉を削ぎ落としたこの珠玉の短編小説。その小説の持つ品格、格調を損ねることなく演じられる役者はほかにはちょっといない気がするね。
マリリン:受賞2回も含めてアカデミー賞候補記録はいまだ破られてない、だけのことはあるわ。
ヤシーニ:全部で9回。連続受賞した人も彼とのトム・ハンクスだけだもんね。
マリリン:スペンサー・トレーシーが小説を朗読する形で物語が進行していくじゃない。字幕で見るだけでも、この小説ただもんじゃない、と思ってしまう。読んでみたくなるよね。
ヤシーニ:台詞自体は少ない。ほとんど老人の独白だもんね。監督が原作に敬意を払って丁寧に作ってるって感じがする。映像も美しい挿絵を見ているようで、あくまでも脇役に徹した作りになってるよね。
マリリン:あと、子供がいいよね。最後の場面で、少年に「また一緒に船に乗せて」ってせがまれた老人が「ワシは運を使い果たしたよ」って弱気なことを言うと「大丈夫、ぼくが運を持っていくよ」って言うのよね。
ヤシーニ:キューバの海で撮影したんだけど、あの子は現地の素人の少年なんだってね。この少年は終始、老人を尊敬してるんだよね。
マリリン:少年は老人にあこがれの男の姿を見てるんだよね。漁師として、人間として、強い男にあこがれるっていう気持ちね。
ヤシーニ:うんうん、だからこそスペンサー・トレーシーがはまり役だったんだよね。晩年パートナーだったキャサリン・ヘップバーンも彼の死後こう語ってる。「彼は古い樫の木のような人、あるいは夏の風のような人。いずれにしろ男が男だった時代の人だった」って。
マリリン:キャサリンと交際しても、ルイーズと離婚しなかったのよね。彼がカトリックということもあったし、障害児だった子供をルイーズが育て上げたこともあって、終生スペンサーは申し訳ないと思っていた。
ヤシーニ:心臓を悪くしてからの彼は、ルイーズとキャサリン二人から交代で看病されるんだけど、死を看取ったキャサリンは「ルイーズに申し訳ない」って言って葬儀へは出席しなかった。
マリリン:まるで1本の映画になるような話だわ。美しい〜。
ヤシーニ:この映画というか小説は、真に男の強さとは何か、を語ってくれる。
マリリン:少年が老人をかっこいいなあって思ってるのはそこだよね。ただの漁師ではない、何かこう海や魚に対する向き合い方っていうか、単に生活のためだけじゃない神聖なものに対峙している男のさ。
ヤシーニ:老人は魚と格闘しながら、自分の生き様とか生き方を確認してるんだよね。時々弱気になったりしながら。
マリリン:「こんな時、少年がいてくれたら・・・」って何度も悔しがったり、いつもはライオンの夢を見ていたのがイルカの夢になったり。
ヤシーニ:そうそう、ライオンは誇り高い男の象徴みたいなものだろうね。あの辺の対比もさすがだね。この映画っていうか小説は「真の男らしさ」を描いてるような気がするよね。いずれにしても今の社会でそういう男は少ないよね。昔は子供に尊敬される大人は結構いたような気がするけどね。
マリリン:ほんとそうね。何だか悲しい時代よね。
ヤシーニ:この映画は、古き良き時代の「老人をリスペクトする少年の物語」と言ってもいいかもね。
マリリン:老いてこうあるべし、みたいなね。
ヤシーニ:ほんと、ほんと。肉体が衰えても気高い精神は永遠に消えない、それが男の美学なんだ、みたいな。
マリリン:男たるもの、いつまでも強さを確認して生きなきゃ駄目だろう。ねっ、ヤシーニさん。
ヤシーニ:・・・。
マリリン:それにしても、あのカジキおっきかったなあ・・・。オリーブ焼きで腹一杯食べたかったわ。(笑)

『アラバマ物語』 原題 To Kill a Mockingbird 1962年(アメリカ)

アラバマ物語  監督:ロバート・マリガン
  原作:ハーパー・リー
  出演:グレゴリー・ペック(アティカス・フィンチ弁護士役)
     メアリー・バダム(スカウト役)
     フィリップ・アルフォード(ジェム役)
     ジョン・メグナ(ディル役)


「とにかくいっぱい楽しめました」

マリリン:スカウトの演技がすごく自然で良かったよね。おてんばでチャーミングで。
ヤシーニ:彼女がいろんなところで泣かせる場面を作ってたよね。原作のハーパー・リーのモデルを演じてるわけだからね。ナレーションもそう。彼女ジョン・バダムの妹なんだってね。
マリリン:私ジョン・トラボルタは好きじゃないけど『サタデー・ナイト・フィーバー』の監督でしょ?
ヤシーニ:そうそう。それとディル役のちょっと変わった子がいたでしょ。いつも夏休みにやってくる。
マリリン:うんうん。おっかしいよね。なぜかいるのよね、あの子。
ヤシーニ:彼は『ティファニーで朝食を』の原作者トルーマン・カポーティなんだって。日本語の翻訳は村上春樹がしてるんだけどね。驚いたことにハーパー・リーは小さい頃カポーティとよく遊んでたんだって。リーはこの小説『To Kill a Mockingbird』が900万部のミリオンセラーになった後ほとんど何も書かず、公の場にも出なかったんで、カポーティがゴーストライターをしたっていう噂もあったとか。
マリリン:へえ〜。J・D・サリンジャーみたい。
ヤシーニ:話が横道にそれたけど、この映画は後半の法廷のシーンで見せるグレゴリー・ペックの演技だよね。
マリリン:うん、あれで泣かされた。すごくジーンときたの。初め見た時なんかファミリーの回想録かなあ、って思ってたから後半ああいう展開になるとは全然予想してなかった。
ヤシーニ:2階席の黒人の人たちが立ち上がって敬意を表する場面ね、あれよかったね。
マリリン:とにかくこれはグレゴリー・ペックの本領発揮の映画だよ。ハンサム、正義感、誠実、清潔感。
ヤシーニ:アメリカの良心だね。後年はオカルトの『オーメン』とかにも出てるよね。どうしちゃったんだろう。(笑)
マリリン:グレゴリー・ペックはこの映画でアカデミー主演男優賞をもらうでしょ。その授賞式で彼はこう言うらしいのね。「賞をもらったこともうれしいけど、撮影初日にハーパー・リーからもらった懐中時計が一番うれしい」みたいな。
ヤシーニ:へえ。またかっこいいこと言うよね。懐中時計と言えば、オープニングの宝箱の映像、すごく良かったね。ものまね鳥の人形とかビー玉とか・・・。
マリリン:子供に絵を描かせたりとか、すごくいいよね、あれ。えっこれから何が始まるの?って。ストーリーが進行するにつれてブーとの関わりで、あの意味が分かっていくんだけど、なるほどなあって。あれですごく引き付けられる。
ヤシーニ:種明かし的に「あっ、これだったんだ」みたいに分かっていくと、ゾクッとするような。
マリリン:で、そういう物語かなって思って見ていくと、実は黒人差別の問題であり、その法廷シーンでありと、いろんなもので楽しませてくれる。
ヤシーニ:あと、ブーの正体も最後まで謎めいていて怖くて、でも子供は好奇心で見に行くんだよね。
マリリン:ジェムのズボンがたたんであったりとかしてね。
ヤシーニ:最後に子供たちが暴漢に遭って、ブーに助けてもらうよね。あの時「誰が助けてくれたの?」って聞かれたスカウトが「あそこにいる人』って言って、それがブーなんだけど、ブーの手を握るのね。
マリリン:それから「今ならお兄ちゃんの頭もなでられるから」って言うよね。ああいう偏見じゃない色眼鏡のない、子供ならではの・・・。
ヤシーニ:それって『イン・アメリカ』のサラとマテオのようなシーンだよね。
マリリン:あれってすごくジーンときたところだね。子供ってすごいなあ。
ヤシーニ:あと、学校でスカウトといつも喧嘩してた貧しい子供がいたでしょ。あの子を家に招待する場面ね。
マリリン:うん、なんかシロップをバーッっていっぱいかけた彼をスカウトが「なんでそんなことすんのよ」って言う。
ヤシーニ:その時のあの黒人のメイドがすごかったよね。「そんなことを言うんだったらあんた台所で食ってなさい!」って叱るのね。
マリリン:お父さんのアティカスもそうだけど、子供にきちっとしつけをしてる場面は見ていてすがすがしくなるよね。母親がいないから余計そうしたのかもしれないけど、今の親って子供にこびを売ってるのが多いもんね。
ヤシーニ:逆切れされたらどうしよう、みたいな。情けないね。彼らは子供にしっかり向き合って要所要所で偏見を植え付けない教育をしてるもんね。それが大事なんだよね。
マリリン:それにしても、この映画また見たくなるいい映画だったわ。
ヤシーニ:最後に雑談。スカウト役のメアリー・バダムはこの映画でアカデミー助演女優賞にノミネートされたほど演技が上手いでしょ。
マリリン:うんうん。なんでも当時10歳と何ヶ月で最年少だったみたいね。
ヤシーニ:あんまり上手過ぎて人のセリフまで覚えてしまって、それをしゃべっちゃうからNGの連続だったんだって。お陰で撮影は大変だったとか。(笑)
マリリン:ほんと?まったくねえ、困ったちゃんだわね。
ヤシーニ:あと、抗議に来た農民の足を蹴飛ばすシーンがあるじゃない。
マリリン:うんうん。
ヤシーニ:あそこで、怪我してたほうの足を思いっきり蹴り上げてしまったとかね。
マリリン:打ち合わせと違ったわけね。かわいそうな農民。(笑)
ヤシーニ:おのおてんばぶりは演技というよりも地だったのかもね。
マリリン:おっもしろ〜い。今度そこんとこよく見てみよう。

『禁じられた遊び』 Jeux Interdits 1952年(フランス)

禁じられた遊び  監督:ルネ・クレマン
  音楽:ナルシソ・イエペス(イープス)
  出演:ブリジット・フォッセー(ポーレット役)
     ジョルジュ・プージュリー(ミッシェル役)


「クレマン監督、ありがとう!」

マリリン:ルネ・クレマン監督つながりでもうひとつ!
ヤシーニ:前回の『太陽がいっぱい』もそうだったけど、主役のキャラクターへのこだわりというか、クレマンさんのキャスティングがまずすごい。
マリリン:アラン・ドロンの起用も本当に素晴らしいけど、この映画でも子役を選ぶのにすっごい苦労したみたいね。
ヤシーニ:子役のオーディションではピンとこなかった。たまたまオーディション会場の近くの海で遊んでいたブリジット・フォッセーが目に留まるんだよね。
マリリン:そういうキャスティングへのこだわりがクレマンさんは特別強いかもね。『雨の訪問者』のチャールズ・ブロンソンとかも。
ヤシーニ:アラン・ドロンは決して裕福に育ったわけじゃなくて、幼い頃に両親が離婚して、母方に預けられたけど義父とも合わず寄宿舎に入れられ、その後軍隊に入る。
マリリン:育ちが良くなかったんだけど、逆にそのにおいに監督は反応したんだろうね。ハンサムで育ちも良かったら絶対あの味は出ないもんね。
ヤシーニ:トムの役には顔はハンサムでも「粗野」っていう要素が絶対必要だった。
マリリン:粗野で屈折した影が出せる俳優、ということでアラン・ドロンを大抜擢したんだと思うんだ。演技ではなくそれ以前の素性からくるものっていうか。
ヤシーニ:おっと、話が前回の映画に行ってしまったぞ。
マリリン:いっけねえ、『禁じられた遊び』だった。これはこれでまたいいんだよね。
ヤシーニ:ぼくにとってこの映画は、映画以前にギターだった。ナルシソ・イエペスがスペイン民謡か何かを短調でアレンジした名曲だけど、実はクレマンさん、オーディションでお金を使い過ぎて、音楽にオーケストラを入れられなくなった、それでギター1本のこの音楽になったという嘘みたいなエピソードがあるんだって。
マリリン:へえー。でも結果オーライ。(笑)それにしても子供が主役の映画は無条件で泣かされるんだけど、この映画は特にそうね。
ヤシーニ:いたい気な子供に反戦を語らせないで!って感じ。でも、一番初めに見た時は素直に泣けなかったのね。
マリリン:ティッシュ用意してたのに?(笑)
ヤシーニ:そうそう、なぜだろう、と思って泣けない理由を考えていて思い当たったのは、5歳くらいのポーレットの演技なんだよね。
マリリン:ああ、演技が上手過ぎるってこと?
ヤシーニ:うん、あんなに脚色しなくてもいいのになあって思った。そしたら泣けなくなった。クレマンさんは彼女に何かを語らせたいがあまりに、妙に上手過ぎる演技になったのかな。
マリリン:何度も何度も演技指導したんだろうな、と思わせちゃいけないってことかしら。
ヤシーニ:無邪気に大股、ガニ股で演じてるほうが余計にいたい気な気持ちになるんだよね。『となりのトトロ』のメイちゃんみたいな・・・。(笑)
マリリン:結局、こういうことを語らせたいっていう大人の視点のほうが勝っちゃった?
ヤシーニ:花を摘みなさいって言われて、パンツ丸出しの大股開きでやっている5歳なりのポーレット。あのさり気ない、演技と思ってやってない自然なところが泣かせるし沁みるんだよね。
マリリン:そうは言っても、そういう視点で見た人はあまりいないと思うし、ほとんどの人はポーレットに無条件に泣かされたんだと思うけどね。
ヤシーニ:クレマンさんの言いたいことは痛いほど分かるんだけどね。
マリリン:私たち2回目に見る時、今度はミッシェルにポイントを置いて見てみないかっていって見たよね。そうすると、泣けたんだよね。
ヤシーニ:そう、大人と子供の狭間にいる年頃。十字架を盗めば叱られることも分かってるけど、子供ともつながってるからポーレットが思っていることをやってあげたり。
マリリン:初恋的な気持ちも加わって、彼の揺れ動く心情を見たほうがずっと面白いかもね。
ヤシーニ:最後に十字架をぶん投げて、ばっくれてさ。
マリリン:あそこで終わってもいいくらい出色だよね、あそこ。
ヤシーニ:子供を使うということは実はとっても難しいんだろうね。特に4〜5歳の子は。
マリリン:どこまでのびのびやらせられるか。
ヤシーニ:クレマンさんはこの映画で「反戦」をテーマにしてるから盛り込みたいことが山積みだったのかもね。
マリリン:もともと12歳くらいの設定だったっていうから、だとしたらあのストーリーではないと思うのね。
ヤシーニ:5歳のミッシェルが決まってから設定が変更になったのかも。
マリリン:そういうこともあって、つい演技を強いちゃったのかな。
ヤシーニ:そういう視点はさておいて、この映画が反戦映画なのにすごく沁みる、っていうのはあからさまに戦争反対って言ってないところだよね。
マリリン:子供の視点を軸にして、何が何だか分かんない子供たちがこういうふうになるよ、ってことだけを描いた。そういう意味では言い過ぎずに、あとは勝手に考えてって感じで、直截的に戦争は駄目ですって言わないところだよね。
ヤシーニ:だからあの音楽とともに後世に残る映画になった。
マリリン:いやあ、今日はクレマンさんに物申す(笑)になっちゃたけど、いい映画をありがとう!これがホントの気持ち。

『太陽がいっぱい』 PLEIN SOLEIL 1960年(フランス/イタリア)

太陽がいっぱい  監督:ルネ・クレマン
  音楽:ニーノ・ロータ
  出演:アラン・ドロン(トム・リプリー役)
     マリー・ラフォレ(マルジュ役)


「最高だ、この映画も最高だ」

アラン・ドロン マリリン:これについては語りたいことがいっぱいあるわけよ。
ヤシーニ:アラン・ドロンだもんね。しゃべんな、しゃべんな。
マリリン:私が映画に惚れ込んでから、彼のことずーっと見てたの。なんてかっこいい人なんだろ、と思って。ポスターも部屋に貼って。ところが・・・。
ヤシーニ:ところが?
マリリン:彼が出てる映画ほとんど見たけど、ほかのは「んっ?」って感じで。
ヤシーニ:ほう。
マリリン:この映画は彼の出世作であり究極だね。『ジャイアンツ』でジェットを演じたジェームス・ディーンのように、若い時にしかない野望・野心に燃えた感じがたまんない。
ヤシーニ:あの目にやられる。「ダーバン?ジュドジュデニジュ」みたいな。(笑)
マリリン:卑屈なんだけど欲があってギラギラっとした表情。う〜ん、あれは、この時代のこのアラン・ドロンにしか出せない。
ヤシーニ:この映画って実は良くできたサスペンス映画なんだよね。。
マリリン:そうなのよ、昔はアラン・ドロンかっこいい、とかってミーハーチックに見てたから分かんなかったけど、改めて見るとストーリー自体がスリリングで面白いよね。
ヤシーニ:『刑事コロンボ』とか『古畑任三郎』ばりにね。(笑)
マリリン:作品自体が本当によくできてるよね。
ヤシーニ:パトリシア・ハイスミスの推理小説が原作だけど、ルネ・クレマン監督の手腕が大きく貢献してると思うよ。それから忘れちゃならないのが、あのニーノ・ロータの音楽。ニーノ・ロータは天才だね。
マリリン:天才ロータ!『道』も『ゴットファーザー』も『ロミオとジュリエット』もみ〜んな彼だもんね、すごい!それから、もうひとつ言っていい?
ヤシーニ:はいはい。
マリリン:私が昔フランスに憧れたのは、マルジュ役のマリー・ラフォレの顔が好きで、いかにもフランス人っぽい品の良さとファッションセンスが良くて。
ヤシーニ:黒い水着?
マリリン:あれも良かったし、赤と白の縞も良かったし、そういう面でもすごく刺激された映画ではあった。
ヤシーニ:あと、魚料理のときのナイフの持ち方も勉強になった。(笑)
マリリン:そうそうそう、鉛筆握りなんだって。(笑)
ヤシーニ:魚で思い出したけど、完全犯罪を目前にしたトムが、市場に行って魚を見てるシーンがあったよね。
マリリン:あったあった、すごくうれしそうに魚を手に取ってみたりして。
ヤシーニ:あの時、人面のような、あれはきっとカレイだと思うけど、あの魚の顔の印象がすごくあって。 アラン・ドロン02
マリリン:そうそう、魚の残骸もあって。あれって、その後の彼を暗示してるみたい。
ヤシーニ:あの魚の顔で思い出したのは『甘い生活』の最後の場面で打ち上げられた腐敗魚の顔。あれと同じだった。
マリリン:さすが魚博士、よく見てる。(笑)
ヤシーニ:そういう印象を意図的に作ったクレマンさんもすごい。では、最後の場面を実演してみよう。テラスのチェアーに横になったトムに向かって、はいどうぞ。
マリリン:あら、自分ばっかいいわね。
ヤシーニ:はい、どうぞ。
マリリン:はいはい、まず「気分でも?」っておばちゃんが言う。
ヤシーニ:「何?」
マリリン:「気分でも?」
ヤシーニ:「いや、太陽がいっぱいで最高の気分さ。酒をくれ」
マリリン:「何を?」
ヤシーニ:「極上のを」
マリリン:最後は私に言わせて!
ヤシーニ:だめ、「最高だ・・・」
マリリン:「サイコーだ、この映画も最高だ」。

『サウンド・オブ・ミュージック』 Sound of Music 1964年(アメリカ)

サウンド・オブ・ミュージック  監督:ロバート・ワイズ
  音楽:リチャード・ロジャース
  出演:ジュリー・アンドリュース(マリア役)
     クリストファー・プラマー(トラップ大佐役)


「すべての山に登れ!」

マリリン:2月ごろだったかな、テレビでトラップ家の次女のマリアさんのインタビュー番組があったよね。
ヤシーニ:そうそう、92歳だっけね。ジュリー・アンドリュース演じた家庭教師のマリアさんと同名だった。紛らわしいけど、あの人は次女なんだね。あの子が今92歳なんだって。
マリリン:ねえ、しかもお姉さんは93歳なんだって。雨の中で「ユーアーシックスティーン♪」なんて歌って踊ってた人だよね。
ヤシーニ:トラップ家のその後ってなかなか大変だったみたい。アメリカに渡ったころは、言葉はもちろん生活習慣も違う。歌もさっぱり流行らない、みたいな。
マリリン:でも、それを家族12人で乗り越えていくんだよね。映画の中では、国境を越えて亡命するところまでなんだけど、実はそこからが本当の物語の始まりだった。
ヤシーニ:今では、ホテル経営とか農場経営とかやって悠々自適の生活で、兄弟が集まれば今でも歌ったりしているみたいね。
マリリン:そういえばマリアおばあちゃん、アフリカ人の子供を養子にしていたっけ・・・。
ヤシーニ:この映画のモデルになった実在の人たちが、まだまだ健在だってこと自体が何だかにわかに信じられない気もする。
マリリン:いつまでも健在でいてほしいな。タイタニックの最後の生存者もこの間亡くなっちゃったしね。
ヤシーニ:それはそうと、マリリンはこの映画のメイキング的な話に詳しいらしいけど。
マリリン:ちょっと正確じゃないかもしれないけど、ひとつは、主役がジュリー・アンドリュースじゃなくてオードリー・ヘップバーンになっていたかもしれない、という話。
ヤシーニ:それ本当?
マリリン:ミュージカルではジュリー・アンドリュースだったんだけど、映画ではオードリーにという話もあったらしい。でも、やっぱりあのマリア役は絶対ジュリー・アンドリュースで正解。表情も豊かだし、歌も上手いとなればまさにはまり役だったんだよね。
ヤシーニ:オードリーではちょっとピンとこないね。
マリリン:それに、何て言っても「歌」がね。アンドリュースは3オクターブ出るんだって。オードリーは過食と拒食を繰り返していたでしょ。で、この時選ばれなかったことで、また落ち込んで拒食症になったんだって。
ヤシーニ:へえ〜、確かに「ドレミの歌」を教える人が吹き替えでは駄目だよな。
マリリン:この映画でヒットした曲は数々あれど、私が今一番好きなのは『すべての山に登れ!』。
ヤシーニ:へえ〜、マリアのいた修道院長が歌うあの歌。何かシブイね。
マリリン:子供の頃、家にこの映画のサウンドトラック盤があってね。その頃はこの歌はいつも飛ばしてたの。飽きるから。
ヤシーニ:うんうん。
マリリン:でも、大人になって映画をよく見て、すごく歌詞がいいなと。つまり色んなことがあるけど、迷った時はすべての山に登ってみなさい、という。
ヤシーニ:なるほど。
マリリン:それにあの修道女たち、みんないい人たちだったよね。マリアのことを、花だとか山だとかにうつつを抜かす、いつも遅刻するとかポンポンポンって言わせておいて、でもすごく純粋ないい子で大好きなのよねって歌っていく。
ヤシーニ:その通りのキャラクターなんだけどね。
マリリン:あと、あのかくまうシーンがいいよね。
ヤシーニ:ああ、最後のね。
マリリン:う〜ん、私に任せなさいってかくまってくれて、で、クルマのさあ。(笑)
ヤシーニ:ああ、走れないようにしちゃった。で、最後に「わたくし、罪を犯しました」って。(笑)
マリリン:って言うじゃん、あの修道女。おっかしい。で、「どんな罪なの?」って聞かれると「これ」って見せるじゃない。
ヤシーニ:工具だよね。おっかしい。
マリリン:で、結局は追っかけ切れずに、彼らは亡命に成功!めでたしめでたし。
ヤシーニ:でも、その後にまた大きな山が待っていた、みたいな。
マリリン:そうそう、人生いろんな山があるわね。まあ、すべての山を登るってのは無理だけど、それが目の前にあったら一つ一つ登っていこうね。
ヤシーニ:逃避とか迂回とかしないで、誠実に越えていきましょう!
マリリン:おっ、今日は、何だか上手くまとまった感じだわ。(笑)

『ひまわり』 Sunflower 1970年(イタリア)

ひまわり  監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
  脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギ・ムディバニ
  音楽:ヘンリー・マンシーニ
  出演:ソフィア・ローレン(ジョバンナ役)
     マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ役)
     リュドミラ・サベーリエワ(マーシャ役)


「これを語らせたら・・・」

マリリン:いよいよ「ひまわり」よっ!
ヤシーニ:これを語らせたら長いよね。まあ、今日は紙面の都合で手短かにってことで・・。(笑)
マリリン:昔から私って映画好きで「ロードショー」とか「スクリーン」とか買って見てたんだけど、実はソフィア・ローレンという女優は顔ではじいてたの。
ヤシーニ:はじいてた?顔で?(笑)
マリリン:美人でもないしさ、今思えばインパクトもあるし素敵なんだけど。「ひまわり」だけは一度見たいと思ってたけど、ほかに作品的にもそんなに際立ったものもないから。あの頃は女優としては見てなかったみたいな。
ヤシーニ:おお、それが・・・。
マリリン:今見ると、たまんないよね。迫力もあるし、存在感って言うのかなあ。とにかく出てきただけで・・・って感じだものね。
ヤシリン:トリノオリンピックの時もかっこよかったよね。真っ白な服を来て毅然として歩いてたもんね。
マリリン:ということで、今すごい大ファンなんだけど、それくらい自分の変化にも驚く。
ヤシーニ:うちのホームページの「雑感」のバックグランドデザインもアイディアはソフィア・ローレンのバイオグラフィーなんだよね。
マリリン:最初の場面でバーッとひまわり畑が出てくるでしょ。あのひまわりがすごいインパクトでね。 
ヤシーニ:それとあそこで流れる曲。マンシーニの曲・・・。あれだけで泣いちゃうもんね。
マリリン:名曲だよね。映像と音楽でイメージがバーッとふくらんじゃう。
ヤシーニ:涙腺もバーッって緩んじゃう。(笑)アントニオを捜してロシアまで行くシーンでも流れてたね。
マリリン:あ〜ん、だめだめ。ジョバンナが重たーいカバンを引きずるように持ってさ、すれ違う人とぶつかりながら・・・。あの時の気持ちを考えるとさ・・・。(しばし絶句)
ヤシーニ:あっ、ちょっと、ちょっと。もしも〜し。
マリリン:あのゆがむ顔がたまんないよね。そこら辺にいる人の表情が出せてるっていうか。
ヤシーニ:気性は荒いんだけど繊細な、そこが泣かせる。
マリリン:そうそう、アントと海で出会う、あの時の若くて初々しくて屈託のない感じと、その後のちょっとやつれて老け込んだ感じの対比もすごいしさ。上手いよ、ただもんじゃない。
ヤシーニ:上手いね。
マリリン:アントを戦地に送り出す時と、最後の別れのホームが同じだったでしょ。
ヤシーニ:そうそう、タイプライターのオリベッティの看板があった。
マリリン:戦場に送り出した駅の同じホームで、今度はもう二度と会うことがない、彼が帰る場所に見送るわけじゃない。
ヤシーニ:その対比だよね。同じ駅で終わるところがつらい。
マリリン:その時の「泣いていく顔」「我慢してる顔」「頑張ろうと思ってる顔」、どれもいいんだけど、一番好きなのはカバンを持ってロシアの街を捜し歩くとこ。たまらないよ。あの時の気持ちを思うとね。みんなしょうがないと思うのよ。起こってしまったことはね。カチューシャの母も・・・。
ヤシーニ:マーシャね。いい人。美人だし。
マリリン:めぐり合わせでそうなってしまったんだし、誰もどうしてやることもできない。う〜ん、何とも。また、そういうの語るのがあの曲だったりするのよね。(絶句・・・しばし沈黙)
ヤシーニ:う〜ん、何も言えない。
マリリン:出会いだって、最初から二人とも一目惚れって感じじゃないし、アントも結婚しない主義だって言ってたくせに、押し切られるみたいにして始まってさ。だんだんそういうふうになっていって、戦争に行きたくないからって狂人を装ったりして、あの辺はコメディっぽく面白く描かれてるじゃない。で、自分の感覚で考えると、後半の重みに対して、このくらいの出会いと恋愛で、そんなに人生何年もかけてロシアまで渡って捜すほどなのかなと思うんだけど、よっぽど惚れたんだね。
ヤシーニ:若いからバーッと燃え上がったんだ、きっと。(笑)
マリリン:そうそう、そして一番燃え上がったところで残虐にも戦争に引き裂かれる。だからもっともっと燃え上がるみたいなね。それで執着していくのも分かるし、まあ、非常に気性の激しい彼女だから好きってなればトコトンっていうのも分かる。そう思うとなるほど、とも思うし。いやあ、ジョバンナがアントのお母さんを励ましながら「私どこまでも捜しに行く」って勢いもすごかったしさ、カチューシャの母を見てすべてを悟った時の、あの顔もたまらないじゃない。
ヤシーニ:カバンをぶん投げて帰ってくるとこね。汽車の中で号泣する場面、たまんなく切ないね。
マリリン:あれ、美人じゃだめなんだよね。戦争が運命を変えたっていうのは日本人だって同じだけど・・・。
ヤシーニ:ちなみに、うちのトミばあちゃんも23歳の時に戦争未亡人になった。運命が劇的に変わった一人だね。
マリリン:そういうのを描くには、選ばれた美男美女の特別なカップルでは駄目なんだよね。
ヤシーニ:そうか、なるほど。トミばあちゃんもブスだった。(笑)
マリリン:ジョバンナは子供にアントニオってつけて。あれ本当のソフィア・ローレンの子供なんだってね。
ヤシーニ:そうそう、あれ本物の子供なんだってね。子役の出演料もらったのかな。(笑)
マリリン:自分の子供かって聞かれて「聖アントニオ」のアントニオだって言ったりね。泣かせるね。いい場面だよ。
ヤシーニ:「アントニオ猪木」のアントニオとは言わなかったね。(シーン・・・)
マリリン:ちょっと、そういうつまんないギャグ言わないでよ。せっかく名画を語ってるんだから!
ヤシーニ:すみませ〜ん。今日はほとんどマリリンの一人しゃべりだったな。
マリリン:悪いけど、これを語らせたらちょっと負けないわよ。
ヤシーニ:勝ち負けじゃないと思うんだけど・・・。これぐらいでよろしいでしょうか?
マリリン:えっ?もう終わりなの。しょうがないね、今度「ひまわりパート2」やろうっと。

『イン・アメリカ〜三つの小さな願いごと』 In America 2003年(アイルランド/英)

イン・アメリカ  監督:ジム・シェリダン
  脚本:ジム・シェリダン/ナオミ・シェリダン/カーステン・シェリダン
  音楽:ギャヴィン・フライデー/モーリス・シーザー
  出演:パディ・コンシダイン(ジョニー役)
     サマンサ・モートン(サラ役)
     サラ・ボルジャー(クリスティ役)
     エマ・ボルジャー(アリエル役)
     ジャイモン・フンスー(マテオ役)


「アイリッシュ魂、万歳!」

マリリン:今回はちょっと新しめの映画ですよ!
ヤシーニ:ぼくらの趣味からして、古い映画オンパレードになっちゃうからね。
マリリン:もっともこの映画も6年前だから、古いっちゃ古いんだけどね。色が付いてるだけ新しい。(笑)
ヤシーニ:さあ、では始めましょう。ぼくはこの映画、子役の二人とマテオ役のジャガイモ、じゃないジャイモンさんの演技に理屈抜きで無邪気に泣かされた。
マリリン:それと最後のシーンで、クリスティが「フランキー、もう私を解き放って」ってホームビデオのスイッチ切るとこあるでしょ。三つ目、最後の願いがこれだったってことにも「こいつ〜」って思いながら、一本取られたって感じで泣かされちゃった。
ヤシーニ:そう言えば、随所にホームビデオで撮った映像が挿入されてるのも、上手いなあって思って見てた。
マリリン:そうそうそう、立派なカメラでいろんな角度からいろんなショットを撮るよりも、あの子供が撮った素人っぽい記録映像のほうが勝ってるよね。彼女に起こったことがより近いものに、リアルなものに感じられる。あの演出は心憎いと思った。
ヤシーニ:クリスティちゃんがカウボーイハットで「デスペラード」を歌うとこもよかったね。下手だけどかわいいし、歌詞がまた言いえてるよね。「おい、とうちゃん、よく聞いとけよ」みたいな・・・。(笑)
マリリン:そういえば、ヤシーニさんはあれに触発されて、歌とギターの練習をしてるようで・・・。(笑)
ヤシーニ:いやいや、お恥ずかしい。まだまだクリスティちゃんにかないません。えーと、話を戻そう。(汗)マテオと子供たちが初めて会話するのはハロウィンの日だったね。
マリリン:そうそう、マテオは初め、ナイフをキラつかせたりしてサスペンスチックに描かれているんだけど、子供の前で怖い顔が急に崩れて笑うでしょ。「お菓子がないから」って小銭くれるとこ。かわいー。ハロウィンといえば、あの日クリスティとアリエルが自分たちへの「差別」を感じるシーンがあるよね。
ヤシーニ:うん。手作りの衣装を着ていった二人に周りの子供たちや大人が向けたあの冷たい視線に。
マリリン:しかも、そんな二人に彼らはあわれみ的に何か賞をくれるじゃない。クリスティはその賞品をゴミ箱にぶん投げるとこあったでしょ。いいぞっ!って思った。 
ヤシーニ:一方、黒人のエイズ患者であるマテオに対しては、家族全員が心を開き友だちになっていく。
マリリン:ニューチャイルドの名前にまで「マテオ」ってつけたよね。ところで、アイルランド人ってなんで差別されてたの? この監督もそうだけど、アイリッシュ系の人って世界中にいっぱいいるんでしょ。
ヤシーニ:詳しくは分からないけど、イギリスの植民地だったアイルランドは歴史的に不遇なんだよね。19世紀の大飢饉では飢えた人たちが大勢、生きるためにやむを得ず海外に移住していったらしい。貨物同然に扱われながら、長く苦しい船旅をしてアメリカやオーストラリアに渡ったんだ。「タイタニック」でも描かれてるように。そういう歴史的な背景が差別される根っこにあるのかな。
マリリン:そっか、貧しい移民への人種差別か。アメリカってやな国ね。(怒)
ヤシーニ:自由な国、平等な国って言ってるけど、結構露骨に・・・。でも、アイリッシュ移民たちは、不当な差別に耐え、新天地で不屈の開拓者になっていったんだって。
マリリン:じゃあ、クリスティちゃんの賞品ぶん投げシーンも「アイリッシュ魂」の表れってことだね。偉いぞ!
ヤシーニ:この作品は、シェリダン監督自身の実体験をベースにして作られたんだって。ナオミとカーステンという実の娘さんたちが一緒に脚本を書いてるから、当然、クリスティとアリエルのモデルはこの娘さんたちなんだろうね。それにしても、この映画は、感性豊かな子供の目を通して、差別する側と差別される側を上手く、そして切なく表現してるね。 怒りの葡萄

マリリン:ところで、ある有名な映画の1場面が挿入されてるんだけど分かった?
ヤシーニ:サラが感動して見てたとこだよね。あれ気になったんだけど、何だっけ?
マリリン:ジャーン!『怒りの葡萄』で〜す。「レッドリバーバレー」が流れていたでしょ。
ヤシーニ:おー、そうだったか。さすがっ!そういえばあの肝っ玉かあちゃん映ってたな。
マリリン:かあちゃんがクルマの中でとうちゃんに語っている最後の場面。「永遠に生きる、それが民衆なんだよ」ってね。
ヤシーニ:彼らも大飢饉と搾取で農地を追われ、オクラホマからカリフォルニアまでまさに怒りの旅を続ける。
マリリン:サラが感動するのも分かるし、監督がそのシーンを挿入した意味も分かるよね。
ヤシーニ:なるほど、恐れ入りました。
マリリン:えっへん。ほんじゃあこの辺で『怒りの葡萄』いこうか。
ヤシーニ:ちょ、ちょっと待ってよ。腹減っちゃったからさ、それはまた次回ということで・・・。
マリリン:は〜い。

『 道 』 La Strada 1954年(伊)

道  監督:フェデリコ・フェリーニ
  音楽:ニーノ・ロータ
  出演:アンソニー・クイン(ザンパノ役)
     ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ役)
     リチャード・ベースハート(羽の生えた”キ印”役)


「この映画が好きになれた自分がうれしい」

マリリン:いやあ、いい映画でしたねえ〜。
ヤシーニ:うんうん。すばらしい。今日はちょっとザンパノの視点から見てけっこう沁みちゃったんだけどさ。ウルウルしちゃった。
マリリン:あっ同じ。ジェルソミーナじゃなくてザンパノの気持ちで見ると、全然違ってくるね。昔見た時はジェルソミーナかわいそう、みたいな気持ちで見てたけど、実はザンパノがおもしろいわけよ。
ヤシーニ:哀れなくらい乱暴な感情表現しかできない男。
マリリン:つまり経験値としてさ、愛されたとかそういう生活環境がないと、表現できないんだろうね。でも、人間の本能みたいなものでキャッチする能力は絶対あるわけだよね。そこを見ていくと、もちろん粗野だし結果的には人も殺してしまうし、なんだけど愛おしくさえ思えるような・・・。なるほどな、と。また、それが自分でも気付かないってとこがあるでしょ。目覚めたとかそういうんじゃないんだけど、最後泣いてしまうっていう、あれがさあ。
ヤシーニ:あのシーンだよね、最後の。
マリリン:ソフィア・ローレンの泣きも好きだけど、男の嗚咽っていうのもけっこうやばいよね。でも、彼は明日からまた同じように生きるしかすべを持ってないんだよね。生活を変えることはできないんだけど、心に感応したことだけは残るみたいな。決して生き方が変わるわけではないと思う。
ヤシーニ:あのシーンだけどさ、ザンパノが酔っぱらってけんかして海にくるじゃない。海水で顔を洗って砂浜によろけて座るでしょ。あの時にフッと空を見上げるんだよね。あれ、鳴ったんだよね。
マリリン:ああ、トランペット。
ヤシーニ:そう、もちろんあの場面でサウンドトラックは一切流れてないんだよね。ないんだけど、鳴ったんだよ、空で、ジェルソミーナのラッパが。♪ラ〜、ララララ〜。
マリリン:なるほど。それで、空を見上げたのか・・・。それはザンパノ自身が口ずさんでるとも言えない?心の中で。
ヤシーニ:そう。あの旋律はジェルソミーナであり、ザンパノの良心、彼女への愛そのものなんだと思う。
マリリン:粗野だけど、だからこそ原始的に残っている、みたいなね。キ印も含めて、世の中を生きていく上ではみんな何か欠けているんだけど、そういう人を通して分からせたかった。フェリーニさんはね。
ヤシーニ:愛は表現としていろんな形をとるじゃない。甘えたり、逆に冷たくしたり、照れたり、すかしたり・・・。この2人の愛情表現もそう。
マリリン:キ印さんの表現は道化を演じるのね。ザンパノは逆に無視したりわざと冷たくする。でも、どっちも照れだよね。素直になれないんだ。
ヤシーニ:そう、そして孤独なんだよね。周りの愛に恵まれてこなかった。環境としてそういうものがあったと思う。「家族は?」ってキ印さんがジェルソミーナに聞かれて、珍しく黙ったもんね。「俺は長くは生きられない」ってなことも言ってた。マジそうなっちゃうんだけど。
マリリン:そうね、きっと愛情に飢えて生きてきたのかもね。愛をストレートにぶつけられないし、受け入れられないっていう。
ヤシーニ:彼らがよく喧嘩すんのは、お互いの姿にそういう自分自身の姿を重ねて見てしまうからかもね。
マリリン:見ていると無性に腹が立ったり、からかいたくなったり。性格やタイプは違うけど、どこか本能的に嗅ぎ取ってしまう何か。境遇や今の孤独感・・・。だから、決して二人は嫌悪し合っているわけではないんだよね。あの場面だって本気で殺そうとしたわけじゃないし、ちょっと懲らしめてやれみたいな感じだった。
ヤシーニ:そんな彼らにとって、淀川長治さんいわく「原始の子」ジェルソミーナの愛情表現は、きっと何か本能的なところで彼らの心を揺り動かしたんじゃないかな。結局みんな「石コロ」なんだよな・・・。
マリリン:キ印さんが言う「こんな石コロでも何かの役に立ってるんだ」っていう台詞は超有名だけど、あれはそれを受け取ったジェルソミーナの何とも言えない表情、あの演技が名言にしたよね。
ヤシーニ:あの表情、素晴らしい!
マリリン:ジェルソミーナは頭で考えているんじゃなくて、まさにマリアさまのような存在としてフェリーニは描きたかったんじゃないかな。あんな荒くれ者も彼女にだけは心を許せる、みたいなね。でも、気付くのが遅かったよね、It's too lateよ、ザンパノ〜。
ヤシーニ:マリアさまね〜。そうだね、ぼくはミヒャエル・エンデのモモみたいな子だなっても思った。そういえば、フェリーニさんはそのマリアさまと結婚したんだったね。
マリリン:そうよ。そういうケースって多いよね。黒澤明監督の奥さんも「一番美しく」の矢口陽子さんだったね。
ヤシーニ:余談だけど、ザンパノ役のアンソニー・クインは、父親が小さい頃に亡くなって生活は苦しかったらしいよ。で、ヘビー級チャンピオンのスパーリング・パートナーをやったり。
マリリン:へえ〜。だから、鋼鉄の鎖が切れるのか〜。マッチョ、マッチョ(笑)。
ヤシーニ:81歳で子どもを作ったとかね。
マリリン:えっ、ほんと?上原謙みたい。これまたマッチョマッチョ(笑)。
ヤシーニ:そんなわけで、話は尽きないけど、そろそろ晩酌タイムも終わり。夕飯にしよう!
マリリン:もう、終わりなの?しょうがないね。この映画は生涯10回は見たいもんですね。この映画が好きになれた自分がうれしいわ。それはそうと、今晩何だっけ?
ヤシーニ:いけね、ご飯炊いてなかった・・・。どうしよ(汗)。